3. IMPACT
「げちょーん、本物だぁ〜」 「げちょーんってなんだよ、げちょーんって。最近の高校生って変わった擬音使うな」 西沢涼が杉崎に会った途端発した言葉が、冒頭の『げちょーん』。いくら驚いたからといって、これはあんまりな発言である。 「まあいい、俺も今日はあまり時間がない。詳しい話は後にして、俺のギターに合わせて1曲歌って欲しい。アゲンストの『FOREVER』歌えるか?」 「あっ、はい。持ち歌です」 「OK。発声練習はいるか?」 「いえ、多分大丈夫です」 涼は相変わらず状況に流されていた。もともと深く物事を考えないタイプなのである。 「ほんじゃ、やってみるか。手が淋しいだろうからマイクは持ってもいいけど、電源は入れない。ギターに負けない声で歌ってみてよ」 「はいっ、ソロバン使う時に鉛筆持たないと上手く弾けないのと同じ原理ですね」 今の杉崎の発言で、注目すべき点は決してそこではない。杉崎は一瞬あっけに取られた顔をし、次の瞬間声を出して笑い出した。 「けっ…傑作。大物だよ君。サイコー、ツボにはまった」 「何が……でしょう」 腹を抱えて笑っている杉崎に、今度は涼があっけにとられた。 「いや、いいんだ。すまないね、気をそいで。じゃ、いくよ」 一転、真面目な表情になると共に、杉崎のストラトが『FOREVER』の前奏を奏で始める。それを見て、涼は大きく一度息を吐き出した。 ♪夕暮れの街に消える 君の背中そっと見つめる 一度も振り返ること無い 君の態度が証明している いつまで前の男(やつ)の影の 不安に怯えればいい いつになれば君の瞳は 僕を映すの ──やっぱり耳はいいな、音もリズムも完璧に取れている── ──こんな話、誰にも信じてもらえねーだろーなぁ── ──あたしの紹介した人達と、どういう違いがあるって言うのよ── 以上が、歌詞がここまで進んだ段階の、杉崎、涼、工藤のそれぞれの思考の様子である。 工藤はともかく、杉崎と涼は演奏中にもかかわらず、凄まじい余裕といえよう。 余裕しゃくしゃくな杉崎は、工藤の不満にも気付いていた。しかし、本番はこの先だ。 ♪Your watching me いつの日か願いは届くと Even if it lie 期待を持たせて欲しい It's not too late 今から抜け出そうラビリンスを 君だけを 見つめているよ With you forever 歌の、いわゆるサビの部分で雰囲気は一転した。 工藤は思わずこぶしを握りしめた。この歌のサビの部分は、大多数の男性が歌うにはつらいキーで構成されている。特に最後の部分を裏声にならずに伸ばしきれる人間など、極少数に違いない。本家本元、アゲンストのヴォーカルである堀内でさえ、コンサートの最終日ともなると歌いきれない場合もある。 それを、この、ヴォイストレーニングもまともにやっていないだろう、その辺の高校生が見事に歌いきったのだ。しかも、耳に余韻が残る、壊れやすいガラス細工の様な透明感を持って。 しかし、驚いていたのは工藤だけではなかった。何より涼自身が、まるでギターの音色に引っ張られているように歌わされてしまった自分に驚愕していた。 身体中から鳥肌が立ち、足からは力が抜けてその場にへたり込む。 「自分で歌っといて、なに腰抜かしてんだよ」 この段階でもひとりだけ平常心を保っている杉崎が、涼の手首をつかんで引っ張りあげる。 「俺……何かに取り憑かれてるみたいだった。杉崎さん、俺…、俺っ」 「ああ、解った。でもな、それがお前の実力だ。バンドのメンバーのことだとか、学校のこと、いろいろ考えることはあると思うが、これだけは覚えておいて欲しい。俺にはもう君以外の奴と組む気は無い。そして、今回のことは君にとってもチャンスだと思うよ。返事は今じゃなくてもいい、ゆっくり考えて」 「は…い」 まだ放心状態の涼とは対照的に、工藤は奇跡の復活をとげていた。涼の才能を見抜けなかった自分への反省は後からでいい。 「ちょっと、そんなこと言い切っちゃって、もし彼が断ってきたらどうするのよ」 工藤はまず、とんでもない発言をした杉崎に詰め寄った。この少年の実力は解ったが、そこまで言い切るのはどうかと思ったからだ。 「大丈夫、あいつは先刻の感覚を忘れられない筈だ。それに、本当に俺は彼としか組みたくない。断られたら仕方ない、流しのギタリストでもやるさ」 「ふざけるのもいい加減にして、だいたい…」 「俺は本気だ、いたってね。それより工藤さん、早く彼を送ってって下さいよ。どうせ、誘拐まがいの連れてきかたをしたんでしょう」 「やめてよ、人聞きの悪い。でも、まあ、そうね。西沢君、送るから駐車場行きましょう。今度はあたしからもお願いするわ、前向きに考えてみてね」 「ごめんなさい、俺、まだよく判らないです」 「うん。帰ってから家族の人にも相談してね。心が決まったら名刺の番号に連絡頂戴。さっ、行きましょう」 工藤は涼を促し、歩き出した。 しかし、彼女がこうなったら本当に誘拐してでも杉崎と涼を組ませてみせる、という不穏な考えを持っているとは、誰も気付いていなかった。 |