4. UNEXPECTED EVENT

「りょおぉ〜〜。良かった無事で。僕、もう、あぁ〜、りょお〜」
 電話は来ない、レーダーに発信器の反応はない、クラスメートは捕まらない、ないない尽くしで途方にくれていた処に、涼が何事もなかったかのように帰宅したのだから、風折の反応はまともではなかった。
 その様子を間近で見ていた面々が、無言で点眼になっていたとしても無理からぬことである。これがアニメなら『みにょ〜ん』と擬音が入って汗がタラリといった描写で表現されることは、ほぼ間違いない。
「ちょっ、迅樹っ…さん。あれっ、秀人もいる。いったいどうしちゃったんだよ」
 まだ半分放心状態のまま帰宅した涼は(放心状態になくてもあまり変わらないという噂もあるが)、この状況を把握できてはいなかった。風折をぶら下げたまま、あたりを見回し不思議そうな声をあげる。
「そりゃ、こっちの台詞だよ。お前が誘拐されたって、秀人が知らせに来たから、風折さんが慌てまくって、こっちは大変だったんだぜ。いったい今まで何してたんだよ」
 涼の台詞に神岡は待ってましたとばかりに反応した。涼とは対照的に、神岡は納得できる理由がないと、頑として引かないタイプなのである。
「何って、スタジオで歌ってた」
「スタジオだぁ〜、秀人がここにいるのにか」
「いや、なんか、スカウトされて、杉崎さんと合わせてきた」
「杉崎さんって、『アゲンスト』のアシストのか? そっくりさんとかじゃなくて?」
 二人のやりとりに秀人が乱入した。神岡にとっては誰だそりゃの世界だが、バンド活動をしている者にとっては杉崎は神様のような存在なのである。
「何で一介の高校生に、そんな手の込んだどっきり仕掛ける必要があるんだよ」
 不満そうに涼は反論した。確かに誰であっても、自分でさえまだ夢じゃないかと思っている出来事に、追い討ちをかけるような真似はやめて欲しいに違いない。
「一介の高校生に、杉崎さんから声がかかることの方が不思議じゃんか」
「俺だってそう思うよ。でも、独立して新たにユニット組むから、1曲合わせてくれって」
「じゃあ、お前を誘拐したのは杉崎さんのマネージャーかなんかか?」
「いや、サニーのプロデューサー。それに誘拐じゃないってば」
「信じられない……」
 空気混じりのかすれた声で、秀人は低く呟いた。
 どちらかというと、信じられないというより、信じたくないという気持ちが強い。涼がプロを目指しているのは知っていたし、自分は涼のような先天的才能も持ち合わせていないのも知っている。なのに何故、友人に与えられたチャンスがこんなに嫉ましいのだろうか。
「その話、本当だよ」
 ようやく涼から身を離し、風折は渋く言い放った。しかし今更恰好をつけたところで、先程の醜態は取り繕えるものではない。
「何で風折さんがそんなこと言い切れるんです」
 先刻から存在をまるっきり無視されていた伊達が、風折に向かってもっともな疑問を投げ掛けた。
「僕を誰だと思ってるの。風折コンツェルンの次期社長にして、和泉澤附属の生徒会長風折迅樹だよ。実はうちの会社で新たに芸能プロダクションを設立する計画がある。それで今、芸能界の動向をチェックしてたんだけど、確かに杉崎が独立するという情報は内々にだが流れている。近日中に行われる予定だったオーディションが突然中止になったのは、こういう事情があったからだと思う」
「たとえ、その杉崎とかっていうのが独立でしたっけ? するのは事実でも、涼が絡んでくる理由になってないじゃないですか」
 途中で話の腰を折られてしまって不満の残っていた神岡が、今度は風折に絡み出した。
「ふーん、そういうのって明確な理由がいるわけ。じゃあ、君たちがしている仕事も始めるにあたって誰もが納得する理由があって、今お互いが組んで仕事をしているのも偶然じゃないって言うんだね。だったら、その経過ってものじっくり聞かせてもらおうじゃない。その話の中で偶然のにおいをちょっとでもさせてみなっ、僕は容赦なくつっこむからね」
「……」
 神岡と伊達、この両者は高校生でありながら、小説家とイラストレーターという職業を持つ。彼らがそれぞれの職業に就いたのも、今、寮の同じ部屋で暮らしているのも運命という見えない糸に導かれてのものであるが、運命と偶然、このふたつの違いを明確に言い表すのは不可能に近い。
「なんで風折コンツェルンでは、突然芸能プロなんて設立することになったんですか?」
 黙り込んでしまった神岡に代わって、伊達が再び疑問を投げ掛ける。
「企業秘密」
 風折は簡潔な答えを返したが、実は企業の秘密ではなく、風折自身の方に言えない事情があったのだ。そもそも、彼が芸能プロダクションの設立に着手したのは涼を華々しくデビューさせようと思ってのことである。涼が高校を卒業する頃には会社も軌道に乗って、万事がうまくいく筈だった。しかし、今の段階で涼に目を付ける人間が居たことが、風折の予定を狂わせた。
「なんか俺、その理由、解ったような気がする……」
 ちらりと涼に視線を走らせ、神岡が小さく発言した途端、風折にバシッと頭をはたかれる。
「何するんですかっ!」
「やつあたり」
「………」
 結局、どのような状況においても、とばっちりを食うのは神岡ひとりなのである。彼がこのことに気付くのはいつの日なのだろうか……
  

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