5. IN THE PAST
「へえ、賞金金額100万円だって、智史応募してみたらどうだ?」 「何を見て言ってるんですか。……冗談はよして下さい風折さん」 時は遡る。 これは神岡が作家になる前。そして、風折が涼に出会う前、更に伊達が転校してくる前まで話は戻り、場所は神岡の部屋での出来事である。 この時、風折が見ていたのは、本屋の店員が頼みのしないのに勝手に袋に入れてよこした『講英社・恋愛小説大賞募集』のチラシである。 「冗談に決まってるだろう。だいたい智史みたいにマイペースな人間に、微妙に揺れる女心なんて書ける筈がないじゃない」 「じゃ、風折さんなら書けるって言うんですか」 神岡は不満そうに反論した。自分がマイペースで他人に興味がないのは認めるが、風折にここまで言われる筋合いはないと思ったからだ。 「僕? 僕は女心ってものを知ってるからね。君とは違うよ」 「いくら女心を知っていても、文才が追い付かないんじゃないですか。確か風折さん、現国だけはどうしても学年トップ取れないんですよね」 神岡は紅茶の入ったカップ差し出しながら、きつい言葉を投げ掛けた。せめてもの反抗である。 「言ったな智史。いくら文才があっても、人間心理を知らなきゃ話は書けないんだ。君みたいな感情欠落人間に恋愛小説が書けるかって。もし、これに入賞できたら僕は女装して繁華街の街角でナンパ待ちしてあげるよ」 「別に俺に文才があるって言った訳じゃありませんよ。でも、女装の話は面白いな」 「できるものならやってみなよ。止めないから」 「前向きに検討します」 そう、この時点では、以上の会話は冗談の域を出ていない。この後、とある事情により風折に借りを作ってしまった神岡が、ワラにもすがる思いで投稿小説に着手したことから状況は急転した。彼の小説が大賞を受賞したからである。 神岡としては、女装してナンパ待ちという約束と自分の借りをチャラにするつもりでいたのだが、風折はそれを認めなかった。 斯くして風折は、繁華街の街角に女装して立つことになったのである。
「ねえ、君、ずっとここにいるよね。暇なの?」 「待ち合わせ」 ウィッグをかぶり、ワンピースを身に付けた状態の風折は、ふてくされた表情で返答した。神岡との約束は2時間。そして、彼がここに立ってからまだ1時間半しか経過していない。その間に声を掛けてきたナンパ男は5人。こいつで6人目である。 「またまたぁ〜。先刻から見てたけど、君、1時間はここに居るじゃん。ホントは暇なんでしょう」 1時間も人のことを見ているなんて、暇なのはお前の方だ。と、言いたい気持ちを風折はかろうじて抑えていた。ここでことを荒立てては、自分がいらぬ恥をかくことになりかねない。 「早く来すぎただけなの。本当に待ち合わせ」 「嘘つくなら、もうちょっと上手についてよ。警戒しなくても俺、安全な男だから心配ないって」 「そういう奴が一番危険だって、教科書に載ってなかった? もういいから、さっさと消えて」 風折のいらいらが頂点に達しかける。さすが、1時間も人のことを観察しているだけあって、しつこい奴だ。 「冷たいなぁ〜。ねぇ、遊びに行こうってば」 ナンパ男が風折の腕を掴み、強引に引っ張っていこうとする。その手を払いのけようとした時、突然二人の間に影が割って入った。 「人の女に何してんだよ」 風折を背中に庇い、その影は言った。 「ゲッ、マジで待ち合わせだったのかよ。ちっ、紛らわしいことしやがって。ば〜か」 頭の悪そうな捨て台詞を残して、男は走り去った。非常に恰好悪い。 「助かりました」 男に掴まれた腕をさすりながら、風折は助けてくれた相手に礼を言った。 「いえ、でも、こんな処に長いこと立ってるよ、あんなのが又寄ってきますよ」 「まあね、さっきので6人目。こんなデカイ女、ナンパする気になる奴が居るなんて思わなかったもんで」 そういう風折の身長は175センチ。まあ、男としては普通の身長だが、女としてはかなり大きい部類に入るだろう。 「……いや、誤解しないで欲しいんですけど、待ち合わせって本当なんですか?」 「いいや、断る口実」 「じゃあ……、いえ、先刻の奴と一緒にしないで欲しいんですけど、俺のライヴ見に来ませんか? もちろん帰りはちゃんと送ります。一人で帰るより安全だと思うんです。いえっ、無理強いはしませんけど」 風折はチラリと腕時計を眺めた。約束の時間まで後15分。一瞬にして風折は残り時間を切り捨てることを決断した。この少年に好感を持ったからだ。 「OK、ご一緒しましょう。名前聞いてもいい?」 「西沢涼です。涼でいいですよ」 「風折です。よろしく」 涼が風折を誘った理由に本当に他意はなかった。強いて言えば、一人でも多くに自分の歌を聴いて欲しかったというのは、その内に入るかもしれない。 そして、彼らがその場を後にした10分後。風折を迎えに来た神岡が顔面蒼白になっていたのは、後に判明した事実である。
「風折さん……、ここって……」 あからさまに高級感を漂わせるマンションを見上げ、涼は言葉を失っていた。 かといって彼の失言の理由は、高校生が何故こんな高級マンションに住んでいるのかといった類のものではない。 涼の得意な勘違いでなければ、ここは、和泉澤学園附属高等学校という名門男子高の寮であった筈だからだ。 「そう、僕んち。ごめん、だますつもりはなかったんだけど色々事情があってさ。取りあえずお茶でも出すから上がってって」 「風折さん……」 「何?」 相手を促して、寮の中に向かいだした風折の背中に涼の声が掛かった。女装に関しての追求をこの場で受ける羽目になるのかと、げんなりしかけた風折は、次の瞬間、予期せぬ原因でフリーズするはめになった。 「俺、聞きたかったんですよ。巷で流れている和泉澤の噂なんですけど、寮の風呂に入る時に、新入生は三つ指ついて一礼してから一曲歌って入浴するって本当ですか?」 「………………誰に聞いたの、そんなこと」 なが〜い沈黙の後、風折はやっとのことで言葉を発した。 「俺の友達の従兄弟の同級生が嫁に行った先の旦那の友達が和泉澤の出身で、そう言ってたって聞きました」 「僕の入っている寮は、各部屋にバスが付いているから例外と言えば例外だけど……。その従兄弟の同級生のなんとかってあたりで、普通は騙されてるなって思わない?」 「ええっ〜、嘘なんですか〜」 不満そうな表情と共に、涼は風折に詰め寄った。 「つまんなそうな顔したって事実は変えられません。その噂のせいじゃないだろうな、うちの受験者が減少傾向にあるのは。まったく、名門な筈なのに、噂といえば変なのばっかりなんだから。たいがいにしてくれよ」 「風折さん、俺から話しかけといてなんですけど、そういう言葉づかいで話すのは、着替えてからにしてくれませんか。ギャップが激しくて脳が拒否反応起こしそうです」 「今の女子高生なんて、あれと対して代わらない言葉づかいしてると思うけど。まあ、いいや。じゃ、行くよ」 女装アイテムとして持っていたハンドバッグから鍵を取り出し、風折は涼と共に部屋へ向かった。 物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回す涼を、何とか誘導しつつ自室にたどり着く。 「じゃ、着替えてくるからちょっとだけ待ってて、のぞいちゃやーよ」 「勘弁して下さいよ。その気になっちゃいますよ」 「嘘つけよ」 ははっ、と笑いながら風折は寝室に向かった。手早くジーンズとコットンシャツに着替えながら、初対面の相手を部屋にあげ、気軽に冗談まで言っている自分に驚いていた。 考えてみれば、風折コンツェルンの御曹司という肩書きを背負わず、他人と知り合うのは彼にとってこれが初めてだった。 ただ、それだけのことが、風折に心地よい解放感を与えている。財閥の御曹司としての自分の立場を否定するつもりなどないが、彼にとってそれが重荷になっているのも事実。同級生にでさえ、風折を呼び捨てにする者がいないことがその証明だ。 ネガティブな方向に向かった思考を、首を幾度か振ることによって振り払い、風折は寝室を後にした。 「お待たせ……、なに、やってんの?」 風折がリビングに戻った時、涼は28インチのワイドテレビが乗ったテレビ台のガラス扉にベタッと張り付いていた」 「えっ、すみません。でも、ああ、これ、夢にまで見てたんですよ。『アゲンスト』の初ライブビデオ。これだけどうしても手に入らなくて」 「ああ、この頃はそんなに売れてなかったから、絶対数少ないしね。見るんなら貸すけど」 「嬉しいなぁ、風折さんも『アゲンスト』のファンなんですか?」 「えっ、否……、まあ、そんなとこだね。それより、先刻はあんな状況だったから名字しか名乗らなかったけど、迅樹でいいよ」 「OK、迅樹ね。よし、後はインディーズ時代のCDさえ手に入れれば完璧だな」 涼の台詞に風折は一瞬だけ思案した。 「急いでないんだったら、それも持ってるけど。実家の方の友達に貸してるから、そうだな、冬休み明けぐらいでよければだけどね」 風折が話し終わると同時に、涼は眼を輝かせ彼の手をガシッと握った。 「全然オッケーです。お願いしますぅ〜」 「……何もそこまでしなくても」 ちなみに風折がそのCDを持っているというのは真っ赤な嘘である。しかし、彼が本気を出して、しかも時間に余裕があるのなら手に入らない物はほとんど無い。 「いや、俺、もう、迅樹のこと愛しちゃいそうだよ」 「ぐはっ、頼むから、それだけはやめてくれ」 今にも抱きついて来そうな涼を押しのけて風折は言った。 だが、本当に相手を愛してしまいそうなのは、自分の方かもしれないと、漠然と感じていたのもまた、事実である。
「マスター、これ、涼に渡して下さい。後、水割りね」 ライブハウス『FIZZ』にて、風折はカウンター内のマスターに小さな紙袋を渡しながら言った。 「よっ、女装の生徒会長。久しぶり」 「やめて下さいよ。それじゃ、僕に女装の趣味でもあるように聞こえるじゃないですか」 「なーにが、せっかく作った貸しをチャラにしたくないってだけで、女装までするような奴はもともとそんな趣味があるに決まってるね」 風折の前にスッとグラスを差し出しながら、マスターはかなり強引な理論を展開していた。 「ありません。それに、毎回カルピスの水割り出すのやめて下さいよ。1回うけたからって調子に乗って」 「じゃあ、ストレートで飲むか? チェイサーなしで」 「いえ、水割りで結構です」 水割り(笑)のグラスを傾けながら、風折はゆっくりとあたりを見回した。 あの日、涼と初めてであった日、このライヴハウスから帰る道すがら、涼はいろいろな話をずっとしゃべり続けていた。学校のこと、最近好きなCMのこと、そして自分の夢について。 他人から与えられたものではなく、自分自身で手に入れたいと願う夢は、努力をも楽しいものへと変化させるものだろうか。 「何、ぼけっとしてるんだよ。涼のステージ始まるぜ」 軽く頭を小突かれ、風折は意識を現実へと戻された。 「えっ、ああ、ごめん。考え事してた」 「で、どうなんだ? お前がここに通ってんのって、涼が目的なんだろう。モノにできそうか?」 声を潜めたマスターに耳元で囁かれ、風折は驚愕した。 「ちょっ、突然、何を言い出すんです。人聞きの悪い」 マスターの突然の、しかもとんでもない発言に風折は度肝を抜かれ、勢い余って椅子から落ち掛けた。確かに涼に興味は持っているが、そういうのとはちょっと違う気がする。否、結局は同じなのだろうか……。 再び自分の世界に入りかけた風折だが、マスターが茶化すように返答してきた為、世界の入り口付近で引き返すことになった。 「隠すな隠すな。将来有望な風折コンツェルンの御曹司に投資してもらえるなんて、涼も大した奴だよな」 この台詞で風折は自分の勘違いに気付いた。マスターは、風折コンツェルンの御曹司としての自分が、涼に投資する価値を見いだし、接触していると思ったらしい。 「……投資なんかじゃないですよ」 氷がとけて水っぽくなってしまったカルピスを一気に飲みほし、風折は席を立った。 「おい、生徒会長」 「今回は、損得勘定抜きですよ」
理由というのは後から付け足す言い訳に過ぎない、と解った今日この頃。 『FIZZ』に通う用事、電話をかける用件、食事に誘う理由、何かといっては涼に逢う為の言い訳を捜し続けて半年。そんな自分に風折は苦笑する。 最近になってやっと、外出時に良く見かける隣の女子校の生徒の存在理由が納得できた。要は、自分と同じ行動をとっていたのである。 自分がこんなにも、有能な生徒会長や風折コンツェルンの御曹司としてではなく、普通に接してくれる存在を欲していたことを、風折は初めて知った。 結局、知り合って間もないとか、間抜けな姿を目撃されているとか、更には相手が同性だとか、そんな否定的な材料を全て凌駕して、『好き』という感情は勝手に成長してしまうようだ。その上、花壇の雑草と違って、引っこ抜いて捨てればそれで終わり、といかないだけに全くもって始末が悪い。 これを認めてしまうのにかなりの時間を要したが、いったん認めてしまった後の風折は、開き直った者特有の大胆な思考回路により、あることを決心し、実行した。 涼に逢うために偶然を装うのも、逢う為の理由を考えるのも自ずと限界がある。風折はその限界に挑戦するつもりなど毛頭なかったから、得意の口車で涼を懐柔し、彼との同居に成功したのである。 そして、このどさくさに紛れて、伊達が転校してきていて、神岡とひともんちゃく起こしていたというのは、ここではどうでも良い話に分類される。 |