6. VACATION
「ところで涼、例の件、ご両親に話したの?」 「うちの両親、俺のことなんて気にしてないよ。俺が迅樹んちに引っ越してるのだって、未だに気付いてないんだから」 誘拐事件から3日後。ふたりは風折家所有の数ある別荘の中のひとつに避暑に来ていた。 涼の風折に対する話し方が普段と違うのは、他に誰も居ないからである。風折が年上だと涼が気付いたのは、初対面からかなりの日数が過ぎてからであり、言葉遣いを直せる段階では、もうなかった。それ故、風折の体裁上、他人の前では言葉遣いを改めるという状況で今に至る。 「……それは親だけの問題じゃなくて、言ってない涼にも問題があるんじゃない」 「言ったよ。ただ、飯時だったから誰も聞いてなかっただけで」 視線をあさっての方に逸らしながら涼は言い、アイスコーヒーをストローですすりあげた。 「はは〜ん、読めた。涼、きみ、言い出しにくいことって、いつもその手で親に話してたんだろう。後で何か言われたら、ちゃんと言ったって言い訳して」 「もういいよ、この話は。まだ決めた訳じゃないし。それより迅樹、宿題見てくれよ」 涼が話題を変える為にしたくもない宿題の話を持ち出したのは知っていたが、風折はそれに気付かない振りをし、からかう様な口調で返答した。 「只じゃ嫌だな」 「え〜、だって俺、金無いし。家事労働だってやったら最後、迅樹の手間増やすだけだぞ」 「じゃあさ、こういうのどう? 涼が杉崎さんとユニット組んで、すごく売れたら、うちが設立するプロダクションに杉崎さんごと移籍してくるとか」 「なんだよ〜。更に売れ筋の新人も引き抜いてか」 「そうそう。ああ、もし有能なマネージャーとかがいたら、それもまとめてね」 「サイコー、楽しすぎる〜」 涼しい顔をしてアイスコーヒーを飲んでいる風折とは対照的に、涼は腹を抱えて笑っていた。 「ひぃー、苦しい。……しっかし、俺達よくそんなありそうもない話で盛り上がれるよな〜」 「そう、僕は結構本気だけど」 「迅樹〜、冗談きついよ」 いまだ笑い続けている涼に、風折は険しい表情で語り掛けた。 「涼、よく聞きなさい。歌というのは、ただ上手に歌えればいいというものじゃない。自分がすごく悲しい時も、楽しい歌を歌わなければならない時があるかもしれない。また、その逆もあるだろう。初めに心があって。それが聞いている人の心に伝わるんだ」 「初めの心があって……」 「そう、歌の主人公になりきるんだ。それは、とても大変なことだけど、きみになら出来る。なぜならきみは千の仮面を持つ少年だからだ!」 風折の台詞で、眼から鱗が落ちたかのように涼の表情が変化した。 「迅樹……、これって……」 「そう、ガラスの仮面ごっこ」 「……迅樹のギャグって難しすぎて、理解すんのに時間かかるな」 「まあね」 なにやら、楽しそうな休日の過ごし方をしている、ふたりであった。
一方、涼からの連絡をひたすら待つしかなくなった杉崎と工藤だが。こちらはというと、杉崎の自宅において、不毛な会話が続いているだけで、計画に1ミクロンの進展もなかった。 「だから〜、作曲はあなたがやるとしても、他はどうするの。作詞、編曲、サポートの人間。西沢くんの返答がどうであっても、あなたのやることは山積みなのよ」 ソファに寝転がっている杉崎の組を締めかねない勢いで、工藤は彼に詰め寄った。 「そのどれだって、こっちの相方が決定しない限り、依頼のしようがないだろう」 「漫才師じゃないんだから、相方って言い方はやめなさいよっ」 「じゃあ、何て言うんだよっ。だいたい俺はあいつとじゃなきゃ、組まないって言ってるだろう」 「相方の呼び方なんてどーでもいいのよっ。『アゲンスト』をやめました、希望の相手に振られたので、流しのギタリストやります。じゃ、俺はこれで。な〜んて話がまかり通るとでも思ってんの? もし、そうだったならあんたは大した大物よっ!」 台詞と共に、今度は比喩ではなく実際に杉崎の首に工藤の手がかかった。 「ばかっ、殺す気か。だから、大丈夫だって言ってんだろうがよ! 一介の高校生にこんな話が転がり込んでくるなんて、人生で一度が限度だって、九九の言えない奴でも解ると思うぞ」 工藤に締められた首をさすりつつ、杉崎はお世辞にも上品とは言えない口調で言った。 「そう? あの西沢くんって九九が言えるかどうか、きわどい処だと思うけど」 「ゆかり、お前、人をばかにするものたいがいにしとけよ。いっちゃあ何だが、俺は杉崎陸だ。この俺にお前じゃなきゃ嫌だって言われて、断れる根性がある奴いると思うか?」 「そういう自信過剰な処、あなたの元クラスメートとしては大好きだけど、プロデューサーの工藤は大っ嫌いよ。ああ、考えただけで眩暈がするわ。あんたはこんな奴だし、西沢くんは全くの素人、この二人が組んだ暁にゃあ、いったい誰が苦労するのかしらね〜」 天(井)を仰いで、工藤はため息と共に言った。そんな彼女に杉崎がのんきな返答をする。 「そりゃ、お前じゃないの。せっかくの休日に、俺のところに来てキーキー言ってる位だもんな」 「そうね、休日だからあんたのその言いぐさも我慢してあげてるのよ。一介のギタリストがサニーのプロデューサー様に向かってなんて口きいているのかしらね〜」 「安心して下さい。そのプロデューサー様が高校時代に理系が全滅で一介のギタリストに泣きついてたこととか、実は音痴で人前では絶対に歌わないとか、俺、そんなこと決して他人に漏らしませんから」 「漏らしたら最後、その日があなたの命の灯火が消える時ね」 「ぶっそうだなぁ〜。人間欠点のひとつやふたつあるもんだぜ。それも魅力の内じゃねーの。欠点のない完璧な人間なんて面白みに欠けるじゃんか」 「そういうのって、本人にはちっとも面白くなくってよ。やっぱり、あなたの口を塞ぐのは今をおいて無いかも知れないわね」 「ゆ、ゆかり、お前、眼が座ってるぞ、おいっ」 なにやら、不穏な笑みを浮かべつつ、工藤は杉崎ににじり寄った。 再び、彼の首筋に工藤の指先がかかり、ローズピンクのマニキュアに彩られた彼女の爪が杉崎の皮膚に食い込んだ。 「ぐえっ、ゆか…り、やめ……、うっ」 カクンと杉崎の頭が落ち、工藤は我に返った。 「えっ? ちょっ…陸。うげっ、白目むいてる。いや〜ん、不気味。…じゃなかった、ちょっと陸、り〜く起きなさいよ。あたしこんなことで犯罪者になるのは嫌ぁ〜。起きろ〜ぉ」 工藤に思いっきり頭をシェイクされ、せっかく気持ちよく(?)フェイドアウトしていた杉崎の意識は急速に引き戻された。 「…ってて。お前、その性格改めないと、近い内に本っ当に犯罪者になるぞ。嫌ぁ〜で済む問題じゃないだろうが」 「ゴメン、謝る。申し訳ありませんでした。……でも、あたしだって陸以外にこんなことしないわよ。あたしにこんな行動とらせるあなたにも、問題、あるんじゃないかしら」 「語託はいいから反省しろっ、あ〜あ、朝早くから起こされて首まで絞められるなんて、俺って不幸なギタリスト」 「……解ったわよ、何が望みなの」 「腹、減ったなぁ〜。ああ、もう昼か。冷たいパスタとか食いたいよなあ」 「……安上がりな命ね。OK、買い物してくるわ」 「サンキュー。ついでにビールも買ってきてくれ」 「却下っ」 杉崎の発言を切って捨て、工藤はバタンと大きな音を立てて外出した。 が、彼女の買い物コースには、しっかり酒屋も含まれていることを杉崎は知っていた。 このふたりも、まあ、楽しそうとは言えないこともない休日を過ごしている様子だった。
「智史、61番トーン」 「61番ってどんなヤツだよ」 雑然とした仕事部屋の様子に頭痛をもよおしながら、神岡はデザイン机に向かって何かをガリガリと削っている伊達弘樹に質問した。 片付けるという作業が大嫌いな神岡は、部屋が汚れるもの大嫌いだったので、部屋を散らかした張本人への口のきき方も、いきおいぞんざいになる。 「引き出しに番号が貼ってあるだろう。教えたって覚えないんだからつまらないこと聞くな」 伊達の失礼な物言いに腹を立てながらも、神岡は素直にその番号に表示された引き出しを開けた。 「弘樹、なんかこの引き出し、空みたいだぞ」 「えっ、ああ、先刻ので最後だったのか。智史…」 「待った、お前、俺が締切明けでヘロヘロなの知ってるよな」 「知ってるからトーン貼れとか、ゴムかけしろとかは言ってないじゃないか」 「……解ったよ、買ってくりゃいいんだろう。他には何かあるのか」 小さなため息と共に神岡は意を決した。締切の辛さは自分も嫌というほど知っている。 「ちょっと待て、メモする」 以上、様々な休日の過ごし方の一例である。 |