7. UNEASE
「でぇーいっ。いくら考えても解らん。どうしようか、ほーべー?」 午後11時、涼は寝室でぬぐいるみ相手に人生相談していた。 涼は本来、嫌な考え事はできる限り後回しにする性格である。それが避暑──つまり、思いっきり遊びに来ているこの場所でまで悩んでいるのだから、珍しく本気な証拠だろう。 この別荘に来る途中、ひやかしで入ったゲーセンで取ったUFOキャッチャーのぬいぐるみ、どうやらフクロウらしい『ほーべー(命名:涼)』は涼に抱きしめられ過ぎて、既によれよれの気の毒な姿になってしまっていた。 「あの話、すっげー魅力的だし、杉崎ともう一回演ってみたいのも事実だし、断って後悔しないとは思えないし……」 結局の処、冷静に考えれば考えるほど、これは条件の良い話で、このチャンスを逃したら、仮に次のチャンスがあったとしても、それ以上のものではありえない事も想像が付く。 ここまで結論が出ていながら、その一歩を踏み出せない理由は些細なものだ。 強いてあげるなら、今まで仲間内で楽しくやってきていたバンドを放り出すことになるとか、授業の他は結構楽しかった学校生活が多分急激に変化することになるだとか、そして、きっと風折とこんなにゆったりした時間を過ごすこともなくなるだとか……そんな、些細な理由。 全国にデビューしたくてジタバタしているバンド少年が山ほどいて、そんなやつらに向かってこんな発言をしたならば、マジ蹴りが入るだろう。否、今のバンド仲間からだって非難を浴びそうだ。 だけど、でも、だって…… 例えば、もし、今の瞬間、突然両親が死んで、自分が弟妹達の面倒をみなくてはならなくなったとしたら、涼は迷うことなく、学校をやめて働くだろう。 しかし、今回の話にはその様な切羽詰まった要素は含まれていない。人間、他に道がなければいくらでも前に向かって行ける。が、選択の余地、というものが残されている時の決断がこんなに難しいものだとは、涼自身、思ってはいなかった。 誰かが背中をひと押ししてくれたなら──甘えだと知っていても、そう願わずにはいられない。 ──コン、コン 突然のノックの音に、涼はビクッと身をすくめた。 「涼……、起きてるの?」 ドアの向こうから風折の遠慮がちな声が届く。 「迅樹か……。起きてるよ、どうぞ」 「おじゃま、ほいっ、差し入れ」 「起きてるって、知ってたみたいだな」 夏とはいえ高原の夜は冷える。紅茶の湯気が立つカップに視線を投げて涼は言った。 「まあね、せっかくだから、美しい星空でも観賞して感受性でも養おうかと思って庭に出たら、君の部屋に電気が灯いているのが見えたっていう理由。納得?」 「納得。でも差し入れなら、酒の方が良かったな〜っていうのはわがまま?」 「悩みごとある時に、お酒呑むと悪酔いするよ。でも、ちゃ〜んと君の希望も満たしたよ。さしもの僕もこの一口でン千円って計算しちゃうような、高価なブランデー入り」 「さすが、迅樹。じゃあ、もしかして今俺が一番して欲しいことも解っちゃってたりする?」 そんな涼の問いかけに風折がフッと笑みを漏らした。 「多分、ね。ただ、僕が今一番欲しい言葉をあげるのは簡単なことだけど、本当にいいの?」 「えっ?」 風折の意外な台詞に涼は目を見開いた。 「涼も知ってるでしょう。僕が本気で誰かに何かをさせようと思ったら、NOといえる人間はいないって。半分脅迫じみたものから、本人が気付かない様にさり気なくまで、色々ランクはあるけどね。君が望むなら、杉崎さんと組む組まないのどちらの結論でも、心の底から納得のできる説得をしてあげるよ」 涼にはにこやかに見えるが、見る者が見たら背筋が凍る様な笑みを浮かべて風折は言った。 「どういう意味だ?」 「結局、どっちの選択をするかについて、僕が口だしする権利はないってことだよ。たとえ、誰であっても他人の人生に口だしする権利はない。それが、たとえ自分の親であってでもね」 「とし…き」 「でも、間違わないで。彼らには子供に人生の先輩として、適切だと判断したアドバイスをする義務がある。だから、出した結論は両親に報告しなきゃだめだよ」 「でも、ほら、俺って跡継ぎだし……」 下を向き、床の絨毯の模様をジッと見つめながら、涼は歯切れ悪く言った。 「ふーん。じゃ、簡単じゃない。さっさと杉崎さんの申し出なんか断って、水産大学でも行って、魚屋の若旦那になればいいんだから。そういうことなら勉強に関してはいくらでも協力するよ」 「……迅樹、それ、ひでーよ」 「まあ、所詮他人ことだから、僕は好き放題言えるけどね。ついでに言わせて貰えば、君の夢って挑戦もせずにあきらめられちゃう物な訳? だったら、なおさらやめといたら、杉崎さんに失礼だしね」 両手をサイドに出し、肩をすくめるといった、外国人によく見られるジェスチャーと共に風折は言った。一般において、この様な行動に直面した人間は、思いっきり引くか、怒りをあらわにするかのどちらかのリアクションを示す。そして、涼の反応は後者であった。 「そんなんじゃないよっ! あきらめられないから悩んでるんじゃないかっ!」 「ふーん、あきらめられないって解っているならなんで悩むの」 「へっ?」 「言葉の通りだよ。断って悔やむぐらいなら、OKして悔やんだ方が前向きじゃない。今の涼は突然の話に動揺しちゃってるだけだよ。慣れない理屈をこねくりまわすのはやめて、自分の気持ちに正直になるのが一番だと思うよ」 「………。ハハ、アハハハハハ………。そうだよな〜。俺、何、弱気になってたんだろ。杉崎さんと演った時のあの感覚、まだ身体の中に残ってるのに。あれを忘れられる訳ないのにな。やっぱ、頭で考えたらダメだよな〜」 「……否、ダメってことは……」 聞き様によっては、無茶苦茶に失礼な発言をしている風折だったが、涼の耳には彼のどんな台詞も素敵で理論的に聞こえる魔法がかかっている様だ。 が、その失礼な発言をした風折自身も、涼に考えることを放棄しろと言っている訳ではないのである。将来の為にも、涼は少しは物事を考察するという作業を覚える必要があると思われる。 「迅樹、サンキュー。迅樹ってなんだかんだいって俺には甘いよな〜」 「礼には及ばないよ。だから、ビッグになったら杉崎さん連れて、僕の事務所に来てね」 「迅樹、それはもういって」 「じゃ、悩みごともなくなったことだし、早く寝るんだね。お・や・す・み」 霞ヶ丘(和泉澤学園に隣接する女子校)の生徒を4ダース一遍にとりこにした噂される(何かと噂が先行する人である)、バッチリ決まったウィンクを投げて、風折は部屋を後にした。 パタンと後ろ手にドアを閉め、風折は小さくため息を付く。 結論から言ってしまえば、風折にとって、涼が自分の元を離れて行くだろうという事実は決して嬉しいものではない。が、ここ数日の様な、涼らしくない涼は見ていられないのも事実。 風折迅樹──結局彼も涼と同様、難しい選択をさせられたのである。 |