9. SHE SAID TO HERSELF
「では、明後日の3時に。失礼致します」 カチャリ、と受話器を置いた後、あたしは速攻でヴァージニアスリムに火を点け、大きく吸い込んだ。 人間、人生において、こいつとだけは必要以上に関わりたくないっ、と思う人間が一人や二人居るものよ、そうでしょう? だけど、そう思っている人間に限って、よく関わってしまうのは、前世での行いがよっぼど悪かった報いだとでもいうのかしら。『神崎智美』にコネが出来たって一瞬でも喜んだあたしがばかだったわ。 思い起こせば大学時代、そうよ、入学式の時からその最悪の出会いは始まっていた……ううん、高校時代、陸に会った瞬間から失敗だったのかしら? ☆ ☆ ☆ あたしは、その日、ギリギリで会場に飛び込んだ。大学生にもなって親に一緒に入学式に出て欲しいなんて思わなかったし、親も高校に入った頃からあたしに対して放任主義ってやつを実践していたから。だから、あたしは大学合格と同時にひとり暮らしをすることに決めて、部屋も借り、本日も一人でご出勤……いや、ご登校したわけ。 そうしたら、同じように廊下を走っているパステルブルーのスーツが目に入った。あっ、同類、なんて思ってあたしはニコッと微笑みを投げた。 なのに、なのによっ、そいつときたら、あたしをチラッと一別した後、フフンと鼻で笑ったような表情を浮かべ、さっさと講堂のドアの中に消えてしまった。 これだけで充分過ぎる程、面白くない上、どうやら到着順に席を埋めていく決まりでもあったらしく、彼女の隣の席しか空いていなかったときたものよ。 知らない顔をして隣に座ってみたって居心地の悪さは変わるものじゃない。 「最悪」 隣の席から、聞き捨てならない呟きが耳に入り、あたしは思わず声のした方に顔を向けた。だって、その台詞を言いたいのはこっちの方だったんだもの。 でも、次の瞬間、彼女があたしに対して何故あんなに非好意的だったかが理解できた。なぜなら、彼女のスーツはあたしのものと全く同じ、ううん、色違いだったんだもの。あたしのはサーモンピンク、彼女のはパステルブルー。それだけならまだいいわよ、持っているバッグも、お互いのスーツの色の合わせた同じ型のもの。これで二人が並んで座って居たら、顔こそ違えど双子かって感じよね。 しっかし、あのブティックの定員、『一点物ですよ』なんて、よくも大嘘ついたものだわ。それとも色が違えば別物なの? 「この式が終わったら最後、二度とあなたに出会わないことを願うわ」 あたしは彼女の失礼な台詞に無言で応えた。あたしもそれには全く同感だったからだ…… ☆ ☆ ☆ 「お断りっ、あたしはそんな得体のしれないサークルには、入りたくありません!」漫画研究会だとか名乗る、ロリコン系の女の子のイラストがプリントされているトレーナーを着た集団から、必死の思いで抜け出して、ひと息ついた途端、見覚えのあるスーツが目に入った。 「げっ」 もちろん、あたしに見覚えのあるスーツなんて、先刻出会った、例の女しか居るはずが無く、両者の願いは天に届かなかったことになる。もっとも日頃は無神論者なのに、都合のいい時だけの神頼みなんて、叶うはずも無いって気もするけど。 「発言は気を付けてした方がいいと思うわよ。その得体のしれないサークルに入りたいって思ってる人が何処に居るか解らないから。まあ、得体のしれないサークルがこの辺りでひしめきあってるってのは、あたしも同感だけど。特に先刻あたしが捕まりそうになった軽音は最低ね。あの人達、本当に楽譜読めるのかしら。知性のかけらもない顔してたけど」 「大学入ってるんだから、一定ライン以下のばかなんている訳ないじゃない。その場の勢いだけで思ったこと話すの、改めた方がいいんじゃないの」 あたしが軽音に入ろうとしているのを、まるで知っているかのように発せられた言葉に、こっちの台詞もきつくなる。 バチッ、と視線の火花が散った気がしたのは、あたしのだけではないだろう。なんせ、あたし達の周りから人が居なくなっているもの。 「あら、あたし、大学に入ってからばかになった奴、少なくても1ダースは知ってるけど」 「………」 確かに、あたしも知ってるわ。 「ゆかり、もうやめておけ。どうやら向こうは言葉を操る達人みたいだ。俺たちみたいな音楽を愛する平和主義者が口喧嘩で勝てる相手じゃないよ。な〜に、気にするな。俺たちには若者らしいパッションがあるっ」 あんたの口も負けちゃいないわよ、なーんて思っているうちに気が付いたんだけど……陸? どっから出てきたのよ、こいつは。 「陸っ、ちょっ……」 あたしも含め、周りの人間があっけにとられている間に陸はあたしの肩を抱いて、校門へ向かって歩き出した。 「口では負けたけど、男が居るって見せつけて気が済んだだろう。それも、俺みたいないい男」 「イカレた男の間違いでしょう。それより陸、あなた何でこんな処に居るの?」 「何でって、ここの学生だからに決まってるだろう」 「だって、あんた、どっかの音大受かってたんじゃなかったっけ?」 「ここも受かってたの。私立は金がかかるからって、親、丸め込んじまった」 パチンとウインクを飛ばして、陸は明るく言った。 相変わらず、ばか……なんだから。
「はい、失礼致します」 相手が電話を切った音を確認した後、受話器をガチャンと叩き付け、あたしは編集部の隅に置いてある小型の冷蔵庫から速攻でビールを取り出し、一気にあおった。 人間、人生において、こいつとだけは必要以上に関わりたくないっ、と思っている人物が何人かは居るものよ、そんなものでしょう? なのに、そう思っている人間に限って、人生の先々にチョロチョロと顔を覗かせるのは、子供のころに猫のヒゲをちょんぎって遊んだ罰だとでもいうのかしら。 「前田さ〜ん。飲むのは校了明けにして下さいよ〜」 「ビールはお酒じゃないも〜ん」 「編集長に言いますよ」 「ふふん、言ってみれば」 入社3年目の河原を軽くかわし、あたしは校正紙を持って校正課に向かった。 ただでさえ頭が痛いのに、これ以上河原の相手をしていたら、それに拍車がかかりそう。 しっかし、神岡くんも面倒なことに関わってくれたものね。しかも、時期的には偽物事件であんなにゴタゴタ真っ最中にでしょう。高校生の体力ってそんなに余っているもんなのかしら。 それでなくてやっかいな今回の件に、よりによってあいつ、工藤が関わってくるなんて。 あ〜あ、大学の入学式に、あんな至上最悪最低の出会いさえなければ、あたしの人生、変わっていたのかな〜 ☆ ☆ ☆ あたしは、その日機嫌が悪かった。ドタバタ忙しい朝の時間に、彼氏から電話が入ったかと思えば、突然の別れ話。あたしが大学に受かって自分が浪人だったっていうのが、そんなにコンプレックスだった訳? それとも、好きな時に会えない、地元を離れた彼女なんかいらないとか?まあ、わざわざこっちの余裕のない時間帯を選ぶなんて、やることが姑息な奴、こっちからお断りって感じだから、未練もないけど。 そんなこんなでマンションを出るのが遅れ、会場に到着したのはギリギリ遅刻にはならないだろうという、せっぱつまった時間。 でも、世の中には更に強者っていうのが、常にいるものらしく、あたしの斜め後ろからパタパタと足音が聞こえてきた。 チラッと振り返ると、サーモンピンクのスーツが視界に入る。あらご同類、な〜んてのんきなことを思っていられたのは一瞬。彼女のスーツの襟のステッチは、あたしが今朝、散々鏡で見た物と全く同じだった。 向こうもこっちに気付いたらしく、あたしに向かってニコッと微笑った。 だけど、今のあたしには、とてもじゃないけど、それに微笑み返す余裕が無かった。無視することに決めて、さっさと講堂のドアを開け、中に入る。 でも、彼女との関わり合いは、それで終わってはくれなかった。多分、到着順に席を埋めていく決まりでもあったんでしょうね。あたしが席に着いた時には、もう隣の席しか空いておらず、ということは、当然先刻の彼女はここに座るってことよ。 何ごともなかったかのような顔をして、彼女は隣に腰掛けたけど、なんとも居心地悪そう。でも、それはあたしも同じ。げっ、よく見たら、彼女の持ってるバックまで、あたしと全く同型のハナエ・モリじゃない。 「最悪」 気付いた時には、心の中の思いが声に出ていた。でも、言い訳させて貰えば、たかだか18歳の小娘がそんなに忍耐強かったら、若さがないってものよね。 この声は、やはり隣の席にも聞こえていたらしく、キッとこちらを睨んできた。もしかして、この最低な状況に、未だ気付いていないのかしら。 この予想はどうやらあたりだったらしい。あたしを睨んでいた表情が一瞬にして、あっけにとられたものに変わったもの。 「この式が終わったら最後、二度とあなたに出会わないことを願うわ」 心の底から願いを込めて、この台詞を口に出す。 それに対して彼女は無言で応えた。きっと、彼女もあたしと同じ気持ちだったのだろう…… ☆☆☆ 「お断りっ、あたしはそんな得体のしれないサークルには、入りたくありません」怪しいサークル勧誘がザワザワとひしめく構内。あたしの目指す漫画研究会の目の前で、聞き捨てならない発言をしている女が目に入った。 「げっ」 そして、あたしの姿を認めた途端、彼女が発した言葉がこれ。それはこっちの台詞よ。言っておくけど(否、言いはしないけどね)、あたしの口はあんたなんかに負けないわよ。 「発言は気を付けてした方がいいと思うわよ。その得体のしれないサークルに入りたいって思ってる人が何処に居るか解らないから。まあ、得体のしれないサークルがこの辺りでひしめきあってるってのは、あたしも同感だけど。特に先刻あたしが捕まりそうになった軽音は最低ね。あの人達、本当に楽譜読めるのかしら。知性のかけらもない顔してたけど」 そう、神様はあたしの願いを聞き入れてはくれなかった。 あたしが先刻、本当に怪しいサークル『げてものグルメ同好会』の勧誘を必死で断っている時、彼女は掲示板に貼ってある軽音のポスターをまじまじと眺めていたのだ。 つまり、あたしが彼女を見かけるのは残念なことに3回目なのだ。 しかし、情報を制するものは、勝負を制する。 と、いうわけで、嫌みったらしく、攻撃してやることにする。 「大学入ってるんだから、一定ライン以下のばかなんている訳ないじゃない。その場の勢いだけで思ったこと話すの、改めた方がいいんじゃないの」 あらっ、ぐうのねも出ないかと思っていたのに、結構言うじゃない。 バチッ、と視線の火花が弾け、あたしたちを中心に半径2メートル以内から、きれいに人が居なくなっていた。 戦いの場も整ったことだし、じゃあ、これでどうだ! 「あら、あたし、大学に入ってからばかになった奴、少なくても1ダースは知ってるけど」 「………」 そんな人間に、彼女も心当たりがあったんだろう。今度は言い返せないみたい。 「ゆかり、もうやめておけ。どうやら向こうは言葉を操る達人みたいだ。俺たちみたいな音楽を愛する平和主義者が口喧嘩で勝てる相手じゃないよ。な〜に、気にするな。俺たちには若者らしいパッションがあるっ」 勝った、と思ったのも束の間、突然あたし達の間に変な男が乱入してきた。しかもこいつは口が達者ね。 でも、誰、これ? 「陸っ、ちょっ……」 突然の出来事に、周りの人間が呆然としている間に、その男は彼女(ゆかりって名前みたいね)の肩を抱いて歩き出した。 口では勝ったものの、春だというのに男に振られたあたしにとって、それは虚しい勝利だった。 |