10. A BATTLE

「お呼びたてしてすみません。お久しぶりです」
「ええ、本当。工藤さんと会うのは3年前の同窓会以来かしら」
 ニコッ。
 表面上は何とも穏やかな笑みを交わしている彼女たちだが、お互いの身体中から発せられている不穏なオーラは、そんな笑顔じゃ隠しきれなかったらしい。彼女たちのテーブルにオーダーを取りに来ているウエイトレスは、カウンター内でのじゃんけんに負けた、気の毒な女の子であった。
「おっ、お決まりですか?」
「アイスティー。キャンディで」
「ローズ・プーチョン」
「………」
 工藤、前田、両者の注文を聞き、ウエイトレスは固まった。そりゃあ確かにここは紅茶専門店だ。しかし、こんな訳の解らん注文、ベテランの店員だって、まず滅多に出くわすものではない。バイト歴3週間の彼女にはちょっと、否、かなり荷が重い客と言えよう。
 なんの嫌がらせ〜っ。カウンターに戻った彼女はすぐさま休憩を貰い、ロッカー室でさめざめと、ひとり泣いたのである。
「早速用件に入るわ。西沢くんと神崎さんが何故知り合いなのかは、この際どうでもいいの。例の件、お願いできないかしら」
 まだ10代の可愛い女の子を自分たちが泣かせてしまったとは露知らず、30代目前の女ふたりの交渉は始まっていた。
「こっちとしては、神崎さんがそんなことしてたのも知らなかったのよ。あっ、これオフレコにして欲しいんだけど、神崎さんって講英社と専属契約している訳じゃないのよ。だから、本人さえやるって言えば、他誌で書こうが作詞しようが、あなたがあたしに断る必要は全くないんだけど……」
「だって、西沢くんはその件に関して絶対口を割らないし、連絡の取りようがないようの。彼女、プロフィール一切明かしてないでしょう。煙草、いいかしら?」
 前田が頷くのを確認し、工藤はヴァージニアスリムに火を点けた。
「まあね、事情があるのよ。神崎さん、ワケ有り高校生だから。それに、専属じゃないなんて言っておいて申し訳ないんだけど、スケジュール的に無理なのよ。どうせあなたのことだからチェック済でしょうけど、神崎さん、今、連載二つ抱えてるでしょう」
 工藤の肯定の返事を待って前田は続けた。
「更に、今度うちのまんが雑誌で、神崎さん原作の新連載が始まるのよ。高校生稼業の傍ら、これだけの連載やること自体無謀なのに、これ以上は無理よ。やっぱり本業じゃないだけあって、作詞するのは時間がかかるとも言ってたし……」
「前田、あんた、何か隠してるわねっ! ……っても、あたしは追求できる立場じゃないか。あっ、でも彼女がお宅の専属じゃないんなら、西沢くんが貰った詞を使ったって著作権の問題はないわけよね」
「ちょっ、それはダメッ。神崎さんがOK出さないわよ。それに、あれってもう西沢くんだっけ? 彼のバンドで発表しているんでしょう。そういうのって絶対に後から週刊誌のネタにされるわよ」
「たった一回聞いただけの歌詞が、全く別の曲にのって出てきたとして、あなたそれに気付く?」
「プロが聞いてなかったって証拠が何処にあるのよ。ああ、そういえば杉崎、最近テレビで見ないけど、元気なの?」
「知ってて聞くなっ! もういい、交渉決裂ね。でも、諦めた訳じゃないわよ。絶対神崎智美の正体、突き止めてやるっ!」
 ガッと伝票を掴み、工藤は店内に高らかにハイヒールの音を響かせて立ち去った。
 その場に残された前田が『ラッキー、おごってもらっちゃった』なとど考えている筈がなく、工藤をごまかす方法を、超特急でひねり出す作業に没頭していたのである。


☆   ☆   ☆


「ぜぇ〜たいっ、嫌です」
「そうです、智史はともかくわたしは関係ありません」
 何やら、どこかで聞いたことがあるような台詞を使って、彼らは前田に向かって噛み付いていた。
「関係ないとはよく言ったもんね。大の大人が高校生に頭下げて頼んでるっていうのに。あ〜あ、工藤にあなた達の正体バラしちゃおうかな〜」
 ……女風折。
 ふたりが、光栄なんだか失礼なんだか訳の解らん感想を抱いているとは思いもせずに、前田は言葉を続けた。
「どう考えてもこれが一番安全な方法なのよ。神岡くんが女装して、伊達くんが旦那様。正体を隠しているのは、既に結婚しているという事実を公表したくなから。どう? いいアイディアでしょう」
 そう、前田の提案とはこれ。同人誌をこよなく愛する女性がいかにも考えそうな、お約束ネタである。
「たとえ見た目はごまかせたとしても、声はごまかせないと思いますけど」
 神岡は自分にだせる限りの低い声で、前田に向かって主張した。
「いつもは『高山み○み』みたいな声で話してるくせに何言ってるの。大丈夫、声の低い女の子で充分通るわよ」
「誰ですかそれ」
「名探偵コ○ンの声を入れている声優。とにかく、お願いしたわよ」
「ちょっと、前田さん。だから、わたしは関係ないって言って……」
 慌てて反論しかけた伊達を、前田は人差し指で呼びつけ、こっそりと耳打ちした。
 (伊達くんだって見てみたいでしょう。神岡くんの女装。こういう機会でもないと、一生拝めないわよ)
「なるほど、言われてみれば……」
 腕組みをしながら頷いている伊達を見て、神岡は度肝を抜かれた。自分もそうだが、伊達が納得するとは思ってもいなかったからだ。
「弘樹っ、お前、なに懐柔されてんだよっ!」
「懐柔じゃない、納得したんだ。あの風折さんだって女装したんだ。お前に出来ない訳がない」
「……そういう問題じゃないだろう」
 ガックリと首をうなだれた神岡とは裏腹に、前田はにこやかに言った。
「神岡くん、これが民主主義ってやつなのよ」
「少数意見に日があたる時は、未来永劫こないのだろうか……」
 神岡に小さな呟きは、気の毒にも前田の耳を素通りしたに過ぎなかった。
 ──健闘を祈る。
   

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