15. EACH OF THOUGHT
「フッフッフッフッフッフッ」 冒頭から不気味な笑い声をあげているのは、いつものことながら、ちょっと普通ではない工藤である。 彼女は幾多の人々を恐怖に陥れながら、テレビ局の廊下を闊歩していた。 ──バタン。 大きな音を立てて、とある控え室のドアが彼女によって勢いよく開けられた。 「うわっ、ゆかりっ、この痴女っ、変態っ」 衣装の革パンを履きかけていた杉崎が、何とも情けない姿で工藤を罵倒する。 既に着替え終わっていた涼は、工藤に下着姿を目撃されるという災難には遭わずに済んだが、驚きのあまり硬直する羽目になった。 「いいから、早くそれ履いちゃいなさい。朗報なのよ」 「そんなこと言って、本当は高校生の着替え、覗きたかったんじゃないのか」 パンツのボタンを留めながら、杉崎が工藤に冗談めいた台詞を投げる。 「違うっ! これ見なさいっ」 声を荒げて、工藤は杉崎に雑誌を投げ付けた。 「何だよコレ。あっ、オリコンチャート!」 パラパラッと杉崎が雑誌のページをめくる。 「えーと、『Shuffle』……うわっ、19位。涼、やったぞ」 「それっていい数字なんですか?」 杉崎の横から、涼が雑誌を覗き込み、順位を確認した後、問いかけた。 「いいなんてもんじゃないよ。『アゲンスト』だって、オリコン初登場の時は33位だったんだぞ」 「えっ、それって、すごいじゃないですか」 「先刻からそう言ってるだろうが。俄然、やる気出て来ちゃったな〜。今度Mステに出る時はメインになろうな、涼」 「はいっ」 年が明けて、涼と杉崎は『Fortune(フォーチュン)』というユニット名でデビューを果たしていた」 彼らが挿入歌を歌っているドラマの視聴率も好調で、CDの売り上げもまずまずだという実感はあった。今のオリコンチャートの結果も含め、まずは順調なスタートだったと言えよう。 ラジオなどには、ぼちぼちゲストに呼ばれることも増えてきていて、今日は彼らのテレビ初出演である。 「調子に乗るんじゃないわよ。ああ、それから西沢くん。あなた、あたしの用意したマンションにあまり帰ってないみたいだけど……」 「えっ、よく友達のところに泊まるから」 「友達ねぇ。まあいいわ。いくら新人アーティストの紹介コーナーに4分程度しか出ないっていっても、Mステに出演するんだから、これからは気軽にチョロチョロしないこと。いいわね」 「はい」 素直に返答した涼に、工藤は安心して笑みをこぼした。しかし、その涼が、慎重にチョロチョロする分には問題ないんだな、な〜んて自分勝手な解釈をしてることは、工藤に知る由もなかった。
「ゲェー、ゴホゴホッ」 番組終了後、涼はトイレの個室で、吐き気と戦っていた。本番前、緊張のあまり吐き気をもよおす人間は結構いるが、終わってから吐く奴は珍しい。 以前から、なんとなく気付いていたことではるが、同業者の涼に対する視線は冷たい。ラジオの時は他のアーティストと会うことなどほとんどなかった為、それを意識せずに済んでいたが、今日は違った。 言ってみれば、何のキャリアもない高校生が、杉崎を筆頭にかなり名の通った人物の真ん中に、ちゃかり座っているのが許せないということなのだろう。 本番中にも関わらず、カメラに自分が映っていないことを確認してから、涼をにらみつる奴、あからさまに嫌味を投げつける奴。涼は、改めて杉崎と組むことが、どんなに大変なことかを認識した。 それが、涼の緊張感を、本番前よりかえって高めていたのである。 情けない、これくらいのことで、と涼は自分の精神の脆さを自身で叱責する。 自分は杉崎に追いつけないまでも、置いていかれてはいけない、否、その距離を少しでも縮めていかなくてはならない立場だ。ダメージを受けて、立ち止まっている場合ではない。 「涼、大丈夫か?」 涼の帰りがあまりに遅いことを心配した杉崎が、外から個室をノックする。 その声に、涼は慌てて口元を拭い、ドアを開ける。 「すみません。昨日緊張で眠れなかったもんで、寝ちゃったみたいです」 「ここでか? 相変わらず大物だな。暖房もないのに風邪ひくぞ。送ってやるから早く仕度しろ」 「はいっ」 元気を装って返事をし、涼は杉崎の後ろに続いた。 そして、秘かに決心する。誰にも文句など言えない処まで昇りつめてやる、と。 それが、杉崎のパートナーとしての、自分の役目であるから──
「ありがとうございました。お疲れさまです」 「じゃ、早く寝ろよ。バイ」 愛車の黒のMR2で涼を送り届け、杉崎は帰路についた。 「『アゲンスト』か……」 カーラジオから流れてくる彼らの曲を聴いて、杉崎はボソリと呟いた。 先刻のテレビ局で、涼が寝ていた訳ではないことを、杉崎は知っていた。が、本人がそう言っているものをあえて問いただすつもりななかった。まだ、たった17歳の少年だとはいえ、涼だって男なのである。人前で弱音など吐きたい筈もない。 それに、涼の実力は本物だ。だからこそ、彼らは涼に対してそんな態度を取っているのだ。できることなら、涼の翼が開ききる前に、いなくなって欲しいと思う。それは仕方のないことだ。 また、杉崎にしたって、業界での風当たりは強い。否、杉崎の場合、業界だけではなく、一般からのバッシングも少なくはない。予想はしていたことだが、特に『アゲンスト』のファンから。 真似だの、下手だの、裏切りだの…… そういう奴らが、変な先入観にとらわれず、きちんんと『フォーチュン』の歌を聴いたなら、その二つが全く似てなどいないことにすぐに気が付くだろう。 作詞、作曲、アレンジ、すべてにおいて別の人間が作り出している音楽が、どうやって似るというのだ。解りやすく比較するなら、『アゲンスト』の曲を聞いたすぐ後に『フォーチュン』の曲を聴いてみればいい。少なくても『アゲンスト』の3倍はうるさい構成になっているのが解る筈だ。 よく聞きもしないで、いいかげんなコメントをする。業界においても、一般においても、そういう人間が彼らの目下一番の敵である。 もちろん、純粋なファンもいて、彼らがいたからこそ、『フォーチュン』はオリコンで19位という位置を獲得できた。セカンドシングルの発売も決定しているし、『アゲンスト』に似ていると言われることに憤慨するより、今はそんなファンを大切にすることだ、というのは杉崎にも解っている。 しかし、自分たちが『アゲンスト』の名前から完全に抜け出せる日が、一刻も早く来ることを願わずにはいられない。 それに、これはもう既に自分だけの問題ではない。杉崎には、涼をこの世界に引っ張り込んだ責任が、両肩に乗っているのである。そして、それは決して軽い荷物ではない。 考えてみれば、よくもまあ、こんなにたくさん悩みごとがあるものだ。もしかしたら『アゲンスト(向かい風)』という名は、自分たちにこそ、ふさわしい名前なのかもしれない、と杉崎はひとり苦笑した。
「俺、マジで死ぬかもしれない……」 「人間、睡眠不足くらいじゃ、死なないよ」(死にたくはなるけどね) 神岡智史は自室でへばっていた。2月後半、神岡は生徒会長として、予餞会の準備に奔走していた。そして、信じられないことに、これに締切が2つ重なったのだ。人間、62時間もぶっ通しで起きていると、ちょっと、考えたくない状態に陥る。 しかし、そんな神岡に相変わらず風折は冷たかった。 「風折さん……。それは、あまりに智史が気の毒ってものじゃ……」 見るに見かねた伊達が神岡を弁護するが、それが通じる風折ではない。 「な〜に、言ってんだか。涼を見てごらん。ちゃんと学校と仕事を両立しているじゃない。あの若さで、世間の荒波に曝されて、涼の方がよっぽど気の毒だね」 「………」 神岡としても、決して風折の愛を一身に受け止めたい訳ではないが、ここまで邪険にされる必要があるのだろうかと考えずにはいられない。 「とにかくっ。忙しい僕に、いくら学校行事だからって、眠たくなるようなものを見せてみな、ただじゃおかないからね。しっかり企画を立ててよね」 「……はい」 神岡は風折の台詞に、力なく返事をする。 涼が風折の元から引っ越して既に4ヶ月が過ぎた。その間に風折にプロダクション『ウィング』も、無事設立され、まずまずの滑り出しをした。が、風折の八つ当たりモードはいまだに健在である。 なぜなら、社名からして涼の見えない『翼』を広げる手伝いをしようとつけているにも関わらず、肝心の涼は居ない。 涼の為ではない会社経営は、風折にとって、やっぱりつまらなかったからである。 その被害を一手に引き受けてしまっている神岡は、風折の卒業までだ、と自分を励まし、今を耐えていた。だが、彼が卒業したって、状況にほとんど変化ないことを近々思い知らされるのである。 残念ながら……。 |