17. LAST SINGLE
「へっ? シングルですか? この間ファーストアルバム出したばっかりなのに?」 涼は、驚いて杉崎を見上げた。 折角の休日に、相談があると杉崎に呼び出されて、彼の自宅を尋ねてみれば、突然のこの提案。涼が驚くのも無理はない。 「鉄は熱いうちに打て、曲は早いうちに売れって格言が昔からあるだろう。今回のは我ながらいい出来だ。カップリングの分も出来ているしな」 「また、そんな適当な格言作って……。でも、解りました。やっときますからテープ下さい」 なにやら時間が飛びまくっている様な気がしないでもないが、前の章から、約半年。『フォーチュン』は、シングル3枚に、アルバム1枚と順調に仕事をこなしていた。テレビに音楽番組にも、メインとはいかないが、4分よりはずっと長い時間出演出来るようになっていた。 が、原田の言うように、涼が作詞に行き詰まることが、ままあったのも事実だ。 決してボキャブラリーが多いとは言えない涼にとって、アルバム10曲分の作詞は、地獄の沙汰としか言いようがなかった。イミダスを片手に言葉を捻りだし、やっと出来上がったと思えば、杉崎に罵倒される。アルバムの進行が遅れていると、工藤からはせっつかれる。最後の曲のOKが出たときには、不覚にも涙が溢れた程だ。 こんな風に、デビューから今まで、ずっと全力疾走してきて、この夏には小規模ながらライヴツアーも行われていた。 アルバムが発売されて間もない今は、彼らも少しは息をついても良い時期だ。そんな時にシングルをリリースする意味が、涼にはよく解らなかったが、取りあえず杉崎の意志を尊重することにしたのだ。 「そういえば、最近、工藤さん見ませんけど、どうしたんでしょうね。病気かな」 「あいつにとりつく根性のある病原菌がいるもんか。いくら工藤だって、一応サニーのプロデューサー様なんだから、俺たちばっかりかまっている訳にもいかないだろうよ。今頃また、どっかの高校生でも誘拐してるんじゃないのか」 涼が話題を変えてくれたことに安堵しつつ、杉崎は返答した。杉崎自身、今、シングルの作成にとりかかる意味を、誰もが納得のゆく理由で説明する自信がなかったからだ。 「そんなこと言ってると、後ろから出てきますよ、きっと」 「勘弁してくれよ。でも、まあ、今度食事にでも誘ってみるか」 「お断りよ。嫁入り前なのに、変な噂でも立ったら困るじゃない」 素晴らしいタイミングで登場してしまった自分に、少々照れながら、工藤はへその曲がった台詞を吐いた。 「あらら、噂をすれば影だ。それより、ゆかり、いい処に来たな。腹減ったからなんか作って」 「いつから、あたしはあんたの飯炊き女になったのよ! でも、まあいいわ。西沢くんも居ることだし、ここで食事する分には問題ないし。買い物してくる間、せいぜいシングルの話でも煮詰めててちょうだいな」 ひらひらと手を振って、彼女は外出した。 「どっから聞いてたんだ、あの女は……」 「最初からみたいですね。それにしても、プロデューサーって、ものすごい勘の持ち主じゃなきゃ、ダメみたいですね」 「ばかいえ。ありゃ、特別だよ」 「それから、あの〜。俺は別にどうでもいいんですけど、3人で外食するより、このマンションに入る処を見られる方が、もっとマズイんじゃないんですか?」 「……」 もっともな意見だけに、杉崎が涼に返す言葉はなかた。 杉崎&工藤、歳の割には間抜けなふたりである。
とある土曜の午後。この日、涼はご機嫌だった。珍しく順調に進んでいた作詞が2つともあがった上に、中間テストでの赤点が、なんと2つしかなかったのだ。 そんな理由で、涼は杉崎と約束しているスタジオに、鞄を振り回し、スキップしながら、るんるん気分で向かっている途中であった。 ☆ 同時刻、杉崎は愛車で、そのスタジオに向かう途中だった。先日、突然工藤が自宅に現れてからこっち、杉崎にはずっと考えさせられていることがあった。 変な話としか言いようがないのだが、この間の工藤のひねくれた発言が、やけに引っかかり続けていたのだ。 やっと人気が出て来だした大事な時に、どうしてこんなこんな考えを持ってしまったのかは、シングルのリリースを決めた時以上に訳が解らない。が、彼は決心していた。 自分の想いをはぐらかすのは、もう止めだと── ただ、今更、何を言った処で、天の邪鬼な工藤が素直に聞くとは思えない。 悪戦苦闘する自分の姿を想像しながら、苦笑いし、杉崎は大きくアクセルを踏み込んだ。
更にその頃。工藤は町中をのんきにウィンドウショッピングなどしながら歩いていた。今日は休日であったが、涼たちの打ち合わせに顔を出すつもりだったので、それまでの時間つぶしである。 何気なく視線を流した先に、評判のケーキ屋を見つけ、見かけによらず甘党な杉崎に、差し入れを持っていこうと思いつく。 しかし、彼女は知らなかった。後から代金を徴収するつもりで持っていく物は、決して差し入れとは呼ばないことを。
その、第一報が入ったのは、工藤と涼がスタジオで38分の待ちぼうけをくった後だった。 20分待った時点で連絡を取ろうと試みたが、自宅は留守電、携帯電話は圏外。この2つは便利なようで肝心な時に役にたたないことが多すぎる。 そんなこんなで、1時間待って杉崎がやってこなかったら、差し入れのケーキを2人で食べてしまおうという話が、丁度ついた処だった。 「えっ、で、容態は? ううん、それより病院の場所教えて、そっちに向かうわ。……はい、……はい、解った、そこの救急治療センターね」 通話が終わった後、パタッと携帯を折りたたみ、大きく息を吐いてから、工藤は涼に語りかけた。 「西沢くん。冷静に聞いてね。杉崎が事故ったみたいなの。免許取り立てで、調子にのってスピード出してたばかに、突っ込まれたらしいわ。あたしはこれから病院に向かうけど、あなたはどうする?」 「俺も行きますっ! 容態は?」 冷静を装っている工藤の指先が、細かく震えているのを涼は見逃さなかった。もちろん、杉崎も心配だが、こんな工藤を1人にはしておけない。 「……ゴメン。怖くて聞けなかった。事故のことだって、この眼で見るまでは信じられない」 「解りました。急ぎましょう」 正確には、信じたくないという気持ちが強すぎて、詳しい話が聞けなかったのだろう。 詳しいことを聞いてしまったら、それが杉崎だと認めなくてはならなくなるかもしれない。 涼は祈りを込めるように、杉崎の作った曲の入ったテープを握りしめた。
「……う…そ。嘘よぉーっ! 絶対嘘。あいつ高校の時、2階からアスファルトの上に落ちて、無傷だった男なのよ。宇宙空間に放り出されたっていうんならともかく、交通事故くらいで死ぬわけないわ」 「そんなこと言われたって……、いや、とにかく、全力は尽くしました。到らなくて申し訳ありません」 ゆっくりと、胸元にかかっていた工藤の両手を外し、医師は立ち去った。 呆然とその背中を見送っていた工藤は、突然ポンッと手を叩いた。 「そうか、そうよ、これは夢ね。今頃あたしはベッドの中で寝てるのよ。な〜んだ、心配して損しちゃった。うふふ……」 「ちょ、ちょっと工藤さん。しっかりして下さいよ」 涼にしたって、決して動揺していない訳ではないのだが、人間、自分より先に他人にぶっ飛ばれてしまうと、妙にしっかりするものだ。 つまり、呑み会で先に酔っぱらったもん勝ちっていうのと同じことだ。 「あれ、西沢くん? ようこそあたしの夢の中へ。初出演ね」 「工藤さんっ! 現実逃避はそこまでですっ!」 工藤を引きずって、涼は集中治療室に向かった。 まだ病院スタッフが後片づけに追われている、その部屋に入った途端、見覚えがある靴が眼に入り、涼は息を飲んだ。 一歩一歩、震える足を引きずって、涼はベッドに近づき、顔にかけてあった布をめくる。 ──間違いなかった。 青ざめた表情で、眠っているようにも見える彼は、杉崎── ドサッ。 涼の後ろから何かが倒れる音が聞こえたが、振り返らなくても、工藤が失神して倒れた音だと解った。 そんな工藤を病院スタッフに託し、涼は後から駆けつけるであろう、杉崎の関係者の元へと向かった。 今、自分にできることは、ひとつしかない。
「お前、こんな時に何を言い出すんだ」 ビシッ。 赤石の平手打ちが、涼の頬をジャストミートする。 「……こんな時だからです。杉崎さんが残した最後の曲、俺はこの曲で彼を送りたいです。俺にできることは、それだけだから……」 処どころ、声を震わせながらも、確固たる意志を持ったその言葉は、赤石を一瞬にして説得した。 考えてみれば、赤石にとっても、杉崎の曲をアレンジできるのは、これが本当に最後なのだ。 「解ったよ、最高のアレンジしてやる。あいつが足下にすがりついて、『赤石さん、ありがとぉ〜』って言うような奴をな。世界中で一番うるさい葬式で、杉崎を送ってやるか」 何故かサバサバとした表情をして、赤石は涼の頭をポンポンと軽く叩いた。 「お願いします。それから、多分、俺がいても邪魔だから帰ります。お通夜とかの詳しいことが決まったら、自宅じゃなくて携帯に連絡下さい。それじゃ」 フラフラと廊下を歩いていく涼の背中を、赤石は暫く不安げな表情で見つめていたが、意を決したように、杉崎のいる部屋へと向かう。 涼とした約束を、杉崎ともするために──
「ちょっと、涼。どうしたの? ……もしかして、呑んでるの?」 ドアを開けた途端、倒れ込んできた涼を抱きとめ、風折は問いかけた。 「すぎ…さ…き…さん」 抱き留めた涼の頬に、涙の跡を見つけ、風折は何となく事情を察した。杉崎に何あったのだと。 緊張の糸が切れたのか、既に寝息を立てている涼をベッドに横たえた時、涼の携帯の音が鳴った。 「はい……、いえ、友人です。彼、気を失ってしまって。……解りました、伝えます」 電話を切って、風折は涼の寝顔を見つめた。 何かあったとは思ったものの、まさか杉崎が亡くなったとは考えていなかった。 「……涼」 低く呟いて、涼の涙の跡をそっとなぞる。 杉崎には申し訳ないが、風折にとって彼の死は、そんなにショックな出来事ではない。それよりも、これからの涼の立場の方が気になった。 デビューして1年弱たったとはいえ、涼に対する風当たりはそれほど弱まってはいない。 杉崎という防波堤をなくし、これからどうなるのか。『フォーチュン』は、このまま存続できるのか。 更に、涼が受けた精神的ショックの度合いも気がかりだ。 こんなことになるなら、あの時── 涼の背中を押した、あの別荘で。後から涼がどんなに悔やもうと、杉崎との契約を思いとどまらせるべきだった。そうすれば、涼はここまで悲しまずに済んだのではないか。 すべては涼の為を思ってしたことが、裏目に出た。悔しさに風折は唇をかむ。 涼が悲しむことは決してしない、させない。涼が好きだと気付いたあの時、そう誓った筈なのに──
様々な人の、後悔と悲しみと共に、杉崎はこの世を去った。 彼が託した曲は、涼によって葬儀で高らかに歌われた後、追悼の意味を込めたCDシングルとして発売され、130万枚まで売上を伸ばした。 が、素直にこの快挙を喜べる人間は、誰ひとりとしていなかったのである。 そして、杉崎が最期に残した物が、もうひとつ。 杉崎が他界してから、丁度一週間後の工藤の誕生日。彼女の元に30本の真っ赤な薔薇と、メッセージカードが届けられた。 『待たせたな』 と、たったひと言。 それは、杉崎が事故の直前、目についた花屋で注文していた物だった。 |