3. WITH A PAST FRIEND
「どう思うって、どうして一般人の俺にそんな話をふるんだよ?」 困惑を隠せない表情で、目の前の壮太が言う。 赤石と別れた後、涼は再び壮太のマンションに足を運んでいた。その度に、あまり一般的ではない話ばかり聞かされる壮太も、いい迷惑であろう。 「俺だって一般人だけどなぁ」 「どこの世界に、赤石さんにそんな条件突きつけられる一般人が居るっていうんだよ」 自らが発した言葉ながら、壮太は改めて、涼が歌手であったことを認識したような気がした。しかも、ただの歌手ではなく、才能のある、である。 「ばかだな壮太。一般人だから、こんな条件つけられてるんじゃないか」 「一般人のレヴェルが違うってーの」 「知らなかったよ。一般人にレヴェルの違いがあったなんて。で、どういうランクがついてるんだ? 『上・中・下』、それとも『松・竹・梅』か」 「惜しい。『特盛・大盛・並盛』なんだな、これが」 「……そうきたか」 うまい具合に揚げ足をとったと思っていた涼は、壮太の切り返しに、何とも情けない返答をした。 「そっ、俺の勝ち。で、真面目な話に戻るけど、お前さ、もしかして風折先輩に気ィ使ってないか?」 「……いや、気を使ってるって言うか、やっぱさ、俺が自分の力でもう一回頑張る分には、却って迅樹の事務所からデビューするよりいいと思うんだけどさ」 「自分の力って……。もし、赤石さんの思惑どおり事が選んだとしても、それって涼の実力だろう。何で頑張ってないことになるんだよ」 「頑張ってないことにはならないだろうけど、これっていわゆるコネなんだよ。こない処には100年待ったって来ない話なの。この話に乗ったら結果はどうであっても、赤石さんのコネは使えて、迅樹のコネは使えないことになる」 涼の台詞を聞き終え、壮太は大きくため息をついた後、意を決したように話し始めた。 「思うんだけどさ。その『コネ』って言葉、『チャンス』に置き換えたら、抵抗無くなるんじゃないか? そして……怒らせたらごめん。風折先輩の持ってくる話は、『コネ』でも『チャンス』でもなく、『ヤラセ』だと思う」 「怒りゃしないよ。俺もそう思う。だから、迅樹の持ってくるどんな話にも乗る気はない。でも、迅樹には感謝してるんだよ、マジで」 「そう、だから、赤石さんの話にも乗れないんだろう。だけど、風折先輩なら、お前にバレないように、涼を自分の敷いたレールに乗せることなんて、朝飯前だと思うぜ。そして、そのレールに乗ってしまっている自分に気付いたときには、もう降りることは出来ない状態になってる。周りに迷惑をかけすぎるからね」 妙になごやかな表情と共に発せられた壮太の言葉には、彼の過去が見え隠れしているような気がして、涼はすぐには返答できなかった。 「………なんか、説得力ある言葉だな、それ」 場を和ませるべく、叩こうとした軽口は、舌先で震えを含み、逆の効果を生んだ。 「まあね。涼、この間聞いたよな。俺がどうして調律科に来たかって。長くなるけど聞いて欲しい」 「ああ」 いったい何処で、こんな状況になってしまったのだろう、と思いつつも、壮太の問いかけは、涼に肯定の返事をさせざるを得ない重さを持っていた。 「俺ね、ピアノやってたんだよ、中学二年の頃まで。自分でいうのも何だけど、英才教育受けた訳でもなけりゃ、親が有名な音楽家でも無かった割には、結構イイ線いってたんだよね。でも、俺、ピアニストだけに自分の人生限定する気なかったから、音大附属じゃなくて、和泉澤受けたんだよ、だめもとでね。ちょっと冷静に考えれば解った筈なんだけど、成績が悪くない程度じゃ受かれる学校じゃないんだよな。ピアノばっかり弾いてたんだし。さて、ここで問題です。俺はどうして和泉澤に合格できたのでしょう」 壮太にいきなり自分にも思い当たる節がある質問を問いかけられ、涼は息を飲んだ。 「家が近いから、交通費がかからないからかな」 我ながらつまらないボケだと思いつつも、その問いかけに真面目に返答する勇気は、涼には無かった。 「まあ、全然当たっちゃいないけど、利害に関わっている点については似たようなもんかな。悪いな、意地の悪い質問して」 「いや、気持ちはなんとなく解るような気がする」 涼の返答に壮太は表情を緩め、話を再開した。 「定員に違いが無いのに、音楽科を専攻する人間が極端に少ないのは、涼も知っての通りだよな。ありていに言えば、俺が和泉澤に合格したのはその辺に理由がある。それこそ、和泉澤の生徒がちょいと有名なコンクールで入賞でもしてくれりゃ、『和泉澤って、あの名門の? 何、短大に音楽科があるの? へぇ〜、和泉澤って芸術方面も結構充実してたんだ』ってな具合に世間話が広がると思ったんじゃない。合格させるか否かはともかく外部受験が増えれば、受験料だけでも儲かるからな」 「……って、おい。そんなの焼け石に水みたいな金額じゃないのか? 壮太の考えすぎだろう」 実際のところ、ここまで話を聞き終えた涼は、壮太ってばちょっと自信過剰じゃないの? ってな感想を抱いていた。 「まぁ、受験料の件はおまけだな。知ってるだろう、うちの学校の運動部系の弱小さ加減。俺、他の学校の友達から、野球部より予算が多いクイズ研究会の話なんて聞いたことないぜ。経営者側としては、どうしようもない運動部はともかく、色物系じゃない芸術系もイケるんだ、和泉澤の特色は偏差値の高さだけじゃない! ってアピールしたかったんだと思うぜ」 「思うぜって……、それじゃ今までの話って、全部壮太の想像だってことかよ。真面目に聞いてた俺って相当まぬけ?」 「慌てるな。俺が言ったのは理由についての想像であって、実際に起こったことは別にあるんだよ。まあ、俺自身のせいでもあるんだけど、全寮制の学校生活って、面白かったんだよね。特にうちみたいに寮則が厳しくないところって。神経質な奴ならともかく、友達同士で訳わかんない話したり、悪巧みするのとかって、めっちゃ楽しいじゃん。俺、はまっちゃったんだよね。で、当然ピアノの方はちょっとおろそかになって、そのせいかどうかは判んないんだけど、コンクール関係の成績がイマイチふるわなかったって訳。一応理由らしきものに目星はついてるから、俺は結果に納得してたんだけど、焦ったのは経営者側だよ。たまたま大手音楽機器メーカーの息子が和泉澤に居たのが運の尽き。笑い話みたいだけど、その会社主催のコンクール、俺が応募する前から俺の優勝が決まってたっていうんだから」 面白いだろうとでも言いた気に、壮太は台詞の最後を締めくくった。が、当事者の壮太自身は、それをちっとも面白く思っていなかったことくらい、いくら涼が賢くなくても判る。 「それって、いきなり着の身着のまま、マレーシアとかまで連れて行かれる、大泉さんみたいな心境だろうな」 台詞の内容はともかく、大まじめに発せられた涼の言葉に対して、壮太の返答はそっけなかった。 「読者に解らないような地方ネタはやめておけ。これって一応、東京近辺の話らしいから」 シリーズ登場歴だけは長い涼が、読み切りで突然降ってわいたキャラの壮太にこんなことを言われてしまうのは、ひとえに地方在住の冴木のせいである。推し量るに頭の悪さも涼と同じぐらいだと思われる。才能に関しては語りたくない。 閑話休題。 ともかく、場を明るくしようと言ってみた涼の台詞はマニアックすぎて不発に終わったに過ぎなかった。 「まあ、知らないままいられりゃ、幸せだったんだろうけどね。でも、知ってしまったからには、許せないと思った。中学生なんて所詮子供だからな。世の中綺麗ごとばかりじゃないって知ってても、納得は出来ないってことだよ。で、まだまだお子様だった俺が取った行動がこれだ」 言葉と共に、壮太は長袖Tシャツの右腕側を二の腕までまくり上げた。 肘の下の何ヶ所かに、刃物で切られたかのような、細く長い傷跡。 目を疑いながらも、涼は頭の片隅で、『そういえば、壮太が半袖を着ているのを見たことないな』などと考えている余裕がまだあった。 そんな彼の思考の流れを知ってか知らずか、無言の涼を後目に壮太の言葉は続く。 「加減を知らないってのは怖いぜ。取りあえず、当座のコンクールをしのげる程度で止めときゃいいのに、窓ガラスに右腕突っ込んで全治一ヶ月。挙げ句の果てに神経傷つけて、将来の道の一つを確実に閉ざす結果だよ」 「……だって、壮太、普通に右手、使ってるだろう」 衝撃の告白に、涼の台詞は喉の奥で引っ掛かり、世にも拙い日本語にしかならなかった。 「そりゃ、リハビリしたから普通程度には動くさ。ただ、ピアノは無理。……おい、そんな顔するなって。涼にショックを与えたくて、こんな話してるんじゃないんだからさ。ただ、友人に俺と同じ失敗はして欲しくはない。涼に、それを許せるしたたかさはないと思う。自分の実力かどうかって疑問を少しでも抱くのは辛いよ、マジで」 静かに、静かに発せられた壮太の台詞は、しかしながら力説されるよりも余程、説得力があった。 「……自分で自分の可能性を潰す必要は無い、ってことか」 呟いた後、涼は床に落としていた視線をゆっくりと、上に向け、前を見据えた。 壮太の顔ではなく、どこか遠くを。 それは、多分、自分の未来。 そして、きっと、涼の決心。 天下の佐久間徹に、自分の実力を認めさせる。 それが、風折に対して自分ができる、最高の恩返しだと気付いたから……。 ── 迅樹、忘れないでくれ。俺を最初に見つけてくれたのはお前だよ。 |