4. AUDITION CRUSHER
「………………くっ、工藤さん、俺、なんだがすっごく場違いなところに迷い込んだ気分なんですけど」 爆発的に時は流れ、現在は涼が赤石に例の話を持ちかけられてから1年後、つまり、佐久間のプロジェクトが本格的に始動している時である。 涼は、そのオーディション会場で、つきそいの工藤に、固まったまま問いかけた。 「あれっ? 言ってなかったっけ? 佐久間さんって、キィーンって伸びる、高音が好きなのよね。それ以上に女も好きだし。だったら、当然予想できる結果でしょうね」 「……工藤さんはそんなこと、ひとことも言ってない上に、佐久間さんが女好きだなんて、そんなの業界人しか知りませんよ。俺に予想できるわけないじゃないですか」 「何よ、西沢くんだって、業界人の端くれだったくせに。言いがかりつけないでよ」 ツンと横を向いた工藤と女だらけの会場に、涼は、小さくため息をついた。 確かに涼は一時期、業界人の端くれだった時があった。しかし、工藤にまで端くれと言われるからには、文字通り端くれだった訳で、そんな、業界の裏話が耳に入ってくる程、長い間芸能人だったわけではないのだ。 とはいえ、ひとこと言ったら10倍は返してくる工藤に対して問いただす根性は、涼に無かった。 確かに、極秘のオーディションだけあって、人数的には両手に余る位の人数しか集まって居ないが、全体の数が多かれ少なかれ、男が自分一人だけだという居心地の悪さは大差がない。 せめて工藤ではなく、泣きついてでも、すがりついてでも、変装してもらってでも、赤石に付いてきてもらうべきだったと思った処で、後の祭である。 「それにしても……」 全く居心地の悪い。 途切れた涼の台詞の続きはこんなところであろうか。 もちろん、そんな涼の心境は工藤の知ったことではない。 「確かに。それにしても、佐久間好みな顔した女が多いわね。厳しいかなこれは」 なんとも無神経な工藤の呟きに、涼は少々ヤケになって問いかけた。 「工藤さん、よもや、俺に奈室亜美恵のトライアゲイン歌えとかって言い出しませんよね」 「ばかなこと言ってるんじゃないわよ。今回は単に歌唱力の確認だから、自分の得意な曲歌えばいいのよ。もちろん、あなただってアゲンストの曲歌っといた方がいい、ってなことぐらいの意識は持ち合わせているでしょう」 質問の仕方がいい加減だった割には、工藤の返答は嫌味ながらもまともなものだった。 「そりゃあ、いくら得意だからって、自分の歌を歌おうとは思いませんよ」 「そのうち、歌うことになるかもしれないけどね」 「えっ?」 「ともかく、他の娘と違って、西沢くんは歌唱力だけが勝負なんだから、実力発揮してよ!」 台詞と共に肩を叩かれた時、丁度オーディション開始のアナウンスが流れ、意味ありげな工藤の言葉を問いただす暇はなかった。しかし、聞かなくても、他の娘の武器は何であるのかは想像がついたし、その方が良いとも思った。 このオーディションで最後の一人になれたなら、それはまぎれもなく、自分の実力だから。 ☆ ☆ ☆ とある、モニタールーム。そこでは、放射冷却現象に見舞われた北の大地の如く、凍てついた空気が充満していた。 「……」 「………」 「………………」 「………………………………」 (手抜きではない) 「だぁ〜れが、奈室のコピー探して来いって言ったんだろうね」 「はっ?」 「オリジナルがいる以上、半端なコピーは見苦しいだけだ! 君たち今回のオーディションの趣旨、解ってる? いうなれば、堀内の代わりを探してるんだよ。何故、男が居ない!」 今までの佐久間のプロデュースの傾向からみて、これは仕様がない結果なのだが、それを口に出せる根性の座ったスタッフはその場には居なかった。 「………」 「誰か何とか言ったら」 「………」 何とか♪ 冴木だったら、こう言いたいところだが、常識的に考えて、現実にそんなことが出来る人間が居る筈もなく、読者に手抜きだと誤解されかねない沈黙が、未だ続く。 「おい!」 「いえ、居ることは居るんです」 「何が?」 おずおずと、やっと重い口を開いた現場責任者に対し、佐久間の思いやりの無い返答。 「男です。審査番号が最後なんで、ビデオがそこまで回っていないんですけど……」 「いないんですけど……何? 何か補足がありそうな口振りじゃない?」 あくまでも、佐久間は手厳しい。 「………あの、佐久間さんがあくまで男にこだわるんでしたら、実力的には問題はないと思います」 「じゃあ、何? っていうより誰? そこまでもったぶるからには、僕の知ってる奴で、しかも、あまり良い感情をもっていない人物なんだろう」 「西沢涼ですよ」 そこまで想像しているなら口にしやすい、と思ったのか、責任者の重かった口調が一転した。 「はぁ〜ん、なるほどね。杉崎の隠し子か」 「ちょっ……、佐久間さん。それを言うなら秘蔵っ子。生き方がにじみ出るような発言はしないで下さいよ」 「誰の生き方がにじみ出てるってぇ〜? ともかく、そこまでビデオ進めて。話はその後」 「解りました」 彼に返事と共に、なごやかになりはじめた部屋の吸気が、再び一気に張りつめる。 そして数分後。 くるくるとボールペンを回しつつ、画面に食い入る 佐久間の姿がモニタールームにあった。 スタッフにとっても、涼にとっても幸いなことに、彼のビデオは佐久間の周りに初夏の日差しを注ぐことになったのである。 ☆ ☆ ☆ 「は〜ら〜だ〜、どういうことなんだろうね。三本も用意したオーディションのどれにも、涼が引っ掛かってこないなんて、ちゃんと、涼の眼につきそうなところに手をまわしたんだろうね」ところ変わったにもかかわらず、寒い空気が流れる某事務所の一室で、冷や汗を流している人物が約一名。 「はいっ、これ以上はないというぐらいに」 さむ〜い空気を発しているのは、御存知、涼の同居人風折迅樹。どうやら涼は、全体的に寒い人間に好かれる傾向があるらしい。本人が暑苦しいからそういう人間に好かれるのか……どうかは定かではない。 「涼に不審な動きは?」 「不審というか、少なくても、どこかのプロダクションに出入りしているような動きはありません」 不審って、犯罪者じゃないんだから……、という言葉を飲み込んで、原田は事実だけを報告する。 「個人的に接触している可能性は?」 「それは否定できません。特にサニーだと、まだ付き合いのある人が居るでしょうから」 「涼が他に興味を持ちそうなオーディションなんかに心当たりは?」 「興味を持ちそうなのは、ないこともないですが、うけるのは無理でしょう。サニーは一切からんでいないオーディションですし、あのプロフェッサー佐久間のオーディションですから、コネのない人間が入り込むのは不可能です」 「具体的にはどういうオーディション?」 「アゲンストの解散に伴って、佐久間が新たに組むユニットのヴォーカルのオーディション……、とは名ばかりの佐久間の恋人募集企画との噂です」 「コネクションねぇ……、杉崎さんがいない今、涼にそんなものがあるとは思えないけど、一応確認しといて。その後、新たなオーディションの準備。できる?」 「まあ、それに関してはやってみせますけど……」 「ほほう、じゃあ、何に関して問題があるんだい?」 意地の悪い風折の問いかけには応えず、原田は黙って一礼して事務所を後にした。 エレベーターは使わずに、ゆっくりと階段でビルを下りながら、原田は飲み込んだ言葉の続きを考える。 それは多分、風折自身が一番良く知っていながら、気付かない振りをしている現実。 涼は一年前のヴォイストレーニング再開の申し入れを最後に、それ以後風折に頼って来ない。 多分、これからもずっと── ☆ ☆ ☆ 「あのオーディションクラッシャーめっ! おかげで、又あたしが苦労するんじゃないのよ」久方ぶりに本領を発揮している工藤は、悪態を付きながら、目の前の仕事を片っ端から片付けていた。 といっても、その仕事の内容は、自分の抱えている仕事を他人様に押しつけるという作業である。 それのどこが苦労してるんだ、と思われるかもしれないが、自分の仕事を他人まかせにするというのは、人脈と人望と信頼を最大限に活用しなくてはならない、骨の折れる作業なのだ。 随分とすちゃらかに世の中を渡ってきているように見える工藤だが、伊達にこの若さでプロデューサーの肩書きをもぎ取った訳ではない。 涼と杉崎が打ち合わせに使っていた、あのスタジオにだって、かなり無理をして出没していたのだ。 そう、そして、その工藤が自分の身辺整理(?)をしてまで、彼女が手がけようとしている仕事は、西沢涼の再デビューにあたっての準備である。 例のオーディションは本来三次選考まで行われることになっていたのだが、佐久間の一存で、あの日、合格者が涼に決定してしまった。 涼には以前にも、杉崎が行う筈だったオーディションを中止にした実績がある。 もし、合格できたとしても、本格的にコトが動き出すのは、早くても1月後と踏んでいた工藤は大幅に予定を狂わされたのだ。 オーディションクラッシャーなどと、工藤が悪態を付きたくなる気持ちも良く判る。 オフィシャルでもプライベートでも予定が早まるというのは、大変困るものなのである。 「それにしても……」 作業の手を止め、表情を緩めながら工藤は呟く。 虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す。 そして、杉崎は名前ばかりか、曲と涼を残した。 「杉崎、やっぱ、あんたって、大した奴よ……」 もし、杉崎が目の前にいたならば、天の邪鬼の工藤は決してこんなことを言わないだろう。 意地っ張りな自分をいくら後悔したところで、時既に遅し。 杉崎のことを過去形で語れる時が、いつかくるのだろうか── ☆ ☆ ☆ 動き出している──再び涼の周辺に変化が訪れようとしている。 幾ら、総力をあげて周りの人間が涼の再デビューをひた隠しにしたところで、風折の情報力をもってすれば、その話が耳に入らない訳がない。 何度も言うが、涼だって本当に、まるっきり、救いようのないばかではないのである。 これだけ一緒に暮らしていれば、この情報が風折の耳に届いているか否かくらいの判断は付く。 なぜだかは解らないが、この件を風折はまだ知らないらしい。 否、これは多分── せめて、涼自身の口から伝えさせようという、原田の計らいによるものだろう。 ── なんて言って、迅樹に伝えよう。 そんな思案に暮れてしまうため、多くはないはずの涼の荷物整理はちっともはかどらない。 最近、風折は涼に対して口数が減った。 もちろん、学生の傍ら、芸能プロダクションの社長業務で忙しいのも理由のひとつだろう。 しかし、風折が涼の口から決定的な事実を突きつけられるのを避けているようにも見える。 いつでも自信満々で、世の中に怖いものなど無いと思われる、風折のこんな弱い側面を知っている人間は、この世の中に、原田と涼、この2人しかいないかもしれない。 賢くないながらも、本来の優しさでそれを感じ取っているからこそ、涼は風折の元から離れることを、告げかねているのだ。 少ない荷物の大多数を占めるCDを箱詰めしている時、長いこと風折から借りっぱなしだった、アゲンストのインディーズ時代のアルバムが目に入った。 そのCDを手に取り、しばし眺めた後、涼は意を決した様に、立ち上がって部屋を出た。 |