5. SEPARATION

「うん、君の話は解ったよ。ただ、この解ったっていうのは納得したんじゃなくて、話の内容を理解したってだけだから。ちょっと聞いてもいい?」
「ああ」
 CDを片手に自室を訪ねた涼を、風折は忙しいからという理由で追い返すことはなかった。
 なんとなく、涼と直接顔を合わせて話すのをさけていた風折だが、逃げてばかりいても、嫌な予感が消えてなくなる訳ではない。
 ── こんな調子じゃ、別れ話を聞くのが嫌で逃げ回っている、情けない男みたいじゃないか。
 と、彼は考えた訳だが、実際は『みたい』じゃなくて、情けない男『そのもの』である。しかし、逃げ続けなかった点は評価に値すると言えよう。
 良くも悪くも風折は限界に挑戦はしない主義なのだ。
 場所をリビングのソファに移して、風折の質問は始まった。
「前回は色々事情があったから、君は僕のところに居るわけにはいかなかったけど、今回は出ていく必要はないんじゃない? 工藤さんだって、君がここにいる事知ってるでしょう。それとも、彼女がここを出るように言ったの?」
「否、工藤さんからは言われてないけど……」
「じゃあ、君が出ていくって決めた訳だ。どうして?」
「どうしてって……、他でデビューするのに、このまま迅樹の処に居続けたら、俺、どんだけ面の皮厚い人間なんだよ」
「なる程。じゃあ、質問を変えよう。涼は今回どうしてサニーに所属しようと思ったの? 話を聞く限り、サニーに居なきゃならない理由はないよね。そもそも話を持ち込んだのは赤石さんだし、佐久間さんは佐久間さんで自分の事務所を持ってるからサニーの所属って訳じゃないよね」
「どうしてっていうか、俺、最初からもう一度デビューするなら、サニーに所属するって決めてたぞ」
「どうして?」
「どうしてって、俺がデビューしようと思って、サニーから見向きもされないようなら、デビューの意味ないじゃん。俺が前回デビューした時、なんであのまま仕事続けなかったか、理由知ってるだろ。杉崎さんの名前を汚したくないからだよ」
「確かにそう言ってたね。でもね、僕は前から思ってたんだけど、どうして君は杉崎さんの名前を背負わなくちゃならないの?」
「どうしてって……、おい、迅樹、先刻からどうしてどうしてって、一体どうしちゃったんだよ?」
「さあ、どうしちゃったんだろうね。でも、聞かせてよ、君が、杉崎さんの名前を背負わなくちゃならない理由」
「俺が背負いたくないと思ったって結局は背負う羽目になるからだよ。いくら名前やイメージ変えて出ても、解る人には解るって。そして、こう思われるんだよ。杉崎さんの七光りでデビューかよって」
「思わない人だっているんじゃないの? 例えば僕とか、もちろん工藤さんだって」
「業界内の人間だけが知っててどーするっていうんだよ。業界内と言えば、迅樹知ってた? 佐久間さんが女好きで、今までプロデュースしてきた女の子全部に手を付けてるって。迅樹なら知ってるか? でも、俺、知らなかったんだよね。業界内で有名って要はそういうことだよ」
「……涼、話がそれてるって」
 風折はがっくりと頭を落とした。
 自分でも今までの質問は遠回しで、要領を得ていない事は知っている。だからこそ、涼の返答もとんちんかんなのだ。
 もちろん風折が本気になれば、涼が「あれ? あれれれっ?」とか思っている間に自分のペースに巻き込むことなど簡単だ。
 しかし、涼相手にそんな小技を使いたくはなかった。
 たとえて言うなら、惚れ薬を使って無理矢理相手の心を自分に向かせても嬉しくはないといった心理状態に良く似ている。
 ── 本当に、どうしちゃったんだよ、風折迅樹。
 自問自答してみるが、答えは出ない──否、本当は解っているのだ。涼の口からはっきりと、自分が納得せざるを得ない理由を聞くのが怖いのだ。
 そんな、風折の様子を見て涼は目をしばたたかせる。
「話、それてた? 結局何の話なんだっけ?」
「……涼、君がそれだから僕は心配なんだってば。否、僕の話の持っていき方も悪かったのは認めるけど。だからさ、君の今の立場って、もうゆらがないでしょ、あのプロフェッサー佐久間のオーディションに合格、しかも尋常じゃない受かり方したんだから。だったら、サニーに所属しなくても君の評価は変わらないだろう」
「でも、したって変わらないよな」
「……涼、君、もしかして解って僕のことはぐらかしてる? どうして君はサニーに所属することに固執するの。サニーはプロダクションってだけじゃなくて、自社レーベルも持ってるから? いわゆる上げ膳据え膳状態で楽だから?」
「楽って……、楽って話で言えば、迅樹の事務所から出る方が楽に決まってるじゃん。お前、どんな無茶でも通すだろ……ああ〜、解ったよ。迅樹、はっきり言えよ。お前が俺に絡んでるのって、どうして俺がお前の事務所からデビューしないのかってことだろ。だから、先刻からあんな遠回しなこと言ってたのか」
「否、そういう訳じゃ……ないってこともないか」
 いよいよ、話が核心に入り、風折は改めて決心した。遠回しな会話の限界に挑戦しても仕様がないと。
「うん、そうだね。ぶっちゃけそうだよ。最初、杉崎さんに引っ張られた時は僕の事務所も立ち上がってなかったし、流石の僕でも杉崎さん以上の相手を見つけてあげられる自信はなかったからね。涼、君に僕の気持ちが解る? 偶然とはいえ、ライヴハウスで小銭を稼いでいる時から君に目をつけていて、絶対自分で手に入れようと思っていたアーティストを横からかっさらわれる気持ち。しかも、そのアーティストにとってどっちが良いかって考えたら、かっさらわれてしまった方が条件がいいに決まってるって判断した時の僕の気持ち。僕は生まれて初めて自分の無力さっていうものを実感したよ。でもね、その時は良かったんだ。杉崎さんに目をつけられたってことは、僕の直感が正しかったことの証明みたいなものだから。だけど、だけどね、どこに所属していようが条件的には変わらない、こんな状態になっても、僕は君に選んで貰えないのはどうしてなんだろうって、思っちゃダメかな?」
「…………迅樹」
 風折の真摯な問いかけに、涼は言葉を失った。
 風折の言っていることは良く判る、そして、涼自身にとっても、先程口にも出した通り、風折の事務所に所属してしまうのが一番楽なのだ。
 だが、風折がどれだけ自分を大切に思ってくれているかが、痛いほど良く解るからこそ、それは出来ない相談だ。
 なぜなら、涼には心に決めた計画があるからだ。
 風折が自分の為に無茶をしてくれた分、自分も無茶をしようという──
 風折が軽い調子で口にした言葉であっても、それを何ひとつ冗談にはさせない──
 涼は、そう決心していたから。
「迅樹、俺──、俺、本当に迅樹には感謝してる。でも、でもな、だからこそ、迅樹の事務所からデビューは出来ない。だけど、迅樹、だけどな……」
「涼、もういいよ」
 気持ちが先走って、うまく言葉を紡げない涼の台詞を風折は静かに遮った。
「何が、もういいんだよっ!」
「涼、僕はね、別に君に言いたくない台詞を言わせたい訳じゃないんだよ。先刻は感情的になって悪かった。僕がどう思っていようが、君の人生は君のもので、選択権は君にあるのが当然だよ。これからも君の活躍を心から応援してる。もしもだけど、何か困ったことがあるなら遠慮無く相談して。連絡先くらいは教えてくれるだろう」
「そりゃ、もちろん──って、迅樹、俺の話、最後まで聞けって!」
「ごめん、涼。流石にもう、時間がないんだ。明日の朝までに決済しなきゃならない書類が具合が悪くなるほど溜まってるんでね」
 ソファから立ち上がり、自室に向かいかけた風折の背中に涼の声がかかる。
「迅樹っ!」
「涼、本当にゴメン、時間がないんだ」
 振り返りもせずに、風折は、ドアノブに手を伸ばす。
 風折を引き留めることは出来ないと判断した涼が、もう一度、声高く叫ぶ。
「最後にこれだけ聞けよ! 俺の部屋空けとけよっ!」
 風折が後ろ手で閉める途中だったドアが、一瞬だけ動きを止める。しかし、半秒と空けずにそれは閉じられた。
 果たして──
 涼が本当に風折に伝えたかった言葉は、彼に届いたのだろうか……

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