6. OFFICE SAKUMA

「おやおや工藤さん、天下のサニーのしかもプロデューサー様がこんな手狭なオフィスになんのご用かな」
「佐久間さん、そんな意地の悪いことおっしゃらないで下さい。それともこのオフィスに出入りする女性に年齢制限があるって噂は本当なんでしょうか? だとしたらあたくし困ってしまいますわ」
 後日、どうしても他人に押しつけられなかった仕事を2〜3抱えたまま、工藤は涼と共に佐久間のオフィスを訪れていた。
 応接間に通され、佐久間と工藤が顔を合わせた途端始まった、嫌〜な感じの大人の会話に、涼は無言でいる他はなかった。
「ご心配なく、それは自宅の話ですよ。ところで、工藤さん、冗談抜きでどうしてあなたがこの子に同行してるんですか? あなたはサニーミュージックの所属でしょう、サニーアーティスツの人間ならともかく、サニーミュージック、しかもプロデューサーに出てこられると、こっちとしても少々困惑しますよ」
 工藤の上品とはいいかねる冗談をさらりとかわし、佐久間はコロネードブラックのコーヒーカップを取り上げた。
 元々クラシックの基礎のある佐久間はピアノの腕もなかなかのものだ。細く長い指にウェッジウッドの中でも落ち着いたデザインのコロネードブラックシリーズのカップは良く映えた。
 こんな演出も、ポトリポトリと女が落ちてしまう要素の一つなのであろう。
 しかし、ある意味消耗品の客用カップは、一客1,800円位のもので充分だと考える現実的な工藤は、こんな客が出されてビビるようなカップ使うなよと、腹の中で思っている。
 このカップはおよそ1万円少々する。必要以上に紅茶に詳しい工藤は、それを注ぐ食器類にも詳しかった。
 もちろん涼はこのカップの価値を知らない。
「あら、アーティスツはミュージック内の1部署に過ぎませんわ。エンタテイメントの人間が付きそうよりもよっぽど解りやすいと思いますが」
「……工藤さん。はぐらかすのもいい加減にしてもらいましょうか? 単刀直入に言うと、一つのユニットに2人のプロデューサーはいらないということなんですが。彼の所属事務所がどこだろうと、僕と組むからには、僕のやりたいようにやりますよ。それが嫌なら最初っからオーディションなんて受けないでもらいたいですね」
「嫌ですわ、私なんてプロデューサーとは名ばかりの雑用&連絡係みたいなものですもの。ご安心下さい、この事務所に現れる時の私の立場は、西沢くんのチーフマネージャーみたいなものです」
「またまたご謙遜を。アゲンストの優秀なサポートギタリストをそそのかしてユニット結成させたあげく、うちのファンもごっそり持っていった貴女が雑用係なら、他のプロデューサーはもっと役立たずってことになりますよ。確か、今、サニーで一番伸びてる『ONLY ONE』もあなたがどこからともなく見つけてきたって聞いていますよ。その『ONLY ONE』を放っておいてまで、どうしてこの子のマネージャーの真似事をしなくてはならないんです。単なるマネージャー業務ならあなたがやらなくても、サニーにはいくらでもいる優秀なスタッフにまかせればいい」
 言いながら、佐久間はわざと工藤に探るような視線を送った。
 もっとも、自分が評価した人間の周りをいつもチョロチョロしている工藤が目障りな彼の気持ちは解らなくもない。はっきり言って、またこの女かよってな気持ちである。
 一方、工藤も佐久間が本気で自分を排除しにかかっていることに気付いていた。
 工藤の気持ちの上では、サニーの人間としてではなく、工藤ゆかり個人として涼にくっついて来ている状態に近いのだが、本当に一個人なら、佐久間の事務所に出入りできる筈もなく、微妙に肩書きを利用していることも確かだ。
 自分が無茶をしていることは解っている、しかし、工藤はそれでも涼を近くで見守っていたかった。
 客観的に見たならば彼女のしていることは、単なる感傷に過ぎないのだが、工藤本人は涼を見守るのは自分の役目で、杉崎が自分に課した義務だという気持ちなっているからだ。
 しかし、佐久間の言っていることは悔しい程に的を射ていて、工藤がさばききれずに未だ抱えている仕事というのが、『ONLY ONE』がらみの企画である。
「お言葉ですが佐久間さん、杉崎は私がなにを言ったって聞くような人間じゃありません。あの件は杉崎自身が決心したことです。私はその手助けをしたに過ぎません。それに『ONLY ONE』も私が見つけたってだけで、私が育ててる訳じゃありませんから。彼らは実力で勝手に育ってくれたんです」
「成る程、つまり『ONLY ONE』は勝手に育つが、この子は君が見張っていないと育たないってこと? そんな訳ないよね、杉崎ばかりかこの僕までも満足させる男性ヴォーカリストが日本に何人いると思う。少なくても今の芸能界には彼しか居ないよ。『ONLY ONE』にはまだまだ君のバックアップが必要だ。自分で言うのもなんだけど、西沢君には僕がついてるんだから絶対に大丈夫だ。個人的感情で仕事をないがしろにするのはやめておいた方がいい。まあ、杉崎の件は気の毒に思うがね」
 ── 負けた。
 工藤は唇を噛んだ。佐久間は工藤の気持ちを見通している。
「解りました、西沢の担当マネージャーには後日挨拶にあがらせます。お時間を取らせて申し訳ありません。私は失礼致しますが、西沢はどう致しましょうか」
 大きく息を吐いた後、工藤はやっとのことでこれだけの台詞を言い切った。
「ああ、じゃあ、残って貰おうかな。彼にはいろいろ聞いてみたいこともあるし、ねっ、西沢くん」
「……えっ? ああ、はい」
 今までずっと無視されていた涼は、すぐには問いかけられているのが自分だとは気付かず、少々間抜けなタイミングで返答する羽目になった。
「そうですか。じゃ、西沢くんあんまりとんでもないことはしでかさないでね。それではよろしくお願い致します」
 一礼した後、工藤は佐久間の秘書なのかマネージャーなのか恋人なのか愛人なのか一瞬では判断しかねる女性に見送られ、事務所を後にした。
 工藤の姿が見えなくなった途端、佐久間はにこやかな笑みと共に涼に問いかけた。
「さて、西沢くん。今のきみの仕事はなんだと思う?」
「そうですね……」
 佐久間の問いかけに、涼は首を傾げて思案した。
「今のところは、周りの人間に心配してもらうのが、仕事みたいです」
 涼の返答に佐久間は、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それが、解っているなら上等だ。大丈夫だ、そいつらだって、もうじきそれが杞憂だったと安心するさ。それでだ、僕が君と組む理由っていうのを、まずは君に納得してもらおうと思う。ってな訳で防音室にGO!」
 工藤と対面している時と違って、急にくだけた口調で話し出した大物アーティストに戸惑いながらも、涼は彼の後ろに続いて応接室を後にした。

☆   ☆   ☆

「君、オーディションの時、アゲンストの『メビウス』歌ってたよね」
「えっ、はい」
 案内された防音室には、ピアノとシンセとオーディオ機器とその他なんだかよく解らない機械が詰め込まれており、思わず間抜け面してキョロキョロと辺りを見回してしまった涼に佐久間が話しかけてきた。
「ちょっと歌ってみてくれる。ピアノで伴奏つけるから」
 杉崎さんと初めて会った時にも似たような事があったな〜とかのんきなことを考えつつ、涼は頷いた。
 伴奏が始まり、涼は息を整える。
 オーディションで歌う為に、散々聴き倒した曲も、ピアノだけで奏でられると、全く別物みたいに感じる。
「はいっ」
 佐久間の号令と共に涼は歌い出した。オーディションで歌ったカラオケの時よりも少々キーが高い。
 しかし、原曲の高さはこれが正しいのだと、涼は知っている。
 この曲もまた、男性が歌うには非常にきつい音域なのだが、涼は苦しさなど微塵も感じさせずに歌いきった。
「OK! やっぱ思った通りだ。実はさ、僕本当はこの曲のサビ、こういう風に作りたかったんだ」
 佐久間の指が鍵盤を流れる。
 途中までは従来どおりに、半ばからは急に変調して、キーも高く。
「どっちが良かった?」
「どっちって……、聴いている分には後の方が断然カッコ良かったです。でも、歌うとなると……」
 涼は考える。
 多分歌えはするだろう。でも、裏声にならずに歌いきれるかどうかは解らない。それは、涼にとってもそんなギリギリの高さだった。
「うん、そう。堀内の音域も一般人から比べたら充分すごいんだけど、流石の堀内もこれは無理。そう思ったから今の形にした。音は取れてる?」
「えっ、あっ、はい。俺、一応調律科に居るんで」
「ああ、そうだっけね。単位は足りてるの? これから無茶苦茶忙しくなる予定だから、卒業したいんなら、ちゃんと今年度中にして」
「ええ、後は卒論だけなんで大丈夫だと思います」
「ならいい。ってそうじゃなくて、じゃあ、先刻のメロディで歌ってみて。別に裏声になってもいいから、緊張なんかしないで思いっきり歌って。じゃ、行くよ」
 佐久間に促され、涼は再び息を整えた。
 自分の耳が拾ったメロディを忠実に自分の声で再現する。
 息継ぎする場所の少ないそのサビの後半では、かなりキツい思いはしたものの、涼は見事に歌いきった。
 そして、歌いきってみて気付いた。
 ── こっちの方が歌っていて気持ちいい。
 カッコ良くって歌っている人間が気持ちいいなら、それに越したことはない。
「マジですげーな。最初っから歌えるとは思ってなかったよ。で、どうだ」
「聴いてるだけの時より、自分で歌った時の方が感動しました。この曲、歌ってて気持ちいいです」
 興奮する涼をみて、佐久間はあきれた様な笑みを浮かべる
「そりゃ、歌えりゃ気持ちいいだろうよ。まあ、僕が君を選んだのはこの辺りが理由だ。選んでしまってから聞いたんだけど、このオーディションに君をねじこんだのって赤石くんなんだって? あいつよっぽど君のバックで弾きたかったとみえるな」
「はい。なんて無茶な要求する人なんだろうって、言われた時は思いました」
「そりゃ、思うよな。悪いけど、僕、君の声ってきちんと聞いたことなかったんだよ。どうせ、杉崎の人気だけで持ってるユニットだと思ってたからね。その点では赤石くんに感謝するよ」
「あの……、佐久間さん、それって……」
「何?」
「……俺が杉崎さんと組んでた事実って、条件的にはマイナス要素だったってことですよね」
「まあね。少なくてもいい感情は持ってなかったよ。杉崎の実力は認めていても、自分たちが落ち目だってことは認めたくないものだからね」
「じゃ、どうして俺を選んだんですか?」
「まあ、僕の思惑とは裏腹に噂が先行してしまって、男性ヴォーカリストは君しかいなかったってのも理由のひとつだけど……」
 佐久間は意地の悪い処で台詞を止める。
 そして、涼の瞳の困惑の色が浮かんだのを確認した後、言葉を続ける。
「もし、オーディションに来たのが全員男だったとしても、選ばれたのは君だよ。先刻も言っただろう、普通歌えないよ、あの音域は。僕の作った曲を表現できるのは君だけだと思った。これじゃ、理由として不十分かい」
 佐久間の問いかけに涼はぶんぶんと首を横に振った。
「ご期待に添えるよう、頑張ります」
 今度は瞳をキラキラと光らせて、涼は宣言した。
 ── 女好きだとか、変人だとか、意地悪だとか色々な噂を聞くけど、佐久間さんっていい人じゃん。
 とか、涼が思っていたこの時。彼はまだ、火のない処に煙は立たないという格言の本当の意味を知らなかった──

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