7. NAMING HARASSMENT
「気に入らない、気に入らないったら気に入らない」 某ハンバーガーショップにて。 工藤は赤石相手に先程からずっと、呪文のように同じ台詞を呟いていた。 「どっちかって言うと感謝しなくちゃならないんじゃないの? 周りの反対押し切って、涼のマネージャーに立候補したあげく、佐久間さんに追い払われて、自分勝手なことをしまくった挙げ句、クビにもならずに『ONLY ONE』の面倒を見させて貰えるなんて。僕に言わせると恵まれ過ぎだよ君は」 赤石は、ここ最近のお気に入りである、期間限定製品『厚切りチャーシューバーガー』の最後の一口を飲み込んだ後、ラッキーストライクに火を点けた。 工藤と赤石は元々そんなに親しい仲ではなかったが、杉崎の他界をきっかけに時々一緒に酒を飲む仲へと進展(?)していた。 今までのらりくらりと『ONLY ONE』付きになるのは避けてきた工藤だったが、先日の一件をきっかけに半ば強制的にその役職を与えられてしまった。 結局、彼らの売り出し方の方向性その他、すべての責任を負うことになってしまった工藤に、自由な時間は殆どないと言っていい。 先方との約束がキャンセルされた為に、突然降ってわいた空き時間を使って工藤は赤石を呼び出した。 神の御慈悲か、今日の彼はたまたまフリーだった。 よって、待ち合わせ場所がサニーの近くのハンバーガーショップと相成ったのだ。 「だって、確かに彼らを見つけて引っ張ってきたのは、あたしだけど、あいつら好きじゃないんだもん。もちろん、最近の売れ筋の傾向からみたら、確実に人気は出るだろうって踏んでるけど……。こーゆー時嫌になるのよね〜、好きじゃないけど売れるって判る自分が」 サニーイチオシの『ONLY ONE』も工藤にかかってはひどい言われようだ。 「う〜ん……、確かに、僕も好きでは無いね。仕事だと割り切ったことろで、個人的好みが変わる訳じゃないしな。でも、それって結局工藤ちゃんの日頃の行いが悪いってことじゃないの?」 「どういう意味よ?」 赤石に向かって凄みながら、工藤は少々塩を振り過ぎなポテトを口に運び、顔をしかめた。 「だって、僕の思惑どおりにコトが運んでるもん。まんまと涼は佐久間さんのオーディションに受かって、そのユニットのバックのオファーも僕のところに来たしね。手は打っておくもんだよな〜」 「何よ? それって腹黒自慢?」 「まあね。……っていうのは冗談で、あのさ、涼のことは僕が見守っておくから、必要以上に固執するのはよしな。涼は多分君が思ってるより、自分の立場を知ってるし、心配もしなくていい。……涼自身が自分を奮い立てるために杉崎の名を背負うのはともかく、周りの人間が背負って欲しいと思うのは酷だと思う。そして、仕方ないとも思うから、あまり言いたくはないんだけど、君の為に言うよ。工藤ちゃんは口には出さなくても、涼に杉崎の名を背負って欲しいと思ってしまってるでしょ。ちょっと距離を置いてみようよ」 赤石の言葉を聞いて、工藤はゆっくりとヴァージニアスリムに手を伸ばした。 流れるようなしぐさで、火を点け、大きく煙を吸い込んだ。 「……確かにそうね。西沢くんは西沢くんであって杉崎じゃないって解っているつもりなんだけど……。やっぱ、杉崎の忘れ形見みたいに思っちゃってる自分がいるもの」 吸い込んだ煙をため息と共に吐き出した後、吹っ切れた様に工藤は言った。 「僕も君もさ、今、自分がやるべき仕事を出来る限り一生懸命するって約束しようよ。人との約束って、案外とくじけそうになった時に役に立つもんだよ」 お世辞にも決まっているとは言い難いウインクを飛ばしながら、赤石が提案する。 「あたしはともかく、全てが自分の思い通りに進んでる赤石くんが、くじけそうになることなんてないじゃない」 「いや〜、それがね〜」 空になったと見えるラッキーストライクの箱を弄びながら、赤石が言いよどむ。 「ここだけの話……、涼の件がなかったら、あの人とは組みたくないんだよ。音楽的才能は認めるけど、人間性がねぇ〜……」 「あぁ、人間性……」 二人は顔を見合わせ、大きなため息をついた。 そして、涼が泣かされないことを、切に祈ったのである── ☆ ☆ ☆ 赤石が『厚切りチャーシューバーガー』の最初の一口をかじっていた頃。涼はまさに、佐久間の事務所の応接室で、彼に泣かされそうになっていた。 「そんなの嫌です〜」 「何で嫌かな。インパクトが強くて誰もが1度聞いたら忘れられない芸名なのに。今まで僕が考えた芸名の中でも1・2を争うイイ出来なんだよ〜」 「そっ、それに俺、もう芸名決めてありますし、事務所にもそれで登録済ですから」 「あのさ〜、僕だってばかじゃないんだから、君が僕と組むのは僕のことが好きで好きで仕様が無いからだなんて思ってないの。もちろん書類も確認したから君の芸名が「杉崎涼」だってことも知ってるよ。でもそれはそれ、これはこれ。ピンの芸能人が誰かと組む時だけ別の芸名名乗るのなんてよくあるじゃない。僕は君が僕を踏み台にして芸能界に羽ばたいていくことに異存はないし、顔が売れれば名前なんで何でも同じだよ」 涼の主張は、佐久間の提案した芸名が嫌だということなのだが、良くも悪くも大人な彼は、巧みに論点をすり替えた。 「でもでも、それって、例えば俺が「RYO」だとか、「杉やん」で〜す、とかって名乗る程度の変更じゃないですか。そんな大幅変更聞いたこと無いです〜」 「堀内はシークレットライヴの時とか、萬里小路是光(までのこうじこれみつ)とかって凄い芸名名乗ってるよ。ちなみに僕は白百合麗(しらゆりうらら)。原形のかけらもないけど」 作者も気になって仕様がないのだが、気付いていてもどうしても改善できなく、涼も気付いたこの事実。 佐久間と風折の話し方は区別が付かない程、酷似している。 よって、涼には解った。 「それはライヴ内でのお遊びですよね。否、そんなことは結局どうでもいいのか……。佐久間さん、どーしても俺にこの名前を名乗らせる気ですね。俺には到底出来ないですけど、どんなに論理的に反論しても、聞く気は無いんですね」 「………ちょっと、びっくりした。君って思った以上に察しがいいね。こういうことには最後まで気付かない類の人間かと思ってたよ、悪いけど」 「まあ、本来はどっちかっていうと、そいういう人間ですけどね。自分の目の前で他人が同じ事されるの良く見ていましたから」 何度も出てきて、いい加減、マジでウザイと思われているだろうが、涼だって、本当に、まるっきり、救いようのない、なにがなんでもばかだという訳じゃないのだ。 目の前で長いこと風折のやり口を見ていれば、彼と佐久間が同じ種類の人間だということくらいは判断が付く。 「成る程ね。何事も経験っていうのは大切だってことだね。じゃ、いいんだね。僕等のユニット名は『Fish Hell』。僕の名前は『椎羅冠栖(しいら・かんす)』で君の名前が『〆鯖男(しめ・さばお)』ってことで」 どちらの名前もイカサマ臭いが、それでも自分は微妙に体裁のいい音と字面の名前を選んでいるところに、佐久間のズルさが垣間見れる。 「積極的にいいですとは言いたく無いです。でも決定してるんですね、既に。まさかとは思いますけど、もう、CDジャケットのデザインまで決まってるとか?」 今まで風折が神岡に対して行ってきた強引な手口を反芻しながら、涼は佐久間に問いかけた。 どうしても涼が納得しなかった場合に備えて、それくらいはやっていそうだと思ったからだ。今更これを変更するには莫大な金がかかるとかなんとかって言って立場の弱い涼を納得させる。 佐久間はどうだか解らないが、まさしく風折ならやりそうなことである。 「まさか、そこまでは進んでないよ。只、発注はしてあるけど」 おやおや、そこまで見抜いたか、と、言わんばかりに肩をすくめて佐久間は応じた。 「やっぱり……」 涼は小さくため息をついた。 そして、風折には好かれていて良かったとも思った。 誰だって、こんな人間を何人も敵に回したい筈がない。 「じゃ、名前の件は決定ってことで。いや〜、OKしてもらえると思ってたよ。だからさ、僕、昨日、夜なべして君のサイン考えてみたんだけど」 「………」 佐久間の非常に楽しそうな表情を見ていれば、そのサインがまともじゃないことは想像が付く。 「見たい? 見たいよね」 「………」 自分には親切だから庇う訳ではないが、物事を自らに有利なように交渉を進める点は似ていても、人間的には風折の方が敵を作る確率が少ないだろうと、涼は思う。 風折は他人の弱点をついて交渉を進めることはあっても、交渉に関係ないところで余計な嫌がらせをすることはない。 神岡に対する例の八つ当たりの件を知っていたならば、涼が素直にこう考えられたかは、はなはだ疑問ではあるが、確かに風折は、自分の娯楽のために他人を犠牲にすることはない。 「じゃ、じゃ〜ん」 涼が無言の抵抗をしていることなど、おかまいなしに、佐久間は後ろ手に隠し持っていた封筒からやおら色紙を取り出した。 「見て、ナイスでしょ。〆鯖男という名前に相応しいこのシブさ。我ながら自分のセンスに感服するね〜」 「うっ……」 その色紙を一目見た途端、涼は自分の予感が最悪の状態で的中したことを知る。 「佐久間さん……、 コレって……」 枠一杯に大胆に書かれた「〆」という文字の輪の中に中途半端にリアルな魚……多分鯖のイラストとびちびちという文字。空いたスペースに鯖男というこれまた何流だかはしらないが、微妙にレタリングされた横書き文字。 確かにインパクトは強いが、1枚書くのに所要時間が何分かかるか想像もつかない代物だ。 「そう、君のサイン。って言ってもイチイチこんな凝ったサインなんて書いてられないだろうから、取り敢えず5000枚印刷発注したから。君は日付と相手の名前を入れるだけ、安心した?」 「それを書かなくていいって点だけは安心しました」 佐久間の問いかけに、涼は精一杯妥協できる点でのみ返答した。 しかし、目の前の大物アーティストがそれに気付く気配はない。 「でも色紙の手持ちが無いところで、サインをしなくちゃならない状況に備えて、練習はしておいてね」 「………」 全体の90%以上が印刷のサインに意味があるのかとか、こんな色物キャラに染まってしまって、その後体制を立て直せるのかとか、練習したってこのサインが書けるようになるのかとか…… 聞きたいことは山程あるが、心底楽しそうな佐久間にその疑問をぶつける勇気は、涼になかった。 斯くして、疑問と不安を抱えたまま、悲運のヴォーカリストは途方にくれることになる。 ── 佐久間さんって、いい人じゃん。 と思ってから、僅か2日── 涼は、早くも前言を撤回したくなっていた。 そして、涼が前言を完全に撤回するのは、そう、遠い日のことではないのである── |