10. LIMITATIONS

「ふぅ〜」
 工藤がビデオテープを手に帰宅した後、涼はばったりとソファに倒れ込んだ。
 結局、『恥ずかしいから嫌だ』、『変に言い訳すれば噂が長引くだけ』という涼と風折の意見には一切聞く耳を持たず(相手が変わっても相変わらずな人だ)、工藤は涼に手動CMカットのビデオテープを捜させた。
 が、涼本人も、その場に居合わせた者も、すぐに見つかるだろうと思っていたビデオテープは何故かなかなか出てこなかった。
 元々ビデオテープの本数が少ないことに加えて、インデックスまで貼ってあるというのだから、他のテープと勘違いしていることはない。
 ソファーの下、テレビの裏、雑誌の下、あげくに寝室まで捜索箇所を広げたにもかかわらず、ビデオテープは出てこなかった。
 そして、捜し物に疲れ果てた涼が、喉を潤そうと冷蔵庫を開けた時、それは突然発見された。
 酸化してしまってとても使い物にはならないだろうマーガリンの容器の隣に、当たり前の様な顔(どんな顔だ)をして並んでいたのだ。
 何故ビデオテープが冷蔵庫に?!
 それは誰にも解らない。もちろん、しまった本人だって解らない。
 しかし、涼の場合、クーラーやテレビのリモコンがデイバックの中から出てくるというような、不思議な出来事が年に2回くらいはある。
「どうせしまうなら、枕でもしまっておけば、寝るとき気持ち良かったのに」
 涼が倒れ込んだソファの側面に、これまたぐったりと座り込んだ風折が、嫌味くさい台詞を投げ掛ける。
「寝る前になって、無い無いって枕捜す方がもっと嫌だよ。だいたい、いくら俺んちの冷蔵庫がスカスカだからって枕なんかしまえるスペースある筈ないだろ」
「野菜室なら入るんじゃない?」
「いくら俺でも、枕をぎゅうぎゅう野菜室に詰め込んでる自分に気付いたら、自ら精神科医のドアを叩くぞ。迅樹、お前、俺をそこまで追いつめたい訳?」
「追いつめてるのは僕じゃないでしょ。どっちかって言うと追いつめられてるのは僕の方だよ。今晩、寝ぼけて冷蔵庫に枕しまっちゃったらどうしよう」
「そういう事言えてる内は大丈夫だって」
 冗談めいた口調で発せられた風折の台詞に、本心が含まれていることに気付いていてはいたが、涼はわざと突き放した返答をした。
 いつかきっと、とは思っているものの、今現在の涼は風折が望みに応えることは出来ない。
 ならば、どんなに鈍感呼ばわりされても、気付かない振りをしているのが、お互いにとって一番傷つかない方法だと思ったからだ。
……………う
「えっ? 何だって?」
 そんなことを、ぼんやりと考えていた涼は、風折がぼそりと呟いた言葉を聞き逃した。
 後悔先に立たずとは、正にこの時のことを言うのだろう。
 先程の考えを徹底したかったのならば、涼はこの時、風折の呟いた台詞を聞き返してはいけなかったのである。

☆   ☆   ☆

「本当にそう思う?」
「えっ……、枕のことか?」
 ── しまった──
 自室の空気が変わったことが、涼にも解る。
 ワラにも縋る思いで、枕の話題を振ってみたが、風折がそれに乗ってきてくれる可能性は、万に一つもないだろう。
「そう。僕の目算だと、絶対君んちの冷蔵庫には枕が入る。夜眠れなくなるの嫌だから、入れてみてよ」
 が、奇跡は起きた。
 予想外の僥倖に感謝しながら、涼は風折の台詞に乗った。
「迅樹、疲れてんのか。それ、マジで言ってる?」
「割と。自分ちの冷蔵庫でやるのは嫌だしね」
「それを俺にやらせるって? まあ、いいか。話してる内に俺も試したくなってきた。1人でやるのはヤバイけど、2人なら笑い話になるよな。取ってくる」
 一瞬冷えかけたこの場の空気を暖める為なら、枕を冷やすこと位造作もない。たとえ、野菜室にタマネギの皮の切れっ端が転がっていようとだ。
 涼は、ソファからぴょんと起きあがり、寝室へ向かった。
 実家を出るまでずっとソバ殻の枕で寝ていた涼にとって、風折宅で体験した羽根枕は大層感動的な代物だった。
 故に、芸能人としての最初の収入で、涼が最初に買った物のリストに、それは含まれていた。それなのに、布団は未だに化繊綿のものだというのが、いかにも涼らしい。
 冷蔵庫に詰めるのならば、最終的には見るも無惨に潰される運命にあるというのに、涼はパフパフと枕を叩き、空気を含ませた。
 そんなことをしている内に本当に楽しくなってきた涼は、振り返った時寝室の入り口に風折の姿があっても、特に不審には思わなかった。
「何だよ迅樹。冷蔵庫に枕詰めるのがそんなに待ちきれなかったのかよ。でも、ちょっと気持ち解るぜ。俺も結構楽しくなってきた」
 にこにこ笑いながら、横をすり抜けようとした涼の手首を風折が無言で掴み寝室に引き戻す。
 ふいをつかれた涼の身体は、勢い余ってベッドの上まで飛ばされた。
 自分の身に何が起ころうとしているのかが理解できたのは、風折の手によって寝室のドアが閉められた時だ。
「迅樹っ、何するんだよ」
「愚問だね、涼。僕が本気で枕を冷蔵庫に詰めたかったとでも? いくら君がのんき者でも3年も一緒に住んでいれば、僕のやり方くらい知ってただろう。まあ、確かに君に対して、こんなだまし討ちみたいな手段をは取ったことはなかったけどね。でもね、僕も、もう限界なんだよ」
 限界だと言う割には、風折の口調は冷静だ。
 しかし、つかつかと倒れ込んでいる涼に歩み寄り、起きあがりかけた彼の肩口を押さえつけ、再びベッドに押し戻した行動が、風折の限界を証明していた。
「勝手に煮詰まるなよっ! 迅樹んちから出る時、俺の話をちゃんと聞いてくれもしないで、今更、いきなり逆ギレかよっ!」
「聞いたところで、君の決心は変わらなかっただろう。別に見返りを求めて君と一緒に居た訳じゃないけど、ここまで完全に君に僕の存在意義を否定されると、流石にね。僕のところにいてくれさえすれば、それで良かった。もし、そうしてくれていたなら、あんな変な芸名使わなくても良かったし、人間の1人や2人闇に葬ったって、あんなゴシップ誌に変な記事なんて出させなかった。僕はね、僕は君のことが本当に好きで、好きだからこそ無茶をする気はなかったよ。姿を見ないでいれば、声を聞かずに居れば忘れられるかと思った。なのに、君はがんがんテレビに出るわ、いい声で歌うわ、鍵は送りつけるわ、あげくに部屋に呼びつけるわ、どこまで僕の気持ちを玩ぶの。いいや、君にそんなつもりはないんだよね。断言するよ、このままじゃ僕は一生君のことを諦めきれない、もう止めようと思っても絶対君に執着してしまう。じゃあ、どうする。僕は解ったよ。僕が二度と君の前には姿を現せないようなことをしてしまえば良いんだ」
「としきっ──っ」
 何を勝手なことを抜かす〜!
 怒りの声を上げようとした涼の唇は風折のそれによって塞がれた。
 身を捩って逃れようとした涼を風折は全体重をかけて上から押さえ込む。
「──っ」
 それでも首だけは振り続けて、抵抗を続けた涼の犬歯によって、風折の唇に血が滲む。
 やっと振り払ったと涼が思ったのも束の間、唇は離れたものの、身体は未だ風折に拘束されたままだ。
「まあ、無茶な注文だとは思うけど、ちょっとはおとなしくしてくれない。上手なキスっていうのを教えてあげるからさ」
 ぺろりと傷口を舐めた後、風折は再び涼に口づけた。
 又しても激しい抵抗にあい、2秒と待たずに風折は顔を話した。
「……困ったね。あんまり、こういうことはしたくなかったんだけどな」
 言いながら、風折は両手で押さえていた涼の手首を右手で一抱えにし、体重をかけて逃げられないようにした後、自分の首元に結ばれていたタイを左手でするりとほどいた。
「迅樹っ、止めろっ。今ならまだ冗談にしてやるっ! そんな変態みたいなこと止めろって!」
「別にしてもらわなくていいよ。僕は本気だから」
 暴れる涼を押さえ込みつつ、左手のみで風折は器用にネクタイを涼の手首に巻き付けてゆく。最後に素早く固結びして、風折の両手は自由になった。
「舌だけは噛まないでね、死んじゃうから」
 自由になった両手で、涼の顔を押さえ込み、今度はじっくりと涼の唇を味わう。
 抵抗して決して開こうとはしない口を、無理矢理こじ開け中に入り込む。
 流石に風折の舌を噛むことはしないまでも、涼は抵抗を続ける。
 激しい攻防戦の末、どんな抵抗も無駄だと悟った為か、涼の身体から力が抜け、自分の舌に絡んだ風折のそれに応え出した。
 そのことに安堵した風折が、体勢を変えるため、僅かに身を浮かせた時、その瞬間を狙っていた涼の蹴りが見事に相手のみぞおちに入った。
 ベッドから蹴り出され、風折は床で身動き出来ないで居る。
 その隙に寝室から飛び出し、涼はトイレにこもって鍵を掛けた。
 歯を使い、かなり苦労して戒めを解いた後、手首を振りながら涼は寝室へと戻る。
 そこには、ベッドの端に腰掛け、うなだれている風折が居た。
「……涼、ごめん」
 寝室の入り口に涼の姿を認め、風折は力無く謝罪した。
「謝るくらいなら、こんなことするなよ。言っとくけどなっ、お前が俺を諦めるなんて、誰が許しても俺が許さないっ! 諦めようとするなら、本気の蹴りを入れてでもそれを止めるっ!」
「涼?」
「お前はそれだけ解ってろっ! だから、今日は帰れ。言っただろう、俺は迅樹のところに帰るって! 待てないなんて言わせないっ! 絶対待ってろっ!」
 なにやら、無茶苦茶なことを言いつつ、涼は風折の腕を掴み、玄関から放り出した。
 放り出された風折は、暫くその場で放心した後、気が抜けた笑いを漏らした。
「涼、我侭だって……、それ」
 呟いた後、風折は踵を返し帰路に付いた。
 さて、雨降って地は固まったのだろうか──

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