11. TRANSFIGURATION
「原田、居るかっ!」 「はい。ど、どうしたんですか迅樹さん!」 「どうしたって何が?」 涼に放り出されて1時間後、風折は自分の経営する事務所へと顔を出した。 どうしたって何が? と何事も無かったように言われても、原田に納得がいく筈がない。 普段、21歳の男にしては様になりすぎているくらい、きちんとスーツを着こなしている風折が、タイは無いわ、シャツのボタンは2個目まで外れているわ、スーツはしわくちゃだわ、あげくに唇は切れているわ……というとんでもない恰好で現れたのだ。 原田じゃなくても、どうしたんですかくらい聞きたくなる。 「どうしたって……、その恰好。台風の中でも歩いて来たんですか」 「ああ、ある意味台風かもね。そんなことはどうでもいい。それより、事務所の業務を拡大する」 風折の言葉を聞いて、原田はあきれたように目を閉じ、首を横に振った。 「拡大するって……。迅樹さん、こんなことは私が言うまでもなく、あなたの方が良く解ってますよね。そんな暇が何処にあるって言うんです? 卒業したら、この事務所は誰かにまかせて、本社に呼び戻されることが決まっているというのに」 「だからだ」 「どういう意味です?」 「僕が呼び戻されない為にはどうする? 呼び戻すことなんて出来なくしてしまえば良いんだ。さしもの風折コンツェルンとてバブル崩壊後はかなり業績を落としている。僕がトップに立っている会社が実績をあげれば呼び戻す理由が無くなる。僕の目標は卒業までの間に風折コンツェルンの収益の10%を叩き出す会社を作ることだ」 「もし仮に、それが現実になったとしても、呼び戻す理由はいくらでも作れますよ。あんまり無茶なことはしないで頂きたいですね」 「どうして無茶だと思うの」 「無茶以外の何ものでもないでしょう! 風折コンツェルンの10%の収益を叩き出すってことは、日本の防衛費を叩き出すのと大差がないんですよ。今時そんなに儲かる業種がどこにあるっていうんですか?」 「なかったら考えるまでさ。それに、順番からいったら、風折コンツェルンを継ぐのは僕じゃないだろう」 「………欣樹(よしき)さんのことですか?」 「そう。君だって本当は僕より兄の役に立ちたいだろ」 「それは無いですね。私から見ても、欣樹さんよりあなたの方がトップに立つのに向いていますよ」 「まあ、君が僕のことを心配してくれてる気持ちに嘘は無いだろうけどね。それはオフィシャルな立場での君の話だ。君は知ってるんだよ、風折コンツェルンのトップに立つっていうのが、どんなに大変なことでしがらみも多いかってことを。だから、兄を止めなかった。プライベートで君が一番大切なのは兄だろう」 「迅樹さん……」 原田がため息とともに風折の名を呼ぶ。 風折とて、今の台詞が禁句だということは判っているのだ。 しかし、ここで退くわけにはいかない。 「あまり聡いというのも、敵を作る要素の一つですよ。あなたの傍に仕えている者として、これだけは忠告させて頂きます」 「……プロだね君は。その忠告、肝に命ずるよ。でも、判って。君にとって兄がそうなように、僕にもどうしても譲れない大切な人間が居るんだ……」 態度に表してはいても、あえて言葉にすることが無かった風折が、初めて心の内を口にした。 この風折の行動に原田は彼の決意の強固さを知り、同時に今日何があったかも概ね予想できた。 そして、そんな気持ちを必要以上に理解している自分にも気付く。 原田は大きなため息と共に、決意した。 「必要最低限の単位と睡眠時間で大学を卒業する覚悟は出来て居るんですね」 「当然!」 原田の言葉は脅しではなく、事実だろう。 だが、風折は力強く断言する。 そう、涼の我侭に応えるために── ☆ ☆ ☆ 「チッ」工藤が涼からビデオを奪い去った、丁度一週間後。佐久間は自室で手にしていた雑誌を放り投げた。 決定打だった── サニー系列の出版社が出している週刊誌で、涼のアリバイが完全に証明されたからだ。 この様子からも、例のゴシップのニュースソースが佐久間だったことは察しがつくだろう。 良くも悪くも目立ちたがり屋の佐久間は、どんな内容であれ、自分絡みの報道が好きだ。 めぼしい話題も事件もない昨今、ワイドショーでしばらくは取り上げられると思ったこの件も、工藤が各局に流したFAX、ゴシップ誌の出版社にかけた脅しで徐々に下火になりつつあった。 あげくにあんな信憑性にかける噂話みたいな記事に対して、この完璧な証拠固め。 今日を最後に、この話題がワイドショーで取り上げられることもないだろう。 涼が手動でCMカットしたというビデオを研究所に持ち込み分析。映像の状態からそれが涼の家のビデオで録られた物だと証明し、更には涼にCMカットを実践させ、そのタイミングと癖で本人がそれを行ったことまで証明する。 「あの女〜。畜生、お前は科捜研の女かっ!」 一応注意を喚起しておくが、佐久間は決して、その手の趣味の持ち主ではない。 必要以上の女好きで相手にも不自由はしていない。しかし、月が変わるたびに女も変わるような佐久間に、今更『恋人発覚!』程度では、マスコミも寄ってはこないというだけだ。 これが結婚ともなれば、話は別なのだろうが、今のところ佐久間にそんな気はない。 低リスクで自分に注目を集める方法として、佐久間が取った作戦が例のゴシップだ。 噂の真相を曖昧な笑顔で誤魔化しつつ、話題を引っ張り、マスコミを自分に注目させる。満足のいったところで、真相を暴露。といった計画が全部水に流れたのだ。 しかも、この一件に関してマスコミの注目が涼のみに集中したのも、不満の一つである。 手動でTVアニメのCMカットをしちゃう、お茶目で可愛い〆鯖男を宣伝したあげく、今まで殆ど注目されることがなかった本来の芸名『杉崎涼』までをも宣伝する羽目になったのだ。更にはそれに付随して、杉崎と組んでいた時のお宝映像まで飛び出す始末だ。 お宝映像といえば、アゲンスト時代のライブの様子を撮った映像が、在りし日の杉崎をピックアップする為だけに使われたことも気に入らない。 加えて、少々サドっ気の有る佐久間の要求に、涼が難なく応えてしまうのも、あまり面白くない。 我ながらこれは無茶だろうと思う音域の歌でも、少々苦しそうではあるものの、却ってその声の掠れ具合で妙な色気を醸し出しつつ、何とか歌いきる。 今まで誰に対しも有効だった、自分が上位に立つ魔法の言葉はこうだ。 『無理? じゃあ、しょうがないね。ここはこう変えようか。でも、僕はこうしたかったんだよね〜』 佐久間と仕事を共にしている人間ならば、何度と無く聞くはずの台詞だった。 だが、自分と組んで既に1年弱。涼はこの台詞を佐久間に1度も言わせなかった。 色物バンドという形をとっているものの、確実に涼の実力は世間に認められつつある。 「方向転換するか……」 あんな無茶な声帯の使い方をして、涼の喉がそう長く持つとは思えない。 面白くないといいつつも、佐久間とて、日本に二人と居ない、天賦の才能を持つ歌手を潰したい訳ではない。 あの独特の透明感を持つ涼の声は、音楽の方向性を少々変えても、大いに実力を発揮するだろう。 自分の性格の悪さも、実力も、実はきちんと客観的に評価出来ている佐久間は『Fish Hell』の解散を、この時決意したのである。 ☆ ☆ ☆ 「『Fortune with 佐久間徹』って、杉崎さん無しにどうやってフォーチュンが成り立つっていうんですか」数日後、涼は佐久間に呼び出され、又しても彼が勝手に決めた予定に翻弄されていた。 「あのね〜、フォーチュンは君と杉崎だけで成り立ってた訳じゃないでしょ。少なくても赤石くんが居なきゃ、成立しないバンドだった。ここまでは解る」 「……まあ、そうでしょうけど」 少々思案した後、涼は佐久間の言葉に頷いた。 当時は唐突に工藤がサポートの人間を連れてきて、杉崎の了解もなしに勝手に話を進めた感はあったが、自分の曲の編曲を、あの杉崎があっさり赤石に任せたのだ。杉崎の頭の中にも、最初から赤石の存在は勘定に入っていたに違いない。 「運良くっていうか、多分赤石くんのおかげだろうけど、今僕たちのサポートをしてくれているのは、君が杉崎と組んで居たときのメンバーと同様だろう。ってことは充分フォーチュンとして成り立つってことだ」 「でも……、杉崎さんが居ないのに……」 「じゃあ、なんの為に君は杉崎涼を名乗ってるんだ! 杉崎ならそこに居るじゃない」 「えっ?」 「そうだろう。杉崎の名前を背負うなら、それくらい出来なくてどうする。しかも、俺と組んでるんだから、それくらしてもらわなくちゃ困る。赤石くんにはもう話は通してある。彼は2つ返事でOKしたよ」 「赤石さんが?」 「そう。それに悪いけど、僕も新たなプロデュースの仕事が入っててね。多分君と組んでいられるのは後1年が限度だ。withにしとけば、僕が抜けても支障はないでしょ。っていうか、支障がないくらいになってもらわなくちゃ困る。杉崎の為にも僕の為にもね。僕が抜けた途端人気がガタ落ちして、僕の目に狂いがあったなんて思われちゃたまったもんじゃないからね」 「………」 たまったもんじゃないとか言っているが、今まで佐久間が手がけたユニットは、佐久間の手を放れた途端、大抵は人気の下降線をたどっている。 そういう意味では、佐久間の目は狂いっぱなしということになる。 それなのに、涼にはそんな釘を差すなんて、大した嫌がらせではないか。 涼が無言だった理由は、こんなことを秘かに思っていたからだ。 しかし、相変わらず背負う荷物は大きいものの、〆鯖男でいなくても良くなるというのは、大変魅力的だ。 「大丈夫。君には出来る」 「…………はい」 ── なんだか、今日の佐久間さんはいい人みたいだ。 ここに来て、涼は以前、前言を撤回したにもかかわらず、佐久間の人間性が解らなくなってきていた。 解るわけがない。 佐久間はただ、他人がどう思うかなど、考えず好き勝手に生きているのだ。 それが相手によって、都合が良かったり悪かったりするだけだ。 涼にとっては忌々しいだけだった、例のゴシップ。 が、最終的にはあのゴシップが、風折と涼、それぞれが大きな変化の時を迎えるきっかけとなったのである── |