昼下がりの保健室(2) 《15禁》
天王寺徹──職業、医者。養護教諭免許有。 保健室にいる医者だから保健医などと呼ばれているが、そもそも『保健医』などという職業はない。それは『保険医』であり、『保険証で診療できる医師』のことである。 彼は大学部の医学部を卒業し医師免許を取得後、養護教諭資格を取得するために更に医療短大に2年通ったという変わり者である。 何故そんな回りくどいことをしたのか。 理由を聞いたらはっきり言ってあきれかえるしかない。 天王寺は在学中から和泉澤の養護教諭になることを狙っていたのだ。 普通、養護教諭になるには、2種免許ならば最短2年で取得が可能だ。1種免許が取りたいとしても、4年でこと足りる。 が、和泉澤の保健室以外に勤める気など更々なかった天王寺は、前任の養護教諭、角倉の定年退職までの年数を計算し、自分が丁度新卒で赴任出来るように、医学部に進学することによって辻褄を合わせたのだ。 趣味と実益を兼ねるためにそこまでするところと、絶対採用されるということを前提としてそんな予定を立てるところ、更にそれを実現してしまうのが天王寺の恐ろしいところである。 とはいえ、普通に考えてその学校のOBであり、更には医師免許も持っている人間が採用されない理由がないのも確かだ。 かくして、天王寺はまんまと和泉澤学園高等部の保健室へと収まったのである。 きちんと普通の相談事にも乗ってくれる天王寺は、年齢も──27歳とはいえ──近く、いいお兄さん的存在で生徒からの人気も高い。 さて、保健医がその立場を利用して、生徒に手を出しているのは周知の事実だが、これでいて彼は誰彼かまわずくっちゃてる訳ではなかった。 常人には理解しがたかったとしても、彼なりに本気で大切に思っていた人間が居たことは確かで。 不要なトラブルを避けるためにも、後腐れのなさそうな相手にしか手を出さなかった彼だが、状況は変わった。 トンビにあぶらげをさらわれるていうのは、正にこのことを言うのだろうってな有様で、その相手を他人にかっさらわれたのだ。 しかも、10以上も年下の高校生に。 ありとあらゆる手段を使って、そいつから相手を奪い返すことは簡単にできた。が、こんないかれた保健医でも相手をこれ以上は苦しめたくなかったのだ。 本来、快活で友達も多かった彼の笑顔を奪う原因を作ったのは自分であればなおのこと。 保健医は保健医なりに、その責任を取ろうとしていたのだが、悔しいことに、彼の笑顔を取り戻したのは、自分ではなくそいつだった。 いくら望んでも自分にはできなかったことを、1月ほどの期間で易々と。 いや、ここ数年、頑なに他人を拒否して居た相手のことだ。それは、端から見る程簡単なことではなかったであろう。 とはいえ、面白くないことには1ミクロンたりとも変わりはない。 そのうさ晴らしに、自分と関係を持っている生徒を代わる代わる呼び出し、保健室でいかがわしい行為に及んでみたところで、さして楽しくもない。 所詮奴らとは身体だけの関係だし、天王寺は簡単に手に入るものには魅力を感じない質だ。 もちろん、その時の相手にそれを感じさせるほど間抜けな保健医ではないが。 そして、今日。 購買から帰って来て直ぐに、天王寺はベッドの上で寝息を立てている中原に気付いた。 眉間に軽くしわを寄せながらも、無邪気な眠る中原を見て、保健医はすごく意地の悪い気分になる。 いわゆる綺麗系なこの顔を困らせてみたいと── 目を細め、唇の片端だけを上げて、不適な笑みを浮かべると、天王寺はゆっくりと携帯電話に手を伸ばし、一番イイ声で鳴く生徒を呼び出した。 ☆ ☆ ☆ 「ここで?」と怪訝な顔する生徒を、たまにはこういうのも刺激的でいいものだろうと丸め込み、保健医はゆっくりと壁に押しつけた。 普段よりも少々乱暴な手つきで、愛撫を始めた。 その手に翻弄されて、天王寺の支え無しには立っていられない状況の生徒を焦らしに焦らして、これでもかという程声を上げさせる。 最後には先生お願い、と懇願する生徒に彼の望むものを与えながらも、彼の意識はパーティションの後ろへと飛んでいた。 ── 聞こえてるんだろう。 強く腰を突き上げ、生徒に声を上げさせる。 ── それとも、見てるのか。 より高く生徒の片足を抱え上げる。 今の天王寺は、本当に久しぶりに、心の底から楽しかった── ☆ ☆ ☆ 「ラ…ララ……ラ」天王寺が中原の気配を伺いながら、身支度を整えていると、小さな呟きが聞こえてきた。 最初はこの状況におかれて、なんで歌など歌っていられるんだと、自分のことは超合金並に丈夫な棚に上げ、中原の神経を疑った保健医だが、程なくそれはピカソのフルネームを暗唱しているのだと知れた。 九九や平方根ではなく、ピカソのフルネームを暗唱するあたり、さすがは美術教師と天王寺は苦笑した。 しかも、それに夢中になって、こっちが終わったことに気付かない様子である。 天王寺がパーティションの影から姿を見せても、まだ気付かない。子供が数字の計算をする時の様に、指を折り曲げ、ラ・ラと言うたび、首を細かく左右に振って、中原は呟き続けていた。 こういう奴は、ある意味とかではなく、確実に大物だ。 このままでは、いつまで経っても気付いてくれそうにない中原に、天王寺はたまたま知っていた雑学を披露した。 「ラ・サンティシマ・トリニダート・ルイス・ブランスコ・ピカソ」 「そう、それだよっ。サンティシマ・トリニダート! 神様ありがとう〜。えっ?」 突然頭上から振ってきた声に驚く様子もなく、中原は凄く晴れやかな笑顔を浮かべた。 そのすごくいい表情に、思わず天王寺が見惚れていると、中原はいきなり大声を上げる。 「わっ、うわぁ〜、出た〜っ。あうっ」 声をあげるだけならまだしも、後退ろうとして、凭れていたベッドの脚にしこたま背中を打ち付ける様子を見て、天王寺は笑をかみ殺して告げる。 「出たはないでしょ、出たは。人を幽霊扱いしないで欲しいね。それに……どちらかというと、それはこっちの台詞なんだが」 いい歳をしているのに、中原の行動は学園の生徒よりもよっぽど子供っぽい。 もともとは嫌がらせの為にあんなことを始めておきながら、天王寺はこの人物に、必要以上に興味を覚えている自分に気付いていた。 「え〜、え〜と。まあ、おっしゃる通りで……」 目線を自分に合わせられないまま、もごもごと話す中原を見て保健医はにやりと口元を歪ませた。 「う〜ん、いいねぇ。実にいい。素直な子は非常に僕の好みだよ」 満足気に呟くと、天王寺は床に座り込んでいる中原の両腕を掴んで立ち上がらせ、ベッドに腰掛けさせた。 覗き見したという負い目があるからか、中原は抵抗することもなく、されるがままになっている。 そんな彼の眼をじっと見つめながら、保健医は彼の唇に自分のそれを近づけた。 「あの〜」 貰ったな、と天王寺が確信したその時、おずおずと中原に声を上げられ、天王寺は動きを止めた。 ちょっとトロいぞお前、という感想を抱きながらも、そんなことはおくびにも出さずに天王寺は応える。 「何かな?」 「何をするおつもりなんでしょう?」 そりゃ、キスだろう。 ってな感じだが、そんなストレートな表現は天王寺の好むところではない。 「何って……言っただろう。素直な子は僕の好みだって」 「いえ、俺…いや、私が素直かどうかはともかく、その意見には賛成ですが……、だから、何を?」 俺と言いかけて、私と言い直すところが、まだ、社会人生活が身に付いていない感じでほほえましい。 「普通そういうことは、わざわざ聞かないものだと思うがね。まあ、敢えて言うなら口止めってやつかな」 「口どっ、んんっ」 言い終えた後、中原の言葉を封じるように天王寺は唇を合わせ、彼の口内の舌を忍び込ませた。 初めのうちこそ、軽い抵抗があったものの、中原は直ぐにおとなしくなった。 中原が何故ピカソの名前を暗唱していたのか、もちろんそれが判らない天王寺ではない。 思い切り情熱的で、技巧を凝らした口付けを与えてやる。 間もなく、中原がヤバ気な様子で腰を退くのを見て、天王寺は自分の手に彼が落ちたのを確信する。 見せつけたことのお詫びにと、普段生徒相手にはあまりしてやらないテクニックまで披露して、保健医は中原の欲望を吐き出させた。 「明日、ここで、同じ時間に。いいね」 そして、保健医は顔を隠してぐったりとベッドに横になる美術教師の手に保健室のスペアキーを握らせ、こう告げると、彼を残したままその場を後にした。 |