昼下がりの保健室(4) 《15禁》



 一体、あの保健医は何人の生徒に手を出しているんだ?
 そんな、判ったところでなんの得にもならないことを考えつつ、中原は先程の生徒が床に叩き付けていったアンケート用紙を拾い集めていた。
 因みに正解は5人である。
 昨日中原が目撃した、中性的でストレートな人間だって酒でも飲んだら勢いでヤッちゃえそうな感じの可愛い子が2人。
 先程アンケート用紙を叩き付けた生徒みたいな、細身ではあるものの、どっからどう見たって男であり、負けん気の強い感じな奴が2人。
 更に、がたいも顔もそこそこいいが、好きな相手に告白出来ないどころか、却って冷たくしてしまうという小学生並みに不器用な奴が1人である。
 端から見ると選考基準がイマイチ不明だが、理由はおいおい明らかになる。
 もちろん、そんなことをことを中原が知りうる機会がある筈もない。
 いや、別に知りたくもないのだが、昨日今日と続けざまに自分の意志とは関係ないところで、変なことに巻き込まれている中原としては、それが判るならできるだけその生徒には近づかないようにしたかった。
 保健医と付き合っている生徒に横の連携があるとは思えないが、変な噂はどこから広がるか判ったものではない。
 火のないところに煙は立たぬというが、それが立ってしまうのが、和泉澤学園という閉鎖された空間の特殊なところである。
 大体、良家のご子息が多いこの学校が、何故全寮制であるのか、そこのところが中原には疑問だ。
 例によって大物っぷりを発揮して、最初とは全然違うことを考えながら、散らばったアンケート用紙をほぼ拾い終わった時、既に人気の無くなった廊下にコツコツという足音が響いて来た。
 中原はしゃがみこんだまま、廊下に首だけ出して覗いてみる。
 男の膝のあたりでひらひらとひるがえる白衣が、中原にその人物が保健医だと知らせた。
 急いで残りの用紙を拾い集め、中原は首を引っ込めた。隠れたところで保健医が向かっている先は確実にここなのだから意味はないのは判っているが、ずっと見ていたら見ていたで保健医を待ちかねていたみたいだと思ったからだ。
「待たせたかな」
 机の上でアンケート用紙をトントンと揃えていると、保健医が戻ってきて中原に声をかけた。
 その声に、中原はビクッと身を震わせながらも、平静を装って返答した。
「すみません、勝手に入って。生徒がここに鞄を預けてあるっていうもんで。コレ、預かったアンケートです」
「ああ、咲山くんか。で、どうして鞄はここに残されたままなのかな?」
 差し出されたアンケートを受け取ると、保健医は机の上をチラリと見て中原に問いかけた。
「いや…それは……、あの」
 聞かれて中原は口ごもった。
 本当のことを言ってもいいものだろうかと、一瞬躊躇したからだ。
 もちろん聞かずとも天王寺にはその理由が判っていた。
 最初は単なる遊びだったにも関わらず、最近の咲山は自分に固執している。彼が秘かに思い続けていた化学教師の高瀬が最近結婚したせいだろう。
 暴走せずにすぐさま気持ちを切り替えたことは誉めてやるが、その切り替え先が自分となれば、保健医的には迷惑この上ない。
 しかも、高瀬から天王寺というその切り替え方は、──いくら身体の関係があったとはいえ──単に咲山が白衣マニアなだけではないかと天王寺は疑っている。
 ドアの付け替えを機会に、咲山に渡していた鍵が使用不可能になって、ちょっとほっとしていた時だ。
 新しい鍵は咲山に渡す気もなかったし、スペアを作るのにどえらい金が掛かるのも本当だったので、保健医はそれを言い訳に彼に鍵を渡してはいなかったのだ。
 ならば、中原に渡された鍵はどこから出てきたのか?
 それには、天王寺自身が思わず苦笑いをしてしまうような理由がある。
 一生渡すことはないだろうと思いつつも、保健医は自分の手から離れていった想い人の分の鍵を作らずには居られなかったのだ。
 そんな、思い入れのある鍵を、何故、中原の手に握らせてしまったのか。
 それは、保健医本人にもよく判らなかった。
 ともかく、存在しないという理由で咲山にはスペアを渡していなかったのに、それを持つ人間が現れたのだ。
 すぐに熱くなる咲山のことだ、どうせ、絶対に負けないとか叫んで走り去ったのだろう。
「まあ、いい。理由は本人から聞くさ。想像はついてるから安心して。まあ、かけたまえ。コーヒーでも抽れるから」
「いえ、お…私はこれを返しに来ただけですから」
 鍵を手渡そうとする中原を押しとどめて、天王寺は彼を丸イスに座らせる。
「そんなに警戒しないでいいよ。今日は何もしないから」
 当たり前だっ、と思いつつもそれを口にする根性は中原になかった。
 保健医がコーヒーの準備をしている間、なんとも気まずい──これは中原だけなのかもしれないが──沈黙が流れる。
「いつもそうやってコーヒー抽れるんですか?」
 その沈黙に耐えきれなくなってきていたし、なんだかものすごい光景を眼にしてしまったので、中原は保健医に向かって質問した。
「うん? まさか。いつもはインスタントだよ」
 そう天王寺は応えるが、今、中原の目の前に広がっている光景は普通の保健室では絶対に眼に出来ないものだった。
 スーパーで売っている様な量産品ではなく、絶対にコーヒー専門店から買ってきたに違いないと確信できる袋に入ったコーヒー豆を手動のミルで挽き、コーヒーメーカーではなく手で落とす。
 もちろんポットのお湯なんかは使っていないし、しかもフィルターが紙ではなくネルだ。
 ── こんな保健室ありえね〜。
 地味にコーヒー通で美味いコーヒーには眼のない中原であったが、学校の保健室で出るコーヒーは、香りの飛んだインスタントコーヒーであって欲しいと彼は思う。
「はい」
「ありがと…」
 言葉遣いにうるさい母親に育てられたせいで、中原は言葉の基本というものをおさえている。
 お茶やコーヒーを振る舞われたときに言う言葉は、すみませんではなくありがとうだ。
 その、ありがとうございますを言おうとして、中原は途中で固まった。
 なぜなら、保健医が抽れてくれたコーヒーは予想外の入れ物に入っていたからだ。
 化学教師がビーカーや試験管にコーヒーを入れてよこしたとしても、これほどまでショックは大きくなったであろうというその容器は、何故かコーヒーカップやマグカップや百歩譲って紙コップではなく、魚偏の漢字が沢山書かれた寿司屋の湯飲みだったからだ。
 おまけに『あかね寿司』という店のロゴと電話番号まで入っている。
 ついでに保健医が手に持っている湯飲みはお湯を注ぐとプリントされている岩の絵が消え、温泉に入っている女性のヌードが拝めるという、そんな物を買う奴のセンスをちょっと疑う、どこぞの温泉の物だ。
「今更だけど、コーヒー嫌いじゃないよね」
「いえ…好きです。いただきます」
 保健医はスティックシュガーやパウダーミルクや何故か割り箸を用意してくれていが、もともと中原はコーヒーはブラック派だし、それがなくても湯飲みの中に砂糖やミルクを入れて割り箸でかき混ぜる気には絶対にならない。
 一体どーゆー人なんだ? と中原の頭の中ではクエスチョンマークがスクリーンセイバーのごとく飛び交っていたが、湯飲みの中から立ち上るコーヒーの香りは極上のものだ。その香りにつられて、湯飲みの中の液体を一口味わう。
「どうかな」
「……おいしいです」
 確かにそれは美味かった。
 でも、入れ物がこれじゃ……としみじみと寿司屋の湯飲みを眺めて、中原は我に返った。
「そう、良かった」
  と言って、自分の机の前の椅子に腰掛けた保健医に向かって中原は声を掛けた。
「あの……」
 そう、そもそも自分はここにコーヒーを飲みに来たり、その入れ物に驚きにきたわけではないのだ。
「ああ、心配しなくていいよ。昨日のことなら誰にも言わないから。もちろん、君も黙っていてくれるよね」
「えっ、ええ、それはもちろんですけど……」
 保健医の発言は中原にとって、大変ありがたいものではあったが、ならば、何故自分が呼び出されたのだろうという疑問が残る。それに、この鍵は?
「協力して欲しい」
 中原が未だ持たされたままの、保健室のスペアキーを握りしめながら、その真意を探っていると、目の前の保健医は中原の目をじっと見つめて言った。
「何をですか?」
 この保健医に自分が協力できることなどあるのだろうかと首を傾げながら中原は聞き返す。
「僕のしていることに、多少個人的趣味が入っていることは認めよう。しかし、これもカウンセリングの一環だ」
「カウンセリング…ですか?」
 と言われても、生徒と身体の関係を持つことが、どうしてカウンセリングになるのか中原には理解できない。
「そう。こういう環境で同性に興味を持つのは別段不思議なことじゃない。だけど、日本の学校教育は他人と違うことはいけないことだと教える傾向にある。今は多少はましになっているけど、生徒達の親はモロそういう時代を生きてきた訳だよね。そんな親に育てられてきた生徒たちも同じように考える。自分はおかしいんじゃないかって。それを受け止めてあげるのが僕の仕事だ。ここまでは解る?」
「……解ります。……でも」
「身体の関係を持つ必要はないと言いたい?」
 天王寺の言葉に中原は頷いた。そんな彼を見て保健医は微笑む。
「うん、素直で結構。でもね、生徒の中には一時の気の迷いじゃなくて、本当にそういう性癖の人間もいる訳。安易なセックスは良くないって教師面して言ったところで、やりたけりゃ隠れてやるだろ。君だって相手が女性なら心当たりがあるだろう」
「ええ、まあ」
 再び、中原は頷いた。相手の性別に違いはあるが、自分だって初体験は中3の時なのだ。責任を取れないならヤルなだなんて説教をする資格はない。
 ただ、この年になって、やっと、その時の自分は運が良かっただけなのだということだけは、教えてやりたいと思う。
 理解できるかどうかは別として。
 生徒をばかにしているわけではなく、それが理解できる時期というものがあることを中原は知っていた。
「そこが問題だ。相手が女性だったら初心者でもまあ、なんとかなる。AVとかで予習もできるし。ただ、男同士のセックスとなると、話は別だ。もともと女性の身体は男性を受け入れるように出来ているけど、男はそうじゃないだろう。はっきり言って実践が必要なんだ。自分や相手を傷つけない為にも。特に受け入れる方がね」
「そういうもんですか…」
「君だって男の理性がどれだけ快感に弱いか、昨日実感済みだろう」
 保健医の意地の悪い問いかけに中原は顔を赤らめた。しかし、実例をだされるとそれには納得するしかない。
「まあ、君のことはいいとして、つまり、僕のしていることはそういうことだ。だけど、時期が来た」
「時期?」
「そう、彼らが僕から離れていく時期がね。中には勘違いしている者が居る様だけど、もともと僕らは恋人じゃない。彼らは彼らで、いつかたった一人を見つけなきゃならないんだ。いつまでも僕に固執しているべきじゃない」
 微妙に、自分のしていることを体裁良く取り繕って話している様な気がしないでもないが、保健医の言うことはそれなりに筋が通っていた。
 少なくとも、自分にできることなら、協力してもいいと思うくらいには。
「……それで、俺に何をしろと?」
「僕の恋人になって欲しい」

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