昼下がりの保健室(6) 《15禁》



「中原先生、今晩お暇ですか」
 来たっ。
 とある金曜日、5〜6時間目の授業を終えて準備室で後片付けをしていた中原は、工芸の講師細川に声を掛けられ、身を硬くした。
 先週、先々週とダッシュで保健室に逃げ込んで事なきを得た中原だったが、今週は逃げ遅れた。
 というか、細川の方が授業を早めに切り上げて中原の捕獲にかかったのだ。
 いえ、あの〜、と口ごもっているところに、携帯が音を立てて天王寺からのメールの着信を知らせる。
 渡りに船とばかりに中原は、細川に失礼をわびて画面にメールを表示させた。
 内容は『もしかして、細川につかまってないか? そうなら空メールを返信しろ』というものだった。
 普段の中原ならば、お前俺のこと見張ってんのかよっ、と毒づくところであるが、今はそれどころではない。慌ててメールを返信した。
 とはいえ、保健室も美術室もL字型校舎が折れ曲がっている部分に位置するものの、そこには1階と4階という立体的な隔たりがある。
 つまり、あまり想像出来ないというか、はっきり言って有り得ないことだが、保健医が中原を助けるためにインド人もびっくりな猛スピードで階段を駆け上がってきてくれたとしても、2分やそこらはかかる計算だ。なぜなら、当たり前だが曲がり角には階段はないからである。
 つまり、直線距離ではそうでもないものの、保健室と美術室は経路的に校内で一番遠い場所にあった。
 さしもの保健医もスパイダーマンの如く壁をよじ登っては来られまい。
 さて、どうやって天王寺が来るまでの時間を稼ぐかと中原が気合いを入れて、細川に向き直った時、コンコンとノックの音がして、こちらの返事を待たずにドアが開いた。
「光昭〜、今日の晩飯……、あっ、すみません中原先生、お客様でしたか」
 わざとらしすぎる──
 中原はじっとりとした目つきで保健医を睨んだ。
 しかも、この早さ。ドアの前でメールを打ったに違いない。
 いやいや、そんな顔をしている場合ではないと、中原はにっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ、天王寺先生。今、丁度、細川先生と今晩の予定の話をしていたところです。予定を変えて今日は外に食べにいきませんか? あっ、でも、もしかして、もう買い物しちゃいました?」
「……悪いな、それがしちゃったんだよ。ああ、なら細川先生も誘ったらどうだ?」
 ── この男は…… 
 中原は渋い顔をした。
 今の話は中原が咄嗟に作ったものなのだから、天王寺が買い物なんてしているはずがない。
 もし、細川が「それじゃ、お言葉に甘えて〜」とか言ったらどうするつもりなんだと思ったからだ。
 が、この中原の表情を、細川は全然別の意味にとった。
 自分のことをファーストネームで呼ぶような相手に向かってこのわざとらしい、丁寧な中原の言葉遣い。
 本当は細川のことを邪魔だと思っているに違いないのに、僕たちなんともないんですよと言わんばかりに、自分に誘いを掛ける保健医。更に中原の「何で誘うんだよ」と天王寺を非難する様な表情。
 ── こいつら、デキている。
 そう確信した途端、細川は急速に中原に対する興味を失った。
 そういう趣味ならそういう趣味で、お仲間と楽しくやればいいものを、細川は何故かノンケの、しかも少年が好みだという我が侭な親父なのである。
 綺麗な顔をしているとはいえ、もともと細川の好み的に中原はギリギリ許せるライン──年齢の上で──だったのだ。
 今まで予想を外したことはなかったのに、と首を傾げて細川はしげしげと中原の顔を見つめた。
「えっ、えーと、今日は天王寺先生が自宅で関西風のすき焼きご馳走してくれる予定なんです。良かったら細川先生もいかがですか?」
 何かを訝しんでいる様な表情で自分を見つめる細川に、嘘がバレたかと中原は慌てて、適当な作り話を続けた。
 関西風のすき焼きって、どんなだよ? と自らに突っ込みを入れ、中原は何処かで聞きかじったことのあるそのメニューを口にしながら、最悪の展開を予想した。
 もし、細川がこの誘いに応じて、しかも天王寺が関西風のすき焼きの作り方を知らなかったならば──
 ご馳走になるお礼に酒でも買って来ますと細川を自分が連れだし、その間天王寺を買い物に行かせ、さらにインターネットで関西風のすき焼きの作り方を検索させるしかない。
 そういう具体的なことは、普通、細川が来ると言ってから考えれば良い。
 更に、そこまで考えたにもかかわらず、作り方が解るのと作れるは違うということに気付いていないあたりが中原の詰めの甘いところである。
「いえ、遠慮します。肉は嫌いですから」
 だが、中原の予想に反して細川は、ならお前の好物は『にんにくラーメンチャーシュー抜き』かと、秘かにロボットアニメ好きな新米美術教師が突っ込みを入れたくなる返答を寄こした。
 もちろん、中原は、この上辺だけの会話を続けている間、ごちゃごちゃと色々なことを考えていた人間が自分だけではないと知る由もない。
「そうですか、残念ですね。今日は朝まで飲み明かそうと思って、いい酒3本ばかり買ってあるんですが。もちろん一升瓶でですよ」
 細川はどう感じているか知らないが、中原にはちっとも残念そうに聞こえない口調で保健医が中年陶芸家に追い討ちを掛ける。
 彼が誘いを断っているにも関わらず、中原から細川の酒の弱さを聞いていた保健医は、この酒盛りに挑戦できるものならしてみろよと挑発しているのだ。
「なら、尚更です。私は肉より日本酒がもっと嫌いなんです」
 あいまいに笑うと、細川は「では、私はこれで」と、さっさと美術準備室を後にする。
 中原が拍子抜けするほど、あっさりと。
 今日が駄目なら明日はとか、来週は私と呑む約束を今しましょうとか、そんなことはひと言も言わずに。
 まてまて、これでは誘って欲しかったみたいじゃないかと、中原がふるふると首を振っていると、お世辞にも爽やかとは言い難い笑みを浮かべて天王寺が彼へと近づいてきた。
「光昭、あんなのに誘われてるんじゃないよ。それとも何? 僕にお仕置きして欲しくてわざとあんなことして見せたのかな」
「なっ」
 中原が反論する間もなく、保健医はその腕の中に彼の身体を包み込んだ。
 そのまま中原の耳元に口を寄せ、「奴が聞いてるから」と囁く。
 この言葉に中原は保健医を押し返そうとしていた両手の力を抜いた。
 成る程、あっさり引き下がったのは、自分が立ち去った後、残されたふたりががどんな会話をするのか立ち聞きするためかと、中原は妙に納得する。
 そして──
 覗かれている訳じゃないんだから、そこまでする必要はないという当たり前のことにさえ考えが及ばず、中原は降りてきた保健医の唇を黙って受け止めた。

☆   ☆   ☆

「ねえ、浪岡くん」
「なんですか?」
 その1時間後、一緒に晩飯食うことになっているんだから、別々に帰る訳にはいかないだろうと天王寺に主張され、中原は保健医の仕事が終わるまで、保健室に待機することになった。
 別に言われなくても行くつもりであったことは、どさくさに紛れて唇を奪われたことが悔しいから、教えてはやらないことにして。
 そして、なぜだか解らないが、中原が保健室に来る度にここに居る妙に老成した雰囲気を醸し出す浪岡くんは、やっぱり今日もここに居た。
 いや、保健室には浪岡しか来ない訳ではないのだろうが、彼の出没する時間帯は、微妙に他の生徒とズレているのだ。
 それに、たまに他の生徒とかち合ったりすると、さり気ない様子ですぐに保健室を後にする。
 1度や2度ならともかく、毎回これだと、中原でなくとも何かあるのかと考えたくなる。
「君と天王寺先生って……なんなの?」
 中原の問いかけに、浪岡は意味ありげな笑みを浮かべた。
「気になりますか?」
「いや、気になるっていうか、俺がここに来るたびに君が居るでしょ。単純にちょっと不思議だったから」
 そんな中原と浪岡のやりとりが聞こえている筈なのに、保健医は知らん顔で机に向かい書類に目を落としたままだ。
「僕の答えの方が単純ですよ。カウンセリングです」
「この状況で?」
 中原は保健医の背中に視線を流した。
 普段だって浪岡はここに来てお茶かコーヒーを飲んで保健医とおしゃべりしているだけだし、今日に至っては天王寺は仕事をしたまま、浪岡の方を見ようともしない。お茶だって中原が入れたのだ。
 これの、どこがカウンセリングなのだろう?
「ここに居ることで僕の心が安まる。天王寺先生はそれを知っているから何も言わない。これって立派なカウンセリングじゃありません?」
「まあ、そう言われてみれば……」
 なんだかどこかで勘定を誤魔化された様な気がするが、それがどこでなのか中原には解らない。
「それより先生、先生はなんで毎日ここに来るんです?」
「えっ?」
 問われて中原は自分が藪をつついたことに気付く。
 自分が天王寺とした約束を知らなければ、確かにそう思われても仕方がないだろう。
 それに、天王寺は別に中原に毎日保健室に顔を出せと命じた訳ではないのだ。
 最初の何日かはびくびくものだったが、天王寺が約束を守り、何もする気はないと判断できた頃合いから、中原はここで過ごす時間が、結構好きになっていた。
 浪岡を交えてお茶を飲んだり、湯飲みを巡って喧嘩をしたり、意外に美術関係に詳しい保健医の知識量に驚愕したり。
 そんな時間が素直に楽しかったのである。
 しかし、浪岡だけにならともかく保健医の耳がある場所で、中原はそんなことを口にしたくはなかった。
 それでなくても、自信過剰な天王寺である、そんなことを言ったならばいよいよつけあがるのは目に見えている。
「内緒だよ」
 声は潜めたものの、絶対に保健医の耳に届くであろうヴォリュームで中原は浪岡に告げる。
「ここのコーヒー美味いんだよ。入れ物はともかくね」
 この言葉に浪岡はあははと声をあげて笑った。
「天王寺先生、むくわれてませんね」
「だろう。浪岡がいつも飲んでるコーヒーは大して美味くないってことを熱く語っておいてくれ。あと30分程で終わるから、その間にな」
 答える間だけ浪岡の方に向き直り、天王寺はすぐにまた書類に目を落とした。
 そんな保健医の背中を再び見つめながら、中原は考えていた。
 先程、浪岡に問われた質問の答えを。
 何故、自分はここに来るのか──

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