昼下がりの保健室(10) 《15禁》



 天王寺宅のチャイムが鳴った時、時計は既に10時を回っていた。
 9時を回った時点でいくらなんでも遅すぎると、咲山に2人いるという兄を装って寮に電話を入れてみたが、不在との返事。
 まさか事故にでも遭ったかと不安になっていた時のチャイムの音に、保健医は勢いよく自室のドアを開けた。
 その場に居たのはありがたいことに無傷な咲山で、更にはいつになくご機嫌な様子だ。
 安堵のため息をつくと同時に、連絡もなくこんな時間までやってこなかった咲山に怒りを覚える。
 いくら携帯電話を持っていないからといって、いくらそれの普及により街から公衆電話の姿が激減したとしても、遅くなるなら連絡の1本も入れるのが筋というものだ。
「随分遅かったじゃないか」
 怒りが口調に出ているのが自分でも解る。が、これから始める話のことを思うと、心配したという言葉は口には出せない。
 下手にやさしくするのは、相手を傷つけるからだ。
「すいません。思ったより時間くっちゃって」
 素直に頭を下げる咲山に、天王寺は覚えた怒りをとりあえずは引っ込めて、彼を部屋へと招き入れた。
 そんな天王寺とは対照的に、咲山は靴を脱ぐ間も、リビングに通じる短い廊下を歩いている最中も非常にご機嫌で、鼻歌さえ歌っている。
 このご機嫌が急激に傾くことになるのを知っているだけに、天王寺は苦い顔をして咲山の背中を見つめていた。
 リビングのソファに収まった咲山に、頭からぶっかけられることを想定して、ホットではなくアイスコーヒーを出す。
 そんなことを想像しているならば、出さなければ良いようなものだが、飲み物には気持ちを落ち着ける効果あるのも確かだ。
 怒りをぶつける為ではなく、落ち着くためにそれが利用されることを望んで、天王寺はアイスコーヒーのグラスを咲山の前に置いたのだ。
 嬉しい、喉乾いてたんだ、と言う咲山がグラスの中身を半分程飲み干すのを待ってから、天王寺は話を切りだした。
「あのな咲山…」
 天王寺が呼びかけた途端、今までご機嫌だった咲山の表情が凍り付く。
 まるで、何を言われるのかを知っているかの様に。
「聞きたくありません」
 グラスを置いて、両手で耳を塞ぐと、咲山は首を振った。
「咲山、冗談はよせ」
 目の前の生徒の両手首を掴み、天王寺は耳から引き離そうとするが、咲山はものすごい力でそれに抵抗した。そして、耳を塞いだまま天王寺に向かって告げる。
「先生が何を言うのか、俺、解ってます。でも、今はまだ聞きたくありません」
 その言葉に天王寺はやれやれと首を振って、解ったの合図の代わりに、掴んでいた咲山の手首を離し、そのまま両手を上げた。
 それを見た咲山が自分の耳から手を離すのを待って、天王寺は問う。
「で、お前はどうしたいんだ?」
 とはいえ、咲山が天王寺の言いたいことを察していたように、彼もまた目の前の少年が何を言い出すかの予想は付いていた。
 予想がついているだけに、出来ることならそれはやめておけと忠告もしたい。
 ……したいのだが、そんな忠告をしたら最後、咲山が更に意固地になるのは目に見えている。
 特に咲山の様に自分のルックスにある程度の自信を持っている者ならば。
「最後に、もう一度だけ抱いて下さい」
 ──ほら、来た。
 天王寺は、咲山に気付かれぬ様、こっそりとため息を漏らす。
 心でつなぎ止められないのなら、身体でつなぎ止める。
 そう、この考え自体が間違っているのだ。
 確かに、そこに恋愛感情がないのならば、相手の善し悪しは──天王寺にとって──そのまま身体の善し悪しで決まると言っていい。
 だが、もうそれは問題ではないのだ。
 今更、中原の為に純情を貫こうなどとは更々思ってはいないし、そうしたところで彼が手に入る訳でもない。
 だけど、天王寺が今、自分の腕で抱きたいと思うのは中原だけであるというのも事実で。
 こんなことを思うこと自体が失礼だと解ってはいるものの、咲山が哀れでならない。
 どんなことをしてでも、好きな相手をつなぎ止めようとする咲山が。
 いい大人である天王寺自身が、つい最近まで似たような状態だったのだから、まだ高校生の咲山にこれを解れといったところで、それはどだい無理な注文だ。
 さて、どうしたもんかと、思案を巡らす天王寺に業をにやして咲山が自ら行動を起こす。
 黙ったままの天王寺の首に手を回し抱きついてきたのだ。
 そのまま唇を合わせようとする咲山を押しのけ、顔をそむける。
 そんな天王寺の態度に、咲山は悔しそうな顔で唇をかみしめた後、それでも再び抱きついてくる。
「中原と比べてもいいから。俺、絶対ヤツよりイイって自信あるから」
 天王寺の耳元で囁くように咲山は告げる。
 その言葉に天王寺は自嘲の笑みをこぼした。
 比べるも何も、まだそんな関係には至っていないのだから比べようがない。
 それでも中原がいいのかと、それが自分自身でおかしくなったからだ。
「そこまで言うなら、確かめてみるか?」
 肩の力が抜けたことによって、気持ちに余裕のできた天王寺は、意味深な笑みと共に咲山に告げる。
 この言葉に、咲山はすっかり天王寺がその気になったものと思い込んでいた。
 いつもと同じ様に、天王寺の唇が首筋に降りてくることによってそれが始まるのだと。
 だが、天王寺の行動はそんな咲山の予想を裏切った。
 おもむろに、充電していた携帯電話を取り上げると、ピッピッとボタンを2回押す。
 聞くまでもなくそれは1発信というやつで、誰が登録されているのかが解るだけに咲山は自分の心が凍り付いてゆくのを感じた。
 本当だったら、誰だって他人と比べられることなく、自分だけを見て欲しいに決まっている。
 でも、それが無理だと解っているから、あんなことまで言ったのに。
 こんなにも切羽詰まった気持ちを抱えて、これが最後という覚悟で天王寺のことを欲しているのに。
 それなのに、天王寺は実際に自分と中原を比べる気でいるのだ。
 そして、天王寺に告げられなくても、実際にやってみなくても、咲山は自分が負けることを知っている。
 たとえ、咲山がテクニック的に中原をどんなに上回っていようとも。
「止めるなら今だぞ」
 が、挑発的な天王寺の台詞がまた腹立たしい。
 なので、思わず口走ってしまう。明日の朝になるまでは、決して口に出さずにいるつもりだったのに。
「どうせ、繋がらないよ」
 咲山が鼻を鳴らして言った言葉を、天王寺は最初、彼の願望だと受け止めていた。
 しかし、電話から実際に『電源が切れているか……』というメッセージが聞こえてきた時、その本当の意味を知った。
「お前、光昭に何かしたのかっ!」
「光昭って誰だよ」
 たとえ、中原のファーストネームを知らなくたって、この状況で出てくる名前は彼だと解るはずだ。それなのにわざわざ聞き直す咲山の態度に、天王寺は目の前の生徒が何かやらかしたこと確信する。
「咲山っ!」
「そんなに慌てなくても無事だって。でも、外から鍵かけてある場所に閉じこめてあるから、このまま見つからなかったら、いつまで無事かは解らないけどね。今ので携帯は通じないことが解ったでしょ」
「お前っ、よくもそんなことを……」
 自分の胸元にかかる天王寺の手を払いのけて、咲山は更に告げる。
「そんなにアイツが心配だったら、今すぐ俺を抱いてよ。抱いてくれるまでは、死んだってアイツの居場所は話さない」
 上目づかいに天王寺を睨みつける、咲山の目はすっかり据わってしまっている。
 この様子だと、自分が抱いてやるまで、決して口を割らないだろうと感じ取った天王寺は、乱暴に咲山をフローリングの床に押し倒した。

☆   ☆   ☆

「んっ…」
 激しい口付けに息継ぎさえもままならず、苦しそうであるのに、それでも中原は喉の奥から甘い声を漏らしている。
 ふたりとも、まるで咲山のことなど目に入っていない様に。
 いつのまにか忍び込んだ天王寺の手が、中原の脇腹の辺りを行ったり来たりしているものの、彼らは夢中でキスをしている。
 互いの存在が愛おしくて堪らないと言わんばかりに、際限なく繰り返される口付け。
 自分が相手をしている時には、1度たりとも見たことのない天王寺の独占欲に満ちた目。
 自分が決して貰えなかった『愛している』という言葉。
 呼ばずにはいられないといった様子で何度も繰り返される『光昭』という呟き。
 咲山が今、目にしている光景は、どんなにしたって自分が中原にはかなわないということを証明するものだった。
 中原の居場所を教える代わりにと、咲山が受け取った天王寺からの報酬は、報酬と呼べるものではなくて。
 床に押し倒されたかと思うと、ろくに慣らされもせずに突っ込まれ、最後には口と手だけでイかされて。
 あげくに天王寺はイかずじまいというていたらく。
 それでも、天王寺が抱いてくれという咲山の希望を叶えたことは事実。
 まだ、ぐったりとしている咲山に詰めより、中山の居場所を吐かせると、身支度もままならぬ状態で、車の中に押し込まれた。
 事故らなかったのが奇蹟といえる、天王寺の強引な運転は、カーブを曲がる度にタイヤがきしんで、咲山の身体を大きく揺さぶった。
 自分が同じ目にあっても、天王寺は絶対に同じようにはしてくれないと解るだけに、それがまた悔しくて、中原が助け出された後にも、彼らに突っかかったらこの有様だ。
 咲山晃──17歳。
 彼は、この夜、どんなにあがいても手に入らないものがあることを知った。
 格技場の畳に身体を投げ出したまま、横目で天王寺と中原が繰り広げる光景を見ていた咲山だったが、ため息と共にゆっくりと目を閉じる。
 そして、再び目を開けたかと思うと、咲山は意を決した様に立ち上がった。
 この場から、立ち去る為に──。

☆   ☆   ☆

 咲山が立ち去ったことを気配で感じた天王寺は、中原との口付けの一時中断を試みた。
 見せつける相手がいなくなった以上、この行為を続けるのは非常にヤバイ。
 今だって、歯止めが利かなくなりそうなのに、このまま続けていたら、自分は中原をこのまま押し倒さずにはいられないだろうから。
 が、離れようとした天王寺の舌を、意外にも中原が追ってきて、彼は予想外の喜ばしい出来事に目を見開いた。
 それに応え、もう一度深く口付けた後、天王寺は中原の目を見つめながら彼に告げる。
「光昭、君が望んでくれなければ、僕はこの先には進めない。それが君との約束だから」
 その言葉に中原は少しだけ目を伏せると、小さいながらもはっきりとした声で言った。
 あなたが欲しい──と。

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