昼下がりの保健室《番外編》(3)
〜in southern island 〜



 和泉澤学園保健室ご一行様が滞在しているのは、はっきり言って外周3キロ程度の小さな島だ。
 天王寺が浪岡にばかりかまっているので、中原だってここに来てから島をトータル3周位はしている。
 そうそうとっておける場所なんかある筈がない──というのが中原の見解だった。
 とっておきの場所=水平線に沈みゆく夕陽に照らされる展望台。
 これが中原が頭の中で抱いているイメージだ。
 当たり前というか、お約束というか──まあ、気持ちは解る。
 そして、天王寺の言うとっておきの場所が、そういったところであるのならば、そんなところはとっておけないという中原の意見も正しいだろう。
 中原というのは、良くよくも悪くもこういう奴だ。
 美しいものは美しいものとして認識できるが、独創性というやつに、ちと欠ける。
 高校の美術教師には、発想が大胆すぎる人間よりもよっぽど向いているといえるだろうが、芸術家に向いているとはお世辞にも言いにくい。
 だが、今現在中原がちょっと考えてしまったことは、ある意味斬新な発想だった。
 ──もしかして、とっておきの場所を見せるっていうのは、俺とふたりきりで逢うための口実ってやつ?
 あまり急いで行くのは、この誘いを待ちかねていたみたいで──たとえ、待ちかまえていたとしても──体裁が悪いと、わざとゆっくり足を進めている割には、頭の上にチューリップでも咲いていそうな思考回路である。
 そんなおめでたいことを思えるのは、今この島にいる人間の中では、もちろん中原しかいない。
 普通に考えて、恋人を呼び出すのに口実なんか必要な理由がどこにある。
 たとえ、相手がちょっとばかり普通ではない、天王寺だとしても同じことだ。
 いや、天王寺だからこそ、より必要ないと言ってもいい。
 口実なんてものが必要な人間というのは、たいていの場合意地っ張りな奴で、天王寺は意地を張るとか照れ隠しをするとか、そういう行動を、少なくても学園の中では一番しない人物だ。
 そう、天王寺が中原を誘った場所は、彼にとって言葉通りとっておきの場所だった。
 少なくとも、子供の頃の天王寺にとっては──

☆   ☆   ☆

「中原って、解りやす〜」
 いそいそと出かける中原の様子を、コテージ2階の寝室からこっそりと見ていた冬野は呟いた。
 今までだって、小脇にスケッチブックを抱えたりして、散歩に出かけることがあった中原ではあるが、今回の彼の様子はあからさまにそれと違っていた。
 変にそわそわしたかと思うと、食べ過ぎたから散歩に行ってくるだなんて、わざわざ言い訳をしてコテージを後にしたのだ。
 ──余計なこと言わなきゃ、誰も気にしないのに。
と、冬野は思った。
 まったくもってその通りである。
 そして、冬野の感じたことをそのまま実践したのが天王寺。
 中原がコテージをでる5分程まえに、さりげなく姿を消していたのだ。
 ──さてさて。
 そう、冬野だって、いつまでも中原の背中を見送っている場合ではない。
 だって、今現在、ここには自分と浪岡のふたりきりしかいないのだから。
 かと言って、自分がなにをすればいいのか冬野にはまだ解ってはいなかったけれど、これは──多分──天王寺がわざわざ作ってくれたチャンスなのだ、無駄にする訳にはいかない。
 それに、きっと。
 浪岡と真正面から向き合わないことには、何も始まりはしないから。
 たとえ、どういう結果が出るとしても──
 もしかすると、浪岡との友情さえも失うことになるとしても──

☆   ☆   ☆

「天王寺先生……」
 これのどこがとっておきの場所なんでしょう?
 消えた中原の言葉の続きは多分こうだ。
 多分中原とは逆回りのコースをたどったのだろう。
 中原が天王寺を見つけた時、彼はコテージが建っている場所から見て、丁度真裏あたりに位置する浜辺で波打ち際を見つめていた。
 そして、近づいてきた中原の姿を見つけると、珍しく素直な笑顔を見せたのだ。
 何も企んでいなさそうな笑顔なんて見るのは初めてだと、中原が恋人に抱くにしてはいかがなものかと思えるが、その恋人が保健医ならばいたしかたない感想を抱いていると、天王寺は彼を背後の林の中へと誘った。
 いくら、密林とはほど遠い状態とはいえ、島の反対側が見通せる程には視界は開けていない。
 昼間ならまだしも、既に太陽がその姿を半分ほど水辺線に沈めてしまっているこの時間から、その中に入ることは、中原に多少の不安を抱かせた。
 しかし、先頭に立って進む天王寺の足取りは迷いが無く、彼がその林の中を熟知していることを示していた。
 ものの3分程歩いただけで目的地に達したらしく、天王寺は歩みを止めた。
 見てごらんと言われ、中原が天王寺の背後から顔を出すと、そこには2m四方程の草地が広がっており、その正面には元々は別々のものだったらしい数本の樹木が、長い時を経て融合したらしい、複雑な形の木が存在していた。
 確かに、一旦左右に分かれた幹が上部で再び交差しており、その中央部分にレモンを縦に置いたような穴が開いていたりして、変わった形の木ではあるが、わざわざ他人に見せるようなものだとは思えない。
 自分がどう感じようと、天王寺にとってはとっておきの場所なのだろうから、感動するふりの一つもしてあげなくては、とは思うものの、残念ながら中原は自分に嘘がつけない至って素直な性格だった。
 その期待はずれな表情は、中原が気を取り直す暇もなく、天王寺に目撃されてしまった。
「がっかりって顔してるね」
「そんなっ……」
 天王寺の問いかけに、中原は慌ててそれを取り繕うとするが、うまく言葉が出てこない。
 すると、天王寺は、先ほどとはうって変わった、いつもの怪しげな笑みを浮かべた。
「でもね、ここってある意味奇跡の場所なんだよ。その1、足下に生えてる下草を触ってごらん」
 その言葉の目的は解らなかったものの、中原は天王寺に言われた通り、しゃがみ込んで下草に手を伸ばした。
 下草に触った瞬間、中原はその手触りに驚愕した。
 それはコーデュロイを思わせる滑らかな感触で、草特有のチクチクした感じがみじんもない。
 よく見ると、こういうところの下草なんてありとあらゆる雑草が混じってしかるべきなのに、その2m四方全面にその草だけが密集しているのだ。
 まるで絨毯でも敷いているように。
「これ、なんて草なんですか?」
 思わず訪ねた中原に、天王寺は笑って言った。
「知らない。別に名前なんてどうでもいいでしょ。大切なのはこの場所にこの草があって、それがびっくりするほど手触りがいいって知ってること。違う?」
 天王寺の言葉に中原は確かにそうだと納得する。
 それは美術についても同じこと。
 いくらその作品についての知識があったところで、実際目にして見ないことにはその感動は味わえない。
 そして、たとえ未だ世間に名が知れていないとしても、良いものは良い。
 すごく単純で簡単なことだ。
 大切なのは、その存在を知っていること。
 保健医自身がこだわっていない彼に対する評価に、中原がが憤ったところでどうなるものではない。
 他の誰が知らなくても、自分が知っていればいい。 それに、考え方を変えたならば、自分だけが知っている何かというのは、何よりも価値のあるものではないのだろうか。
 いつの頃からか、いろいろなものに振り回されるようになってしまっていたんだなと、中原は自嘲の笑みを浮かべた。
 天王寺にそんなつもりは微塵もなかったのだろうが、それを気付かせてくれた彼に感謝しなくては。
 と、中原が立ち上がり、天王寺の顔を振り返ろうとした時、彼の身体は暖かいものに包まれた。
 本当のとっておきの場所はここさ、と言わんばかりに。
 そこは──
 天王寺の腕の中。

☆   ☆   ☆

 家中の出入り口の施錠を念入りに確認した後、冬野は、浪岡の部屋のドアをノックし、返事を待たずに中にすべりこんだ。
 鍵をかけた意味は、浪岡を逃がさないようにする為ではない。
 まあ、天王寺と中原が示し合わせて出かけたのならば、少なくとも後1時間程度は戻らないだろうが、アクシデントというのはどこに転がっているか解らない。
 肝心なところで、中原ならともなく、天王寺なんぞに乱入されてしまっては、冬野はきっと、本気で保健医を殺したくなる。
 浪岡のためにも、自分の為にも、冬野が殺人犯になるのはよろしくないのだ。
 この空間を外部から閉ざしたのは、そういう理由だから、この部屋の鍵はあえて掛けない。
 そんなことをしたならば、浪岡にいらぬ不安を抱かせると思ったからだ。
「冬野っ。なっ、何?」
 窓辺にもたれ、ぼんやりとオレンジ色に染まった海を見ていた浪岡は、自分の姿を認め、あからさまに身を固くした様子に、冬野は眉を寄せた。
 ここ半年ばかり、浪岡はずっとそうだ。
 ごく普通の対応ってやつを、普通にするのではなくて、考えてしている。そんな感じ。
 まあ、自分も同様なのだから、人のことは言えやしないけれど。
 ── この勝負は勝てる勝負だ。
 冬野は自分に言い聞かせ、ぐっとこぶしを握り締めた。
 いや、これが仮に負けると解っていても、降りることなど、もう出来ない。
 ならば、少なくとも50/50の確率で勝負できる自分は幸運だ。
 大きく息を吸い、それをゆっくり吐ききった後、冬野は告げた。
 お前が好きだ──と。

  僕も好きだけど。
  そうじゃなくて。
  なら、何?
  俺と付き合って欲しいってことだよ!
  どこに?
  そうじゃなくって!!
  えっ、まさか剣道の突きなの? それは勘弁して欲しいな。
  んな訳ねーだろっ。そーじゃなくって!!!

 会話が流れるごとに、冬野の台詞にエクスクラメーションマークが増えてゆく。
 それが3つまで増えたところで、冬野は自分がはぐらかされていることに気付き、声のトーンを落とした。
「浪岡、はぐらかさないでくれ。俺はお前が好きだ。お前の傍に俺以外の奴がいるなんて耐えられない。お前が悩みを抱えているなら、俺がなんとかしてやりたい。お前が笑っている時も泣いている時も、傍にいるのは常に俺でありたい。今すぐお前を抱きしめてキスしたい。そういうことだよ。なんなら、もっと先まで言おうか?」
 自分の目をじっと見つめて語る冬野の台詞に、浪岡は大きくため息をついた。
 もう、これ以上ははぐらかせない。
 気付かない振りをすれば、冬野が引き下がるかと思ったが、それは叶わなかった。
 そりゃあ、冬野からの告白は嬉しくて、一瞬舞い上がりそうになったけれど、きっとそれは違うから。
 浪岡と冬野は伊達に長いつき合いではない。
 中1の頃からずっと同室でいるのだ。
 高2における4年半というのは結構長い。人生の1/4を共に過ごしていることになる。
 そんな人間を相手に、いくら取り繕ったところで、自分の態度がおかしいのは隠しきれなかったのだろう。
 単なる心配が愛情めいたものにスライドした、それだけだ。
 だから、自分の為にも冬野の為にも事実を告げなくてはならない。
「冬野、それは気のせいだよ」
「なっ…」
 反論しかけた冬野を、浪岡は右手を挙げることで制した。
「いいから聞いて。確かにここ半年くらい、僕は悩みを抱えていたよ。それを、冬野に話さなかったのは悪かったよ。でも、それって冬野に限らず、誰かにどうこう出来ることじゃない訳。そんな、悩んだってしょうがないことをぐずぐず悩んでたのは僕だし、それを冬野に隠しきれなかったのも僕。心配かけて悪いことしたね」
「論点が違うだろ。確かに心配はしたけど、それは俺の勝手だ。なんで浪岡が謝んだよ。俺が聞きたいのはそんな話じゃなくて、お前の返事だ」
「最後まで聞けって。冬野、君、心配だから、ここずっと僕のことばかり見てたんだろう。それを、忘れちゃだめだよ。確かに今の君にとって僕は気になる存在なんだろうけど、『気になる』の意味が違うよ。意識しなくても自然と目がいってしまう相手じゃなくて、意識して見張ってないと不安な相手ってだけだよ。まあ、環境が環境だからね、それを恋心だと勘違いしても仕方ないとは思うけど、やっぱり茶番だよ。それに、僕はもう大丈夫だよ。もう、悩まない。全ての事実を受け止めるから」
 浪岡の言葉に冬野は唇をかんだ。
 確かに、きっかけは浪岡の言うとおりかもしれない。
 しかし、この気持ちが勘違いなどではないことは、自分が一番良く知っている。
 それに、浪岡が全ての事実を受け止めるというならば──
 その中には、冬野の気持ちを受け止めることも入っていなくてはならない筈だ。
 付き合う付き合わないは別問題として、冬野が浪岡を好きだという事実を。
 その上で、浪岡が冬野を振るというならば、彼はそれこそ、全ての事実を受け止めよう。
 嫌いなら嫌いとはっきり言えばいい。
 嫌いではないけれど、そういう感情は持てないと断ってくれてもいい。
 なんなら、男が好きだなんて気持ち悪いでもいい。
 でも、きっと、浪岡の答えはそうじゃない。
 冬野は確信した。
 自分を振ることができないからこそ、勘違いなんていう言葉で冬野をなしくずしに納得させようとしているのだ。
 ならば、そんなごまかしは許さない。
 長い沈黙の後、冬野は口を開いた。
「大丈夫なら尚更いい。いつ、どんな時でも、俺は浪岡の全てが好きだ」

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