「お前らっ、そんな恰好で廊下をウロウロすんなっ。何回言わせりゃ解るんだ。警察呼ぶぞ警察。醜悪物公然陳列罪で逮捕されたいかっ!」 「直海ちゃんひで〜。大体そんな罪状ねぇだろうよ」 「そーだよ。こんなに可愛い子捕まえて、醜悪物だなんて」 和泉澤の寮に出戻って既に半年余り。 バイブルからの地獄の引継を無事終え、ようやく寮監という立場に慣れつつある俺、大友直海は、蛍光灯片手に本気で嫌な顔をしていた。 晩飯の最中に、2階廊下の蛍光灯が切れてるとの報告を生徒から受け、それを取り替えにいく途中、寮内で知らぬ者はいない変人コンビに出くわしたからだ。 「直海ちゃんじゃない、大友先生と呼べ。お前らがどう思っていようと、醜悪物は醜悪物だ。ああ、俺は心が広いからお前らの趣味がどんなにおかしかろうと差別なんてしないさ。た・だ・な、その恰好で洗濯に来る必要はなかろうが。似合う似合わないはともかく、どこの世界にドレスアップして洗濯する人間がいる〜っ」 「「ここに♪」」 「ここにじゃねーよ……」 ユニゾンで答えた上に、首を傾げる仕草まで息がぴったり合っている、目の前の生徒の出で立ちを上から下まで眺め、俺は冗談抜きで吐き気をもよおした。 奴ら、鬼頭(きとう)と権田(ごんだ)は、和泉澤学園高等部の2年生で、その名字にばっちり見合った外見の持ち主だ。 うちの学校にそんな部はありゃしないが、空手部とレスリング部の主将コンビですと紹介したならば、誰もが疑うことなく信じてしまうだろう体格と面構えを持ち合わせている。 全体的に筋力不足な俺としては、少々羨ましく思える程の育ちっぷりだ。 事実、俺の視線はゆうに頭一つ分上向きである。 もちろん俺だって、人様の体格に文句をつける気はない。 文句をつけたいのはその恰好だ。 はっきりいって、トランクス一丁でふらふらされる方が、よっぽど俺の目と心臓に親切だろうと思われる奴らの恰好は、不思議で不自然で不気味な、深紅のチャイナドレスとシュガーピンクのヒラヒラドレスなのである。 例え、前者が寮則で禁止されていて、後者を禁ずる寮則がないとしても。 ありえないから。 百歩譲って、貴様らのその趣味は許してやろう。 だから、部屋の外には出るな。 千歩譲ったならば、廊下に出るのも許してやろう。 だが、1階の共有スペースまで足をのばすな。 万歩譲ってみたとして、共有スペースでチョロチョロしたいならば、せめてその剛毛なすね毛を何とかしろ。 言いたいことは山ほどあるが、言ったら最後、奴らはそれを実行し、堂々と寮内を歩き廻るだろう。 確かに俺のいた頃から一風変わった奴は多数いたが、ここまで徹底的に変わった奴はいなかったぞ。 「直海ちゃんもしかして、俺達の可愛さにやられちゃって、照れ隠しに怒ってるとか?」 鬼頭、お前の神経は超合金製だろう。 「マジ〜。でも、俺達男に興味ないからごめんね〜」 権田、なぜそんな厚かましいことが思える。 謎だ、謎過ぎる。 付き合ってくれる男がいるかどうかは、この際耐火金庫の中にでも厳重にしまっておくとして、こいつらはこんな恰好をしていながらストレートで、制服さえ着ていてくれれば隣の女子高生の素足に瞳を輝かせる、極々普通のもてない男子高校生なのだ。 「大友先生と呼べ。俺にはお前らより1億倍はキュートでナイスな彼女がいる。まあ、限りなく0に近いもの数字を掛けてるんだから、これでも大した誉め言葉じゃないけどな。冗談抜きで聞くぞ。お前ら、ほんっとーに自分たちが可愛いと思ってるのか?」 俺の質問に、奴らは心外この上ないといった表情を添えて応えた。 「だって、可愛いでしょ。真っ赤なチャイナドレスだよ」 「ああ、チャイナドレスは可愛いな。ただし、頭におだんご結った普通の女の子が着ていればな。もしくは妖艶な美女が着ていれば色っぽくなる。鬼頭、お前が着てるとギャグだ。しかも寒いやつな」 「直海ちゃん、それ言い過ぎだよ」 友人に対する俺の発言を権田が非難するが、お前だって他人に同情できる立場じゃねぇんだ。とくと思い知れ。 「言い過ぎなもんか。これでも充分遠慮してる。何ならお前には遠慮しないで言ってやろうか。はっきり言ってお前の恰好は鬼頭よりも始末が悪い。鬼頭はギリギリギャグの範疇に収まるが、お前の姿は既に凶器だよ。子供は確実に泣き出すし、心臓の弱い人間は絶対に発作を起こす。二人とも今すぐその服を脱げ、ここでだっ!」 「いや〜ん、ここでぇ」 「直海ちゃんのエッチ〜」 俺が血管が切れそうな思いまでして絶叫したというのに、目の前の二人はなんとも不気味な仕草で身体をくねらせながら、気持ちの悪い声を上げた。 ああ、俺、絶対に早死にする──。 そもそも俺って奴は、全体的に運が悪いんだ。 どん底まで落ちることは決してないが、全てに置いて低空飛行。 火事で焼け出され、ここに出戻っている事実が、その全てを物語っているし、目の前のこいつらだって去年までは、こんなことをしてはいなかったというのだから、自分の不運ぶりに涙がにじむ。 中等部入学時に出席番号順で同じ部屋になり、以後ずっと同じ部屋で過ごしている奴らは、互いに同じ嗜好を持ち合わせていることを知らずに無事4年間を過ごして来たというのに、丁度俺の就職が決まった頃、ひょんなことからお互いが同士であることが発覚したのだそうだ。 『赤信号、みんなで渡れば怖くない』同様、『変な趣味、仲間が見つかりゃ怖くない』といった心理なのだろうか。 どこから仕入れてくるのか皆目見当も付かないし、別に知りたくもないが、奴らは週に2〜3度ドレスアップして寮内をウロつくのを最大の娯楽としている。 その度に、生徒から通報を受けて怪獣退治に向かう俺だが、その怪獣を巣に追い返すことはできても、未だ退治も封印もできていない。 しかも、ここ数ヶ月のやりとりで、奴らが本気で自分たちのことを可愛いと思っていることにも気付かされてしまった。 それは、彼らの部屋の鏡が歪んでいる訳ではなく、目に映った現実を脳が歪めて受け取っているのだろうと教えてくれたのは、俺の唯一の同僚、中原先生と怪しいともっぱらの噂である、我が校の保健医だ。 だが、そんな脳みそのメカニズムを教えてもらったところで、問題解決にはちっとも役には立たたない。 俺はどうしての○太くんじゃなくて、俺の机の引き出しにはタイムマシンが入ってないのだろう。 現実逃避だとは知っていても、しみじみそんなことを思ってしまう。 ああ、助けてド○えもん。 「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ン」 ハッ、ハ○ション大魔王? 俺が呼んだのはドラ○もんであって、変なツボからくしゃみと共に飛び出てくる大魔王ではない。 とはいえ、微妙に自分の心理状態を見透かされているような気がして、俺は声のする方を振り返った。 こいつかよ── 振り返った俺の視界に飛び込んで来たのは、鬼頭&権田とは別の意味で有名な生徒だった。 19XX年7月16日生、蟹座、身長176センチ、体重63キロ、B型、好きな物は世界の不思議と何故かもずく酢。 新聞部の発行する学校新聞に、そのプロフィールの一切が掲載されているこいつは、『三角定規』と書いて『さんかくじょうぎ』ではなく『みすみ・さだのり』と読ませる、和泉澤の今期生徒会長だ。 和泉澤学園高等部の歴史の中で、唯一第2寮から選出された生徒会長でもある。 更に、そんな会長は彼が最初で最後であろうと噂される三角は、成績は上位30番程度に留まっているものの、学園生からの熱い支持と、優れた才能とを持ち合わせる。 若干18歳の少年でありながら、彼が開発し商品化された製品は既に2桁に登り、その内2つばかりの製品が和泉澤学園の特許として申請され、三角率いる今期生徒会の収入源になっているのだ。 ひらめきと実行力を生徒会のスローガンに掲げる、この生徒会長は、本当に思いついたままに行動する。 それでいて生徒に人望があり、万事が万事結果オーライになる三角は、俺と違って神に祝福されているのだろう。 もっとも、俺は神なんて信じてはいないが。 それはともかく、俺でさえ懐かしのアニメ特集でしか見たことのない番組を、何故お前が知っている。 「三角、お前いくつだよ。いったい寮内の何人がそれの元ネタ解ると思うんだ?」 「先生が解ったんだからいいじゃん。俺は正真正銘ピチピチの18歳ってやつですよ。それより、先生。俺にいいアイディアがあるんですけど、聞きたくありません?」 質問には答えず、三角は爽やかな笑顔と共に俺に告げた。 この、いかにも屈託のない笑顔に騙されてはいけない。こんな状況で三角がする提案は、大抵の場合自分が楽しみたいだけの、ろくでもないことなことが多い。 「いくら取る気だ?」 「先生相手に商売はしませんよ」 こそこそと耳元で囁かれる言葉の内容に、やっぱりろくでもなかったと、俺は大きくため息を付いた。 それは、内容もさることながら、ちょっとやってみる価値はあるかもと思ってしまった自分に対するものだ。 「解った許可する。段取りは全部そっちで付けろよ。商品は俺が出してやる。学食のプリペイドカード5千円分。文句ないな」 「そうこなくっちゃ!」 言うやいなや走り去る三角の背中を見送って、俺は問題の二人組の方に向き直った。 「さて、お前らに朗報だ」 ☆ ☆ ☆ 「レディース&ジェントルメェ〜ンッ!」寮内の食堂にて。 ご機嫌にマイク代わりの割り箸を握り締め、司会進行をしている三角の台詞に、食堂内は爆笑の渦に湧いた。 男子高の寮内にレディースがどこにいるってな感じだが、実はいたりするのだ。但し、偽物だが。 第1回、和泉澤女装王選手権。 字面からして訳の解らないこの選手権を、準備期間僅か3日で企画実行したのは、もちろん壇上──壇なんてないけど──に立つ男だ。 日本人は多数決に弱い。 今回の選手権のテーマはこれだ。 俺ひとりがいくらギャアギャア言ったところで、所詮2対1。味方がいる分向こうが有利なのである。 三角に囁かれるまでもなく、薄々気付いていたことだ。鬼頭と権田の二人組は、おかしいのは自分たちの恰好ではなく、俺の目の方だと思っている。 みんな俺達のこと可愛いと思っているから、直海ちゃん以外は誰も何も言わないんでしょ、という非常に前向きな発言がそれを証明している。 しかし、それは誤解だ。俺だって仕事でなければ、こんな奴らに関わりたくない。 お前らが怖いから誰も近寄らないんだっつーの。 この事実を、俺の口からだけではなく、きっちり数値で表せば、さしもの奴らもおかしいのは自分の方だと認めなくてはならなくなるだろう。 ってな訳で、金欠にあえぐ生徒を、文字通りエサでつっての出場者募集は思ったより簡単に目標人数に達した。達したどころか、応募者多数で抽選までした有様で、学園生のノリの良さにあきれ果てる。 まあ、それだけ娯楽が少ないということなのだろうが。 ともかく、人気の高い生徒の秘蔵写真を横流しするという条件で──飲むなよ、そんな条件──隣の女子高の生徒の全面協力を得られた結果、本日の選手権開催と相成った。 さ〜て、どんな結果がでることやら。 ☆ ☆ ☆ 「納得いかねぇ〜。どうして俺らに1票も入らない訳っ!」普段に増して気合いの入った服装に、メイクまでした顔で鬼頭と権田に詰め寄られ、俺は寄られた分だけ後ろに退いた。 「納得いかなくてもそれが現実だ。言っておくが、そもそも塚原がエントリーしていない状態での優勝なんてなんの価値もないんだぞ。その中でお前らは最下位なんだ。いい加減自覚しろよ」 我ながら優勝者に失礼な発言だとは思うが、目の前のふたり程見苦しくはないものの、まんまと商品を手にした生徒でさえ、ギャグの域を出てはいない。 そもそも、女装して本当に可愛くなったり、綺麗だったりする人間は、こんな大会に自らエントリーしたりは決してしないのだ。 何故って、危険が増えるからに決まっている。 「直海ちゃん、裏でなにか画策しただろっ」 「してねーよっ。つーか、する必要なかったしな」 「嘘だっ。だったらどうして権田はともかく俺が最下位なんだよっ」 「そーだよっ。確かに鬼頭は化け物だけど、俺は本当に可愛いのにっ」 「だから……んっ? ちょっと待て、お前ら今、なんて言った」 「「えっ?」」 興奮のあまり、自分たちが口を滑らせたことに気付いていなかったのだろう。 暫し固まったまま、お互いの台詞を反芻していたらしい二人組は、その言葉の意味を噛みしめて、お互いの肩をトントンと叩きあっさりとその場を去った。 結局、これは── 俺が散々した説教も、学園生の投票でさえも納得させることが出来なかった奴らの醜悪ぶりを、互いのたった一言で自覚したってことなのか? 確かに、仲間だと思っていた人間に、そんな風に思われているのはショックで目も覚めるのかもしれないが、それってあんまりじゃなかろうか。 そんなに単純な問題なら、さっさと二人だけで解決してくれれば良かったじゃないかっ。 自腹切って、こんな色物イベントに商品まで出した俺って一体…… と、落ち込みかけた俺の目の前に、いきなり缶コーヒーが出現する。 気付けば、いつのまにか三角が近寄って来ていて、俺にそれを差し出してくれていた。 「先生、元気出せって。先は長いぜ」 「元気出せって言われてもなぁ〜」 俺はコーヒーを受け取り、プルトップを引き、その甘さを味わう。 甘い液体が身体に浸み込んでいく内に、そんなことはどうでも良くなってきた。 取りあえず、今は問題が解決したことを素直に喜んでおくことにしよう。 だって、三角の言う通り、先はまだまだ長いのだから── |