「直海ちゃんコレおまけね」 仮にも食べ物に関わっているというにのに、仕上げたのは左官屋さんですか? ってな厚化粧の食堂のおばちゃんに、にっこりと微笑まれ、俺は一気に食欲を無くしてしまった。 「生徒に示しがつかないんで、直海ちゃんって呼ぶのは勘弁して下さい。あと、おまけも結構ですから」 「いいからいいから。若いのに遠慮なんでしないの。たくさん食べなきゃ大きくなれないよ」 食ったって育てねーよ。 俺の心の突っ込みを知る由もなく、この年代特有のオシの強さで、配膳係のおばちゃんは俺の小鉢に里芋の煮っ転がしを生徒の二割増で盛ったあげくに、みそ汁変わりについている、煮麺(にゅうめん)の椀に薬味のネギをたっぷりとサービスしてくれた。 これ以上抵抗しても無駄だということを、この半年で嫌になる程学習させられた俺は、曖昧な笑みと共にトレイを持って、空いているテーブルへと向かった。 朝食時とは違い、ある程度食事の時間がバラける夕食時は、テーブルごとあいている席というのが存在する。 壁際の4人がけのテーブルにトレイを置いて、番茶を一口飲んだ後、俺は大きくため息をついた。 以前から薄々気付いていたことではあるが、俺は、なんというか、おばさんウケがいい。 病院の待合室で、車の教習所で、友人宅で、やたらとおばちゃんになつかれる(?)のだ。 その度にあめ玉やら、とろろこんぶの巻かれたおにぎりやら、手作りのたくわんなんかを頂いてしまう。 にこにこした笑顔と共に、あくまでも善意でくれようとしている品物を、迷惑だと感じていてもむげに断ることができないというのが、今ではもう諦めてしまっている俺の性格だ。 しかし、食堂のおばちゃんの中ですっかりアイドルとして定着している現状は、さすがに困りものだ。 どうやら、あの年代に絶大な人気を誇る若手演歌歌手に、微妙に──あくまでも、微妙にだ──似ているところが原因らしいが、おばちゃんたちよ、俺にコブシは回せないって。 それに、あなたたちがよってたかってしてくれるサービスも、俺にとっては拷問に近いです。 ……と言えたならばどんなにいいか。 生徒の手前、教師が好き嫌いを言う訳にはいかないから、解りやすい残し方はしないが、俺には好き嫌いが結構ある。 子供みたいな好みだと、自分でも情けないとは思いつつ、まず緑黄色野菜が苦手だ。 匂いの強いものも苦手。 加えていうなら、辛いものと苦いものも勘弁して欲しかったりする。 つまり、おばちゃんたちがはりきってサービスしてくれる、きざみネギや紅ショウガやブロッコリーやおでんのカラシは俺にとって嫌がらせ以外のなにものでもない。 さしものおばちゃんたちだって、ハンバーグやエビフライだとかいったきっちり数の決まっているメインディッシュをおまけする訳にはいかないらしく、斯くして迷惑なものばかりが俺の更に大量に盛られてしまう。 おかげさんで、すっかり食の細くなってしまった俺は、この半年で体重を5キロも落としてしまった。 これ以上細くなったら、彼女に殺されてしまう。 それでなくとも、夏休みに行った旅行先で、冗談で彼女が俺にはかせたスカートのホックがあっさり留まってファスナーまですんなり上がったことに、えらくご立腹だったというのに。 あげくに彼女より体重が軽くなったら、別れるだなんてものすごい条件までつけられた。 そんなどーでもいいこと──女性にとってはそうでもないらしいが──で拗ねられたところで、俺にはどうしようもないし、そこまでいうならお前もせめてあと3キロ痩せてくれって感じだ。 だいたい、こんなことがなくたって学生が社会に出たら体重が落ちるだなんてことは、自分も身をもって実感したことだろうに。 畜生、のど元過ぎれば熱さ忘れるという諺を、謹んでお前に贈ってやる。 「ほら、お前ら空いてるテーブルあんだろ。あっち行けよ。こっちは、頼りにならない寮監の先生と頭の痛い相談があるんだよ。散れっ」 台詞と共にガタンと目の前の椅子が引かれ、三角がドカッと腰をかけた。 「お前、物の言い方もうちょっと考えろって。散れはないだろ散れは。それに、頼りにならない寮監ってのも余計だ。自分で認めてても他人に言われると腹立つぞやっぱり」 「言われるのが嫌だってんなら、2年の長瀬と根本の部屋の電気使用量ぐらいチェックしとけよ。他の部屋の3倍だぜ3倍。絶対携帯以外の電化製品持ち込んでるって」 「マジ? 先月までは別段異常なかったのにな」 「先生のチェックは甘いって見くびられたんじゃないの。まあ、この件は俺がなんとかするから別にいいんだけどね──」 俺と三角の会話が寮の管理に関することだと判断した三角取り巻き達が、安心──何を?──して空いたテーブルに収まる様子を横目で確認しつつ、三角は自分のトレイと俺のトレイを素早く交換した。 生徒会が絶大な権力を持ち合わせる和泉澤において、当の本人がいくら嫌がったところで、生徒会長には自然に取り巻きがくっついて歩くのが常になっている。 まあ、その取り巻き達をいかにうまく操縦するかも、生徒会長の力量の内なのだが、三角の場合は少々状況が違う。 第1寮とは違い、基本的に共同生活の場である第2寮ではプライベートにおいても、その取り巻き達が三角の周りをチョロチョロできるのだ。 生徒会長に取り入ったところで、別に進学も就職も有利にはなりはしないのだが、和泉澤のように生徒会が絶大な権力を持ち合わせていると、勘違いをするものが少なくはない。 えこひいきは生徒会を潤滑に動かす為にも厳禁だ。 よって、三角は中等部からの親しい友人とも──その友人の為にも──ある程度の距離を置かざるを得ない。 うざってーだろうなぁ〜と、人ごとながら気の毒になってしまう。いや、人ごとじゃないから思うのか。 お互いに生徒をまとめるのが仕事であるだけに、俺と三角の接触は多い。 一挙手一投足を見張られちゃってる三角と一緒にいると、結局は俺も見張られてるということで……。 ああ、不慮の災害もおばちゃんも生徒達も、どうして俺をそっとしておいてはくれないんだろう。 俺、前世でそんなに悪いことした? ってな具合に、夜空のお星様を見上げて問いたい疑問は山ほどあるが、まあ、程々にしておこう。 だって、俺よりも問いたいであろう人間が目の前にいるんだからさ。 だからして、利害が一致しているとはいえ、そんな状況で俺をネギや紅ショウガだらけの食事から救ってくれる三角には感謝している。 奴は今年の春に寮の経費削減策を提案し、誰にも反論仕様のない完璧な資料と見事な弁舌をもって、人件費を含む食堂がらみの予算を削った為に、俺とは対照的に食堂のおばちゃんたちにあまり良くは思われていないのだ。 おかずの残りかすや焦げた魚を盛られるような、あからさまな嫌がらせをされることは無いにしても、彼のトレイは全ての物の盛りが少な目だ。俺と違って本当の育ち盛りだというのに。 面と向かって注意したところでどうなるものでもないのは、例によって知りたくもないのに学んでしまったおばちゃんという生き物の生態のひとつ。 そんな無駄な労力を使うくらいならば、三角とこっそり裏取引──って程のもんじゃないけどね──をした方があらゆる意味で省エネになる。 お互い頑張って生きて行こうな、なあ、三角。 ☆ ☆ ☆ 「三角さんに気に入られてるからって、いい気になんなよ先生。お前なんて何かと都合がいいから彼に利用されてるだけなんだから。穏和な俺達がおとなしくしてる内にさっさと身ぃ退きな」自動販売機の飲み物表示に『あたたか〜い』が出始めたとある日の昼休み。 俺は三角の取り巻きの中で、最も頭が悪いと思われる──成績の上位下位といった意味ではなくて──3人組に裏庭で絡まれていた。 多分、こいつらは卒業するまで確実に教えてもらえないことであろうが、和泉澤には校内にある普通の学食の他に、秘密の食堂がある。 第1寮の1階にあるその食堂を利用できるのは、その存在を知ることが出来た者のみの特権。 かく言う俺も、同僚の中原先生にこっそり教えて貰うまではその存在を知らなかった。 中原先生は和泉澤とは全く関係のない美大を出ていて、俺は通算10年も和泉澤に通っていたにも関わらずだ。 つまり、和泉澤の高等部には校内の学食、第1寮の食堂、第2寮の食堂と3つも調理設備と食事の為のフロアがあることになる。 第1寮に関しては、ある意味治外法権で守られている外国大使館の敷地みたいなもんだから、深く考えないにするとしても、第2寮内と校内に食堂が2つある理由が不思議だ。 もちろん、その方があらゆる意味で便利だから、学生時代は考えたことが全くなかったんだが、これって、ものすご〜く経費の無駄だよな。 まあ、経費削減に関しては、ものすごくうるさい今期の三角生徒会長様が黙認しているのだから、それなりに事情というのがあるのだろう。 「ボケッとしてないで、解ったなら解ったって返事しろよ」 その秘密食堂に行った帰りに捕まってしまった為に、つらつらと食堂事情なんかを考えていた俺の胸元を掴んだのは、生徒会下っ端役員の樺山(かばやま)だ。 未だに学園の生徒全てを覚え切れてはいない俺だが、こいつらはいつも三角の周りをチョロチョロしては俺を睨みつけてくるので、きちんと認識できている。 認識できている上に、秘かに可哀想だと同情していたくらいだ。 いくら、三角に張り付いてみたところで、会計補佐だなんて役職で、生徒会のみの予算にしか関わっていないこいつに明るい明日は待っていない。 大学卒業時に、多少就職に有利になればもうけもんってな位の、限りなく一般生徒に近い生徒会役員。そして、そんなもうけ話はそんじょそこらに転がっていないというのが、奴と同じ役職を勤めたことのある人生の先輩──つまり俺──の実感である。 これも出戻って来てから、三角の話で知ったことなのだが、普通の学校の普通の生徒会が普通にやるような仕事をしているのが、○○補佐と補佐のくっついた役職で、補佐なしの役職がいわゆる経営に関わっている和泉澤生徒会の中枢なのだそうだ。 それを聞いたとき、俺はしみじみ成る程なぁと、納得してしまった。 当たり前のように存在していたから、気付かなかったんだけど、生徒会長補佐って役職はあからさまに変だもの。これで副会長が居ないってんなら、まだ話は解るけど、副会長はもちろん居る上に、副会長補佐までいるときたもんだ。 端からみたら、何故気付かないと大いに突っ込まれるだろうが、閉鎖された空間というのはこういうもんだ。 「おいっ、何とか言えよ」 黙ったままの俺に、しつこく詰め寄る樺山に俺はやれやれとため息をついた。 おばちゃんに好かれやすい上に、俺はどうやら絡みやすい顔もしているらしく、噴水の脇に座ってボーッとしてると、そこ可愛い顔が気にくわないとかいう無茶苦茶な理由でその辺のにーちゃんに絡まれることがある。 が、彼らいわく可愛い顔の外見と違って、俺の性格はちっとも可愛くないのだ。 俺は無言で樺山の手を振り払う。 だいたい、俺が三角を気に入ってるっていうならともかく、俺が三角に気に入られているというその表現が気にいらねぇ。 「なら、言ってやるさ。お前ら、自分が三角にかまわれないからって俺に絡むのは筋違いだよ。こっちは仕事で三角と話してるんだ、それを愛人かなんかみたいに身を退けだとかなんだとか言われる筋合いねぇんだよ。三角に認められたいなら、奴の周りをチョロチョするんじゃなくて、奴がお前らを見直すような仕事ぶりしてみせろよ。その分じゃ、てめえの仕事もさばき切れてねぇんだろ」 「な…なんだとっ」 俺の思わぬ反抗にあって驚いたのだろう、一瞬ひるんだ樺山だが、直後に気を取り直して、痛いところを切り込んできやがった。 「そういうそっちだって、三角さんに面倒かけてるんじゃねーかよ。毎日、あんたが三角さんに自分の嫌いな物食ってもらってんの、俺らが知らないとでも思ってんのかよ」 「別に三角の好きな物かすめとってる訳じゃねぇし、奴が嫌いな物無理矢理食わしてる訳でもねぇんだから問題ないだろ。お前らがイチイチそんなことで人に絡むから、三角は俺としかそーゆーことが出来ないんだよ」 「なにそれ。自分は特別だって自慢かよ」 「そんな発想だから、お前は三角に邪魔くさがられんだよ。ああ、確かにある意味俺は特別だよ。第1に俺は生徒じゃない。第2に三角は俺ならお前らみたいな奴に絡まれてもいいと思っている。この意味解るか?」 俺の問いかけに樺山は眉を寄せた。 言うまでもなく意味が解らなかったからだろう。 この意味をすぐに理解できる様な奴ならば、最初からこんな行動には出たりはしない。 俺は、樺山の返事を待たずに言葉を続けた。 「解らないようだから説明してやる。三角が一番大切に思っているのは、一般生徒であって俺じゃない。生徒会長ってのはお前らが思っている100倍ぐらい大変なお仕事なんだよ。どうしても三角に大事にされたいってんなら、今すぐ生徒会役員辞任して一般生徒に戻れば? 多分、今よりはずっと親切にしてもらえるぜ」 「………」 先程までの勢いはどこに行ったものやら、言葉が出ずに唇を噛みしめている奴らを見て、流石に俺も言い過ぎたかと反省する。 人生、知らない方が幸せなことって、確かにあるもんだから。 だが、原因を作ったのは他ならぬ自分たちなのだ、現実は現実として受け止めてもらうしかない。 「先生、勝手なこと抜かさないでよ。役員ばかりをひいきしてると思われちゃ生徒会の円滑な運営に問題が出る、俺が彼らに必要以上に素っ気なくするしかないって知ってるでしょ。俺が生徒会長やってられるのも、面倒な雑務をこなしてくれる樺山くん達がいるからなんだよ。ちょっと絡まれたからって大人げない」 「大人げないって……」 それが事実なのは確かだろうが。 それを、自分だけ格好良く取り繕いやがって。 つーか、三角、お前どっから出てきたんだ。 「ってな訳だから。これからもよろしく樺山くん。まあ、あとひと月ばかりだけどね」 憧れの──同じ年なんだから、そんなに素直に憧れるなよ──生徒会長に握手を求められ、樺山は完全に舞い上がっていた。 三角の手を両手でつかみ、大きく上下に振り、頬を紅潮させている。 しみじみ思うが、やはりこいつは賢くない。 三角は暗に生徒会長を引退したら、お前とは関わらないとも言っているじゃないか。 伝説の生徒会長、風折迅樹──彼はまだ現役の大学生だが、和泉澤の生徒会長を2期連続で務めたというだけで、伝説になるには充分なのである──ほどではないにしても、三角も充分食えない奴だ。 腹の黒さを爽やかな笑顔で巧みに隠し、立ち去る樺山達にゆっくりと手を振る三角を見つめ、俺はこっそりとため息をついた。 生徒の投票ではなく、理事長兼学長の推薦で決まる我が校の生徒会長の必要条件には、『神出鬼没』が含まれているのではないかと、本気で疑いながら。 そして、改めて気付いてしまった。 今までは、下手すりゃ俺よりも大変そうな三角が目の前に居てくれたので、年下に負けてなるものかというプライドで何とか頑張ってこれた俺であるが、彼はもうすぐ任期を終えて肩の荷を降ろすことができて、しかも3月には寮を出ることができるのだ。 それに比べて、俺の寮生活はまだまだ長いかと思うと、本当に途方に暮れてしまう。 マジ、先が長すぎるって…… |