恋のトリックスター 〜その2〜 原作:諸々の事情により秘密
Novelize:諸々の事情により冴木


「どーせ俺は、女の子と付き合ったこともねーし、そーゆー経験だってありませんでしたよ」
 ふーんだ! という看板をどうどうと背負ってやろうかという、ふてくされっぷりで、俺は緑に愚痴っていた。
 もちろん場所は高等部の学食だ。こちとら奢らされてるんだ、愚痴くらい聞けっていうんだ!
 予算の都合で俺自身の昼食が、1杯180円という激安の値段に見合った、限りなく素ラーメンに近い醤油ラーメンになったとあっては尚更だ。
「だってしょーがねーじゃん、この環境だぜ。中学、高校と男子高、しかも全寮制で男に囲まれて生活してさー。おい、聞いてんのかよ!」
「ハイハイ聞いてますって。それよりさ、学祭で姉貴に一目惚れしたんだったよな。どこが、そんなに良かった訳?」
「全部。ピアノを弾く姿も可憐でさぁ〜」
 愚痴を聞くのが嫌になった緑に話題をそらされたことにも気付かず、俺は回想モードに入る。
 緑の『可憐だぁ。女のキョーダイいないだろ』という呟きは、もちろん聞こえなかったことにする。
 男子高校生が女の子に幻想を抱けなかったら、一体どこの誰が女に幻想を持てるというんだ。
 女の子に幻想を抱くのは男子高校生の義務なのだ!
「ピアノといえばさー。今、中等部のヤツ1台調子悪くてさー。なかなか練習室空かないんだよなー…」
 本来ならば、俺の口に入る筈だったチーズハンバーグの最後の一口を飲み込んだ後、緑はボソリと呟いた。
「何、お前もやるの? ピアノ」
「ん? ああ、来月コンクール出るんだ」
 コイツもピアノをやるとは、ちょっと意外だった。
 否……そうでもないか。指、長いし、器用そうだし。
「だったら高等部の練習室使うか? いつでも空いてる台あるから使えるぜ」
「パチンコ台みたいな言い方だな。……でも、ホントにいいの?」
「ああ」
 にっこり笑って安請け合いする。
 はっきり言ってウチの学校はそういうことには全くうるさくない。
 こんなんで茜ちゃんの弟に恩を売れるなら、安く上がってラッキーってなもんだ。
「そのかわり……」
 にやり。
 ああ、勝手に顔が笑う。ここで変に溜めてどうするよ。
「俺の頼み、聞いてるくれる?」
「あー、ハイハイ。姉貴のことねー。出来る限りのことはしてやるけど、結局は本人の気持ちだぜ」
 中坊が生意気な口を……。そんなことは解ってるんだよ!
「それはそれ。しっかり頼むぜ、相棒!」

☆   ☆   ☆

「聞いてみたんだけど、やっぱハッキリとは教えてくれなくてさー」
 ──翌日。
 ピアノ練習室で、俺は緑からほとんど役には立たない報告を受けていた。
「なんだよ、信用ねーのな、お前。使えねー奴だな」
 緑に罪はないとは思いつつも、ついついボヤキが口に上ってしまう。
 もちろん、そんな俺の失言を黙って聞いている緑ではなかった。
「仕方ねーだろ! だいたい普通、キョーダイでそんな話しないもんだろ!」
 緑の言うことはもっともだ。特に異性の姉弟(きょうだい)なら尚更だろう。
「でもさ、あんまり期待しないほうがよさそーだぜ。あのリアクション見る限り……」
 確かに。弟に動揺を読みとられる程度には気になる相手がいるということか。
「ってことは、やっぱり、この前一緒に歩いてた……」
「ああ、昨日言ってた奴? 多分そうだな。身長高いの姉貴の好みだもん」
「うっ……」
 身長──
 男の身長は25歳の朝飯を食うまで伸びると言うが、ここ2年1oの変化もない俺には172p以上の身長は望めそうにない。
 そんな俺に、緑は更に追い討ちをかけてくれる。
「まだ正式に付き合ってるわけじゃないけど、ちょっと気になる人で、お互いにマンザラでもないって感じじゃないかって分析してみたんだけど……余計なお世話?」
「あはは……。ご丁寧にありがとよ」
 がっくり。
 これはもう──
「望みは薄そーだなぁ〜」
「ご愁傷さま。さて、俺は練習するぜ。邪魔すんなよ」
 無論、緑が役立たずの薄情者だからといって、練習を邪魔するような大人げないことはしない。
 俺は、練習室の窓に寄りかかり、緑の練習を眺めることにする。
 ──えっ?!
 コンクールに出ると言うからには、それなりに弾くとは思っていたが、緑の演奏は俺の予想を遙かに超えて上手かった。
 技術的なことは練習次第である程度身に付くものだが、魅力的な演奏というのは誰にでも出来ることじゃない。
 この実力の持ち主が、この時期に目指すコンクールと言えば……
「お前が出るコンクールって、もしかしてアレか? 浜矢楽器が主催してる、国際学生コンクール」
 練習に区切りがつくのを待って、俺は緑に問いかけた。
「そうだけど……。詳しいね、もしかして、やってた?」
「んー……、昔な。もう止めたけど」
 というか、俺の過去はともかく、緑の将来が微妙に気になる。
 まあ、滅多なことはないだろうが……。
「俺のことより、お前素質あるよ。本気になれば、この先結構イケんじゃないのか。ただ、サボらず練習すればだけどな」
「マジにそう思う? そーだよなー、出るからには、ちょっと真面目にやるか……なあ、壮太。俺の練習つきあってくんないかな」
「ああ、いーぜ」
 どーせヒマだし、流石に高等部の練習室にコイツを1人で放りだしておく訳にもいかないしな。
「ついでに楽譜めくってもらえると、うれしーんだけどなー」
「目的はそれかよ!」
 一応、お約束のツッコミを入れ、緑の頭をコツンと小突く。
 こうして緑は、放課後になると毎日この練習室に来るようになった──

☆   ☆   ☆

 別に、俺が緑の練習に最初から最後まで付き合う必要はないと思いつつも、放課後の2時間をこの練習室で過ごすようになってから、10日あまり経った。
 茜ちゃんの演奏も上手くはあったが、やはり緑の方が一枚上手だ。
 否、実際は俺様フィルターが茜ちゃんの演奏を過大評価して見せているだろうから、かなり上かもしれない。
 鍵盤の上を滑るように動く緑の指を何気に眺めながら、そんなことをつらつらと考える。
 最近の俺は少々おかしい。
 緑の顔が茜ちゃんと同じだから、彼女のことを思い出すのだが、気付くと緑と出会った時のことを回想していたり、緑自身に見とれていたりする。
 一体どちらにどちらを重ねて見ているのか、イマイチ自分でも判らない。
 鶏が先が卵が先か──
 有名なパラドックスとは違って、俺の場合は確実に茜ちゃんが先だ。しかし、先に中身を知ってしまったのは緑の方だ……。
 これは微妙だ、びみょーである。
 そーゆー経験の全くない俺が恋愛方面に長けている訳はなく……
 だいたいコイツが必要以上に茜ちゃんと同じ顔してるから悪いんだよ! なーんて責任転嫁をしつつ、練習中の真剣な表情のその顔に視線をやると、柔らかそうな髪が目に付く。
 見ているうちに、くせっ毛で量が多い俺とは対照的なその髪に、又しても触れてみたくなる。
「どうだった?」
 ゆっくりと手を伸ばしかけた時、演奏が終わり、緑が問いかけてくる。
「あっ、良くなったんじゃない?」
 慌てて手を引き、殆ど聞いちゃいなかったくせに、適当な感想を述べる。
 いかん、いかん。こんなんでは。
 早いうちに茜ちゃんに会って、ハッキリ振られてしまった方がいいかもしれない……
 いくら似ているからといって、このままじゃヤバイぞ俺。
「……手」
「えっ?」
 髪に触れようとしていたのがバレたのかと思い、少々あせって声が上擦る。
「右手の指、あんまり動かないんだな」
 言いつつ、緑が左手で俺の右手をそっと握った。
「あっ、バレた? 良く判ったな。中坊の時、ちょっと……事故でやっちゃってね」
 なるべく明るい口調で言ったつもりだったんだが、緑の顔には『そのせいでピアノをやめたのか……』という台詞が張り付いていた。
「別にもう、痛くもなんとも無いし、日常生活に支障ないのは見てて判るだろう。ほら、いつまで握ってるんだよ、もういいだろ」
 一向に離される気配のない緑の左手から逃れようと手を引きかけるが、意外な力でそれは阻まれた。
「……なあ、壮太」
 男同士が手を握り合っている光景は、ある意味キスをしているより気色悪い気がするのはなぜだろう? なんて、のんきなことを考えていた俺は、緑の呼びかけで我に返った。
 そして、緑の顔に視線をやると、思いがないほど真剣な表情──
 ヤバッ──
 何がヤバイんだか解らないが、とにかくヤバイ気がする。
「姉貴、あきらめてさ。俺に乗り換えない?」
「えっ……」
 一瞬大きく鼓動が跳ねたのが判る。
 緑的には、それ、有りなのか?──
 否、っていうか、俺的にはどうなのよ?
 真剣に考え始めたところで、にんまりと、ちっとも爽やかじゃない緑の笑顔が目に入る。
 畜生! また、からかわれたのか俺!
「一瞬、考えただろ」
 そしてまた、小憎らしく図星をつきやがる。
 ああ、考えたとも!
 しかし、ここで怒っては緑の思うつぼだ。
「ちょっとね……」
 と、言った処で思いついた。
 いつも、主導権が緑にあるから、からかわれるのであって、それが逆なら……
 緑の肩に手を伸ばし、相手が戸惑った処で、真剣に眼を見つめる。
「……壮太?」
 少々不安そうに、緑が俺の名前を呼ぶ。
 ダメダメ、あれだけからかわれたんだ。まだ、冗談にはしてやらないよ。
 俺は無言で緑のおとがいに手をかけた。やや強引に上を向かせ、ゆっくりと口付ける。
 前回同様触れるだけのキスで済ませる気など、今の俺にはない。
 下唇を甘がみし、舌先で歯列をたどった後、割って入り、緑の舌をからめとる。
 からかってやろうと思って始めた筈なのに、知らず知らずに夢中になる。
 そして、俺は、この行為を冗談にするタイミングをすっかり失っていた── 


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