3.青柳壮太19歳の少々感情的な見解
「調整中って……パチンコじゃないんだから」 俺はピアノ練習室にでかでかと貼られている、貼り紙を前に途方にくれていた。 どーすんだ、コレ。 持っているミスドの箱に視線を落とす。 見た目の割には結構食う緑と俺の分も含めて、その箱の中には6個ものドーナツが詰まっている。 甘い物ばかりではないから、このまま晩飯にスライドさせることは可能だが、いくら俺でもドーナツ6個も食ったら胸焼けするだろう。 何もまとめて食べなくても、という意見はあるだろうが、それぐらい食っておかなきゃ夜中に腹が減るじゃないか。 なーんていったら、緑に『成長期も終わったのにそんなに食ったら腹出るぞ』と言われるのがオチだろうか。 喧嘩にまでは至らなかったものの、昨日の緑の不満げな表情が気になったので、差し入れ片手に高等部を訪れてみればこの有様。 畜生、日頃の行いが悪いのかなぁ〜。否、友人の相談に真面目に乗ってやってる俺って結構良い奴じゃんとか、人としてどうかと思うことを考えながら、俺は踵を返しかけた。 その時、ふと遠くからトロイメライが聞こえてくるのに気付いた。 成る程。俺とは違い、ピアノに対して真面目に取り組んでいる緑は、いつものピアノが調整中だという理由くらいで、練習を諦めなかったという訳か。 本日の緑はイマイチ防音の甘いというか、はっきり言って防音効果のない、アップライトが1台ずつ詰まった狭い部屋が3つばかり密集した方の練習室にいるらしい。 L字型校舎の4階の端と端。間に特別教室を挟んで、ピアノ練習室は謎めいた配置になっている。 その理由は、俺の同期の大手ピアノメーカーの息子の親が、寄付金代わりに中・高等部に1台ずつグランドピアノを寄付した為、物置を改装してその置き場所を作ったからだ。 謎めいているといえば、男子高にピアノ練習室があること自体が、微妙に謎めいている気もするが、実はそうでもない。 お坊ちゃん含有率が少なくないこの学校だけに、ピアノをたしなむ学生がそれなりに居るというだけだ。 但し、緑の様に日参する奴は、そう居やしない。 久しぶりにちょっと弾いてみたいって連中が、一応特別教室扱いで、使用許可が必要、あげくに施錠もされている、敷居の高い完全防音で無意味に広いグランドピアノの練習室に赴くはずもなく、いつも空いている練習室が出来上がったという訳だ。 もしかして、この練習室が出来たいきさつって、俺の為? と思ったことがない訳じゃないが、最終的には緑が有効活用しているのだから、学園側の投資は無駄ではかったらしい。 しかも、最終的にはピアノを止めた俺の為にも充分なっていたところが笑える。 完全防音を誇るだけに、向こうの練習室とは違い、あの部屋のドアには小窓なんていうものはついていない。 つまり、あの完璧な密室では、ピアノの練習以外の事も少なからず行われていたという訳だ(苦笑)。 ピアノを止めたはずの俺が、毎日のように練習室の使用許可を取り、中等部の生徒を連れ込む。 不自然なこの行動も、この学園内では妙な理由と共にいとも簡単に納得される。 『今度俺にも使わせろよ』とこっそり耳打ちしてくるクラスメートも居たくらいだ。 そんなことばかりしていた訳じゃないが、一切していない訳でもなかったので、そう言われた時の俺の表情はなんとも曖昧なものだっただろう。 結局、俺のこの反応が噂に拍車をかけ、俺と緑は学園内ですっかり公認カップルとして定着した。 もちろん、ロリコンという、あまりありがたくない称号も、もれなくついてきたが……。 しっかし、相手が男でもロリコンって言うのかよ。かといって、ショタコンっていうのは、お姉さまが可愛い男の子を愛でる時に使う言葉だし、やっぱ、ロリコンになるのかなぁ〜。 だいたい、中坊と高校生だから、たかだか3つ位の年の差でこんな風に言われちゃう訳で、ハタチ超えれば別に不自然な年の差じゃないだろうに。 とかなんとか、一番基本的で重要なことを無視している上に、どーでもいいことを考えながら、角を曲がり掛けた時──緑が居るであろうと推察される──ピアノ練習室のドアを叩いているデコボココンビが目に入った。 そいつらが中に入るのを見届けた後、俺はこっそりと──なぜ、こそこそするのか自分でも解らないが──練習室を覗き込んだ。 どうやら、背の高い方の男は緑のクラスメイトらしい。もちろん単なるクラスメイトだろうが、身長の高い男は、無条件に俺の敵だ。 「俺っ、D組の月形かおる──よっ、よろしくっ!」 その男に気をとられていると、上擦った調子の自己紹介が俺の耳に届いた。 月形かおるだぁ〜、お前は芸能人かと思いつつ、もう一人の影に隠れて良く見えないそいつの様子を覗き込む角度を変えて伺った。 緑とはまた違った意味でやんちゃな印象を受けるガキが、頬を赤く染めて緑を見つめていた。 隣の男が大きいからより小さく見えるが、160pオーバーってところか。少なくても緑よりは身長がある。 もしや、このシチュエーションは、緑のクラスメイトが友達の恋の橋渡しをしているといったところなのか……。 俺が卒業した途端コレかいっ! 一応、あと当分は和泉澤学園と名の付く学校の学生でいる予定なのに、何故、例の裏校則は、中・高等部にしか適応されないんだっ。 俺はピアノ練習室の小窓に張り付いて、奥歯をギリギリと噛みしめた。 和泉澤のOBでもある保険医の天王寺が、以前ちらっと話していたところによると、奴の在学中は相手が大学生であっても、例の裏校則は適用されていたという。 きっと後年、誰かが自分の都合のいいように、裏校則を改正したに違いない。 やっぱり、近くに居る人間の方がより分かり合えるとかなんとか言いくさってだっ! 誰だか解らない相手に対して、悪態を付きながら、俺は覗きを続けた。 どうやら、相手の不審な様子に緑も気付いているらしい、随分と邪険な態度で奴に接している。 よしっ、それでこそ、俺の緑だ。 小さくガッツポーズをしたところで、緑の視線がふいにこちらに流れる。 俺は、慌てて身を隠した。 こんなところで覗いていたのがバレたら、後で緑に何を言われるかわかりゃしない。 というよりも、緑に限らず、この姿を誰かに目撃されたら、どうやって言い訳するつもりだったんだ俺。いくら卒業生とはいえ、不審すぎる…… その事実に気付いた俺が、自分の行動を少々恥じながら、奴らが帰るまで隣の練習室で時間を潰そうと、静かに移動しかけた時、突然室内から『乙女の祈り』が鳴り響いた。 なんで、乙女の祈り? と思いながら、俺は再び出歯亀へと変貌を遂げた。 緑の視線に注意しながら、そっと覗き込む。 演奏はほんのワンフレーズで終了して、先刻とはうって代わった様子で、緑は楽しそうに俺的厳重注意人物(なんだよ、そりゃ)と話をしている。 「何やってんだあいつっ」 俺の奥歯が再びすり減る。 そんなに愛嬌をふりまくんじゃないっ。 涼の前で言った時とは違い、今は冗談ではなく、マジにそう思う。 それでなくても、お前は可愛いんだからっ。 そう、惚れた弱みを差し引いたって、緑は可愛い。口さえきかなけりゃの話だが。 こらっ、ちっちゃいの。お前もそんなにじっと緑を見つめるなっ! それ以上見るっていうなら金取るぞ。大まけにまけて1分5万円だっ! 俺のイライラが限界に達しかけたところで、奴らは帰るそぶりを見せた。 見つからないように、今度こそ隣の練習室のドアを開けて中に滑り込む。 知らず知らずのうちに緊張していたのだろう。無事中に入ってピアノの影に隠れた途端、安堵のため息が漏れた。 「畜生。どーすっかなぁ〜」 覗きをしている間は終始イライラしていた俺だが、もちろん緑が他の男になびくだなんて、思っている訳じゃない。 しかし、覗いてるって時点で、緑を疑っていることになるような気もする。 否、違うぞ俺。 俺が疑っているのは、緑じゃなくて、あいつらだ。 二人がかりなら、緑を襲うことなんて訳ないじゃないか。見張るのは当然だ。 …………。 というか、ごく自然にこういうことを思っちゃうあたりが、俺も和泉澤の校風に毒されてるってことだよなぁ〜。 普通なら、男が男に話しかけてるからって、そーゆーことを疑うか? 疑わないだろうなぁ〜。 俺は緑と付き合ってる今までも、男が好きな訳じゃない、好きになった相手が男だったてだけだ、だから、俺はストレートとか思っていたんだけど、どうやら、それも怪しくなってきたか? んっ? 待てよ。 和泉澤の校風に毒されているのは、何も俺に限ったことじゃない。 大学部で女の子とも接触がある俺と違い、奴らはより身体の細部まで毒の回っている可能性が高いってことじゃないか。 やっぱり、俺の心配は普通だ。何が悪いって、それは俺でも緑でもなくて、保健室にまで男を詰め込んでいるこの学校だ。 この、考えたところで何にも解決策の出てこない自問自答を、ぐるぐると頭の中で続けてしまうのは、自覚もしているがどうにも直らない俺の悪癖だ。 学校が悪いと言ってみたところで、決してこの自由な校風は嫌いじゃないし、結局は役立たずだった俺を、何事もなかったかの様に在学させ続けてくれた学園側に感謝もしている。 結局、自分の母校が本気で嫌う奴は、そうは居ないってことだ。 散々悪口言ってた奴だって、母校が甲子園にでも出りゃ、これ俺の出身校ですとかって言い出すんだろうし。 「今日は帰るか」 よく解らない愛校心が芽生えたところで、俺はこのまま帰ることにした。 昨日のこともあるし、後ろめたさを抱えたまま緑と逢ったんじゃ、いよいよ本気で奴を怒らせてしまうかもしれない。 一応廊下の様子を伺ってから、そぉ〜っとドアを開けようとして、意外なドアの重さに首を傾げる。 こんなに重かったっけ、このドア? 再び力を込めてドアを押すと、今度は拍子抜けするほど軽くドアが開いた。 なんだ、このドア? と思ったところで、無人な筈の廊下に声が響いた。 「随分といい趣味じゃないか。なあ、壮太」 えっ? みっ、緑── そろそろと声のした左側に視線を向けると、小窓ごしに、ニヤニヤ笑いを浮かべた緑の顔が見えた。 ドアが重かった理由はこれか。 死角になる小窓の真下に隠れて俺が出てくるのを待っているとは──ある意味、ものすごく緑らしい。 こいつは俺が動揺する姿を見るのが大好きなのだ。 「あっ、あの〜」 「気付かれてないとでも思ってたのかよ。相変わらず間抜けだな」 出ようとしている俺を中に押し戻しつつ、緑は練習室の中に入ってきた。 畜生、緑がこっちを向いたあの瞬間、見切られてたってわけか。 「心配──してくれたんだ」 俺を見つめながら、緑が問う。わざわざ口に出すな。いよいよ恥ずかしくなる。 「悪いかよ」 顔に血が上ってゆくのを自覚しながら、俺はそっぽを向いて吐き捨てた。 「別にぃ〜、悪くはないよ。どっちかっていうと嬉しいかも。でも大丈夫だから」 「いくらお前が大丈夫でも、相手が信用できん。あのちっちゃい方、絶対お前に気があるぞ」 俺の出歯亀を喜んでくれた──否、出歯亀を喜んでいる訳ではないだろうが──緑の発言は嬉しかったが、大丈夫だと断言するのはどうかと思い、嫉妬心丸出しで緑に注意を喚起する。 「それでも大丈夫。早川──ああ、でかい方ね。あいつ、ちっちゃいの狙いだから」 「本当かよ」 「マジ、マジ。俺も今日まで知らなかったんだけど、早川捨て身の作戦に出てるもん」 「何だよ、それ」 「あいつら、甘味研究会やってるんだって」 「そんな研究会あったっけ? まあいい。それがどうしたって言うんだよ?」 「俺、中坊の時から早川とずっと同じクラスだから知ってるんだけどさ。あいつ、甘い物苦手なんだよ。コーヒー牛乳が飲めないくらいに」 「それで、甘味研究会やってるってか?」 「なあ、捨て身だろう。誰の為にやってるのか一目瞭然」 「そりゃ、確かに捨て身だなぁ〜。どっかでボロが出なけりゃいいけどな」 それを聞いて、俺も安心する。 この際、緑に被害が及ばないのなら、ちっちゃいのの気持ちは関係ない。 さっさと近場でまとまってくれ。 「他人の恋路なんてどうでもいいじゃん。なあ、壮太──」 言いながら、緑は俺の首に腕を回してきた。 少々予想外の緑の行動だったが、それに不満がある訳ではない。 俺は緑のお誘いに応えて、緑に情熱的な口付けを落した。 こういう時の──甘えてくる緑は──普段の毒舌振りを補って余りあるくらい、無茶苦茶可愛い。 誰にも渡せない──心の底から実感する。 「ちょっ、壮太。これ以上はヤバいって、いつもの防音室じゃないんだぜ」 言われてみて初めて、独占欲が先走って自分でも気付かない内に、緑のシャツの中に手を滑り込ませていたことに気付く。 「ウチ来るよな──」 耳元でそっと呟く。 目を伏せて頷く緑を見て、俺は大いに満足した。 残念だったな、ちっちゃいの。 緑は俺のもんだ── |