4.早川新16歳の痛恨のミス
「かおる、それ、お前が食えよ」 本日のケーキはナッツ入りのチョコケーキ。ブランデーをきかせた大人の味。 かおるが途中で泡立てをさぼった割にはまずまずの出来だろう。 取りあえず焼きたてのケーキを切り分け、砂糖を加えずホイップした生クリームを添えていただくところだ。 が、塚原の邪魔をして戻ってきてからこっち、かおるの様子はあからさまに変だ。 大好きなケーキを前にして上の空。 オーブンから取り出したケーキを落っことさなかったのを誉めてやりたくなるくらいに。 そして、かおるが今俺の目の前で何をしているかというと……。 既に本体の姿が見えなくなるくらい、ケーキに生クリームを絞り出し続けていたりする。 こういうケーキは、生クリームをちょっとだけ添えるのがいいのであって、スポンジが見えなくなるまでつけるなんて論外だ。 しかも、デコレーションしているならまだしも、ただ絞り出し続けているのでは、まるで……否、これ以上は考えまい。 「かおるっ! 聞いてんのかっ!」 「えっ? 何?」 ようやく反応したかおるに、俺は無言で奴の手元のケーキを指差してやった。 「うわっ! なんだこれっ!」 自分のしでかしたことに驚いて、絞り袋に力を込め、最後にとどめのもうひと絞り。 かおる、お前、ばかだろう。 「なあ、新……」 「責任もって自分で食えよ」 「もちろん、食う。食うけどさ。これ、ちょっことこっちに移してもいい?」 かおるは無傷な方のケーキを指差し、上目づかいで問いかけてきた。 俺の観察によると、本人はどうやら解ってやっている訳ではないらしいのだが、こういう時のかおるには誰もかなわない。 近眼のせいなのかきらきら光る黒目がちの瞳で見つめられるともう、はっきり言って女っ気のないこの学校のやつは全滅だ。 お前のいうことならなんでもきいてやるさって気分になる。 かくいう俺だって、現在頭の中では『どうする? ア〜イ○〜ル』というCMのフレーズがぐるぐると周り、気力をふり絞りそれと戦っている最中だ。 大きな深呼吸をひとつして、言い放つ。 「駄目だ」 「なんで〜っ」 「美観を損なうから」 「そんなの腹に入れば一緒じゃんっ!」 「そんな大雑把なやつに、甘味を愛する資格はない。お前、有名なパティシエを目の前に同じこと言えるか? 言えないだろう。そういうことだ」 「ちぇっ。けちんぼ新」 かおるの失礼なコメントは、聞き流すことにして、俺は絞り袋を奪い取り、ケーキにほんのひと絞りだけ生クリームを落とす。 我ながら濃茶と白のコントラストが美しいできあがりだ。 お菓子を作るにあたって、可能な限り砂糖を減らして作ってはいるものの、甘いものが苦手な俺にとって、せめて見た目くらいは美しくなくてはケーキなんて食えたものじゃない。 それに、かおるの失敗の原因が、まず間違いなく塚原に一目惚れしたせいだと思うと、いよいよフォローなんてしたくない。 ちらりと横目でかおるの表情を伺うと、少々不満げな顔をしながらも、前衛的なデコレーションをされたケーキをフォークでつきくずしている。 文句を言いつつも、それを食えるのがかおるのすごいところだ。 1切れ目をぺろりと平らげ、やがて2切れ目に手をのばすだろう、かおるの行動を予測して、俺は紅茶を入れることにした。 飲み物がなければ、決してケーキが喉を通っていかない俺と違い、かおるはケーキの5個くらいは一切水物なしで食える。 ただ、食えるというだけで、飲み物はあるにこしたことがないらしい。 特に濃いめに入れ、砂糖も充分にきかせたミルクティーは大のお気に入り。 もちろん、俺はその紅茶をストレートで飲む訳だ。 元々俺は飲み物にこだわりというものがない。ただ、甘くさえなければ。 つまり、インスタントコーヒーでも緑茶でも、出がらしの番茶でもなんでもいい。実際にやったことはないが、レギュラーコーヒーの出がらしを乾かして、もう1回入れられても、なんの苦もなく飲めるかもしれない。 食べ物も同じ様なもので、うまい物が判らないじゃないのだが、よほどまずくない限りは食える。 つまり、飲食物に関して必要以上に無頓着なのだ。しつこいかもしれないが、甘くさえなければ。 そんな俺に紅茶の入れ方を仕込んだのは、実はかおるだ。 うちの学校は全寮制ではあるが、部屋割りは結構融通がきく。 中等部に入学した時は、暫定的に同じクラスの出席番号順に部屋が分けられるのだが、翌年からは、仲の良いもの同士が同室になれる。 もちろん、気が合えばそのままのルームメートと6年間ぶっ通しで過ごすのも可能だし、そういう奴らも大勢居る。 しかし、フロアは1・2階が1年、3・4階が2年、5・6階が3年という風に振り分けられているので、どうせ引っ越すならと、特に中等部2年にあがる奴らに組み合わせの変動が多いことも確かだ。 普通は学年が上がるごとにフロアも下になりそうなものだが、学年が上がれば上がる程こっそり抜け出そうと目論む人間が出てくるので、うちの学校では学年が上がるごとにフロアも上になるのだ。 まあ、名門私立の寮だけあって、エレベーターが3基ばかり設置されているから、上でも下でも特に不便さを感じることがないという特殊な環境でなければ、実行しかねる策ではあるだろうが。 そんな中で、俺もかおるも最初のルームメートと、割と気があっており、何事もなければ、そのまま6年間同室で共に過ごす筈だった。 その何事が何事なのかは、想像に難くないだろう。 そう、俺の相方とかおるの相方が卒業式をきっかけに──卒業ったって、隣の敷地に移るだけなのに、何故きっかけになるのか俺には皆目分からないが──出来上がりやがったのだ。 結局余り者同士が同じ部屋に突っ込まれ、現在に至る。 もちろん、同じ様なきっかけで相方が変わった奴は他にもいるのだが、今まで殆ど接触のなかった上、クラスも違う俺達が同室だなんて、俺達ってキングオブ余り者? 最初は少々切なくなった。 が、俺は間もなくそれが間違いであったことに気付いた。 かおるはやんちゃな印象を受ける割に、人との距離をきちんと計れる奴で、殆ど初対面で同室になったにもかかわらず、ものすごく一緒に居やすかった。 人懐っこいが、しつこくはない。 無言で居ると、親しくない奴には『何を企んでんだ?』と聞かれる俺とは大違いだ。 こんな奴があぶれる訳がない。 気付いて、じっくり周りを観察してみると、かおるの友人はお互いが牽制しあっているのが判った。 成る程、安全パイと踏まれた訳かとは思ったものの、別にそのことに不快感はなかった。 どんな理由であれ、余り者だった俺に、申し分のないルームメイトができたのだ、文句を言う理由なんてない。却ってありがたいくらいだ。 そんなこんなで同室になって1月ばかり経った頃。 幾何学的なパターンを着色するという美術の宿題に悪戦苦闘し、結局はやけになって三原色のみでそれを塗りたくって居た俺に、かおるが突然、紅茶の缶とティーポット、それに紅茶の本を手渡し、紅茶を入れろとのたまった。 あまりにも当然のように言われたために、俺は頭の中に?マークを点滅させながらも、現実逃避も兼ねて初心者向けらしいその本と首っ引きで紅茶を入れた。 その紅茶をひと口飲んで。 「おいしい。やっぱり、新って、こういう分量と時間がはっきりしてることするの得意だと思ったんだ。そーゆーのが苦手でも、こっちの方がよっぽど社会でたつよな」 にっこり笑って言われてしまうと、なんだかとても嬉しくなった。 確かに俺は手順と分量が決まっているのならば、どんなに細かい作業も苦もなくできる。 その代わり、創造的なことはあまり得意ではないのだが、目に余るほど不器用という訳でもないので、なんでもそつなくこなす奴という印象が強いらしい。 中等部で3年間同室だった矢口でさえ、見抜けなかった俺の得意分野をかおるは僅か1月足らずで見切ったのだ。 他人を観察・分析するのは得意だが、俺のことなど誰も解るまいと、少々うがった考えの持ち主だった俺は、かおるのこの行動に一瞬にしてやられてしまった。 そして、さり気なくというか、ごく自然に他人に気をつかうことが出来る、この友人の為に俺も何かをしてやりたいと素直に思った。 そう、この時既に、俺は恋に落ちてしまったらしい── 相手も男で、自分は全く男に興味が無かったにもかかわらず── 今にして思えば、自分ではうまく入れられない紅茶を俺に入れさせるために、かおるが適当に言ったことが、偶然ヒットしたように思わないでもない。 実際、かおると行動を共にするようになって気付いたのだが、奴は自分の好きなものに関しては、神懸かり的とも思える勘を遺憾なく発揮する。 CMを見ただけでこのお菓子は美味いと断言したり、町中でたまたま見かけた喫茶店をここは紅茶が美味しいと見抜いたりするのだ。 そして、それに付き合わされる俺は、かおるの断言が全て正しいことを身をもって実感させられることになる。 それを充分知っているのに、俺は今日、大層な失敗をやらかしてしまった。 かおるがあそこまで気にするものには、奴の心をとらえる何かがあるということに、俺は気付かなければなかったのだ。 たとえ、最初が勘違いだったにせよ、俺の気持ちは既にノーリターンポイントを過ぎてしまっている。散々悩んだあげく、自分の気持ちに決着をつけたのだから、今更退ける訳がない。 塚原とは違って、自分が男にもてていることに、さっぱり気付いていないかおるを落とすにあたって、俺は作戦があった。 あたり前だが、いきなり告白したって、退かれるに決まっている。 時間をじっくりとかけ、相手の懐に深く入り込む。 その第一歩が甘味同好会だった。 甘い物は苦手だが、お菓子づくりというのは、分量がきちんと決まっているので、ありがたいことに俺に向いていた。 もちろん、甘味に関する知識の収集にもつとめた。 他人とは容易に話せない事柄に関して、大いに語り合えるというのは、相手の気持ちをこちらに向けることに大いに効果を発揮する筈だからだ。 ついでに餌付けもできれば、完璧。 全てはその後だと。 かおるが塚原に一目惚れをするなんて、俺にとっては正に晴天の霹靂。 お前、男に興味ないんじゃなかったのかよ──と思いかけて考えを改める。 なんのことはない、かおるは男に好かれることに興味がなかっただけなんだ。 まあ、考えてみれば普通だろう。可愛い子を──この際性別はおいておくとして──抱きたいと思うならともかく、最初っから抱かれたいだなんて思うのは男の考えることでは無いってことだ。 改めて、計算しなおしてみよう。 もしかすると、これはチャンスかもしれない。 塚原には恋人がいるし、どうやら奴は俺がかおる狙いだということにも気付いているらしい。 そうだ、安心しろ早川新。 塚原がかおるになびくことはまず無い。 するとだ、最終的にこの一件にカタがついた時── かおるは相手が男だからという理由で俺を恋愛対象外に出来なくなるということだ。 よしっ! いけるっ。 と、気合いを入れ直したところで、俺は本日二度目のミスをやらかしたことに気付く。 そう、ありがたいことに、上の空なかおるは気付かなかったとはいえ…… 今日の紅茶はものすごく濃かった── |