6.見えないけど大切なもの
「新、なんだありゃ。お前が見張ってて、どーしてあーゆことになってるんだ」 ようやく熱も退き、3日ぶりに寮の食堂に顔を出した途端、新は数人の友人に囲まれた。 「何がだよ」 とは返答したものの、目の前の奴らが何を言いたいのかは解っている。 一応、新の病状を考慮して部屋にまで押し掛けなかったのは誉めてやってもいいかもしれない。 「何がって、塚原とかおるちゃんだよ。今まで全く接触なかったのに、お前が寝込んだ日から一緒に飯食ってるんだぞ。一体何があったって言うんだよ」 クラスメートのひとりが新に詰め寄る。 「いつから俺がかおるの見張り番ってことになったんだよ。あいつが誰と飯を食おうとあいつの勝手だろうが」 「お前がそういうこと言うか。俺らが折角…あわっ」 「ばかっ」 「悪ぃ、でも本気でどつくなよ。痛てぇって」 「お前がばかだからだ」 目の前の友人共がじゃれあっているのを、ため息をつきつつ新は眺めた。 いいな、お前らは楽しそうでという失礼な感動を抱きながらだ。 「勝手にやってろ。俺行くぜ。病み上がりで身体キツいんだから」 素っ気なく言って、新は自分を取り囲む友人の輪から抜け出た。食堂のおばちゃんから朝食のトレイを受け取り、適当な席に着こうとしたところで、かおるが新に声をかけきた。 「新、こっち」 かおるに手招かれ、新はしょうがなくそちらへと向かった。 体調が完璧ではない今、塚原と楽しそうに話すかおるは見たくない。 が、その席に着かない理由も考え出せなかったので、新はかおるの隣の席に腰を下ろした。 途端、緑が新に問いかけてくる。 「風邪だって?」 「ああ、やっと熱が退いた。かおる、あんまり近寄るな伝染るぞ」 ルームメイトの体調が本当に大丈夫なのかと、まじまじと顔を近づけるかおるを新は押しやった。 「一緒の部屋にいて伝染らなかったんだから、今更伝染らねーって」 「ははっ、もっとも。ところで早川。俺達が一緒に飯食ってるの不思議じゃないの?」 新の気持ちを知っているだけに、緑の質問はピンポイントをついてくる。 忌々しげに目の前のクラスメートを睨みながら、新は言った。 「別に。どうせかおるに懐かれたんだろ」 「新、ひっで〜」 「まあ、それの他に色々事情もあるけど、お前に同情したっていうのが一番かな。俺なら安心だろ」 かおるの抗議の声は全く無視して、緑が続ける。 「ばか言え、一番不安だよ。どーすんだよ、周りにこんなに話題を振りまきやがって」 「お前ら、何の話だ?」 かおるの疑問は又しても無視される。 「ああ、そうみたいだな。でもおかげで意外とラッキーに展開したぜ。俺、この3日間に5回くらい釘さされたよ。恋人いるんだろって。その内2回はお前の友達にな」 含み笑いをしながら、緑が言う。 そんな緑を見て、新はため息をついた。 「そりゃ、お前はいいだろうけどなぁ。こいつはどーすんだよこいつは。俺なんか全く関係ないのに、どうして見張ってないんだって、怒られる有様だ」 「恋人? 見張る?」 二度有ることは三度ある。かおるの台詞はあくまでも無視される。 「全く関係ないとは良く言ったもんだよ。人間、自分の周りは良く見えないっていうのは本当だな」 「俺の知らないところで勝手に展開してる出来事を、俺がどう出来るって言うんだよ。全く、どいつもこいつも俺の気も知らないで、言いたい放題言いやがって……」 苛立たしげに新は納豆をかき混ぜた。栄養価の高いこの食品は、予算の関係上、週に3日は朝食に登場する。 「それは、言われるお前に問題があるからだろ。じっくりと、周りを慎重に見渡して見ろよ。きっと真実が見えてくる。俺もそうするから」 「俺もそうするからって、何をだよ」 「自分一人で煮詰まるのを止めるってこと。解ってもなかなか実行できることじゃないけど、一歩退いて、客観的に自分と相手を見つめる。難しいけど、やってみる価値はある」 緑の言葉に新は首を傾げた。 「塚原? 何かあったのか?」 「何も無かったとは言えないけど、多分、客観的には大したことじゃない。だからお前も気付けよ」 「はあ?」 「俺はこの3日で、今までの倍くらい、お前のことに詳しくなったぜ。そして、いい友人を持ったことにも感謝しろよ」 「何だよ、俺に詳しくなったお前に感謝しろってか」 「俺じゃないよ」 「おい」 かおるが口を挟むが、相変わらず気付かれないまま流される。 「じゃあ、誰に」 「それは、自分で気付けよ。気付いた時、きっとお前の世界は変わるぜ」 「おいっ」 「随分ともったいぶってくれるな」 「それだけの価値がある」 「お前ら………」 「まあ、気に留めてはおくさ」 緑との会話が面倒になった新は、適当な言葉でそれを締めくくった。 そして、同時に隣で肩を震わせている、かおるの様子に気付く。 しまった、と思ったところで、時既に遅し。 無視され続けたかおるの叫びが食堂中にこだまする。 「お前らっ、俺を無視するなぁ〜っ!」 それは、生徒のみならず、食堂のおばちゃんの動きまで一瞬止めてしまう程の絶叫であった。 ☆ ☆ ☆ 基本的に緑は行動が早い。物事を中途半端なまま放っておくのが嫌いな性分だからだ。 よって、現在は壮太の部屋の中で、彼の帰りを待ち伏せしているところだ。 「緑、来てるのか」 玄関のドアが幾度かガチャガチャと音を立て、この部屋の持ち主が顔をだす。 「壮太ゴメンっ」 壮太の顔を見た途端、緑は彼に向かって頭を下げた。 「ごめんって、何が? なんか壊したのか?」 慌てて室内を見回す壮太の様子を緑は、微笑と共に見守った。 「何も壊してないって。ゴメンって言ったのはこの間、西沢さんと壮太の話盗み聞きしちゃったから」 緑の言葉に壮太は小さなため息つき、彼の隣へと腰を下ろした。 「そっか〜。聞いちゃったか。いつかは話そうと思ってたんだけど、改めて話すことじゃないかと思ってな。俺こそごめんな。緑に一番最初に話してやれなくて」 「壮太……」 盗み聞きをしたことを怒るでもなく、更に、自分に向かって謝る壮太を見て、緑は涙が出そうになった。 「あの話は、もう、緑以外に話す気はなかったんだけど、涼を見てると、なんか昔の自分を見ている様な気がして。俺と同じ失敗をして欲しくなくて。だから、話した。でも、同じ失敗をして欲しくないからこそ、緑には話せなかったのかもしれない。本当にごめんな。緑のことを信じてない訳じゃなかったけど、自分の実力に疑問を持つのは本当に辛いから」 静かに話す壮太に、緑は思わず抱きついた。 「壮太、もういいよ。謝らなくちゃならないのは俺の方なんだから」 「いや、謝る。だって、緑、傷ついたんだろう。どうして自分には話してくれないのかって」 「そんな……」 否定しかけた緑を、壮太は静かに制した。 「いいって、顔見りゃわかるよ。それに話せなかった理由は先刻言ったことだけじゃない。……怖かったんだ。あの事故のことを話して、自分の弱さをお前にさらけだすことが。一時の感情で自分を傷つけた考えの浅さをお前に軽蔑されることが。こんな俺だけど、緑、それでも好きでいてくれるか?」 壮太の問いかけに、緑は声を荒げた。 「ばか言うな。好きに決まってるだろっ。そんなこと位で嫌いになるんなら、最初から男なんて好きになってないっ。壮太、俺のことばかにすんなよっ。例え、壮太が殺人者だとしても、俺は壮太のことが好きでいられる。それで、壮太が刑務所に入るっていうなら、出てくるまで何年だって待ってられるし、何処かに逃げるって言うんなら、地の果てまでもついていく。覚えておけ、壮太がやっぱり女の方が好きだなんて今更言い出したって、俺は絶対に退いてやれないからなっ」 涙を流しながら、自分に詰め寄る緑を、壮太は力強く抱きしめた。 「緑、ごめん。やっぱり、俺はばかだよ。3つも年上なのに、いつもお前に教えてもらってばっかりいるな」 「そうだよ、ばか壮太。少しは学習しろよ。何があっても、絶対嫌いになんてならないから、だから……」 「だから?」 緑の涙の跡を指で拭いつつ、壮太は続きを促した。 「壮太の全てを受け止める覚悟はあるから、俺には何でも話して」 緑のお願いに頷きながらも、壮太は言った。 「緑、そういうかっこいい台詞は俺に言わせてくれよ」 「それは無理。だって、俺に秘密なんてないし、壮太は俺のこと嫌いになれないだろう」 「ったく〜。残念ながら、そのとおりだよ。くやしいけどな」 ようやくいつもの調子が戻ってきた緑に笑みをこぼしながら、壮太は恋人に口付けを落とした。 ☆ ☆ ☆ 緑と壮太がそんなことをしていた丁度その頃。新はベッドに寝転がりながら、大きなため息をついていた。 休み時間の度にとっかえひっかえやってきて、緑とかおるの急接近に注意を促す友人達の行動に改めて疑問を覚えた為だ。 緑にかおるを取られたくないのならば、本人に言えばいい。 なのに、何故こいつらは、それをわざわざ自分に報告するのだろう。 一日中うざったい思いをして、ようやく自室にたどり付いた時、もうこれ以上奴らのことは考えたくないと思ったにもかかわらず、やはり考えてしまう。 実は、新の頭の中を一瞬、大層自分にとって都合の良い理由がかけめぐったのは事実だ。 しかし、そんなことがある筈がないと、新はすぐさまその考えを否定した。 だが、この時否定した考えが真実だったと新が知るのは、そう、遠いことではないのである。 |