〜 命の花 〜

Chapter 2

「ご一緒してもよろしいかしら?」
 突然頭上から振ってきた声に、巻き毛の金髪と緑眼を持つ美青年──ニコスは驚いて斜め上を見上げ、更に驚くことになる。少なくても彼の23年間の人生では出会ったことの無い、ベリベリキュートな彼女が自分を見つめていたからだ。が、若い割には苦労を経験してきたのか、彼が鼻の下を伸ばしてどーぞどーぞとサラサに席を勧めることはなかった。
「大変光栄なんですが、この宿の娘さんが僕の婚約者なんです。あなたの様な美人と同席しているところを見られたら、宿の主人に殺されてしまいます」
 話し方に嫌味が無く、物腰も柔らかい。見かけがそこそでも、もてるだろうなという印象を受ける青年である。加えてこの外見では、宿の娘の心労は推し量れるというものだ。
「でも、今のままでは彼女と結婚できませんよね」
「えっ、どうしてそれを! いえ、何故そう思われるんですか?」
 先程からどうも、サラサの台詞は相手を驚かせることだけを目的にしているような含みがあるが、これは意識してのことではなく、純粋に彼女の悪い癖である。もちろん、そんなことを知る由もない美青年は、きちんと動揺してくれる。
「だって、あからさまに、あなたは呪われていますもの(ニコッ)。気配でも判りますけど、目の前にいればもっと判ります。あなたの彼女は、あなたの10倍くらいの人数から呪われていますよ(更に、ニコッ)」
 なんでこの人は怖いことを言う度に笑うんだ??? しかも当たってるし……。神様、これはなんの罰なんでしょうか? などと怯えつつ、ニコスは思わず天井を仰いだ。自分で自覚はしていても、他人にこうもはっきりと(しかも笑いながら)断言されると、人間本当に悲しい気分になる。加えて、目の前の女は痛恨の一撃ともい言えるひと言を投下した。
「女って、本当の怖いわよね〜」
「………………僕は、あなたが怖いです」
 余計なお世話だが、筆者も同感である。

☆☆☆

「で、今度は何処で愛想をふりまいた女なんだ!」
 宿屋の主人──パレスは怒っていた。結婚を許してくれなきゃ死ぬ、という娘の主張にしぶしぶ折れて結婚を許したものの、今、その娘は結婚を許したが為に死にそうなのだ。なのに、なのにだ! その原因を作った張本人が、いくら親のひいき目でみても自分の娘より確実に魅力的な女を伴って、目の前に現れる納得のいく理由を宿屋の主人は考え出すことができなかった。
「いえ、彼女は違うんです!」
 目の据わってしまっているパレスに対し、爆破寸前の怒りを感じ取ったニコスは慌てて言い訳した。
「その台詞は聞き飽きた! 今度という今度はもう勘弁ならん! 今すぐアエラと別れて街から出ていけ!」
 娘と別れるのはともかく、街から出ていくか否かはパレスが勝手に決めて良いことだとは決して思えないが、娘を思う親の気持ちというのは、得てして他人にとっては理不尽なものである。
 そんな主人の様子を見て、今まで成り行きを傍観していあサラサが口を開いた。
「ご主人、申し訳ありませんが、私にはそうたくさん時間がある訳じゃないんです。ご主人がセレスで手に入ると言われている、究極のアミュレットの噂をご存知でしたら話は早いんですが……。あなたが、最も情報の集まる場所のひとつである、宿屋のご主人であることに期待します」
 彼女の言葉に、パレスは目をしばたかせた。彼女のお世辞に気を良くした訳ではないが、確かにそんな噂を耳にしたのは一度や二度ではない。しかも、珍しいことに、その噂は一過性のものではなく、常に聞こえてくる。が、その反面、究極のアミュレットとやらの実物を持っている人間には、未だお目にかかったことはない。さすれば、この女の目的は知れた様なものだ。
「で、その噂に便乗して、困っていそうな人間を物色しては、効きもしない木札でも売りつけるっていうのがあんたの商売か? 生憎、金には困っていないが役に立たないものを買う程余ってもいないんでね。他を当たってくれ!」
 詳しく話も聞かない内から、随分な言い草だが、主人には主人なりの事情があった。もちろん、サラサにはその事情というのも想像がついていた。何故なら悲しい事実だが、それは好きな相手が妻帯者だった程度にはよくあることだからである。とはいえ……
「まあ、娘さんが覚えのない請求書や誹謗中傷に悩まされたあげくに、昼夜問わずにこの世のものとは思えない怪物の幻を見て安眠できない。更には食欲もなくなって病床にふせってしまった。医者は役に立たないし、せっかく雇った道士や魔法使いは法外な料金をふっかける割には一向に問題を解決できない。となれば、突然現れた私なんかが信用できないのも、もっともなことです」
 以上、宿屋の主人の事情でした。と、補足もなにもなく、そのまま地の文に出来る程、完璧に相手の状況を的中させるサラサも普通では決してない。これでは、相手の不信感は一層増すというものだ。
「かいつまんで事情を説明します。この外見では信用していただけないかもしれませんが、私は今、とある要人を警護しています。その攻撃が物理的に来るか呪術的に来るか予想がつかないので、関係のない不穏な気配には消えていただけなければ、いささか困ったことになるんです。もちろん、これは私の勝手な事情ですから料金は頂きません。それに、究極のアミュレットは、ある意味永久的に人間を守りますが、その人間に永久に消えない傷を付けることにもなります。もし、娘さんに了承が取れたのなら、私は今すぐ、彼女を助けられると思います」
「傷って……、娘を傷物にされるのに、ニコスはともかく、私の了承もいらないというんですか」
 パレスのもっともな疑問にサラサは平然と応えた。
「基本的にはいらないと思っています。なぜなら、彼女の人生は彼女のものですから。とにかく、彼女と会わせて頂けませんか? 詳しい話は彼女を交えてしたいと思います」
「しかし、アエラは今、話をできる状態では……」
「大丈夫です。寝室に案内して下さい」
「だが……」
「いいからっ!」
 結局サラサに押し切られる形で宿の主人は彼女を奥の部屋へと通すことになったのである。

☆☆☆

「少しは眠れましたか?」
「おかげさまで、夕方くらいから久しぶりにゆっくり眠れました」
 寝室のベッドに横たわったまま、宿屋の娘は頼りなげな笑みを浮かべてサラサの問いに応えた。
 ? と疑問符を浮かべた状態のニコスとパレスを全く蚊帳の外においたまま、女性二人の話は進められていた。
「自慢しているようで大変心苦しいのですが、安眠できたことで私の実力は判って頂けたと考えています。そこで、単刀直入にお聞きします。私はあなたを苦しめる呪いから、一生あなたを守ってくれる護符を差し上げることができます。しかし、その護符はあなたの身体に直接刻まなければなりません。それも左胸にです。噂される究極のアミュレットとは、特殊な墨と図形を用いて肌に刻まれる刺青です。どうなされますか?」
「………」
 サラサの説明は、あっさり口にされた割には、即断するには躊躇する重さを持っている。アエラはそっと婚約者の顔を見た。
「婚約者が胸に刺青のある女なんて嫌だ、と言い張る程度の男なら、あなたはそんな男のために肌に傷を付ける必要なんてありません。別れてしまえばいいんです。でも、あなたがこんな状態になってまで婚約を解消しない彼はそんな男性ではない筈です。彼が信じられませんか?」
 サラサの作戦勝ちである。この話の流れでは、アエラはニコスを信じられないとは言えない筈だし、ニコスはアエラの決断に頷くしかない。
「私はニコスを愛しています。……お願いします」
 案の定、アエラの口からサラサの予想どおりの言葉が発せられた。ニコスも彼女の台詞に大きく頷く。
「アエラ!」
「彼女の人生です!」
 パレスが娘に詰め寄ろうとするのを、サラサの台詞が遮った。
「長くはかかりません。お二人とも席を外して頂きます」
 ぴしゃり、とパレスが反論する機会と寝室のドアは、サラサによって閉ざされたのである。

☆☆☆

 アエラに睡眠薬兼鎮痛剤の薬草茶を与え、彼女の規則正しい寝息を確認したサラサは、蝋燭に火を灯した。
 この蝋燭自体は特殊なものではない。この揺らめく炎の向こうに個人の属性が見えるか否かで、刺青師の資質は決まると言っても良い。しかし、そうは思ってない人物が数多くいることも事実だ。
 小さくため息をついた後、気を取り直す為に、幾度か首を振る。
 そして、じっくりと炎を見つめた後、サラサはゆっくりと眼を閉じた。
「安らぎの大地、命の水、情熱の炎、浄化の風、この者を守護すべき精霊よ、我が呼びかけに応え、今名乗りを上げよ!」
 精霊に呼びかけ、眼を開けた瞬間、サラサの瞳に映る炎の色と揺らめき方によって、依頼人に入れるべき図形は決まる。
「ほう、意外にも情熱の炎に属する者か。しかし、それが彼女の定めならば。すべてを焼き尽くす業火ををもって悪しきものから彼女を守護したまえ」
 サラサは丸めて紐で結ばれていた道具入れをテーブルの上に広げた。中には特注で作らせた墨壺と針が一体化した一見ペンの様な道具が12色分入れられている。
 ふぅ〜と、大きく息を吐いた後、サラサはその中の1本を取りだし作業を開始した。
 サラサの実力を持ってすれば、墨入れ自体には大して時間を要しない。しかし、人間の属性を読みとる作業には、かなりの精神力を消耗する。ゆえに、属性の確認と墨入れは日を改めて行われるのが通常なのであるが、今日ばかりはそんな暢気なことをしている場合ではないので、サラサは気力を振り絞って作業を続行した。
「ロイドォ〜、覚えてろっ! ぜぇ〜ったい追加料金ふんだくってやるからなぁ〜」
 恨み言。それは時として人を奮起させるのに、絶大な効果を発揮するものである。

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