〜 命の花 〜

Chapter 3

「まっ、こんなこともあるわね」
 翌朝、サラサは爽やかに目覚めを迎えた。夜中に不穏な気配を感じることもなく、朝まで熟睡できたからだ。つまり、昨夜のサラサの残業は全くのサービスとなってしまった訳だが、そこは安眠と引き替えということで折を付けた。
「本当にお世話になりました」
 宿屋の前で深々と頭を下げるパレスの表情には、言葉とは裏腹に、早く厄介払いがしたくて仕様がない様子が見て取れる。
 確かに──今回の件は他言無用ですよ。もし他に漏れるようなことがあれば、私自ら強力な呪いをお見舞いしますわ。もちろん手加減なしで──などという文句で脅しをかけられれば、彼の気持ちも理解できるというものだ。
 宿屋の主人に昨夜の美青年、更に宿屋の娘までが並んでサラサを見送るという状況を、ナサルはイマイチ理解出来ないでいたが、余計な口を挟むことはしなかった。なぜなら、ことなかれ主義は、役所に関わる人間が最初に身に付けなければならない人生の知恵だからである。

☆☆☆


「サラサさん。夕べ一晩思案したんですが、やはりあなたには事情を話しておこうと思います。王族の道楽に関わる仕事だと思っているよりは、仕事にやりがいを感じて頂けると思いますので……」
 街中を抜け、街道に出た途端、ナサルは話を切りだした。だが、依頼を引き受ける前の判断材料にするならともかく、実際は事情がどうあれ、サラサのやる気は増えることも減ることもしない。理由は単純明快。引き受けたからには最後まで責任をもってやりとげるのが彼女の方針だからだ。
 しかし、事情が知りたいことには違いなかったのでサラサはナサルの言葉に無言で頷いた。
「お察しのとおり、私共を狙っているのは十中八九プラキオンの手の者です。その理由はプラキオンの経済の殆どを支えている魔法薬の輸出です。特に水龍の鱗からしか精製できないと言われている『メキサトール』はその80%を占めています。プラキオンに頼らずとも、本来ならば簡単な薬の合成ならその辺の町医者にも容易にできるのです。が、厄介なのは全ての薬を精製するために、どうしても必要となるのが、その『メキサトール』だということです」
「つまり、今あなたが持っている物は、その代わりになるものだということですね」
 サラサは納得したように頷きながら、問いかけた。
「と言いますか、正確には、代わりになるものの元とでも言うべきでしょうか。ご存知の通り、ヴァレスは花の都です。植物の研究にかけてはウィンダリアのみならず、この北の大陸随一です。そして、その技術と知識を買われた研究員達が各地に散って、花の栽培の指導と新種の植物の収集に努めております。そんな中、南の大陸に渡った研究員の一人が、南の大陸でもごく一部の地域にしか生息しないという、見たこともない虹色に輝く花の標本を送ってまいりました。調査の結果、その植物の花を蒸留して精製すると『メキサトール』と全く同じ成分が抽出できることが判明したのです。もし、この花の栽培に成功したならば、確実に我が国の経済は発展します。それよりも、医療費が大幅に削減されるでしょう」
「なるほどね。それがプラキオンにとって、面白い筈がないわね。でも、それなら却って隠したりしないで、情報を公開した方が安全なんじゃない? 誰もが知ってる情報なんて情報としての意味がないもの」
「その花を手に入れさえすれば、誰にでも育てられるというなら、サラサさんの言うとおりでしょう。しかし、その花は南の大陸の植物です。ヴァレスでも王立の植物園にしか設置されていない、完全な温度管理が可能な温室でしか栽培できません。温度管理のみならず湿度管理もです。ヴァレスの設備と知識なくしてはこの花は育ちません。更に、標本になっても虹色の輝きを失わないその花は、その土地の神聖なる植物とされていて、その地の長老がこれっきりという約束で分けてくれた、代わりのないものが私の持っている種なんです」
「……確かに、これは、あたしが思っていたより、厄介な仕事みたいねぇーっ!」
 サラサの台詞の語尾が気合いへと変化する。
 突然攻撃してきた敵の下あごに、掌底をぶち込む為だ。
 取りあえず1人目にはお休み願ったものの、気付けば周りは囲まれている。
「7人か……。この際情報が漏れるのは、どーでもよくなったって訳か」
 サラサは慎重に辺りを見回した。
 間違いなく、目の前の奴らはプラキオンに雇われた、しかも殺しの専門家だろう。
 ドラゴンをなんなく追い払うサラサに対して、魔術での攻撃は不可能と悟ったのだろう。今度は物理的な攻撃に切り替えてきたようだ。
 刺客の人数は7人。その内1人は既にサラサの靴底で踏みつけられているものの、サラサがひとりで相手をするには少々骨の折れる人数だ。
 ましてや、ナサルを守りながらとなると、より難度は上がる。
 相手を牽制しながら、ジリジリと身体の方向を動かした時、サラサの目が見開いた。
「ロイドォ〜、あんたに期待はしてないから、せめて自分の伯父さんくらい守りなさいよっ!」
 言い放ち、目の前の敵との間合いをつめる。
 再び掌底をたたき込むと見せかけて、軸足にしていた左足で蹴りを入れる。
 まさか、そちらから蹴りが来ると思いもしなかった相手は、右あご斜め下からこの攻撃まともにくらい、ひっくり返る。
 サラサ達を円で囲む様に包囲していた敵の一角が崩れたのを見て、ロイドが街路樹から飛び降りる。
 素早く、ナサルを抱え上げ、再び街路樹の上へと戻る。
 大の大人を1人、小脇に抱え木の上に飛び上がることが常人に出来るとは思いがたい。
 そんな人間を役立たず呼ばわりするサラサの実力は、一体いか程のものなのだろうか。
 自分がたった今蹴倒した敵から剣を奪い、サラサは一部の隙もなく構えた。
 自分の剣ではなく、敵の剣を奪ったのは、サラサの剣の師匠から譲り受けた名剣を汚したくないという、けちくさい理由からだ。
 それに、今自分が面している敵は、少なくても素人ではない。故に、自分のエモノはきちんと手入れされている筈で、使い物にならないナマクラであることは有り得ない。
 微動だにせず、目の前の敵を睨んでいるサラサに背後から2人同時に襲いかかる。
 某国でTV放送されている時代劇とは違い、もちろん相手はサラサが前の敵を倒すまで待っていてなどくれないからだ。
 自分の剣をサラサの首めがけて振り下ろし、敵が『仕留めた!』と確信した瞬間、彼女の身体が沈む。
 その動作と同時に、振り向きざまサラサは背後の2人の両足をなぎ払うように斬りつけた。
 サラサが予想したとおり、それなりの切れ味を持ったその剣は、攻撃した部位により致命傷にはならないものの、まず2人の敵を役立たずにすることに成功した。
 残りは3人。
 いくら動けないとはいえ、両手が無事な2人の背後からの攻撃を避ける為、サラサは後ろへと飛びずさった。
 目の前の3人は、そんなサラサに驚愕の表情を浮かべながらも、専門家だけあってひるむことは無かった。
 その中でリーダー格らしい男に目配せされ、3人の内1人が、攻撃対象をサラサから街路樹の上の2人へと移した。
「ちっ、しまった──」
 そちらを先に仕留めようと、サラサが身体を動かしかけたとき、目の前にリーダー格の男が立ちはだかった。
「お嬢ちゃん、君の相手はこっちだ!」
 男は完全に台詞を言い終える前にサラサに向かって斬りつけてくる。
 その攻撃を紙一重でかわすことには成功したサラサだが、流石に腕の立つ人間をまとめているリーダーだけあって、一瞬でも気を抜いたら命がないことが解る。
 もはや、自分の力を出し惜しみしている場合ではなかった──
「λμυεοωΨ」
 意味不明の言葉がサラサの口から零れる。
 次の瞬間──
 目の前の2人はおろか、ナサルとロイドを狙っていた者、更には倒れている者まで含めて、敵はその場から消滅していた──

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