5 「アリス、メンテナンス部に行ってくれ。emotion-systemのDブロックのみを初期値に戻したいらしい。Dブロックは奴らの手には負えないし、俺は手が離せない」 なんで俺がここまでしなけりゃならないんだ、と思いつつ、謎めいた事象に出くわしたなら、それが謎でなくなるまで、自分で突き詰めなくては気が済まないのが火村の性格だ。 そして現在の火村は、まさに、その謎の解明に臨んでいるところだった。 象が踏んでも壊れない。 元ネタが何かがさっぱり解らなくなっている現在でも、丈夫なものを表現するのによく使われる言葉。 この言葉は、サニーが開発し、当然製品のアンドロイドの骨組みに使われている合金にもよく使われる。 その合金が巷で超合金と呼ばれるゆえんは、その製法が全く不明な為だ。 実際は象が踏んでも壊れないどころか、例えばラップの芯に使われている程のパイプ2本の上に、10m×10m×10cm鉄板を置き、5頭のマンモスがタップダンスを踊ったところで壊れない筈の合金。 壊れない筈であるのに、とある工場で使用されている作業用ロボットのアームが次々を折れるというクレームが入ってきたのだ。 その合金の製法が社外秘であるために、外部に調査を依頼する訳にもいかず、当の開発者でさえ、自分はラックの神様に愛されいただけだなんて抜かして匙(さじ)を放り投げた為に、面倒な仕事がまたしても火村の所にまわってきたのだ。 症状を出している製品が置かれている状態からも、その発生条件は、瞬間的にかかったのならばなんの支障もない程度の負荷が、一定時間内に断続的にかかることによって起こることだろう。 しかし、予測がついていたとしても、その時間とリズムを割り出す為には、膨大な量のデータと気の遠くなるような回数の実験が必要になるのだ。 テレサを失った芹沢のことは気になるものの、今の火村には、そのデータを取るために自分で組んだプログラムのエラー修正と、彼よりも身近な友人の変化の方に気を取られていた。 「解りました」 火村の言葉にアリスがすっと席を立ち上がった。 「おいっ、そっちのデータ整理は終わったのか?」 「いえ、まだ途中です」 「それは、あとどの位かかるんだ」 「5分。不測の事態に遭遇しない限り、誤差はプラスマイナス10秒といったところでしょう」 「なら、どうしてそれを先に終わらせない?」 「指示されていませんから」 ──まただ…… 火村は大きくため息をついた。 アリスが今しているデータは、プログラムの修正が終わり次第必要になるものだ。 しかし、emotion-systemDブロックの初期化には、少なくとも3時間はかかる。 その間に火村がプログラムの修正を終えてしまったならば、仕事の流れが悪くて仕方がない。 以前のアリスならば、そんなことはいちいち火村が指示しなくても自分で判断していた。 それに、いくら仕事中とはいえ、不自然な程の丁寧な口調が気に入らないったらありゃしない。 発音からアリスの言語モードが切り替わっていないことは判断できるが、文字にしたならば標準語と区別が付かないだろう。 「……解った。俺にも色々と思うところはあるが、まずは仕事を優先させる。とにかく、そのデータ整理を終えてくれ。それからメンテナンス部に向かい、後は主任の多田さんの希望に従って作業を進める。更に、それが終わったなら、この研究室に戻ってきてくれ。これでいいか?」 「解りました」 再び席に戻り、端末を叩き始めるアリスの背中を見つめ、火村も再び大きなため息をついた。 最近のアリスは絶対におかしい。 この表現が適切ではないことを自覚はしているが、いうなればアンドロイドらしくなってしまったのだ。 emotion-system搭載の最新アンドロイドの方がよっぽど人間らしく見える程に。 まず、表情がなくなり、火村が指示を与えない限り、動かなくなった。 つまみ食いもしなければ、与えられた仕事に対して愚痴をこぼすこともしない。 ただ、淡々を指示されたことをやり続けるのだ。 流石に、戻ってこいと指示しなければ、火村の元に帰ってこないようなことはなかったが、それが出来ない様ならブーメランより始末が悪い。 その理由は解らないものの、きっかけがあの──テレサが襲われた──夜の一件であることは明らかだ。 ──こうなったら、手段は一つだな。 二兎追う者は一兎も得ず。 とにかく気に掛かっていることを一つ一つ減らしてゆくしかないと、少なくとも1月はかかると踏んでいた現在の実験を、火村は1週間で終わらせる決心をした。 この際、確率は無視していいだろう。 なぜなら、火村の悪運は、自分でも怖くなるほど強いからだ。 * * * 「アリス。話がある」普段の倍くらい気合いを入れて働きはしたものの、火村は予定通りきっちり7日で、実験の結果を出した。 実験結果が出れば仕事はそれでおしまいという訳では無いが、取りあえず一段落だ。 久しぶりに日付が変わるまでに数時間残して自宅に帰宅した火村は、そそくさと自室にこもろうとしたアリスを引き留める。 「話?」 その場を動かず立ち話ですませようとしている様子のアリスを、リビングまで引っ張って行きソファへと座らせて、火村は立ったまま腕組みまでして話を切りだした。 「アリス、一体どうしたっていうんだ。不満があるならあるではっきり言ってくれ。このままじゃ、ストレスで俺の胃に穴があく」 そんな火村の言葉に、アリスは目を伏せたままで、別にと応える。 アリスのその態度は火村をいよいよ怒らせた。 前のお前だったら、ストレスで胃に穴を開けるのはもっと繊細な人間だぐらいは言っただろうがと。 「別にじゃねぇよ。俺にどんな不満があるのか知らないが、別にですませたいならもっとうまくやれ。今のお前ときたら、俺に問いただして欲しくてわざとそんな態度とってるみたいに見えるぞ」 「そんなんやない」 「なら、なんなんだ」 「せやから、別に何でもない」 「アリスッ!」 火村が声を荒げても、アリスの態度も表情も全く変わらない。ただ黙って、この時間が通り過ぎるのを待っている。 火村だって、決してアリスを責めたい訳ではないし、どちらかというと、その原因が解らない自分の方が悪いのだろうとは思う。 しかし、火村も好きで解らない訳じゃないのだ。 そして、解らないのは嫌だった。 「アリス……頼む。冗談抜きで、俺はお前にそんな態度を取られる理由が解らないんだ。俺の人付き合いの下手さ加減は誰よりもお前が知ってるだろう」 一番近くにいるのに、相手の考えていることが全く解らない自分のふがいなさを全て認めて、火村はアリスに向かって懇願した。 「……」 だが、アリスはまだ黙ったままだ。 こうなったらもう、アリスの口を開かせる為に残された手段は『命令』するしかないだろう。 だが、そうやって無理矢理原因を聞き出したところで、自分たちのの間にある溝がいっそう深まるだけだとも思う。 短気を起こして、『命令』なんかをしてしまったら、それこそ取り返しのつかないことになる予感がする。 今日のところは一旦諦めるか、と火村が大きなため息を漏らした時── アリスがゆっくりと口を開いた。 「俺は……、君にとっての何なんや」 「何って……」 口を開いてくれたのは嬉しいが、アリスの質問の意図が不明だ。 火村にとってアリスはアリスという存在以外の何者でもない。 しかし、アリスの問いの答えにはなっていない。 『俺は、君にとっての何なんや』という質問に『お前は俺のアリスだ』と応えたら、ばかみたいではないか。 でも、それ以外には思いつけない。 「例えば、仕事のパートナーやとか、君が最初から言ってくれたように友人やとか、単に自分が管理しているアンドロイドやとか。君にとって俺はどんな存在なんや」 「どんな存在って……」 火村の言葉が途中で消える。 確かに、アリスは仕事のパートナーで友人で自分が管理しているアンドロイドであるが、それだけでは言葉が足りない気がする。 相手が単なるパートナーや友人ならば、何か事情もあるのだろうと、ここまで相手の中に踏み込もうとはしないだろうし、火村は普段、自分がアリスの管理責任者だと意識したことはない。 それどころか、こんな風になる前のアリスに対しては、彼がアンドロイドであることさえ、忘れかけていた。 『お前は俺のアリスだ』という台詞の《アリス》をどんな言葉に置き換えたならば、一番しっくりくるのだろう。 《親友》か? 《大切なパートナー》か? 《一番信頼している存在》か? まさか《輝ける星》とかか? 《輝ける星》はともかく、そのどれを当てはめても、なんだか自分の台詞が薄っぺらくなってしまう気がする。 そんなことを考えて、火村が返答に窮していると、アリスが再び口を開く。 「そんなに困らんでええよ。やっぱり、君にとって俺は単なるプログラムなんやろ」 「なっ……」 アリスの言葉に火村は固まった。 ──原因は、それか…… それは、他の誰でもなく、自分が友人に言った言葉だ。 テレサを失って悲しむ友人に。 彼女は単なるプログラムだと。 火村がアリスもアンドロイドであることを忘れていたというのは、この際、なんの言い訳にもならないだろう。 だが、火村にとってそれが事実だった。 芹沢には悪いが、アリスは他のアンドロイドとは違う。 彼に言ったとおり、同じ育て方をすればテレサと全く同じとは言わないまでも、殆ど同じ性格を持つアンドロイドが出来上がるだろう。 しかし、アリスは違うのだ。 自分が作った、自分が育てたアンドロイドではないという理由もあるが、それは些細な問題だ。 現在発売されているALシリーズに搭載されているemotion-systemは、アリスに使われているオリジナルに比べれば子供のおもちゃみたいなものだ。 固有の性格がありはするが、それは単に選択肢の組み合わせに過ぎない。いわば結末の数が限定されていない育成ゲームで、ある一定レヴェルに達すると、それ以上育つことはないのだ。 その点アリスはまるで人間だ。 多分、子供と一緒で、マニュアル片手に、こんな風に育てようと思ったところで、絶対に自分の思う通りになど育たない。 そして、自分の思い通りにならないからこそ、それは大切な存在となるのだ。 そう、考えるとやっぱり《アリス》に代わる言葉など存在しない。 いくらばかみたいだと思っても、代わりがないならそのままを伝えるしかないのだ。 火村はゆっくりと口を開いた。 「お前は……俺のアリスだよ」 |