10 「ったく、どこまでも変な機能を……」 「は〜ん、そういう割には随分と派手にやってくれたもんやないか。どないしてくれるん、コレ」 「どーもこーもあるかよ。知ってりゃこっちだってもうちょっと気を遣ったんだ。何で先に言わなかったんだよ」 「それはそれはすみませんでしたね。するとあれかい? 俺は常日頃から、俺の人工皮膚って、きちんと人間並みにキスマークがばっちり残っちゃうんです〜とか宣伝して歩かなならんちゅー訳かい。それとも、お互いの気分が盛り上がっとる時に、ひとりでハタッと正気に戻って、すまんが後が大変だからキスマークをつけるのと中出しするのは勘弁してね♪ とか君に頼まなあかんのか? ああ、ああ、それはそれは想像するだけで目眩がするよな、さぞかし素敵な夜になっとったことやろうな。それにや、本当に知ってたら気を遣うような人間は、知らなくてもここまでせんわっ。その辺り、君はどう思うとるんや? 申し開きできるもんならしてみせぇや」 アリスのマシンガントークでも知れるように、一夜明けて、いい雰囲気のかけらもない朝の会話を交わしていた。 ことの起こりは、昨夜火村が自分の欲望にまかせて、アリスの身体中に散らしたキスマークだ。 本日のアリスは、何か怪しい病気にでも罹ったように、素晴らしくまだら模様になっていた。 朝の日の光の中で、それを目にした時、さしもの火村もやりすぎたかと反省はした。 反省はしたが、同時に疑問も感じた。 昨夜はそんなことを気にとめている余裕がなかったが、これはおかしい。 疑問を感じた時点でアリスに確認したので、彼の人工皮膚が劣化しない理由は既に知っている。 実際に試したことはないが、アリスの人工皮膚は傷つくと血──実際にはそれに似せた赤い液体──が流れ出し、それがかすり傷程度ならば、合成樹脂がしみ出て、皮膚を修復するらしいのだ。 切り傷でさえ直してしまう、その修復機能が正常に機能している限り、アリスの皮膚は劣化しないとのこと。 素晴らしい機能だが、現在、アンドロイドに関わる消耗品として一番売れているのが人工皮膚のスペアだけに、会社はそんなものに興味を示さないだろうという独断で、火村はその人工皮膚に関する研究を二の次にしていた。 というのはとってつけた言い訳で、人工皮膚の件に限らず、アリスのemotion-systemにしか目が行っていない会社に対して、それ以上の機能を報告したくなかっただけだ。 そんなことが会社にバレたならば、emotion-systemが手に入った今、壊れてもいいからアリスを解体してその全てを手に入れろと言い出しかねない。 まあ、それはともかく、人工皮膚だ。 そんなものを作ろうと思ったことはなかったから考えもしなかったが、作れと言われればその原理はわかる。 ただし、傷を修復するところまでは。 だが、他の傷は修復するのに、毛細血管(もどき)の破損だけを一定期間修復させない方法がわからない。 やりすぎたと思う反面、とっても楽しい眺めではあるが、このキスマークって一体…… そんな気持ちが、火村に冒頭の台詞を呟かせたのだ。 そして、その呟きがアリスの気に障って、ああいう展開になったという訳だ。 だが、火村としても、ここまで自分だけが責められる筋合いはない──ちょっとばかりやりすぎたことは認めるが──と思う。 なぜなら、アリスほどではないにしても、火村の身体にもキスマークやら歯形やら爪痕やらが残っていたから。 いわゆるお互い様というやつだ。 「OK。お前の主張はもっともだと認めてやってもいい。但し、俺も聞かせて貰うぞ。俺の身体にもいわゆる情事の跡ってヤツが残っているのはどういう訳だ」 「うっ……」 痛いところをつかれ、アリスが口ごもったのを見て、火村は更に続ける。 「もちろんお前は知ってた筈だよな。そちらさんの優秀な人工皮膚とは違って、俺の極々一般的な皮膚は、極々一般的な治癒能力しか持ち合わせていないことを。知らないで失敗するのと、知っていながら失敗するの。はてさて、一体どちらの質が悪いんでしょうかねぇ。アリスさんとしては、この辺り、どうお考えなんですか」 「君って奴は……」 なんて根性悪なんや。 消えたアリスの言葉の続きはこんなところか? 「はい? なんかおっしゃいましたか?」 「やかましいわっ!」 本当に、色気も素っ気も夜明けのコーヒーもあったもんじゃない会話であるが、火村はそれでも楽しかった。 こんな下らないことで言い争いが出来る日常こそが、彼が一番大切にしたいものだから── 因みに、火村にも咄嗟に解明できなかったアリスの身体に残るキスマークの秘密は、彼の皮膚に流れている赤い液体あり、それが紫外線を遮断している毛細血管の外にしみ出ると、およそ60時間程度かかって徐々に色を失っていくようになっていた──というのは、まったくもってどうでもいい余談である。 * * * そんなこんなで、表面上はあまり変化がないながらも、彼らが友人よりも一歩進んだ関係になってから、1月ばかりが過ぎた頃。あと10分で仕事にキリが付くといった、現場の人間の機嫌を傾けるにはそれだけで充分すぎるタイミングでもって、火村は専務の部屋へと呼びつけられていた。 秘書にコーヒーを出させる間もなく人払いをしたかと思うと、盗聴防止装置のスイッチをオンにして、専務は火村を更に不機嫌にする話を切りだした。 商品価値のあるなしに関わらず、速やかにアリスに搭載されている全機能を明らかにし、報告しろと。 emotion-systemを搭載したアンドロイドが、ある程度普及してしまった今、新たな付加価値となるものが欲しいからと専務は言っているが、それは商品価値のあるなしに関わらず全ての機能を明らかにする理由にはなっていない。 ──何かある…… それも、ものすごく嫌な何かが。 不穏な空気を敏感に感じ取った火村は、彼の言葉に素直に頷くことはしなかった。 「何故ですか」 「何故って、それこそ君が何故そんな質問をするかが不思議だよ。そもそもそうして貰う為に、我々は君にあのアンドロイドを預けた筈だが」 「報告はあげているでしょう」 「あげていないものもある」 「確かに提出していないものもありますが、それはまだ調査が完璧ではないからです。なんせ、通常業務をこなしながらですからね、こちらにも限界がありますよ」 「今まではね。但し、これからは君の仕事の中でそれが最優先してもらう、それだけだよ」 「今まで5年近くものんきにやらせておいて、何故今更急ぐ理由があるのか。私が聞きたいのはそこの処です」 理由を聞くまでは頑として退かないといった態度の火村に、専務は大きくため息をついて見せた。 「まだ、単なる噂に過ぎないから、あまり言いたくはないんだが……」 「何がですか?」 「破損したDNAの欠損部分を、一時的にだが正常に修復できる新薬が発見されたらしい」 「それがこの件と──あっ!」 「そう、しかもそれは、近々『彼』に投与されるという噂だ。もちろん意味は解るね」 火村は無言だった。 それは専務の意味が解らなかったからではない。 解りすぎていたからだ── * * * 人間は何故歳と共に老化するか。それは遺伝子のコピーミスが原因だ。 印刷物のコピーと同様に、1回コピーが行われる度に、それは僅かに劣化してゆくのだ。そして、その回数が多ければ多い程、劣化の度合いも激しくなるのも同様。 とはいえ、普通の状態ならば、その劣化速度はゆっくりとしたものだ。 だが、どんなことにも例外はある。 アリスの製作者である風間蒼をコールドスリープに至らしめたのは、遺伝子のコピー性能が著しく低下してしまう、早老症という病気だ。 この病気は遺伝による先天性のものもあるが、後天性のものもある。 博士の場合は後者だ。 研究中の事故により遺伝子にダメージを受けてしまった彼は、病気が進行する前に眠りについた。 いつか、その病気の治療法が発見される日が来ることを信じて。 だが、彼の希望はなかなか叶わなかった。 彼が眠る前から遺伝子を完全にコピーする方法は発見されていたし、決して公にはされないが、もう百年も前から要人には身代わりの為のクローンが存在することなんて、今では小学生でも知っている常識だ。 しかし、それは全て正常な遺伝子があってこその技術であり、既に遺伝子の一部を欠損してしまった博士の病気に対しては、何の役にも立ちはしない。 斯くして、彼は300年もの長きに渡って眠り続けることにはなったものの、自分でも口にしていた通り、彼の運は良かった。 体質によっては100年程度のコールドスリープにも耐えられない人間も多い中、彼は再び目覚めることができたのだから── |