Alice──AL0000A


12

 火村の言葉に風間は鼻を鳴らした。
「何を言い出すかと思えば。僕にとってアリスがアリスじゃない? 彼を造り、アリスという名をつけたのは、他でもないこの僕なのに」
 呆れた口調を装って、風間は話のすり替えを試みた。
 普段からして、そんなものに騙されてやる程、火村は親切な人間ではなかったが、特に今の彼には、他人のことを思いやる余裕などなかった。
 多分、それが彼にとって禁句だといいうことを重々承知で、ある人物の名前を口に乗せる。
「ルイス・ディアナ・ド・トレアドール」
「…………」
 その名が上がるのを予測していたのだろうか。無言ではあるものの、風間は表だった動揺は見せなかった。
 火村は更に続ける。
「関連づけるのは割と簡単でしたよ。あなたが表舞台から姿を消す前、最後に携わった研究と、その国の第一王子の暗殺。そして、彼の名前が解ったと同時に、あなたが何故、自分の作ったアンドロイドに『アリス』と名付けたかも。あまりにもひねりが足りなくありませんか。どうして今まで誰も気付く者がいなかったのかの方が不思議でなりません」
 火村の言葉を聞き終えた風間は、あからさまにため息をついて見せた。
「僕が黙って聞いていれば。君は一体何の話をしている訳。っていうか、誰、それ」
 風間の返答を聞き、火村は彼に詰め寄った。
「とぼけないで下さいっ! アリスのモデルであり、あなたにとって一番大切な人物の話に決まっているでしょうがっ」
「ばか言わないで。アリスにモデルなんていない。彼は、僕が作り出した最高傑作、人造人間試作A−666、通称アリスだよ。他の誰でもない」
 もっとも、666体目の試作品という訳じゃないけどね、と風間が付け足した言葉は火村の耳を素通りした。
 自分でも驚くほど、頭の回転が遅くなっているのが解る。
 それは多分、風間の台詞の意味を理解したくないという拒否反応の現れだ。
 しかし、火村は解ってしまった。
「あなた…まさか…」
「イリュージョンディスクだなんて便利なものはなかったけど、僕が眠りに付く前から、暗示の持つ力が結構すごいということは知られていたよ。それが熱湯だと思いこんでいる人間は、水をかけられても反射的に熱いと言うし、人によっては火傷までする。世界的に有名なものとしては、聖痕現象なんかもその一種だと言われているよね。これって今でもあるのかな」
 ある──風間の問いに、火村の頭はそれこそ反射的に返答する。
 いくら科学が進歩しても、心のよりどころを宗教に求める人間は存在するもので、この時代においても世界で一番のベストセラーが聖書であることに変化はないのだ。
 ──本当に神だというなら、てめぇを信じていない人間も、人間じゃないものも平等に救って見せろ。
 火村は心の中で、自分は信じていない神に向かって悪態をついた。
 風間の話は、あまりにもアリスにとって救いがなさすぎる。
「あなたは、自分に暗示をかける為だけにアリスを作ったと言うんですか」
 否定して欲しい──
 それを強く願うあまりに、絞り出した声も、握りしめたこぶしも震えているのが解る。
 たとえ、その事実が自分を不利にしたとしても、そう願わずにはいられない。
 風間が自分の中に誰かの影を見ている。
 自分は誰かの代わりとして作られた。
 それだけでも、アリスはあれほどに傷ついていたというのに。
 自分がその人の代わりでさえない・・・・・、只の道具だと知ったなら──
 だが、そんな願いも虚しく、風間は薄い笑みさえ浮かべながら、最悪の応えを寄こした。
「いや、最初は違ったよ。でも、どんなに作りこんでも、どんなによく似ていても偽物は偽物さ。陶器だってそうだろう。例え、どんなに名のある陶芸家が作ったところで、贋作は贋作。だけど同じ姿の陶器でも、自分の作品として発表すれば、それは本物になる。だから、僕はアリスを本物にした。それが何か?」
 とぼけている訳ではなく、本当にそれがどうしたと思っているらしい風間の態度に、火村は唇を噛みしめた。
 今はただ悔しくて。
 自分ではなく他人が──しかもこの男がアリスの制作者であることが。
 こんな男が、あのアリスを作り出せたということが──
 恋愛においても、とある方面の才能においても、自分の望むものを手に入れている人物に対して、人間が抱く感情はだたひとつ。
 ──どうして自分ではないのか。
 そんなことをいくら考えたところで、無駄なのは解っているのに、考えずにはいられない。
 言葉を失った火村を興味深げに眺め、風間は口を開いた。
「今更な質問だけど、一応聞くよ。君はアリスのことが好きなの?」
 風間の質問で火村は我に返った。
 そう、今は無駄なことなど考えている場合ではないのだ。
 仕事をする時同様に、冷静に優先順位を見極めろ。
 自分を叱咤し、風間の視線を受け止める。
「ええ、好きですよ」
 風間がどういうつもりでこの質問をしたのかは知らないが、火村が彼より有利なのは、この点だけだ。
 誰かの代わりではなく、なにかの為でもなく、自分はアリスを──
「愛してる?」
 自分の心中を読んだかのようなタイミングで、再び風間に問われ火村は一瞬焦った。
 だが、すぐに気持ちを立て直す。
 なんのことはない、感情が顔に出ていただけだ。
 交渉に大切なのはポーカーフェイス。
 ──相手のペースに巻き込まれるな。
「愛してますよ」
「自分で言うのも何だけど、いくら良くできていたってアリスはアンドロイドだよ。それなのに、単なるアンドロイドを、君は真顔で愛してるだなんて言う。自分でもおかしいとは思わない?」
「入れ物がアミノ酸で出来ていようと、現在は入手不可能なレアメタルで出来ていようと関係ありません。大切なのは中身──アリスの心です」
「ふっ…心ね。つまり、アリスに蓄積された情報が好きだってこと」
「わざと印象の良くない言葉を使ったところで私には通じませんよ。それを言うなら人間だって、環境と情報の積み重ねが人格が出来上がるのではありませんか」
「人間ならね」
「アリスも同じですよ」
「いや、違うね」
 風間は断言した。
「君だって、いい大人の年格好をしているアリスが起動して一番最初に言った言葉が『おぎゃあ』だとは思っていないだろう。彼の人格の基礎となるものは、僕が全て設定したんだよ」
「だから? その後、与えられる情報を振り分けたのはアリスで、私はその状態のアリスに惹かれたんです」
 火村の返答に、風間は唇の端だけで笑ってみせた。
 言っちゃったね、とでも言うように。
「確かにアリスは人間と同じく情緒面で成長するよ。けれど、それは目先を誤魔化すための手段に過ぎない。有能なようで意外と抜けているところ。思ってもみないいたずらをしたりするところ。悩んでいることは歴然としているのになんでもない振りをするところ。すぐに空想の世界に入っていってなかなか戻ってこないところ。何でも食べるようで、結構味にはうるさいところ。ずばずばものを言うようで、本当に人を傷つけるようなことは決して言わないところ。自分に危険が及んでも傷ついている人間を放ってはおけないところ。自分についた付加価値ではなく、本当の自分を見てくれる人間を欲しているところ──」
 意地悪く、風間はここで一端言葉を切った。
 火村が自分の記憶を辿るのを待つように。
 ──惑わされるなっ!
 いくら自分に言い聞かせても、次々と思い当たる場面が頭の中を通り過ぎるのを、火村は止めることができなかった。
 こんな時、記憶というのは本当に厄介で、眼を閉じたところで見たくもない映像を流し続けるものなのだ。
 その映像を振り払い、気を取り直す為に火村が幾度か頭を振ったところで、風間は再び口を開く。
「さて、君が愛しているのは、誰なんだろうね」

*   *   *

「アリスですよ」
 自分でも不思議であったが、風間の意地の悪い質問は、却って火村を冷静にした。
 いや、不思議なことなど何もない。
 火村の今の心境は、例えばこんな感じであろう。
 無理めの大学受験当日、問題用紙を見ても解る問題がなにもない。パニックをおこしかけた時、用紙の隅に答えが解る問題を発見した。問題がひとつ解けたことで落ち着きを取り戻し、再度用紙を見てみたら、なんのことはない、全ては解ける問題だった。
 そう、火村にとってこの問いの答えは既に出ていたのだ。
「本当に? よく考えてごらん」
 冷静になれば、こんな風間の台詞など、単なるゆさぶりであることがよく解る。
「考えなくても解りますよ。記憶を塗り替える為には、全部が本人と違っていては駄目だということでしょう。というよりも、基本は本人と同じにしてその他のものをインパクトの強いものに置き換える。なぜなら、記憶というのはより印象の強いものに引きずられるものだからです。そう考えると方言を使うのはうまい手ですよね。関西弁=アリス。確かに私の記憶もそういう経路を辿りますから。先刻からごちゃごちゃとアリスが人間ではないことを主張してくれましたけど、そんなことは関係有りません。アリスは人間です。例え事実がどうであれ、私がこう思うことを止める権利は誰にもないんです。そう、製作者のあなたでさえ。そして、私はあなたにこう告げましょう。あなたと過ごしていた彼の過去と、心の奥底で未だにあなたに自分自身を見て欲しいと願っている彼の現在、そんなものは全て込みで私はアリスが好きですと。答えは出ていますね、私が愛しているのは他の誰でもないアリスだと。あなたの恋人はあなたに自分自身を見て欲しいなどとは願う筈がないんです」
 火村の返答に、風間は大きくため息をついてみせた。
「思考時間たった2秒で、そこまで完璧な解答に辿り着かないでくれる。意地悪した僕の立場ってものがないでしょ」
「はっ?」
 予想外の風間の言葉に、火村は怪訝な声をあげた。
 いや、何を予想してたという訳ではないのだが、それでも風間の発言にはそう感じてしまう、突拍子の無さがあった。
 そんな火村にはおかまいなしに、風間は更に続ける
「あのね〜、君がアリスを作ったのが自分でないことが悔しいように、僕だって絶対に他人には起動できないと思っていたアリスを君が起動したことが悔しいの。だって、自分が持ちかけた賭けに負けたんだよ。ったく、どこのどいつが厳重に保管されてたアンドロイドの鼻をつまんで左右に振るよっ」
 ここで風間は再びため息を一つつき、苛立たしげだった口調を多少落ち着けた。
 あくまでも、多少であるが。
「そりゃ最初はアリスが単なる道具だったのは本当さ。でもね、アリスがどう感じていようと、既に僕にとってもアリスはアリスな訳。言っておくけど、僕の置かれた立場は君より厳しいんだよ。君が言ったならアリスも素直に信じられる『僕が見ているのはアリス自身だ』という台詞も、僕が言ったんじゃ簡単に信じて貰えない訳なんだから。事実、今でもアリスは信じてくれてないんでしょ。それに僕には時間がなくて、君には少なくとも僕の4〜5倍は時間が残されているところも。目覚められたことだけで運がいいことは解っちゃいてもね。だけど、僕は自分の運はもっといいと思っていたんだよ。僕が目覚めた時、アリスは僕の傍にいる筈だった。仮に誰かがアリスの起動に失敗していたとしても、それならそれでアリスは永遠に僕だけのものだという証明になった。それが、いざ目覚めてみれば現実はこれさ。君が不安になるような意地悪の1つや2つしたくなるってもんじゃないの?」
 ──そんなものだろうか?
 火村は僅かに首を傾げた。
 火村も自分の悪運の強さには割と自信があるが、さすがにここまで『運』などという目に見えないものを信頼することはできない。
 いや、考えてみれば、これこそがアリスの制作者の思考としてはぴったりくる気もする。
 そう、理解できないという点で。
 この人の人生は、ある意味楽しそうだと火村は思う。
 決して、こうなりたいとは思えないけれど──
 無言のままでいる火村に業を煮やしたのだろうか、風間は彼の返答を待たずに、再び口を開いた。
「まあ、君がどう思おうとそれこそ関係ないけどね。残念ながら僕は律儀だから、他人が決めたことは無視しても、自分の決めたことは守るんだよ。もし、僕が目覚めた時、誰かがアリスを起動できていたならば、誰の傍に居たいか──それは本人に選ばせると」
 忌々しげに告げられた風間の言葉に、火村の表情が徐々に笑顔へと変化する。
 彼と解り合えることは永遠にないだろうが、時間の少なさを言い訳にせずに、自分の決めたことをきっちり守る風間の意志の強さは尊敬できる。
 だから、火村は今更ながら彼の問いに答えることにした。
「そりゃあ、意地悪したくもなりますね」

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