13 「で、決着はついたんか」 いつもと同じ時間に、いつもと同じ様な顔して帰宅し、いつものようにどっかりとソファに腰掛け、まずは煙草をくわえる火村に向かってアリスは言った。 その言葉に、ライターを捜して、ポケット中をごそごと動いていた火村の手がぴたりと止まる。 「……気付いてたのか」 火村の問いに、アリスは黙って微笑んだ。 ──この状況で気付かなかったらただのあほやろ。 こんな風に、いつもみたいに、軽口を叩いてやりたかったけれど、それが出来なかったから。 それにアリスは、火村がどれほど自分の為に頑張ってくれていたかを知っていたから── * * * アリスの左腕に揺れる認識票。それは単なる金属のプレートではない。 普段使われることは殆ど無いが、緊急事態に備えてGPSと音声受信装置が内蔵されているのだ。 GPSはともかくとして、音声受信装置がつけられている理由は、その昔、アンドロイドに融通が利かなかった頃の名残。 アリスの様に、声紋を登録して特定の人間の命令しか聞かないアンドロイドは昔からあった。 秘書的な仕事をこなすアンドロイドには必要なものだったからだ。 三原則と犯罪制御プログラムに引っ掛からない限り、管理責任者の命令しか聞かないその手のアンドロイドは、不測の事態が起きた時、大変困った存在となる。 どう見たってそれが実行できる状況でなくとも、管理責任者に指示されたことを遂行しようとするからだ。 そんな事態が発生した場合、離れた場所にいる管理責任者が早急にそれに対応できるように付けられてるのが、この音声受信装置だ。 一般の携帯電話に使われている電波とは違い、圧縮された音声信号を高次元領域を使用して送受信されるこの通信システムは、例えどんな場所からでもアンドロイドに指示を与えることができる。 よってアンドロイドに認識票の装着が義務づけられているのと同時に、管理責任者にはカードサイズの管理端末の携帯が義務づけられる。 現代ではこのシステムが使用される頻度は極端に少なくなったとはいえ、一度作られた決まりが改正されるまでには、驚くほどの時間がかかるのは、どんな時代も同じなのだ。 音声の送受信できると言っても、それはアンドロイドが音声信号として認識できるというだけで人間には聞こえないことと、犯罪制御プログラムに盗聴行為の禁止項目があることが、このシステムに意外な落とし穴を作った。 管理責任者の持つ端末の音声スイッチを入れておけば、いわゆる盗聴器と同じ役割を果たすのだ。 このシステム自体、ある程度アンドロイドの性能が安定してから作られたものだから、それで問題はなかったからだ。 しかしながら、アリスはそんなアンドロイドの中で、いわゆる規格外品だった。 もちろん、いいこと悪いことの判断はつくように作られている。 しかし、時に感情が理性を上回ることがある。 人間と同じように。 だからこそ、アリスは違法だとは知りつつも、苦しむ火村と友人の為に、イリュージョンディスクを作ることができたのだ。 そして、今回も。 しばらく会社に来なくていい、と言っただけで詳しい説明を何もしない火村が、シャワーを浴びている隙に、管理端末の音声スイッチを入れた。 携帯が義務づけられているから、そのカードは常に火村の財布の中に入っているが、使われない為に他のカードの下になってしまっている端末に、小さな緑色のランプが点っていることなど、彼に気付けるはずがなかったから。 先日から何やらこそこそやっている、火村と専務の会話を運良く拾えれば、彼に何が起こっているかが解ると思って。 しかし、その期待は虚しく、火村が専務の部屋に呼びつけられた後は盗聴防止装置に阻まれて、アリスは彼らの会話を聞くことが出来なかった。 ノイズばかりが流れてくる認識票に、ちっと舌打ちを一つして、アリスはソファに寝転がった。 「俺、一体何が知りたかったんやろう」 アリスは小さく呟いた。 だが次の瞬間、その場には、唇を噛みしめて激しく首を横に振る彼の姿があった。 本当は解っていたから。 自分は、それが何かを知りたいのではなく、それが何かでは無いことを知りたかったのだと。 風間が眠りについてから、既に300年。 健康な状態でコールドスリープしたとしても、限界が近い。 『また会おう、アリス。いい夢を』 自分が強制スリープに入る前、風間はそう言った。 きっと、それが叶わないであろうと知りつつも。 けれど、風間の表情は自信に満ちていて、本当にまた彼の笑顔に出会えるような気がした。 『おはようアリス。いい夢は見られかい?』 自分が次に目覚めた時、きっと風間がこう言って自分の顔を覗き込んでくれるだろうと思った。 けれど、やはり現実というのは甘くはなくて。 アリスが目覚めた時、目の前に居たのはだらしのない恰好をした見知らぬ男だった。 緊急対応プログラムが最初に走る起こされ方をしたから、アリスの口調は機械的なものだったが、感情を司るシステムが停止した訳ではない。 だから思った。 自分は今ここで、この世を去るのだと。 再び風間に会うことがないままに。 風間が自分以外の者が彼の最高傑作の起動に成功した時、その人物にアリスゆだねるか否かを判断するためにつけた条件はたったふたつ。 ひとつめは個人的な営利目的でアリスを起動したのではないこと。 ふたつめはアリスに嘘をつかないないこと。 しかしながら、そのたったふたつの条件が満たされる可能性は殆どなかった。 アリスを起動することに営利目的がない筈がないし、人というのはたとえ相手が機械であってもそれが人型をしてれば体裁を取り繕いたがるものだからだ。 営利目的という点でいえば、火村がアリスを起こした理由はそれ以外のなにものでもなかったが、それが彼の意志でないのならば条件はクリアしている。 更に、彼の言葉に嘘はなかった。 火村は知らないだろう。 緊急対応プログラムパターンYを発動できることが、アリスにとってどんなに嬉しかったか。 再び風間に会えるチャンスを与えられたことに、どれほど感謝したか。 そう、起動した直後は確かにそう思っていたのだ。 けれど、火村と時を過ごす内に、アリスの心境は変化した。 ゆっくりと、だが確実に。 風間に自分自身を見て欲しいという気持ちは、確かに今でも心の奥底に存在している。 だけど、火村を好きだと思う気持ちも、決して嘘ではない。 こんな考え方は卑怯だとは思うけれど、このまま風間が目覚めずにいてくれればいいと思う程に。 そうしたら、自分は迷わず火村のことが好きでいられる。 だから、知りたかった。 火村の様子がおかしい理由が、風間が目覚めたからではないことを。 * * * 懐かしい声が、耳に飛び込んできたのは突然だった。認識票から流れてくる音に、会社の研究室にいる割には、やたらと人の声が聞こえるなと首を傾げていた時、唐突に。 一瞬、自分の耳を疑った。 だが、すぐに思い出す。 アンドロイドである──声をデータとして認識している──自分が、彼の声を聞き間違えるはずなどないことを。 『アリスを返して貰おう』 続いて聞こえてきた彼の声を聞いた時、アリスは自分の電圧が急速に下がって行くような気がした。 知識としてではなく、人間がおこす貧血というのはこういうものかと、実感できる程に。 もちろん、それは気のせいではあったけれど。 聞いてはいけないと思いつつも、それでも聞かずにいられなかった火村と風間の会話は、互いに攻撃的でアリスにとってもショッキングな内容だった。 自分が誰かの代わりであることは知っていたが、まさか単なる道具だったなんて── それでも、そのショックに耐えられたのは、姿が見えなくとも、火村が自分の代わりに憤ってくれているのが伝わってきたからだろう。 意地の悪い風間の質問に対して、きっぱりとアリスを愛していると言い切ってくれたからだろう。 しかし、風間は容赦がなかった。 かつて火村が友人にしていたように、彼にアリスが単なるプログラムであることを主張し続ける。 火村よりも、ずっと人を追いつめるやり方で。 そして、とどめの一言。 『さて、君が愛しているのは、誰なんだろうね』 その質問に火村がなんと応えるか、聞く勇気はアリスに無かった。 急いでタイマーセットして、自分の内部ブレーカーを落とし、アリスはソファに倒れ込んだ。 まるで、人が気絶する時のように── |