Alice──AL0000A


16

 やさぐれる──
 この言葉は、最近の自分を表現する為に作られたようなものだと、火村は思う。
 火村が生まれる何百年も前から話し言葉の中には定着しているのにもかかわらず、いつまでたっても国語辞典には記載されないこの言葉。
 そんな半端な言葉が、今の自分には最もふさわしく感じる。
 アリスを風間の元に返してから、既にひと月。
 そんな僅かな時間は火村を立ち直らせてはくれなかった。
 自宅にも会社の研究室にも色濃く残るアリスの痕跡。
 それが、アリスのことを忘れがたくさせているのは解っていても、どうしても排除する気にはなれない。
 いくら自分がアリスの管理責任者でなくなったところで、管理端末をセンターに返却したところで、そんな形でアリスは火村を縛り付けるのだ。
 いっそ、何もかも捨てて旅に出ようか。
 そんなことさえ考える。
 だが、それをしてみたところで、きっと自分はアリスを忘れることは出来ないだろう。
 実際にやってみなくても、そう確信している自分に、火村は苦笑する。
 そう、結局、火村はここに居るしかないのだ。
 もう、アンドロイドなんて見たくはないと思っても。
 顔を合わせるたびに、専務にねちねちと嫌味を言われたとしても。
 綺麗さっぱり姿を消すならともかくとして、自分の意志とは無関係に世界中に名を知られる火村がサニーを辞めれば、それはいずれ風間の──アリスの耳に入ってしまうだろうから。
 自分の名がアリスに届かぬように、アリスが自分のことを思い出さない日々が一日も早くやってくるように。
 これが、自分の元を離れてしまったアリスに、火村ができる最後の贈り物だ。
 自分ではなく、風間を選んだアリスへの──

*   *   *

「……アリス。……アリス。……アリスッ!」
「えっ? あっ、すいません。呼びました?」
 このひと月の間、幾度と無く繰り返されたこの光景に、風間はため息をひとつついた。
「呼んだなんてもんじゃないよ。君が返事をするまで、僕が何度君の名を呼んだか教えてあげようか? 43回、43回だよ。自分で言うのも何だけど、この僕の忍耐力、大したもんだと思うよ」
 アリスが戻って間もなく、風間は病室のベッドの上から風間グループが用意した彼の自宅に療養の場を移していた。
『無理はしないで、でも出来る限り頑張って』と言わんばかりに完備されている最新の研究設備が、少々風間の苦笑を誘いはするものの、その家は快適だった。
 合成樹脂で覆われたドームの中に建っている為、天候は思いのままだし、外の騒音も届かない。
 面倒だから、タイマーで外と同じように昼夜が来るよう設定してあるが、その気になれば真昼に満天の星空を見ることだって可能だ。
 もっといえば、高性能ホログラフィで庭先の風景だって好きなように変えることができる。
 そんな訳で、今日の風間宅の庭先は、現在の日本には何処にもない無限に広がる草原仕様。
 調子に乗ってどこまでも歩いて行こうとしたならば、すぐにドームの壁にぶち当たってしまうが、そんなことさえしなければ、きちんと触感まであるホログラフィの草原は本物と区別が付かない。
 だから、風間もそこに寝転がっているのが気持ちいいのはよく解る。
 だが、眠っている訳でもないのに、人に43回も自分の名を呼ばせるのは、明らかにぼんやりしすぎではなかろうか。
 元からトリップすると人間の声に反応しなくなる癖はあるアリスだが、トリップするのはなにか考え事をしているからで、ぼんやりしている訳ではない。
 そして、トリップしているか否かはアリスの目を見れば判断できる。
 先刻までのアリスは明らかに、トリップしているのではなくてぼんやりしていた。
 1日の内4〜5時間もぼーっとしているアンドロイド。
 そんな奴は、既にアンドロイドとして終わっている。
 いや、アンドロイドじゃなくても終わっているか。それが許されるのはきっとナマケモノくらいなものだ。
 もっとも、ナマケモノだって、本人的には風間が考えているよりはずっと忙しいのかも知れないが。
「博士」
 風間がそんなことをつらつらと考えていると、アリスが小さく彼の名を呼んだ。
「何?」
「最近、俺、おかしいんや。気付くとボケッとしとって。どっかのネジかコードが1本外れてるんやないやろか。ちょっと配線調べてみてくれへん?」
 ──自覚はある訳か……
 風間は再びため息をついた。
「調べるのはかまわないけどね……」
 自分が変だと解っているのに、その理由が解らないだなんてことは、ハードにおいてもソフトにおいても自己修復機能を持ち合わせているアリスに限ってある筈のないことだ。
 となると原因はただ一つ。
 世間ではemotion-systemと呼称されているらしい、感情を司るプログラムが、原因を特定できないようにブロックをかけているのだ。
 人間が耐え難いショックを受けると、その記憶を封印して自己防衛をはかるのと同様に。
 ──あそこまで卑怯な手を使ったのに、この有様かい。
 風間はさらに大きなため息を一つつく。
 自分の命が残り少ないことを必要以上に主張しなかったのは風間の策だ。
 敢えて口にしないことが、なによりも相手にその事実を印象づけるし、誠実にも見える。
 そして、アリスも火村も、まんまと風間の策にはまってくれた。
 殆ど全て、風間の予定どおりに。
 たった一つ。アリスを送り届けに来た時の火村の言葉を除いては。
 自分で作ったアンドロイドの性格を、他人の方が良く知っているだなんて開発者として間抜けすぎるから、そんなことは絶対に認めたくはなかったけれど、今のアリスを見ていると、自分が死んだら、彼は多分火村の言ったとおりにするだろうと思う。
 ただ、理由は火村の言う様なものではない。
 それは、きっと。
 もう、二度と火村以外の誰にも所有されないように──
 ──現実が、夢に食われたという訳か……
 ゆっくりと首を左右に振ると、風間は口を開いた。
「アリス、この不具合に関してのメンテナンスは僕には無理だよ」

*   *   *

「なんだよそれっ!」
 とある休日。
 火村は中空に浮かぶ映像に向かって叫んだ。
 それを初めて見た時、アリスが「便利な世の中になったもんやなぁ」としみじみと呟いた現代のTVは、15センチ四方程の受像器をその辺に放り投げておけば、モニターがなくとも中空に映像を結ぶ。
 風間が目覚めて既に3ヶ月。
 風間グループはアンドロイド部門で、いよいよサニーを追い越しにかかったらしい。
 現在画面の中では、サニーがmotion-systemを搭載したアンドロイドを発売した時にも使われた言葉、『今までに例を見ない画期的なアンドロイド』というふれこみで風間グループが新製品の発表を行っていた。
 風間とアリスが一緒にいるところなど見たくはなかったけれど、それでもその姿が見られるかもしれないという誘惑に勝てずに付けてしまったTV。
「僕の最高傑作です」と風間が皆に紹介しているアンドロイドは、よく似ているけれどアリスではなかった。
 茶髪と言うより金髪に近い髪の毛。薄い茶ではなくエメラルドグリーンの瞳。綺麗な標準語の話し言葉。そして何より名前が違う。
 な〜に〜が〜『キャロル』だ。
 ──大体あんたのネーミングは単純すぎるっ!
 と、火村が拳を握り締めて憤っていることなど(当たり前だが)知る由もない風間は、笑顔で関係者の質問に応えながら、「ちょっと失礼」と電源を切り忘れていたらしい携帯電話を取りだし、ボタンを操作している。
 ──そんなことより、さっさとそこのアンドロイドの説明しやがれっ。
 出来ることなら今すぐその会場にワープして、風間の胸ぐらを掴んでやりたい。
 そんなことを考えていると、最悪のタイミングでテーブルの上に置いてあった火村の携帯が、軽快な音を立てて着信を知らせる。
 現在、携帯電話を親の敵のように感じてしまっている火村は、相手も見ずに通話ボタンを押して「うるせぇっ」と叫び、そのまま電源を落とした。
 更に、折り畳み式の携帯電話を逆折りしてやりたい衝動に駆られたが、危ういところでそれだけは踏みとどまった。
 ──何が一体どうなってるんだ。
 携帯電話の逆折りを我慢したことが幾ばくかの冷静さを取り戻させたのか、火村は取りあえず怒りを横に置いておいて、更に画面にくいいった。
 画面の中では、ようやく風間が新製品のアンドロイドについての説明を始めていた。
 多分、アリスも持っていた自己修復機能を最大限に応用した結果だろう。
 風間グループの発売するニュータイプのアンドロイドは、感情を持つだけではなく、身体的にも成長するらしい。
 労働力として使うのではなく、完璧に嗜好品のアンドロイド。
 確かにそれは盲点だった。
 例えば、事故などで子供を亡くした夫婦や、情緒面を育てるだけでは物足りなくなってしまったマニアックなアンドロイドユーザー。時間と暇を持てあました金持ちなどがこのアンドロイドに飛び付くのは想像に難くない。
 そして、嗜好品だからこそ、高くても良い物が売れる。
 つまり、風間グループは薄利多売の逆を行こうという魂胆だ。
 火村個人としては、あまり良い趣味とは思えないが、ビジネスに自分の趣味は関係ない。
 ──これでまた、専務の嫌味が倍増するな。
 それを思うとうんざりしかけた火村だが、いいや、違うと我に返った。
 そう、問題はそんなことじゃない。
 風間が連れているのが、何故アリスではないかだ。
 これで、彼が連れているのが、このニュータイプの試作品だというならば、まだ話は解る。
 だが、風間の連れているアンドロイドは、今回発売されるものとは全く別物だ。
 他の誰が解らなくたって、火村だけは見れば解る。
 現代では手に入らないものもあるから、素材こそ多少の違いはあるかもしれないが、風間の連れているキャロルとやらは、完全なるアリスのレプリカだ。
 ──なら、本物は何をしている?
 考えがまとまらないまま、火村は煙草の箱に手を伸ばす。
 殆ど手つかず状態だったその箱の中身が半分程に減った時、火村は意を決して立ち上がった。
 その辺に放り投げてあったジャケットを引っかけて急いで玄関に向かった時──
 火村の部屋のチャイムが鳴った。
 何故か、1階のオートロック前のインターホンからの呼び出しではなく、部屋の前のチャイムが直接押されて。

*   *   *

「──アリス」
 ドアを開けた先にあったのは、先刻TV画面の中にあんなに存在を捜したアリス。
 呆然とする火村に向かってアリスはにこやかに笑って見せる。
「お届け物です」
 言って、白い封筒を差し出すアリスの手。
 気付いた時にはその手首を握り締め、自分の胸へと彼の身体を引き寄せていた。
 その胸の中でじっとしているアリスの存在の確かさに、何も考えることが出来なくて、火村は衝動にかられるままに、愛しい者へ口付けを落とす。
 その激しさに、アリスの身体から徐々に力が抜け、握り締められていた封筒が、ポトリと床に落ちた時。
 ピピッと電子音が響く。
 何事かと驚く火村の前には、今まで2度程目撃したことのある、直立不動のアリス。
「パスワード入力を確認致しました。私はSO-KAZAMA製作・人造人間試作A−666・通称アリス。管理責任者はHIDEO-HIMURAです。以後、管理責任者の変更は認められず、全ての権限が管理責任者に移行します。よって、返品は不可。現在システムの再起動中。そのまましばらくお待ち下さい──」

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