2−2 「……火村、君、最初から俺にこれをやらせる気で、東京までひっぱって来たんかい」 「まあ、そればっかりでもないんだが、最初からやらせる気があったことは確かだな」 室尾から一通りの話を聞いた後、現場検証及び関係者の話を聞きに向かうという火村をよそに、私に振られたのは30冊に及ぼうかという神崎智美の既刊を読破するという仕事だった。 出来のいい推理小説ならばともかくとして、『△△くんが好きなの(ハート)』といった類(であろう)の本を読めといわれるのは、30男にとって、勤めている会社で日当たりの良い席に追いやられるのと近しいものがあると思う。 なので、自分にできうる限りの仏頂面で、悪友に不満を述べてみたのだが、彼の口調からすると、どうやら部署替えは叶わないらしかった。 私はやれやれと首を振り、今度は諦めモードで口を開く。 「で、俺は何を発見すればいいんや? 偽物と本物が使うとる語句の違いかなにかか? なら、最初に言っておくが、神崎智美本人が作ったレポート以上の仕事を期待されても困るで」 「誰がそんな過剰な期待をするもんか」 ちっ、火村め。正直だけど失礼な。 「アリスには、あんな数字の上のレポートからじゃ読みとれないものを読みとって欲しいんだよ」 「というと?」 「一言で言うなら、雰囲気ってやつかな。そういうの割と得意だろ。いつだったか、今までとは全く別のジャンルでペンネームまで変えて書いてた作家の正体を見抜いたとか自慢してたじゃないか。俺にはよく解らないけど、作家には判る何かがあるんだろ。どんなジャンルの話を書こうが、努めて自分の持ち味を隠そうが、そこはかとなく漂ってくる作者臭みたいなのが」 「作者臭て……言いたいことは解るけど、もう少し別の表現ないか」 「生憎と、アリス相手にいちいち美麗な表現探しをするほど、俺は暇じゃないんだよ」 「はいはい、その件に関しては事件が解決してからじっくり話し合うことにしよう。つまり、アレやろ。君は、俺に対して、本物と偽物の臭いの違いをかぎ分け、偽物候補があぶり出せたらラッキーを程度の期待をしてる──そういうことやな」 「う〜ん、まあ、それならそれでもいいんだが、出来れば違ってくれると俺としては嬉しいかな」 「は?」 「いや、気にしないでくれ。ところで、アリス。覆面作家なんて、そんなにたくさんこの世に存在できるものなのか?」 「はぁ〜?」 ☆ ☆ ☆ 目の前に積み上げられた本をどういう順に読んでいくかを悩んだあげく、私は偽物が書いたといわれる推理小説を手に取った。あまり、したくはない作業をするにあたって、まずは少しでもとっつきやすい──つまり、読み慣れた──推理小説から読んだ方が、やる気をそがれずに済むと思ったからだ。 こんなに改行と会話の多い文章をわざわざハードカバーで出す出版社の気が知れない──大抵の消費者は少ない中身に高い金を出したがらないものだ(自分含む)──と思っていたのだが、その本を読み終えた時には、すっかりその考えを改めざるを得なかった。 この話を推理小説を初書きの人間が書いたとしたら、ましてやそれが素人だったなら、私はそいつに嫉妬する。 そう思わずにはいられない程に、この本の作者の文章と作中に仕掛けられた罠は切れ味が良かった。 ──これを書いたのは多分プロだ…… そう思うと同時に、先程は意味不明だった火村の言葉の意味も何となく解った。 仮に、偽の神崎智美と接触したのは夏目瑠璃子だけだということはあり得るにしても、出版前にこの作品を読んだのが彼女だけだなんてことは、まずはない。 ミステリが専門という訳ではないが、そのジャンルに結構な力を注いでいる円山書店が、名前が売れているという理由だけで内容も確認せずに本──しかもハードカバー──の出版に踏み切るはずがないからだ。 つまり、この作家は出版社の会議を通過するだけの実力を持つものだということである。 実力があるのに、無名の作家。世にそんな作家がいないとも限らないが、これだけのものが書けて無名でいる理由はない。 もしかすると、理由はなくとも事情があったりするのかもしれないが、そこまで考えてしまうとなにも始まらないから、取りあえずそこは棚上げしておくとして──考え方としてはこうだ。 神崎智美本人でさえ、自分が推理小説を書くとしたらこういう話になるだろうと評する、この作品を書いたのはプロである可能性がかなり高い。 だが、その人物をプロの作家だと仮定するには、夏目瑠璃子を欺く為の必須条件がある。 神崎智美だけではなく、その偽物自身も一般に顔を知られていてはならないという条件だ。 そんなものは、身代わりを使えば何とでもなりそうな気もするだろうが、実はそうでもない。 どんなに密に打ち合わせをしたとしても、小説には書いた本人でなければ説明できない部分が、絶対にあるものだからだ。 いや、仮にその部分をクリアできたとしてもだ。偽物の目的が金ではない──それが、火村の言うように夏目瑠璃子に対する恨みだとしても、円山書店に対する嫌がらせだったとしても──今回の事件の場合、共犯者を使うのはあまりに危険すぎる。 同じ人物──もしくは会社──に同じように恨みを持つ人間が、偶然出会い、偶然どちらかが条件さえそろえば実行可能なアイディアを有しており、偶然互いの胸の内を知る──だなんてことがあれば別だが、どう考えてもこんなことは起こり得そうにない。 そうなると、やはり偽物は覆面作家であるとしか考えられない。 多分、火村が引っかかりを覚えていたのは、この部分だ。 一つの事件に、覆面作家がふたりいる──どこかで聞いたことのある本のタイトルみたいだが──のは、出来すぎている── |