Fall


 3−2

「そうか、アリスでもそう感じたか」
 現場検証その他から戻った火村に、私が感じたままをつげると、彼は失礼な台詞を返してきた。
 そのあんまりな言いぐさに、私は──室尾警部から失笑されるのは覚悟の上だ──火村にくってかかった。
「アリスでもって、どういう意味や。人をのんき者の日本代表みたいな言い方すんなや」
「そう、いきりたつなよ。誰もアリスがのんき者だなんて言ってない」
「なら、何がアリスでもの『でも』がどういう意味やったんか説明せい」
 いちいち『でも』の部分にアクセントを置く、私の嫌みったらしい物言いに呆れたのか、火村はため息と呼ぶには短すぎるが、単なる呼吸にしては風速がある息を吐きだした。
「まず第1に、偽物の実力が知りたかったから。斜め読みしてみた限り、俺は割と良い出来ている話に感じたが、本当の事件ならともかく、俺の推理小説経験値なんて所詮レベル1程度だからな。一応、仮にも、なんとか推理小説の専門家らしいアリスはどう思うかが知りたかった」
 一応、仮にも……と台詞の間に、私を怒らせようとしているとしか思えない失礼な言葉が挟まっているのは無視し──これ以上くってかかっては、室尾警部に失笑されるどころか、ばかにされかねない──短く「第2はなんや」と尋ねる。
「第2は、警察関係者も俺も作家界における覆面作家の含有率なんて知らないから。感情的になっている円山書店の連中に聞いたところでそんなことを気にしている暇があったら、早く詐欺師を捕まえろとか言われるのがオチだろ──つーか、実際言われたしな。もちろん、その内他の出版社とかに問い合わせてみるつもりではいたけど、まずアリスの意見を聞きたかった。ひとつの事件に二人の覆面作家ってのは、やっぱり、比率的に不自然だと感じていいんだな?」
「いいかどうかは断言できんけど……」
「断言できないけどなんだ?」
「作家のパーティで女性に向かって石を投げればかなりの確率でヒットしそうな日本のアガサ・クリスティよりは、確実に覆面作家の方が少ないと思う」
 私の言葉に火村はあからさまに嫌な顔をしてみせた。それが多いのか少ないのかイマイチイメージが湧かなかったせいであろう。慌てて私は付け加えた。
「ましてや、単に人に知られてない言うだけやなくて、故意に顔を隠している──いや、隠し続けている作家なんてのは、数えるのに多分両手の指で足りる」
「隠し続ける? ちょっと隠す程度ならよくあるってことか?」
「よくって程やないけど、それなりにある。人て隠されると興味がわくやろ。けど、そうそう続くもんやないわ。仕事の幅が狭まるしな」
「仕事の幅? ああ、顔を出せないなら、サイン会とか対談とか出来なくなるのか」
「せや。もっと言うならどんなに有名になっても、講演もTV出演も出来ん。レスラーならともかく、公の場に覆面かぶって出てくる作家はおらんし。というか、そこまでして人前に出たい奴はそもそも覆面かぶらんやろ」
「確かに──道理だな」
 視線を窓の外に流しながら呟いた後、火村は再び私を見た。
「覆面作家でいることに、そう大きなメリットがなさそうなことは解った。なら逆に覆面作家でいなければならない理由はどんなことが考えられる?」
 火村の問いに、私は首を捻った。
「ああ、それな。俺も先刻ちょっと考えかけたんやけど、イマイチまとまらんから保留しとったんや。まあ、神崎智美に関して言えば、男子高校生が少女小説書いてるなんて知られたくないとかいう男の子らしい理由がきっかけやったと思うけど……」
「でも、それだけじゃ10年も隠れてる理由になってないだろ」
「多分やけど、本人的にも出版社的にも引っ込みがつかんくなったんとちゃうかな。あとがきとかでも意識して性別が解らないような文章書いてるし。騙す気はなかったんですいう言い訳はちょっと通じへんやろ」
「わざと女言葉使ってたってんじゃなかったら、通じるだろ」
「まあ、それはそうなんやけど。読者を騙して喜ばれるのは小説の中だけや。いくらフェアな書き方してても、あとがきでしかも小説とは関係のない事柄に関してミスリードされてたら腹が立つやろう──と思う」
「OKアリス。突っ込みを入れた俺が悪いのは認めるが、俺が聞きたいのは神崎智美がどうして覆面作家かってことじゃない。個人を特定してなら、強引にどこからでも理由が引っ張りだせるだろ。仮に有栖川先生が覆面作家だったとしたら、このお人好しそうな面構えと本格推理小説が結びつかないから顔を隠してました──ってな具合にな」
「やかましいわ。いちいち人を例に出さんと、素直に、考えつく限りの例を挙げろて言えばいいやろ。そうやな、真っ先に思いつくのは、食い詰めた作家が別ペンネームで官能小説かなにかを書いている場合。次に、本業が別にあって作家稼業が副業な場合。知り合いに自分の小説を読まれるのが恥ずかしい場合──なら、小説家になんかなるなってなもんやけどな。他には……そうそう、その作家はうまく人間に化けた宇宙人で、レンズを通すとその化けの皮が剥がれるとか言うのはどうや?」
「あのな……いや、いい。最後の宇宙人説はともかくとして、お前の話を聞いていると、覆面を被りそうな作家の条件ってのは、別に職業を持っているって言葉でひとくくりに出来そうな気がするんだが、その辺は意識しての意見なのか?」
「へっ? 別にそんなつもりはなかったけど。大体、それなら正真正銘覆面作家な神崎智美が条件から外れてしまうやろ」
「外れない。デビュー当時の神崎智美は高校生だった。学生ってのは一種の職業だろ」
 火村の言葉に、私は「あ」の形に口を開けた。
 彼の言ったことがあまりにももっともであったからだ。それどころか、私は自分でも言っていたのだ。
 神崎智美が自分の素性を隠したのは、単に男だからとではなく男子高校生だからだと。
「せっ、せやけど、知り合いに読まれたら恥ずかしいって場合は、別に職業持っとる必要ないやろ」
「まあ、実際に持ってる必要はないけどな。でも、その彼もしくは彼女は、小説を読まれたくない知り合いに、なにか別のことで生計をたてているふりをする必要があるんじゃないのか? それとも、親の遺産で悠々自適に生きていますとでも言うのか」
「……確かに。大抵の場合、小説を読まれたくない知り合いてのは親とか親戚とか親しい友人やろうし」
 彼の意見に納得した私に、火村は「だろ」と言いつつ、下手くそなウィンクをしてみせた。
 この下手くそなウィンクを見るたびに私は、彼がウィンク下手で良かったと思う。
 何故って、顔のいい男に、上手にウィンクされたら、意味もなくムカつくからだ。
 そんな私の思いを知ってか知らずか──まあ、知るわけがないだろうが──火村は、人差し指を立てた。
「そして、もう一つのポイント。アリス──つまり同業者が真っ先に思いつく覆面作家のもう一つの職業は、やっぱり作家だってことだ」


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