Fall


 4−2

『真っ先に思いつく覆面作家のもう一つの職業は、やっぱり作家』
 私は火村の言葉をじっくりと噛みしめた。
 彼の頭の中にある意見と、自分の考えが一致しているかどうかを今一度検証してみたかったからだ。
 確かに火村の言う通り、私も神崎智美の偽物は作家の可能性が高いと思う。
 そして、先程私も──というか、火村に暗喩されて──思ったように、この助教授は一つの事件に二人の覆面作家が出てくるのは不自然だと考えているようだ。
 そう、確かにそれは不自然だ。
 だが、今現在、私の頭の片隅に追いやられながらもその存在感が薄れるどころが大きくなるばかりの考えが自然であるかどうかというのは、非常に微妙なところであると思う。 
「アリス?」
 急に黙りこんだ友人に対して訝しげな声をあげる火村を片手で制し、私はモーターが焼き切れんばかりの勢いで頭の中を高速に回転させた。
 この事件に本物の神崎智美──つまり覆面作家がひとり関わっているのは動かない事実。
 そして、偽の神崎智美も覆面作家でなければ、この事件が成り立たないのもほぼ確実。
 だが、一つの事件に二人の覆面作家が関わるのはあまりにも不自然。
 ならば、どうすればこの事件が不自然なものではなくなるのか──
 やはり、私が出せる答えは──多少、引っ掛かる部分はあるけれど──たった一つだ。
「つまり、覆面作家は一人だけしかいない──と考える方が全てにおいて自然やていう考えでいいのか?」
 たった一つしかないと確信したくせに、ついつい疑問系になってしまうのは、そのたった一つの結論を幾度と無く火村にひっくりかえされたことのある、情けない推理作家の逃げ道だ。
 人間、誰しもいらんところで恥をかきたくはない。
 だが、退路が無いときに限って逃げたくなって、それが確保されているときは別に逃げなくてもよいというのは、支払いの時、小銭が1円だけ足りなかった──というのと同じ程度にはよくある話というやつで。
 火村は私の言葉に満足げに頷いてみせた。
「ああ、どっちも本物の神崎智美──そう考えるのが一番自然だとは思う」
 頷き方が満足げだった割には、歯切れの悪い火村の言葉に、私は首を傾げる。
「だとは思う?」
「だとは思うが、この方向で捜査を進めるには、大きなネックがあるんだよ」
 火村の言うネックとやらに、心当たりのあった私はああと大きく首を振った。
「せやな。俺がこの結論を出すのに躊躇したんも、そこの部分や。覆面作家はひとりでも、夏目瑠璃子が会った神崎智美は二人いる。せやけど──」
 続いて、先程ひとりで考えていたこと──この偽物騒動を仕組むにあたって、共犯者を使うのは危険すぎるという意見を告げた私に対し、火村はやれやれと首を振った。
「あのな〜。そこまで解ってて、なんでそういう結論になるんだよ」
「え?」
 しまった! やはり、退路を用意していない時に限ってこういうことになる──と思ったところで後の祭。
 急いで、今の発言の穴を捜してみたものの、一旦そう思い込んでしまうと、咄嗟に新たな切り口を探せないのが、有栖川有栖という男である。
 そんな不器用な私の考えがまとまるのを何時間も待っていてくれるほど、火村は暇ではないらしく──というより、室尾警部を待たせる訳にはいかないからだろうが──彼は私に「まだ、答えを言うな」という抵抗する間を与えずに口を開いた。
「大体、その理論ははなっから破綻してるだろ。書かれた文章から判断するに神崎智美に偽物はプロ作家である可能性が高い。ここまではOKだ。そして、その偽物が世間に顔を知られている作家ならば、更に自分の偽物を使わなくてはならないが、偽物にとって共犯者の存在は危険すぎる。だから、偽物も覆面作家──この思考の流れも、まあ解る。俺も一旦はそう思ったしな。だが、問題はこの先だ。よく、思い出せ。つい先刻、一つの事件に二人の覆面作家が絡んでくるのは不自然──つまり、この事件に絡んでる覆面作家は神崎智美ひとりだけだってことで俺達の意見はまとまったんじゃなかったのか? いいか、アリス。お前は、その理由はともあれ元々覆面作家だった神崎智美が覆面作家でなくてはならない条件に縛られてるんだぜ。それっておかしいだろうが」
「あ〜、ややこしすぎてよう解らん。偽物が共犯者を使えないから覆面作家で──でも覆面作家がふたりは多すぎるから覆面作家はひとりで──覆面作家がひとりなら共犯者が使えないから覆面作家ていうわけやなくて──え〜と、せやから共犯者は関係ない……」
「納得したか?」
 出来ることなら指を折り曲げて──さすがにそれは思いとどまったが──えーと、えーととやりたい気分で、私は火村の言葉を一生懸命咀嚼した。
 だが、4つの胃を持つ牛顔負けにしつこく反芻してみたところで、私の意見は変わらなかった。
「せやけど、もし偽物が本物やとしても、共犯者を使うのが危険なことには変わりないのと違うか?」
「違うさ。顔が知れているから共犯者を使わなくてはならないってのと、顔が知られていないから共犯者を使えるってのは、どう考えても同じじゃない」
「それって、つまり──」
「そう。夏目瑠璃子に最初に会った──つまり偽物だと思われている人物が、必ずしも偽物でなくともいいってことだ」
「ちょ、ちょい待て、火村。それやと、講英社の編集者まで共犯いうことになるで。いよいよありえへんやろ」
 あまりに大胆な火村の仮説を──本人的には──もっともな意見で封じ込めたつもりだった私に対し、助教授はにやりと笑ってみせた。
「そうでもないぜ。例えば、一番最初の打ち合わせの時に、私がゴールドアロー賞で佳作を獲った有栖川有栖です──って俺が片桐さんの前に姿を現したとして、彼にそれを疑う理由があるか?」
「……確かに、疑う理由もないけど、それ、そうする理由もなくないか?」
「まあな。でも、それを言うなら覆面作家である理由だってあってないようなもんだろ」
「せやから、それは、男子高校生やから……」
「だから、それは後付の理由だって、先刻も言っただろ」
「けど……」
「ああ、解ってるよ。俺の言ってることはどれも根拠がないってんだろ。でも、この意見を否定できる材料もない。問題はそこなんだよ」
「というと?」
「近い内に会いに行く予定の、本物だとされる神崎智美が本当に本物なのか、判断する術がないってことさ」
「俺の気のせいかもしれんけど……」
「気のせいかもしれないけど、なんだよ」
「君、珍しく、わざわざ話をややこしくしとらんか?」
「ああ、珍しくな。だが、ありとあらゆる可能性を押さえて置かないと、足下をすくわれそうな気配がこの事件にはある──とか言ったら笑うか?」
 火村の問いかけに、私は力強く頷いた。
「笑う。どっかの推理作家やあるまいし、そんなん事実だけを厳しく見つめられる君らしくないわ」
 ついでに、あははってなもんやなと右手で脇腹を叩いてみせた私を見て、火村も笑った。
「俺は、目薬のCMかよ」


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