Fall


 5−1

「こーゆーことがある度、しみじみ思うんだけど……あなたって敵だと認識した相手に容赦ないわよね」
 これがTVドラマや舞台でももうちょっとアドリブが入るのではないかと思うほどに、智史の描いたシナリオ通りに進んだ夏目瑠璃子との話し合いを思い返し、前田は本気で嫌そうに呟いた。
 そう、残念ながら、どんなに凄いことをやってのけても、周りから好意的な評価が得られないのが、智史という人間だ。
 つまり、絵に描いたような器用貧乏。もっとも、器用貧乏を絵に描けと言われて、どんな絵を描けばいいのかは解らないが。
 そして、こんな理不尽なことを言われて黙っていられるような奴は、はなっから器用貧乏とは呼ばれない。なぜなら、器用貧乏とは、本人が自覚・主張し、他人がその主張に納得した時に初めて与えられる称号だからだ。
 故に、学生時代からそんな目ばかりに遭ってきていた、いわゆるキング・オブ・器用貧乏な智史が、ここで黙っている訳などないのである。
「なんですかそれ。そもそも、怒りまくって、俺に彼女を敵だと認識させたのは前田さんじゃないですか。自分のことを棚にあげて、人を極悪非道呼ばわりするのはやめて下さいよ」
「誰も、そこまで言ってないわよ」
「言ってるのと同じですっ!」
「言ってないって言ってるでしょっ! ただ、あそこまで追い討ちかける必要はなかったんじゃないかなって思っただけよ」
「は〜ん。さては、前田さん、自分が彼女と同じ状況だったら騙されないでいる自信ないんですね。っていうか、前田さんの場合もっとチョロいか。なんせ、今回よりも遙かにレベルの低い偽物に騙された前科ありですもんね」
「うるさいっ! アレは……そうアレよ。内容が内容だったから、ちょっと動揺しただけじゃない。大体、あたしは作家の弱味握ってそれをタテに原稿強請ったりしないわよっ」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。例え、作家の弱味につけ込んで、無理矢理女装させたことはあったとしても、前田さんはそんな人じゃありませんよね」
「……何が言いたいの?」
「別に、何も言いたくないですし、言ってないです」
「その顔が言ってるのよっ、その顔がっ!」
 相変わらず険悪に見えるが、本人達にとっては別にそうでもないらしい前田と智史のやりとりに、弘樹はやれやれと肩をすくめた。
 多分、前田はこれで一件落着とばかり智史との口喧嘩を楽しんでいるのだろうが、この騒動は彼女の与り知らぬところでややこしいことになってきている。
 一見、涼とは無関係に思えたこの騒動だが、先程の夏目瑠璃子の言葉から知れるように、関係はあった。
 涼が絡んできているということは、例え誰も望まなくとも風折がもれなくついてくるということで、風折が絡んでいると、面倒は全て弘樹と智史に押しつけられる──残念ながら、それが自分たちの住む世界の常識なのだ。
 その理論を逆から辿り、自分たちが被害を被っている→風折が裏で何かしている→涼になにかをした奴が居る──という結論に達した弘樹達がこっそり情報を収集してみれば、思った通り夏目瑠璃子の存在が浮かび上がった訳だが、彼女が涼になにをしたのかは未だ謎だ。
 普通に考えたら、涼のストーカーまがいの行動をとっていた夏目瑠璃子に腹を立てたのかと思うところだが、それだと理屈が合わない。
 夏目瑠璃子が涼のマンションを見張るようになったのは、他でもない涼が雑誌の取材を受けた時に神崎智美の知り合いであることを漏らしたからで、その件に関して厳重に口止めされている涼がそんなことを口にすることなど、風折の画策なしには有り得ない。
 つまり、涼が神崎智美の名を口にしたのは、夏目瑠璃子を食いつかせる為に風折が巻いた餌だということになるのだが、そうするとそれ以前に彼女が涼に対してなにかしていなくてはいけないことになるのだ。
 そのなにかが何であるかは、想像がつかない──というかあまりにどうでもいいことだったら悲しくなるのでしたくはないが、理由が解らなければ、風折が彼女を何処までヘコませたいかの見極めが難しい。
 取りあえず、この一件で編集者としての未来がなくなった彼女に、『あんな手にひっかかるあなたはばかですよ〜』と追い討ちをかけてはみたものの、これでいいのか悪いのか──ってなトホホな状況なのである。
 それなのに、こんなところで前田と口喧嘩をしている智史はのんきが過ぎると弘樹は思う。
 かといって、焦ったところでどうなるものでもないというのが、これまた悲しい現状。
 ともかく。
 例えどうにもならなくとも、これ以上前田の金切り声を聞いているのは御免だと、弘樹は吸いもせずに、ずっと指に挟んだままだったLARKを灰皿でもみ消すと、口を開いた。
「その辺にしておけ。帰るぞ、智史」

☆   ☆   ☆

「いいんだよ、あれで」
 帰宅してから、智史が前田と口喧嘩を楽しんでいる間に考えていたことをぶつけた弘樹に対する、本人の反応は意外なものだった。
「あれでいいと何故言い切れる?」
 弘樹は片眉を動かしつつ、智史に問いかけた。何か思うところがある時に片眉が動いてしまうのは、自覚していても直せない弘樹の癖である。
 そして、今回の思うところは、口にした台詞の通り。
 確かに、現時点ではあれ以上のこともあれ以下のことも出来なかっただろうが、それで良いか悪いかのジャッジを下すのは、智史ではなく風折だ。
 頭の出来はともかくとして、性格の邪悪さで風折に1歩どころか軽く100歩は及ばぬ智史は、学生時代から今まで、その悪魔のような先輩の掌の上で玩ばれ続けている。
 そんな有様の智史に自信満々で「いいんだ」と言われたところで、にわかには信じがたいのは、例えその言葉を聞いたのが弘樹でなくとも同じだろう。
 同じどころか、普段はぐうたらしている(ように見える)智史が、実は時々凄いということを誰よりも見知っている弘樹がそう思うのだから、他の人間はもっとそう(智史は風折にかなわないと)思うに違いない。
 多分、そんな弘樹の腹の中を見通したのだろう。智史は「信用ねぇな、俺」と呟いた後、弘樹に向かって口を開いた。
「なにをしたって、どうせ文句を言われんなら、俺が一番しそうなことをしといた方が後々楽なんだよ。下手に風折さんの予想範疇外のことでもしてみろ。最終的に一番ヤバいことになるのは、風折さんじゃなくて何故か俺だって決まってんだ。これ、いわゆる物理学圏外の物理的現象」
「…………物理的現象…なのか」
「そう。物理的現象」
 風折迅樹という生物に関わって約10年。どうやらその間に神岡智史の『あきらめ』スキルは最高値に達した模様である。

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