Fall


 5−2

「あの…」
 仮にこれが大喜利ならば、山田くんに座布団を根こそぎもっていかれかねない下手な洒落で笑っていた私たちの会話にお愛想で微笑んでくれた後、室尾警部が口を開いた。
「今までのお話から察するに、火村先生は、この事件に関して神崎智美が単なる被害者ではないとお考えのよう──というか、ズバリ疑っているように思えるのですが?」
 室尾警部の問いに、火村が頷きながら応える。
「ええ、疑っています。但し、単純に彼女──じゃなかった彼が犯人だと言っている訳ではありませんが」
「犯人? 詐欺のですか?」
「詐欺事件の担当は二課でしょう。そうではなくて、ここで言う犯人は、夏目瑠璃子を死に追いやった者という意味です。そもそも、室尾警部はそういう人物が居る可能性があると思ったからこそ私たちに声をかけて下さったのでは?」
「失礼、そうでした。ですが、夏目瑠璃子が自殺ではなく他殺であることを証明するのに、その切り口──つまり、こういう事件を起こせば彼女が自殺するかもしれないといった方向では……。いえ、物理的になにかするより、精神的プレッシャーの方が人を追いつめることもあるということは解っていますが……それは未必の故意にさえならないかと……」
 室尾警部の台詞は全体的に歯切れが悪かった。
 まあ、そういう口調になってしまう、彼の気持ちも解らなくはない。
 自殺の動機に疑問はあれど、それを殺人事件として立証するのは、ほぼ不可能だ。
 多分、彼は、火村に現場を踏んでもらうことによって、このままだと単なる──という割には背後に複雑な事情が絡んでいるが──自殺として処理されてしまいそうな事件を殺人事件として捜査できる切り口を見つけて欲しかったのだ。
 そんな室尾警部の言葉に、火村は再び頷いた。
「ええ、それは私にも解っています。しかし、この事件の真犯人と呼ぶべき人物は、詐欺師を捜していたのでは多分見つかりません。そいつは円山書店に大きな損害を与えはしましたが、自分の懐には1円だって入れてはいないんですから」
 確かに火村の言うとおりだ。詐欺師を捜していては犯人は見つからず、人殺しを捜したくとも事件として立証できない。
 この事件は既に詰んでしまっているのだ──ん?
「ちょい待て火村。君、神崎智美に固執するあまり、完全なこと忘れとらんか?」
 私は自分も今の今までその可能性に気付いていなかったことを棚に上げ、二人の会話に割って入った。
「なんだよ。言ってみろ」
 例によって、今更なことを思いつきやがったな、という表情を隠そうともしないで言った火村の態度が忌々しかったが、そこは無視して口を開く。
「例え、自分の懐に1円も入らなくても、円山書店が損害を被れば得する奴はいるやろ」
「誰だよ。まさかとは思うが、業界5指入りを目指している他の出版社とか言い出す気じゃないだろうな。しかも、相手が出版社なら覆面作家のひとりやふたり用意するのは簡単だし、講英社の作家の名を語ることによって、3大大手の内2社のイメージダウンを謀ったのかも知れないとかって人差し指まで立てて」
「人差し指は立てんわっ!」
「人差し指はどうでもいいよ。思ったんだな」
「……思った。悪いか?」
「悪くはないけど、良くもないな。イメージダウンを謀るなら、こんな面倒なことを企てなくても、盗作疑惑のひとつでもでっち上げた方がよっぽど効果的じゃないか。実際、偽物の作品の出来がよかったから、円山書店は金銭的にはともかくイメージ的にはそんなに被害受けてないだろ」
「ぐう」
「なんだよ、そりゃ」
「ぐうの音も出ないのは悔しすぎるから、せめて『ぐう』位は言っておこう思うて──いや、待て火村」
「おあずけくらった犬じゃねぇんだ、そんなにしょっちゅう待ってられねぇよ」
「まあ、そういうな。こういうのはどうや? 犯人は別に円山書店に決定的なダメージを与えなくても良かった。金銭的に大きな被害を被れば、どうしても一時的に円山書店の株が下がるやろ。そのタイミングを狙って株を安く買い、株価が戻ったところで売りさばく。そうすれば、偽の神崎智美が1円も受け取らんでも金が手に入る」
「……………」
 勢い込んで言った私に、火村は無言で応えた。
 なんとも居心地の悪い沈黙の時を15秒程過ごした後、よくやく口を開いたのは私でも火村でもなく室尾警部だった。
「…………有栖川さん。それを考えるのは一課ではなく二課の仕事ですね」
「あ」
 自分の顔がみるみる赤くなっていくのが、鏡を見ずとも顔の熱さで解る。
 今まで、この手の可能性が彼らの口に上らなかったのは、気付いていなかったからではなく、それが二課の仕事だったからなのだ。
 やはり、推理作家は推理作家らしく、殺人事件のことだけを考えているのが一番恥をかかずに済むらしい。
 自分が冷やしてしまった空気を暖めるべく、更には自分がそらしてしまった話の流れを殺人事件に戻すべく、私は咄嗟に思いついたことを口に乗せた。
「そっ、そういえば、面倒やで思い出したんやけど、それこそこんな面倒な手順で夏目瑠璃子を自殺に追いつめんでも、人気のない道で背後からグッサリやった方がリスクが少なくないような気ぃせんか?」
 そんな私を気の毒に思ってくれたのが、火村はこの台詞には応じてくれた。
「それは、思い出したんじゃなくて、今思いついたんだろ。まあいい。それは、なにをリスクだと認識するかよるな」
「というと?」
「犯人にとって最悪の場合を考えてみろ。詐欺と殺人、どっちの罪が重いかだ」
「詐欺と殺人──つまり、この事件の犯人は最悪でも詐欺罪にしかとわれない?」
「そう。忌々しいことにな。だが、先刻も言った通り、詐欺師を捜していたんじゃ、犯人は捕まえられない。そいつにとっての最高は何の罪にも問われないことだろうが、そうはさせてやらないさ」
 言って、火村は不敵に微笑んだ。
「ってな訳で、神崎智美に会いに行くことにするか」


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