Fall


 7

「えっ?」
 火村の言葉に神岡が声をあげた。
 ついでに言うなら、私も──そして、多分室尾警部も──声こそ上げなかったものの、その台詞に驚かされた。
 火村が何故、そんな突拍子もないことを言い出したのかがさっぱり解らなかったからだ。
 レコーダーに録音されている神崎智美の声と、今までベラベラ話していた神岡智史の声は──少なくとも私には──同じに聞こえる。それに、何を言われても一切返答に詰まることなく、しかも軽く相手の倍はしゃべり、更には言うこと全てがごもっともだなんて人間がひとつところに二人も三人も居た日にゃ、講英社は自殺の名所になってしまう。
 いや、自殺の名所はともかくとして──つまり、何が言いたいのかというと、覆面作家もよく似た声と口調の人間も、ひとつの事件にふたりは多いということだ。
 もちろん、それは、この事件が最初に似た声ありきで仕組まれたものではないとしての話だが。
 いや、待て──この間から待てばかりなのは、火村に言われるまでもなく自分でも解っているから、突っ込みは遠慮する──声が同じ(よく似た)人間がいたらそいつ神崎智美の振りが…………ありっ? 出来ないぞ。
 大体、似た姿とか似た声の存在が重宝なのは、二人を一人に見せたい(アリバイ作り等の)時であって、一人の人間(神崎智美)を二人で演じたい時にはなんの役にも立たない。
 ──おい、火村。それ、君の勘違いと違うのか?
 という問いを込めて、助教授に投げた視線は、彼のそれとはかち合うことがなく、仕方がないので神岡の表情を窺った私は、再び心の中で驚きの声をあげた。
 私も幾度か浮かべたことがあり、相手に浮かべさせたこともある表情──
 そう、それは、作家──特に推理作家──が文中に仕掛けたちょっとした(あくまでも本編には関係のない)罠を見抜かれた時の表情だ。
 うまく誤魔化したつもりだったのに見抜かれたかとちょっと驚き、よくぞ気付いてくれたと大いに喜びを感じている、神岡はそんな表情をしていたのだ。
 現実世界での推理は得意ではないが、人に(時には犯人にでさえ)共感することは大得意な私は、今、彼の気持ちが手に取るように解るような気がする。
 きっと、彼はこう言う──
「よく、お気づきになられましたね」
 私が想像した通りの言葉がオプションで笑顔もつけて神岡の口から発せられ、それに火村が応じる。
「普通、解りますよ。ほんの僅かですが、発音に特徴がありましたから。テープの中の彼は北の方の出身の方ですか?」
 いや、普通解らないだろう火村。少なくとも、私には解らんぞ。
 私の心の突っ込みを知る由もなく──当然だ──火村は言葉を続ける。
「それに、あからさまなヒントも頂いてましたよね」
 火村の視線を追うとその先には、神崎智美のマネージャーである──と前田が紹介してくれた──伊達の姿があった。
 彼? 彼の方が神崎智美なのだろうか?
 そういえば、彼は今まで一切声を発していないかも──と思いかけたところで、火村が同じ内容を口に乗せる。
「前田さんに紹介された時、あなたは『神岡です』と名乗ったのに、あなたのマネージャーは頭を下げただけでした。それはまあ、それぞれの癖だとしても、彼は室尾警部の質問にも首を上下左右に振ることだけで応えていました。そして、気付けば私たちがここに到着してからもう30分以上も経つというのに、彼は一言も発していません。これで、なにかあると気付かなかったら間抜けが過ぎますよ」
 だから、火村……私は既に諦めがついているが、その台詞、室尾警部が傷つくぞ。
「ああ、それ。別にヒントでもなんでもないですよ。私と伊達の単なる習性です。片方が熱く語っている間、片方は話さない。長く付き合う内になんとなくそうなったってだけの。まあ、言われてみれば、確かに今日の伊達は無口が過ぎました。話すなと言った覚えはないんですが、不安だったんでしょう。そこは私のミスでしたね」
「では、そういうことにしておきましょうか。しかし、不思議です。何故、声を修正するついでに発音も直さなかったんですか?」
 火村の問いに、神岡はとぼけた顔をして首を傾げた。
「ええ、まあ。そこも修正しようと思ったらできたんですが、そこまでやってしまうとバレた時に、警察に痛くもない腹探られそうですから」
「それはどうでしょうね。録音テープに手を加えた時点で、探られそうなものですが」
「刑事さんも先生も先程からテープテープとおっしゃっていますが、そもそも最近のレコーダーにテープは入っていません。私がしたのは内容の改変ではなく、音声データの加工──伊達が話している部分に神岡ヴォイスフィルタをかけただけというだけです」
「神岡さん、論点をはぐらかすのは、その辺にしておきませんか。これ以上、室尾警部に上慣れない怒鳴り声をあげさせない為にもね」
「なんのことでしょう?」
「まあ、データに手を加えたことは、もしかして来るかもしれない、他の誰かにこの録音を聞かせる時──つまり今日に備えて、単に面倒な説明を避ける為だったんだろうなと思って思えないことはないですが、大抵の人間──特に警察はその前の方が気になると思いますよ。もちろん私も気になるのでお伺いします。あなた──本物の神崎智美は何故、夏目嬢に会わなかったんですか?」
 火村の鋭い指摘にひるむかと思いきや、以外にも神岡は笑みを浮かべた。但し、冷たい笑みを。
「あんな女──作家の弱味につけこんで、原稿を取るような女に、どうして私が素顔をさらす必要があるんです? 今回は偽物に騙されるという結果に終わりましたけど、彼女の企みが、次も成功しないと誰が保証してくれるんですか? そうなってから『しまった』と頭を抱えるのはばかのすることですよ。いわゆる、予防というやつです」
「成程──と言いたいところですが、そうすると彼女と会った神崎智美が、それこそ女装したあなたではないと証明できていないということになります。それで、よろしいんですか?」
「よろしくないです。この際、女装したって私が女に見えるのかどうかというのは置いておく──というか、例え見えたとしても証明はできます」
「どうやって?」
「これは、本当に見せたところで何の役にも立たないと思ったので、黙っていたんですが、彼女がここに来た時の映像が残っているんです」
「映像?」
「ええ、以前、前田さんに聞いたので、私は講英社の会議室は24時間監視カメラで録画されていることを知っていました。なので、彼女に頼んでその時の映像をとっておいてもらったんです。おっと、怒らないで下さいよ刑事さん。それ、取りっぱなしの上に、監視カメラですから無音ですから、ご覧になったとしても、解るのは前田さんと夏目さんが取っ組み合いの喧嘩をしていなかった──程度のことですよ。その点、この音声データは会話の内容が解る分、情報として価値が高いと思っただけなんですから」
「で、その映像に何が映って──まさか」
「ええ、そのまさかです。私は、その映像に神崎智美のマネージャー伊達弘樹として映っています。例え、名前が違っても、私を見て彼女が驚かなかった。その事実が私と偽の神崎智美が別人だと証明しています──違いますか、火村先生?」


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