Fall


 9

「って、どこが?」
 何をもって前進とするのか、基準が大いに疑問であったので、私は火村の呆れ顔をきっぱり無視して問いかけた。
 大体、自分一人が何でも知っているような顔と口調で語る人間に呆れられる筋合いはない。自分だけが解る=自分の意図を他人に伝える能力に大いに問題があるという図式が成り立つからだ。
 推理小説を書いている私が言うのもなんではあるが、本当にもう、どうして探偵役の人間という奴は、まんがでも小説でもそして現実でも、こう思わせぶりな台詞(独り言含む)をしゃべるのだろう。
『犯人はあの人だ』とか『そうか、アレはこういうことだったんだ』とか『犯人はソレを隠したかったんだ』とか。咄嗟に物の名前が出てこくなってしまったじーちゃん・ばーちゃんじゃあるまいし、指示代名詞を使わずに話せというんだ、指示代名詞を!
 そんな私の、心の中の悪態が聞こえたのだろうか──いや、本当に聞こえていたら嫌すぎるが──火村は肩をすくめて話し始めた。
「どこがって……じゃあ、聞くが、アリスはどうして黙ってるんだ?」
「黙っとるって……意味が解らん」
 私の言葉に火村はチッと舌打ちをした。
「アリス、よく考えろ。いつものお前なら、今ごろ、あんなに周到にアリバイ──じゃねぇな、自分が夏目瑠璃子と会っていないという証拠を用意している奴は怪しいとかって言い出してる頃だろうが。じゃなかったら、古今東西のトリックを頭の隅から引っ張り出して、あーでもないこーでもないって、どこかで勘定を誤魔化されてないか悩んでる頃──違うか?」
「言われてみれば……」
 火村の言う通りだ。
 ドラマや小説とは違い、現実において、怪しいことする人間は普通に犯人である。
 いや、もちろん別に怪しくなかったけれど、実は犯人──だなんてこともあったりするので一概には言えないけれど、少なくとも私が彼を犯人だと疑う気にならなかったのは確かだ。
「……なんでやろ?」
 自身でもそんな自分の感覚が理解できず、首を傾げた私に答えをくれたのは、やはり火村だった。
「なんでもなにも、奴──神岡が、怪しいんじゃなくて、怪しすぎるからだろ」
「あ」
 火村の言葉に私は短く声を上げた。
 そうだ──そうなのだ。
 いくら現実では、怪しい奴は普通に犯人だとはいえ、あそこまであからさまに挑戦的な態度を取られると、全く別の方向へミスリードされているようで、騙されてなるものかという気分になる。そして、惑わされぬよう、仕掛けられた罠にまんまとかかってしまわぬよう、それを無視する傾向──主に推理小説を読む時。流石に2時間ドラマ程度のミスリードには引っ掛からない──が私にはある。
 きっと、火村も同じ様に感じたのだ。
 そして、私と火村との違いは、神岡の態度から次に疑うべき相手に見当を付けられているか否か。
「で」
「で?」
「君が次に疑ってやろう思うてる人間は誰なんや?」
「勝手なこと抜かすなよ。次も何も、俺は別に神岡を犯人だと疑っってた訳じゃないぜ」
「そっちこそ、嘘抜かすなや。こっちは、君の言った『まさか』て台詞、ちゃんと聞いとったんや。アレ、神岡が偽の神崎智美を演じていたかもしれないいう可能性を否定されそうやから、思わず出た言葉やろ」
「人の考えを許可も取らずに推測するな。しかも、見当違いな方向に。確かに俺があの時口にしかけて思いとどまったのは、『まさか、あなたが映っているんですか』だが、お前の言うのとは意味が違う」
「はぁ? なにが、どういう風に違う言うんや」
「多分、神岡は本当に被害者なんだ」
「つまり、そう思うまでは、偽物の被害者やって思ってたいう訳か?」
「訳の解らないこと言うなよ。被害者が偽物なら、その事件は世間一般的に狂言って呼ばれるものだろうが。事件は確実に起こってる。そして神岡は被害者だ。ただ──」
「ただ?」
「神岡は真犯人に心当たりがあると俺は見ている。じゃないと、あの一貫性のない行動に説明がつかない」
「一貫性なら、あったんちゃうか? あまり趣味のええもんやなかったけど、もったいぶってこっちが疑いもったところですかさず否定。あれ、彼の性格やろ。それに、一旦疑われといて容疑者から外れよういう演出かもしれへんし」
「まあ、性格だろうし演出なんだろうが、にしてはあの演出、盛り上がりに欠けるだろ」
「盛り上がり? ああ──もしかして溜めが足りんいうことか?」
「そう。例えば、アレがこちらの捜査をかき回したい為にやっていることだとしたら、随分と諦めが早すぎるとは思わないか」
「て言うてもなぁ。現実なんてそんなもんちゃうか?」
「そう、それが現実なんだ。ところでアリス。お前、締切間際になると、ネタも思いついてないのに、取りあえずPCの前に座るのはなんでだ?」
「なにをいきなり──」
「いいから応えろよ」
「そ、そりゃ、モニタに向かえば何か書けるかもしれへんし……一応努力する振りくらいはしとかんと、締切破った時、編集へ『頑張ってはみたんですが』いう台詞が嘘くさくなりそうで嫌やし……」
「だろ。神岡の行動も同じさ。アレは、自分で罪を被る気はこれっぽっちもないけど、『一応こっちに疑いを向けてみようとはしたんですよ』と後で誰かに言い訳する為にやってたことなのさ」
「成程──と納得したところで、話を元に戻す。だから、君は次に誰を疑ってやろう思うとるんや」
「それはまだ解らない」
「はぁ? 何やねん、それ?」
「俺に解るのは、杉崎涼に話を聞いて、ついでに彼の周辺も洗った方がいいってことだけだ。彼らと夏目瑠璃子の会話のウラを取るためにな。きっと面白い物が出てくるぜ」
「面白い物やったらいいけど、シャレにならへん大物が出てきたりしてな」
「その時はその時だ」
 どうやら、運転中は極端に口数が少なくなるらしい、室尾がステアリングを握る車の中で、私と火村は目を見合わせて笑みを浮かべた。
 その冗談が、ちっとも冗談になっていなかったことなど、今はまだ知らずに──


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