THE GREATEST BIRTHDAY -2-


「…んだよ…。」

 途端に静かになった楽屋の中で、まだ怒りの治まりきらない井ノ原は、それでも感情をぶつける相手がいなくなったために一人呟いた。

 と、そこに。

「あーらら、泣かしちゃって。」

 声変わりこそしているものの、まだ子供っぽさが残る声に井ノ原は度肝を抜かれた。

 振り返ればそこにいたのは、取材を終えてお茶を飲もうとしていたらしく、給湯室の扉から顔だけ出している剛。

 明らかにからかいを含んだその声と笑顔は、井ノ原の怒りを冷ますのに充分だった。

 だから思わず井ノ原は、

「お前、何時からそこに…。」

なんて、月並みな科白を口にしてしまう。

 当然だ。だって他の人には絶対に言えないような内容を叫んでいたのだから。

 自分と健の関係をすべて知っている数少ない人間の一人である剛だったからこそよかったようなものだ。

「あんた達が来る前から。当たり前だろ? 途中で入ってきたらわかんじゃん。」

「何してたんだよ。お前、かなり前に撮影終わってた筈じゃ…。」

 明らかに動揺している井ノ原に、剛は持っていた湯飲みを差し出す。

 この楽屋に備え付けのもの。中身は入っていない。

「いやー、ちょっとノド乾いたからさ、お茶でも飲もうかと思って。でもさー、誰もいないんだもん。いれ方わかんなくってもたついてたら、二人が戻ってきたってだけ。そんでさぁ、お茶、いれてくんない?」

 にっこりと悪意のない笑顔で言われ、取り敢えず湯飲みを受け取った井ノ原は仕方なく給湯室に向かう。

 こんな事なら剛にお茶のいれ方教えておくんだったと井ノ原は後悔したが、時すでに遅し。

 二人分のお茶をいれて戻ってきた井ノ原は、片方をソファーに腰掛けた剛に渡す。

 サンキュ、と軽く礼を述べて剛は湯飲みを受け取った。

 口元に持っていって、剛は井ノ原が立ったままなのに気付く。

「座れば。」

「いや、いい。」

「あっそ。」

 なんだか好意を無視された気分になって、剛はお茶を一口飲んだ。 そして、本題を切り出す。

「ね〜え井ノ原くん。さっきのは一体何だったのかなあ? 健ちゃん、泣きながら出てっちゃったみたいだけどぉ〜?」

 無茶苦茶イヤミを込めて言った言葉に、井ノ原は重たい口を開く。いや、開こうとした。

「それは…。」

「『健が二宮に誕生日電話かけたから。』それは訊いてたけどー?何かめっちゃ怒ってたよね井ノ原くん。」

 言いかけた言葉を先に言われ、井ノ原は初めて剛の顔を見た。

 明らかに不愉快そうな表情。

 理不尽な理由で大切な人が傷つけられたことに対する怒りが、その瞳に込められていた。

 勿論、そんなことをした人間に対する怒りも。

 気圧されそうになった井ノ原は、つい先刻まで自分を支配していた激情を呼び起こした。

「お前にそんなこと言われる筋合いは無えよ。盗み聞きしていた奴なんかにな。大体あいつが原因作ったんだ。俺にやったこともないこと、他のヤツにするから。」

 一息で言った井ノ原に、剛はからかうような口振りをやめて反論した。

「フザケんなよ。あんたこそ一体何様のつもり? そんな、健の後輩に対する態度にまで口出す資格あんの? さっき健も言ってたけどな、あんただって他のヤツと電話したりしてんじゃん。それも健の目の前でさ。そん時のあいつの気持ち、考えたこと一回でもあったって言える? それを棚に上げて、無神経にもほどがあるってもんだよ。」

 剛の言葉は、井ノ原の心にナイフとして突き刺さった。

 健と言い合いをしていたときは感情が昂っていて心にも留めてなかったことが、今は痛いくらい心に入り込んでくる。

 確かに、そんなときの健の気持ちなんて、今まで考えたこともなかった。

 なのに何だ、自分は健に『少しは俺の気持ちも考えろよ。』なんて、自分勝手もいいとこじゃないか。

 井ノ原は何も言えず、ただ黙ったまま立ちつくしている。

「あんたさあ、健は自分のもの、とでも思ってんじゃないの?」

 空になった湯飲みをテーブルの上に置いて、剛は井ノ原を見上げた。

 思いもよらぬ問いかけに井ノ原が黙っているのを見て剛はさらに続けた。

「ま、否定はしないけど。あいつ自身は井ノ原くんのものってことに喜びこそすれ嫌がるなんてことはないだろうし。たださあ、独占欲強すぎんじゃないの? 何か端から見てると束縛しまくりって感じだから。俺以外のヤツがあいつに近づくのは許さない、みたいなところ、あるでしょ。」

「…そう、かもしれない。」

 井ノ原は今度は答えた。というよりは、つい口に出してしまったという感じだ。

「まあそれは、それほど健のことしか見えてないってことだろうけど、ちょっと行き過ぎかもな。」

 剛の言葉を聞きながら、井ノ原は先程の健の様子を思い出す。

 涙を溢れさせて飛び出していった健。

 酷く傷ついた顔をしていた健。

『わからずや。』確かにそうだ。俺は自分のことしか考えていなかった。

 井ノ原が考え込んでいるのを見て、剛も暫く何も言わなかった。 そして。

「謝っちゃえよ。」

 沈黙を破ったのは剛。

「ここでいつまでも考えてたってしょうがないだろ? 健のところに行けよ。約束してんだろ? 泊まりに行くって。健が嬉しそうに教えてくれたぞ。」

 井ノ原は驚いて剛を見た。知ってるなんて思わなかったから。

「それにさ、最初の話に戻るけど、健が井ノ原くんにバースデーコールしないのは何でだと思う?」

 井ノ原は黙ったままでいる。

「あんたら、いくら仕事があってもお互いの誕生日には逢ってんじゃん。いわゆる…恋人になってからはさ。健は電話なんかじゃなく、直接言いたいんじゃないの? おめでとうって。あんただけだぜ。俺や岡田にだって、忙しかったら電話だけだし。」

 気付かなかった。

 当たり前のようにしていたこと。当たり前すぎて気付かなかった。 …謝ろう、健に。

 今すぐ逢いたい。

 井ノ原がそう思った時、楽屋の扉が開いた。

「健!」

 思わずそう呼びかけてしまった井ノ原だったが、立っていたのは健ではなかった。

「え? うわっと。」

 いきなり別の人間の名を大声で呼ばれ、その人物は驚いて持っていた紙パックのドリンクを取り落としかけた。

「あ…岡田…。」

 明らかに落胆した様子で言われ、訝しげに井ノ原を見たのは、撮影を終えて戻ってきた岡田だった。

「何?」

「いや…、もう終わったのか?」

「終わったからここにおるんやろ。」

 何とか取り繕おうとする井ノ原だったが、あっさりかわされてしまう。

 危うい雰囲気になりかけたところを、剛の状況を考えない一言で救われる。

「あー、お前何だよそれ。何処にあったんだよ。」

 『それ』───すなわち岡田の持っているドリンクのことである。

「ああ、これ? 撮影終わって自分の荷物片付けてた時に雑誌記者のお姉さんにもろたんや。何かみんなの分もあるみたいやったけど、三人、先に帰ってしもたから片付けられとったよ。」 

「くーあー何だよ、俺ももらっときゃ良かった。お茶いれで四苦八苦しなくて済んだのに。」

「俺がいれてやっただろ。」

 頭を抱えて本気で後悔する剛と、その隣で立ちつくしていた井ノ原は、あまりにも唐突に、しかもすばらしい話題を持ち出されて固まった。

「ねぇ、それよりさあ。さっき健くん泣きながら走ってったけど、イノッチ何かした?」

「な、何で俺なんだよ。」

 確か、コイツは知らない筈なのに。

 動揺を隠しきれない井ノ原に、岡田は不思議そうな顔をした。

「いや、何となく。イノッチが一番関係してそうやな、と。違うの?剛くんなの?」

 さも不思議そうにそう言う岡田に、取り敢えず濡れ衣を着せられそうになった剛が弁解する。

「違う違う、俺じゃない。確かに井ノ原くんだよ。健とケンカした…っつーか、井ノ原くんが健を怒鳴りつけたんだよ。……にしてもなんつー勘の鋭いヤツ。今後気をつけないと…。」

「何? 最後の方、よく聞こえんかったんやけど。」

「あー何でもない何でもない。」

「ふーん? ま、どうでもええけど。イノッチ、健くん泣かせたんやね?」

「うっ。」

 剛ほどではないにしろ、岡田もかなり怖い。

 六人の中で一番の勘の鋭さと純粋さで、意図せずして人を追いつめていく。

 あくまで悪気はないと思われるので、隠し事をしている身としては心苦しく、また場合によっては、まさかバレたのでは、と心臓を掴まれるような思いをすることもある。

「謝らなあかんよ。何があったんかはわからへんけど、内輪でもめるのは後々困るで。仕事に支障をきたしたりしてこっちまでとばっちり食らったら嫌やしな。早うなんとかしといてや。」

 まだ若いはず…なのにまるでたっぷり人生経験を積んだ人のような、諭すような口調。

 井ノ原は溜息をついていった。

「分かったよ、行って来る。おい、健が置いてった荷物よこせ。持ってくから。」

 剛は立ち上がって健の鞄を井ノ原に渡しながら訊ねる。

「持ってく…って、まだスタジオの中にいるんじゃないの? まさか、鞄置いて帰らないでしょ。」

 いかにも当然のことのように言う剛に、井ノ原は笑って言った。

「あいつはこういう時、絶対戻ってこないんだ。真っ直ぐ家に帰って一人になりたいと思うらしくてな。財布の入ってるポーチだけは持ってったから、大丈夫だろ。」

「ふーん。」

 なぁんかつまんないの。俺より健のこと知ってるなんて。

 恋人の座は井ノ原くんのものであっても、健のことを一番よく知ってるのは俺だと思ってたのに。

 とろけそうな顔をして健のことを語る井ノ原を見て、剛は少し面白くない気分になった。

「じゃ行って来る。悪かったな剛。」

「いいよ別に。それより早く行ってやれよ。」

 井ノ原は頷いて、二人分の荷物を持って出ていった。

「がーんばってね───。」

 井ノ原には聞こえないよう小さく応援し、手を振って二人は彼を見送る。

「……ラブラブじゃん。」

「…え?」

「あーとにかくっ、これで健は大丈夫だろ。」

「んー、そやね。」

 またしても口を滑らしそうになって、剛は必死にごまかす。

 同じようなごまかしに二回も引っかかる岡田も岡田なのだが。

「ねえ剛くん、話変わるけど。」

「何?」

 ごまかしが効いているのを確信した剛は安心して応じる。

「健くんの鞄、イノッチ持ってってまったんやけど。」

 言いながら扉を指差す。

「健くんへのプレゼントをこっそり入れておいて、ビックリさせるんやなかったの? 俺らのプレゼント、まだ俺の鞄の中やで。」

 次は自らの荷物を指差す。

 何を言われているのか理解に時間がかかり、暫くきょとんとした剛は、岡田とその荷物を交互に見て、次の瞬間思わず叫んでいた。

「あ───っ、忘れてた───!!!。」






 剛が一人楽屋で叫び声をあげていたころ、健を追いかけて駅まで来た井ノ原は、イライラしながら電車を待っていた。

 何しろ電車は出たばかりで、次は三十分後にしかなかったのだ。 

 おそらくその電車に健は乗っていったはずで。

 そうすると井ノ原が健の自宅に着くのは健の三十分も後になる計算である。

 だから焦っていた。一刻も早く逢いたかったから。逢って、謝りたかったから。

「───っ、こんなことしてる場合じゃないのに…。」

 休日の電車の本数が少ない田舎で取材を行った雑誌社を少しだけ恨み、車がないことに改めて後悔して、井ノ原は軽く舌打ちした。











 どうです? ホントに剛様出張ってましたでしょう? 1でのあの不自然な車検はこのラストのための複線だったんですねぇ。かなり無理矢理ですけど。それより三つに区切ったせいでこのページにもう一人の主人公(健ちゃん)出てこなくなっちゃったんだけど・・・。

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