THE GREATEST BIRTHDAY -3-


 楽屋を飛び出した健は、たまたま来た電車に乗り、家に帰ってきていた。 

 途中で荷物を置いてきたことに気付いたが、金は持っていたし、今更戻る気はしなかったのでそのままにしておくことにした。

 誰か…坂本くんか長野くんあたりが持ってきてくれるか、管理しておいてくれるかな。

 剛や岡田は二人に押し付けてそうだし、井ノ原くんは…どうだろう、管理はしておいてくれるかもしれないけれど、持ってきてはくれないだろうなあ…。かなり怒ってたし。

 そんなことを考えているうちに無性に悲しくなってきて、健はベッドに顔を伏せて泣いた。

 自分しかいない部屋の中だ。よほど大声をあげない限り、隣に聞こえることもない。

 誰に憚ることもなく、苦しい思いをすべて流してしまいたくて、健は泣いた。

 またケンカをしてしまったことへの後悔と、井ノ原に嫌われてしまったかもしれないという抑え切れぬ不安が、ドス黒い心の闇となって健を襲う。

 それでもひととおり泣いてしまうと、今度は途端に寂しくなって。

 一人でいることに耐えられなくなって、健はリビングに出た。

 そして綺麗に揃えてあるビデオテープの中から、自分たちのライブビデオのひとつを取り出す。

 自分の一番好きな場面に合わせてある筈のそのテープをデッキに入れると、オートで再生が始まる。

「───では、僕のソロを聴いてください。」

 井ノ原の声が聞こえる。

 一番好きな場面。

 一番好きな人が歌うバラード。

 健はテレビの前のソファーに座って、画面の中の井ノ原に見とれた。






 健が井ノ原の歌に聴き惚れていたころ、井ノ原はやっと健の家にたどり着いた。

 窓の明かりも消えていて、チャイムを鳴らしても誰も出なかったのでドアのノブに手をかけてみると、鍵が掛かっていないことが分かり、井ノ原は期待半分不安半分でドアを開けた。

 部屋の中は真っ暗だったが、リビングの方から微かに明かりが漏れている。

 取り敢えず健が家にいたことに安心して中に入ると、聞き覚えのある声の、聞き覚えのある歌が聞こえてくる。

 よく聞かなくても分かる───それは当然のことだが───自分の声。自分の歌声。

 不審に思いつつリビングに来ると、健が電気もつけずにテレビを見ていた。

 しかも自分たちのライブビデオを。その中でも井ノ原のソロシーンを。

 不意に健が呟く。

「やっぱり、格好いいよね……。」

 小さな声だったが、井ノ原にははっきり聞こえた。

 画面の光だけに照らされた健が凄く綺麗で、呟いた一言が凄くいじらしくて、井ノ原は愛おしい気持ちが沸き上がってくるのを感じた。

 こんな様子の健をこれ以上見ていたらその気持ちが爆発してしまいそうで、井ノ原はリビングの明かりを点けた。

 井ノ原の気配に気付いていた健は、突然部屋が明るくなったことにも驚いた様子を見せない。

 ただ、井ノ原の方を向くこともなく、テレビの画面だけを見つめている。

 そんな健に井ノ原は躊躇いながらも声をかけた。

「こんな暗いところで。電気ぐらいつけろよ。」

 普段井ノ原が一言でも声をかけようものならニッコリと笑顔つきで応じるというのに、健は画面から目を逸らそうともしない。

 井ノ原の顔を見ずに答える。

「別にいいじゃん。電気点けなくてもテレビは見れるよ。」

 妙につっけんどんな言い方に井ノ原は驚いた。

 …やっぱりまだ怒ってんのかな。

「いいじゃんって…良くねーだろ。ほら、アニメとかでもよくあるじゃん。『部屋を明るくして、できるだけ離れて見て下さい。』ってよ。」

「これはアニメじゃないもん。」

 宥めようとするが、やはり健は冷たい。

 まるで子供のような屁理屈を言う。

「いや、アニメじゃなくてもさあ、ライブビデオなんて音も光も激しいんだし、明るい部屋で離れて見るのは当然じゃねーかよ。」

「離れてるよ、じゅーぶん。」

「だったら、電気ぐらいつけれるだろ?」

「だって、つけたくなかったんだもん。」

「何でだよ。」

「何でも。」

「んなこと言ったって目ェ悪くなんじゃねーかよ。電気つけねーとさ。」

「別にいいじゃん。省エネじゃん。地球のためになってんじゃん。」

「───っだから…あーもー何言ってんだ俺は!」

 どうでもいいことで(いや実際問題どうでも良くないんだけど)何健の神経逆撫でしてるんだろう。

「なー健ー許してくれよぉ。俺が悪かった。一方的に怒鳴ったりして本当、スマン。ほら、このとーり。なー、駄目かー? 許してくれってばさぁ。」

 情け無い声で謝り始めた井ノ原に、健は素っ気ない声で言った。

 まだ井ノ原の方を向かない。

「ヤだ。」

 当然のことながら、井ノ原は酷く落胆した。

 もう、駄目なのかな、俺達。

 だとしたらやっぱり原因は俺にあるよな。

 そんな想いが頭の中をぐるぐると回って、テレビの中で歌っている自分の声が酷く耳障りだった。

 …自分の声?

 ふと井ノ原は疑問に思った。

 本来ならとっくに終わっているはずの自分のソロシーンが何故いまだに流れている?

 もしかして…巻き戻して見ていたのか、俺を?

 ふと気がつくと、健がこちらを見ていた。

 今まで目を合わすどころか顔も見ようとしていなかったこともあって、井ノ原はどうしようか戸惑った。

「健…。」

 心配そうに、取り敢えず名前だけ呼んでみる井ノ原に、健はニッコリ微笑んだ。

 失意のどん底にあった井ノ原にとって天使の笑みにも勝るとも劣らない、可愛らしい笑みだった。

「う・そ☆」

「え?」

 何を言われたのかまだ良く把握しきれていない井ノ原の様子を見ながら笑顔のまま健は続ける。

「許したげる。もう怒ってないよ。」

 そう言われて、やっと理解したらしい井ノ原は心底安心したような溜息をついた。

 しかし、許してくれたのは嬉しかったが、一方的に怒鳴りつけて健を傷つけたことは変えようのない事実で。

 本当は自分が傷を癒してあげなければならないのに、健の笑顔で自分が癒されてしまっていることに対する申し訳なさも同時に感じていた。

「ごめんな…、本当にごめん。俺…お前の気持ち全然考えてなかった。自分のことしか頭になくて…本当はあんなに怒鳴るつもりなんかなかったんだ。」

 絞り出すような声で話す。

 健は黙って聞いていた。

「ただ、お前に聞きたかったんだ…本当かどうか。勿論二宮が嘘ついてるなんて思った訳じゃない。信じたく…なかったというか、普段あんまり電話したりしないお前が俺以外のヤツに、なんて…。いつも誕生日には逢ってるってコト、剛に言われるまで気付かなくって…。それでお前の本心を知りたかっただけなのに、お前の無邪気な…ってゆーか当たり前なんだけど、悪気のなさそうな笑顔見てたら何かどんどんイライラしてきて…俺がこんなに悩んでるのにニコニコしやがって、なんて思ったら、カーッて頭に血が上って…。」

 一呼吸おいて言う。

「つい、あたっちまったんだ。ごめん。」

 井ノ原の真剣な表情に、健は再び笑顔を見せる。

「もういいよ。怒ってないって言ったでしょ? 井ノ原くんだけが悪いんじゃない。俺だって…黙ってたんだし。俺こそ井ノ原くんの気持ち考えないでゴメンね。これからは気をつける。だって、嫌われんのヤだもん。」

「健…。」

「もう、嫌われちゃったかと思っちゃった。」

「……健っ!!」

 健の寂しそうな笑顔に、我慢できず井ノ原は健を抱きしめた。

 抱きしめていないと消えてしまいそうだったから。

「そんな訳無いだろ。俺こそ…俺の方こそ酷いこと言って…嫌われるのが当然なんだ。お前が気に病む必要は全然ないんだよ。」

 井ノ原は強く強く健を抱きしめて言う。

 されるがままになっていた健の目から、途端に涙が溢れる。

「だって…井ノ原くん凄く怒ってたし…。もう、口きいてくんないかもって、思って…。そしたら、急に怖くなって、哀しくなって…思いっきり泣いたんだ。」

 嗚咽混じりの声に、井ノ原まで泣きそうになった。

 震えているのが伝わってくる。

「そしたら今度は急に寂しくなって…っ、井ノ原くんに会いたくて、声が聞きたくて…だから見てたの。井ノ原くんの歌ってる姿…。」

 健を抱きしめたまま、今度は井ノ原が無言で健の話を聞いてやる。

 ともすれば自分も溢れてきそうな涙を必死に抑えながら。

「歌、聴いてたら…やっぱり俺、井ノ原くんが大好きなんだって、何時も側にいて欲しいんだって、分かったんだけど…井ノ原くんはもう、俺のこと好きじゃないかもって思ったの…。だから、あれほど会いたかったのに、井ノ原くんが来てくれた時、すぐに顔みれなかった…。怖くて…っ。」

 涙でそれ以上続けることができなくなった健の髪をそっと撫でて、井ノ原は言った。

「大丈夫…大丈夫だから。絶対に、嫌いになんかならないから。ごめんな…俺の所為で不安にさせて…ごめん。」

 こんなにも想ってくれる人を泣かせる自分を許せないと思う反面、井ノ原は健の泣いている顔をも可愛いと、愛しいと思う気持ちが存在していることに気付いた。

 健のすべてが愛しい。

 笑顔は勿論、自分のために流してくれる涙も。

「…俺はお前が好きだ、健。約束する。絶対に嫌いになんかならない。だけどもしも…またお前を傷つけたり、不安にさせたりすることがあっても、お前は俺を許してくれるか? ずっと…好きでいてくれるか…?」

 躊躇いがちに訊ねる井ノ原に、健は答える。

「うん……好きでいる。」

 しかしまだ不安なのか、それとも不満なのか、井ノ原は問う。

「もしかしたら、もっと非道い事したり、言ったりするかもしれないよ?」

「うん…。」

「何度も泣かせることになると思う。それでも?」

「うん…。」

「俺、独占欲強いから、束縛しまくるよ?」

 少し間を置いて、健は井ノ原の背中に腕を回す。

「いい。井ノ原くんなら…井ノ原くんならどんなことがあっても、俺はずっと井ノ原くんを好きでいる。」

 背中に健の温もりを感じて、言葉に健の優しさと愛情を感じて、井ノ原は強く健を抱きしめた。

 同じように、健も。

「井ノ原くんのために泣けるのなら、俺は幸せだよ。」

 健の言葉が井ノ原の心に染み込んでゆく。

 抱いていた腕の力を緩めて井ノ原は健の顔を見た。

 涙が光ってはいるものの、可愛らしい笑顔。

 井ノ原の大好きな、健の笑顔。

 その笑顔とともに今、最高に嬉しい言葉を貰って、井ノ原は健の額に優しくキスをした。

「ありがとう、健。」

 言いながら頬の涙の跡を唇でなぞる。

 大きな手のひらで包み込むように頬にそっと触れると、それを合図のように健は目を閉じた。

 幼さと大人っぽさが微妙に入り交じった表情。

 健の醸し出すその不思議な雰囲気に吸い込まれるように、井ノ原は健の唇に自分のそれを重ねた。











 別にここで終わっても良かったんですけどね・・・一応まだ続きがあります。特に読まなくても支障はないかな?4は3と一緒に入れてしまうつもりだったので短いです。あぁ・・・どんどん甘ぁ〜くなってゆく・・・。

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