「声……か……」
達哉は考え込んでいる。
「心当たりはあるのか?」
「あるわけがない。俺には声など聞こえない……」
「だろうな」
聞くだけ無駄だった。
「けど、それだけ聞くと、兄さんは誰かに操られているようにも思えるな……」
「俺もそう思ったんだが……」
パオフゥは眉を顰める。
「何かあるのか?」
「いや……そうだな……。隠しても仕方ないか……。実は、奴を泊めた翌日、馴染みの医者に――要するに、この病院の医者なんだが……見せたんだ」
「それで?」
「見立ては「まとも」だったんだよ。最初はな」
「最初……というと?」
「見せたのが精神科の医者だったからだろうな。直ぐに催眠をかけやがった。したらな……出てきたんだ」
「出てきたって?」
「別の人格って奴だ」
「別の人格?」
「解離性障害と言ってだな、一般的には二重人格と称される。周防は身体ん中に二つ以上の人格を持っている、と診断されちまった」
「まさか!」
あり得ない、と達哉は声を上げる。
「ところがどっこい、本当だ」
解離性障害。一人の身体に複数の人格が宿るというあれであり、その原因は強い負の感情からくるストレスだと言われている。
「ちょっと待ってくれ。そんな兆候はこれまでは出てこなかっただろう?」
「そうなんだが、医者の見立ては、そうだ」
「あり得ない。兄さんはペルソナ使いだ。ペルソナ使いには、強い自我が必要だ。複数の人格を持つ人間が、ペルソナ使いになることは出来ない」
多重人格者がフィレモンに認められるのは不可能だ。強い自我を持つということは、あらゆるストレスにも耐えられる強い人間でなくてはならないはずだ。
現に克哉は強い人間だと言える。
「逆じゃねぇのか?」
パオフゥは肩を竦める。
「逆――とは?」
「だからよ、ペルソナ使いになってから、第二の人格が目覚めた。もしくは……」
達哉はパオフゥを見つめて黙り込んだ。
示唆された可能性が、かなり高いことに思い至ったからだ。
「ペルソナが、別の人格を作った……」
「そういうことだ」
実際問題として、ペルソナを宿すということ自体が、別の人格を宿すということに酷似している。
それを戦闘用の武器と思っているから、矛盾が生じる。
ペルソナとは、そのものが『自分』というものの中にある別の自分である。と考えることを時に忘れているが、あらゆる状況から見れば、それは一種の多重人格症でないとも言えない。
「第二の人格。ペルソナによって作られた……」
「可能性はあるだろ? もう一人の自分」
「でも、なら何故? 兄さんはそれこそ犯罪――ことに殺人からは最も遠い位置にいる人間だと言える。それなのに、何故俺を殺そうとする?」
「それが問題だが――ペルソナが作った人格ということを余所においてみれば、かなり簡単に出せる答えなんだな」
「とは?」
「解離性障害の面倒な所は、現れた人格の中に、必ず攻撃的な人格があるということだ」
「兄さんは、その攻撃的な人格の状態の時に、俺を殺そうとするのか?」
「さてな。そこまでは判らねぇ」
結局は、何も判らないということだ。全ては医者の見立てであり、真実がどこにあるのかは、結局克哉本人しか知らないのかもしれない。「で?」
「あ?」
「まだ話には続きがあるんだろ?」
「いや、その後はこの病院に入れっぱなし。病院に入れてから達哉に会いに行った」
「達哉はなんて?」
「兄貴が自分を殺そうとしたことも知らなければ、兄貴の様子がおかしいことにも気付いてなかった。ただ……」
「ただ?」
「何故か達哉自身は、自分が幼い頃にアラヤ神社に入り浸って遊んでいたことも、それを兄貴が迎えに来ていたことも覚えてなかったな……」
「覚えていない?」
記憶の矛盾。
「達哉は、アラヤ神社のことを覚えていない……?」
アラヤ神社。どちらの達哉にとっても、記憶のキーワードになる場所。
「パオフゥさん。教えて欲しい」
「あん?」
「10年前。この辺りで連続放火殺人があった事実はあるか?」
「ああ?」
「詳しくはアラヤ神社。いや、神社は火事だった事実がないから、その他で良い。連続放火事件だ」
「ああああ?――いや、なかったな。あの頃この界隈をにぎわせていたのは、連続殺人だ」
「殺人?」
食い違う事実。
いや、確かにそうだ。
「そうだった。殺人――」
火事があったのは、"向こう側"のアラヤ神社。そしてその火事に、達哉は巻き込まれた。
アラヤ神社に達哉を迎えに来ていたのは、兄の克哉。中学~高校の辺り。
「まさか……」
突き当たった可能性に、達哉は呆然とする。
「兄さんがおかしくなったのは、10日前だったって言ってたな」
「本人の言うところによると、そうらしいな」
「10日前……」
数えで10日。
最初に達哉が兄に殺されかけた時。
気付いた達哉に、克哉は困ったように笑った。
『もう少しだったのに……』
残念そうに言うものだから、その場で死んでやれば良かったと思った。
では"向こう側"の兄は、何故自分を殺そうとしたのか?
「パオフゥさん」
「ん?」
「部屋を、貸してもらえないか?」
「あ?」
「マンション、貸してるんだろ? 俺と兄さんにも、貸して欲しい。ほんの数日で良いから……」
「そりゃ、構わねぇけど……」
一体何に使うつもりなんだ?
とはさすがにパオフゥは聞けなかった。
兄弟二人に、と言うのなら、恐らく用途は一つだろう。
「お前さん……良いのか?」
「どうだろう? 兄さんのもう一つの人格を取り除けるかどうかは、賭けだけど……」
「助けてやるのか?」
「ああ……出来るなら……」
聳え立つ病院を、背後に眺める。
「じゃ、退院手続きしてくるから、必要なもの用意して、先に言っててくれ。港南区の、駅前通りを真っ直ぐ歩いて10分くらいのコンクリートビルだ」
「判った……」
互いに背を向け歩き出す。
達哉は薬局へ。パオフゥは病院へ。