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籠の鳥


「俺達が出てくるまで、この部屋を覗かないで欲しい」
 最初に克哉に貸した部屋。そこを同様に達哉に貸してやると言うと、達哉は礼を述べた後でこう言った。
「危険はないのか?」
「……恐らく。兄さんがおかしくなった原因は判ったと思う」
「こっちの弟には、想像も出来なかったのにか?」
「そうだな……。説明は後にする。間違った見解なら、必要ないだろ?」
「ま、そうだけどよ……」
 パオフゥは不安そうに達哉を見る。
 見事な程禁忌を取り払ってしまったかのようなすっきりした顔。
 原因が判ったというのは嘘ではないのかもしれない。
「大丈夫なのか?」
 もしも克哉の症状が変わっていないのなら、達哉の命は危ないことになる。
「その点は大丈夫だと思う……確信はないが……」
 更に不安そうに達哉を見るパオフゥに、達哉はあまり動かさない表情を無理矢理動かしたような笑顔を見せて。
「じゃ、俺達が出てくるまで、絶対に……」
「ああ、判ってる。覗きゃしねぇよ」
「悪い……」
 パオフゥの目の前で、ドアが閉められる。
 ご丁寧に内側から鍵までかけた音を聞いて、パオフゥは溜め息を吐いた。
 望みは、達哉を手に入れること。
 殺人未遂の動機は、あの事件が根底にあるのだとすれば――達哉が手に入らないと判っているから。
 手に入らないなら……。
 荒んだ願いだが、判る気はする。
 欲しい玩具などが手に入らない時、子供が暴れるのと同じ理由だ。
「達哉……」
 そのことには、きっと、達哉も気付いているだろう。
 だからこそ――与えることを選んだのだと思う。
 けれどそれは、兄弟の関係の破滅を意味する。
 この達哉なら良い。しかし、もう一人の達哉は?
 一度得られたものを失うのは、それは得られない憤りよりも激しい絶望を促しはしないだろうか?
 その時に、果たして克哉は大丈夫なのか?
 どちらにしても、破滅的な終わりを予期せざるを得ない。
 パオフゥはらしくなく祈るようにドアを見て、踵を返した。



 願いは一つ。
 手に入れること。
 最愛の、人間を――。



「兄さん」
 微かな呼び声に、意識が浮上する。
 正気の光を宿した克哉の、その視界にあるのは、達哉の顔。
「た、達哉! 何故僕の側に……」
 一度病院に行っている。そこまでの自己の意識はあった。
 病院にかかったのなら、恐らく病状も家族には知られているはずだった。そして状況も。
 知っているなら、達哉が側にいることが、どれ程達哉にとって危険なことか、馬鹿でも判ろうと言うものだ。
 それとも誰も、克哉が達哉を殺そうとした事実に触れていないのだろうか?
 それでは達哉の危険が増すばかりだと言うのに?
 思考が混乱をきたす。
 慌てて離れようとする克哉を、達哉が止めた。
「落ち着いて、兄さん。俺は"向こう側"の達哉だ……」
「え?」
「呼ばれたんだ。俺・に。兄さんを助けて欲しいと」
「達哉に?」
「そう、こっちの俺が、ヘルプを寄越した。きっと、知っていたんだろうな。兄さんが――"向こう側"の兄さんの感情に引きずられていることを……」
「え?」
 "向こう側"の克哉に引きずられている?
「事情はパオフゥさんから聞いた。その原因も、俺には判ってる。後は――対処法だけど……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。何故僕が、"向こう側"の僕に引きずられているって……」
「……聞きたいか?」
「ああ。理由が判らなければ、納得することも出来ない」
「確かにそうだけど……でも、あまり良い話じゃないよ?」
「それでも……」
 真摯な克哉の希望に、達哉は小さく笑う。
「相変わらずだ……」
 そして。
「これは、"向こう側"であった話だ。それをまず念頭に置いておいてくれ」
「ああ……」
「俺が"向こう側"に戻ってどれくらい経った頃だっただろう……世界をどにかすることに躍起になっていた俺達兄弟は、不意に悪魔の襲撃にあった」



 ペルソナを召喚出来る達哉。そして、兄にもその素養があるはずだ、とベルベットルームを目指してみたが、ペルソナ使いとしての能力には目覚めることの出来なかった兄。「資格はあります。ですが……」
 壊れている――とイゴールは言った。
「壊れているって……」
「心の一部が、既に絶望という名の闇に覆われて、修復出来ないくらいに壊れてしまっているのです」
 克哉の属性は正義――ジャスティス。
 その正義は、真っ白な光から発されるものが、その力となる。
 だが、克哉の心は闇に染まりつつある。
 そう、イゴールは言った。
 ペルソナに目覚めることが出来ないのは残念だったが、ならば別の方法で身を守る術を身につけなければ。
 克哉は幸いにも刑事で、身体をある程度は鍛えてある。
 銃はもう、銃弾が底を突き使えない。となれば、後は体術か、達哉の使っていた剣のどれかを使って剣技を身につけるしか方法がなかった。
 そんな矢先のことだった。
 早朝。まだ眠っている時刻に悪魔に襲われた。
 勿論、達哉は必死で戦ったが、どうやっても兄を守るまでは至らなかった。
 まだ精神力が回復もしてない状態での戦い。
 それに――残された拠り所である家を、まさか炎で消失させるわけにはいかなかったのだ。
 一瞬の躊躇いが命取りに繋がった。
 悪魔を一掃した時には兄は満身創痍で。
 慌てて駆けつけた病院には、かつていたはずの医者はいなくて……。
 ペルソナの回復能力で回復はしてみたが、精神力が足りな過ぎて回復しきれず。
 気付けば、克哉の両手は力を失っていた。
 神経が切れたのだろう――と、酷く冷静な顔で克哉は言った。
 こんな時代だから、仕方がない、とも。
 いずれ、克哉はその力を失った両手が重荷となり、命すら失いかねない状態になるだろう。
 その時、達哉が側にいられれば守ってやれるが、常に共にいられる程状況は甘くなかった。
 達哉はねぐらを別の場所に移した。
 なるべく人の近寄らない場所。そして、地下に潜れる場所。
 兄をそこに寝かせ、一人で街を奔走する日々。
 空しさが足元から競りあがってくる毎日。
 そんな達哉に、克哉は気付いていただろう。 眠っている時、呟きを聞いた。
「僕がいなくなったら、達哉はどうなる? たった一人で、こんな場所で生きていくのか?」
 悲痛に満ちた声。
 本当は起きて話相手になってやりたかったが、疲労が限界に達していた達哉は、身体を覚醒させることまでは出来なかった。
 そんな達哉の上に乗りあがってくる、細い体。
 力ない両手が首にかかり――。
「愛しているよ、達哉。だから、お前を一人にしたくはない。でも僕は……」
 動かない両手は、達哉の首を絞めることまではかなわなかった。
 ただ、気持だけは伝わってくる。
 克哉は――救おうとしているのだ。達哉を。
 絶望のふちに引っかかった珠閒瑠の街から。



「それが、10日前の話だ。あんたが始めて達哉を殺しそうになったのも、この日だろう?」
「…………」
「兄さんは、"向こう側"の兄さんの意識に引きずられただけだ。その証拠に……アラヤ神社に俺を迎えに来ていたのは、"向こう側"の兄さんであって、あんたじゃない」
「え?」
「"こちら側"の達哉に、アラヤ神社に行く理由がない。そこには、友達がいなかったんだから……」
「え……?」
 克哉は驚いたように、達哉を見つめた。

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