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秘書 3

 引継ぎは午後から行われた。
 前副社長秘書というツォンという人物に紹介され、仕事の一通りを教わった後、なんだか意味深な笑みで「ルーファウス様の機嫌が良いようだ」と言われた。
 大した意味もないのだろうが、クラウドとしては、朝のことが思い出されて赤面してしまう。

 今朝は、何時もなら目覚ましに起こされるところを、人の声に起こされた。
 目を開けると朝陽の輝きの中でルーファウスが笑っており、目覚めたクラウドの額にキスが送られる。
「おはよう。良く眠れたか?」
「あ……はい」
 一瞬、状況が見えなかった。
 何故自分のベッドに他の誰かがいるのだ、とか。それが副社長なのか、とか。
 色々考えて、屋敷に勤める人間達の自分の呼び名について抗議にきたことは思い出したが、そのままルーファウスのベッドで眠ってしまうなどとは――。
「私も久し振りに誰かを抱きしめて眠った。なかなか良いものだ」
 感想まで言われたら、クラウドはどうして良いのか判らない。
 齢十五である。誰かと抱きしめ合って眠ったなど、母以外ではルーファウスが始めてのことだ。
 思わず赤くなるクラウドを笑って、先にベッドを下りたルーファウスは使用人を呼び寄せる。
「朝食を」
 命令一つで朝食が出来る生活。
 思い切り自分には不似合いだと思いながら、ルーファウスにとっては当然で、しかも似合っている。
「起きられるか? それとももう少し眠るか?」
 問われて、ベッドを降りる。
 寝相は悪くないはずなのに、パジャマが乱れていて、恥ずかしい。
 クラウドは慌てて乱れたパジャマを直し、部屋を出ようとするところで呼び止められる。
「今夜も一緒に眠ろう」
 満面の笑みで言われて、クラウドは戸惑った。
 普通、秘書は一緒には寝ないと思うのだ。
 それを言うなら、普通、秘書であろうとも一緒に住んだりはしないのかもしれない。
 話に聞けば、ルーファウスはそれまでちゃんと親と住んでいて、クラウドの為だけに屋敷を買って出てきたのだそうだ。
 ふと、軍部統括秘書の言葉が蘇る。
『恋人とか、愛人とか』
 そういう意味で求められているとは到底思えない。そんな魅力が自分にあるとも、クラウドは思っていない。
 なのに。何故だろう?
 ドキドキする。
「返事は、クラウド?」
「あ、はい……判りました」
 思わず赤く染まった頬を両手で隠して、クラウドは頷くと、今度こそルーファウスの部屋を走り出た。

「赤くなって、どうした?」
 ツォンの声に、我に返る。
「あ、いいえ」
「無体なことでもされたか?」
 面白そうな、からかうような声に、クラウドは思い切り首を振る。
「副社長はそんなことはしません!」
 思わず大きな声が出て、クラウドの方が驚いてしまう。
「ルーファウス様はそんなことはしない、か……しかしクラウド、あの方も男だということを、忘れない方が良い」
「俺も男です」
「だが君は今、心は女になりかかっているだろう? その内に思うかもしれない。ルーファウス様に抱かれてみたいと」
「な、何を言ってるんですか!」
「冗談だ」
 ツォンは笑う。
 子供をからかうのはおもしろいが、クラウドは格別だった。
 素直で純情で。
 ルーファウスが気に入った理由が良く判る。
 基本的に、ルーファウスは寂しい人間だ。会社を興した父親には顧みられず、母親は幼い頃に他界している。
 寂しいだろう、と父親の愛情で与えられたのは、ルーファウスが求めてもいないセックスの相手で、以後、ルーファウスはそういう相手には不自由しなかったものの、純粋な愛情とは無縁になった。
 飢えて求めるものは絶対に与えられない。
 だからルーファウスはどこか破綻している部分がある。
 仕事は完璧、社員の信頼も厚い。だが、どこか人間の温かみに欠けている。
 反してクラウドは、人間の温かみに溢れていた。
 素朴な物言いに、何でも素直に反応してしまうところ。
 温もりを求めれば、クラウドなら直ぐに与えてくれそうだ。
 求めるものは愛情やそれに付随する温もり。
「ルーファウス様を頼む」
 それらはツォンでは絶対に与えてやれないものだ。
 大人のずるさに染まった自分には、上司であるルーファウスに純粋なものは何一つ与えられない。権力や派閥の争いにまみれて、ルーファウスの表の権利を維持するだけで精一杯だった。
 だがクラウドなら、きっとルーファウスの表の権利から、本来求めてやまない温もりや愛情の全てを与えられるだろう。
 軍部で統括にすら可愛がられていたクラウドを、だからツォンは秘書に推薦した。
 やけに真剣にそう言ったツォンに、クラウドは目を丸くしながらも頷く。
 あどけない幼い顔が、ゆっくりとでも良い。ルーファウスに対しての恋を物語るその日を願って――。



 クラウドが秘書になった翌日、例外で第二秘書が設置されることになった。
 残念ながらクラウドには年齢的に不適切な仕事が秘書にはあり、それを第二秘書が行なう為だ。
 配属されたのは、見覚えのある妙齢の美女。
「私まで引き抜かれたわよ」
 苦笑した美女は、先日まで軍部統括の秘書をしていた、彼女だった。
「え、あれ?」
「まずは自己紹介しないとね。私の名前まで知らなかったでしょ?」
「あ、はい……」
「エレノア=グリーグよ。よろしくね」
 こうしてクラウドを煽りまくる人材は、副社長秘書室に揃っていく。
「でも統括は大丈夫なんですか?」
「それがね、何故か統括秘書に前社長秘書がきちゃってね。なんだかねぇ……」
 エレノアは苦笑する。
 恐らく副社長の命令だろうことは容易に知れる。
 心情としたら、こうだろう。
 クラウドはまだ幼く、秘書の仕事にも慣れていない。クラウドには年齢的に不向きな秘書の仕事を任せる第二秘書なのであるから、ある程度秘書の仕事を理解している人間でいて、クラウドにとって気心の知れた人間――最低でも顔見知りが相応しい。
 それで、クラウドとは比較的親しかった軍部秘書の中でも、統括秘書のエレノアが選ばれたのだろう。
 それもこれも、副社長のクラウドへの気遣いだ。
「愛されてるわね、クラウド」
「はい?」
 クラウドは不可解な表情で首を傾げる。
「自分じゃ気付いていないだろうけど、表情がもう、この前とは違うわよ。なんだろう、恋の咲き始めみたいな感じかしら?」
「え……?」
 本気で気付いていないらしい。
 当然だろう、まだクラウドは十五だ。
 初恋もまだかもしれない少年を、からかってるつもりがまさか本当にそれらしくなるとは、実はエレノアも考えてなかったことだ。
「副社長に大切にされて、恋の花が咲くのかもしれないわね……」
 純情で純真で、素直で元気な少年だった。
 どんな色がつくのか、楽しみな真っ白さで、きっと副社長に気に入られたのだろう。
 実際に言えば、副社長を相手にクラウドが恋をするのを、エレノアは余り歓迎はしていない。
 息子のようにも思えるクラウドだから、幸福な人生を送って欲しいと思う。
 その為の相手としては、副社長では差がありすぎるのだ。
 今後クラウドが本気で副社長と恋に落ちたとして、それを応援してくれる人間は殆どいない。勿論、エレノアや、エレノアに辞令を持って来た前副社長秘書ならば歓迎し、応援するだろう。だが、他の人間は?
 副社長は将来的に神羅の全てを背負う社長となる。
 社長ともなれば、次代を求める声に答えて子供を作らなくてはならない。
 確かに現在では、二人の遺伝子情報から子供は簡単に作れてしまう。だが、まだ古い常識は生きていて、女の腹から生まれた子でなければ認めないという、固い頭の重役達は溢れている。
 その時、クラウドはどうなるのか?
 辛い別れに泣くかもしれない。
 そんなことはさせたくない。
 けれど……。
「クラウド。副社長は優しくしてくれる?」
「あ、はい」
 クラウドは笑う。濁りのない笑み。
「そう……」
 エレノアは初めて副社長に会った時を思い出す。
 つい先日にクラウドに辞令を持って来た以前に、エレノアはルーファウスに会ったことがあった。
 統括秘書として、どうしても重要書類を届けなくてはならなくなった時だ。
 直接本人に手渡さなくてはならない、社運をかけた書類で、だからルーファウスに直接会った。
 冷たい目をした美形。
 エレノアの感想だ。
 整った顔は確かに綺麗で、人をひきつけずにはいられないだろう。仕事も正確で、信頼も得ている。
 だけど……。
 人間の温かみを感じない。まるで、人形のようだ。
 そう思った。
 それが、ついさっき挨拶の時に見たルーファウスは、幸せそうに笑っていた。
 クラウドの話を振ると、嬉しそうにした。
 きっとクラウドが、ルーファウスを変えたのだ。出会って二日で。
 クラウドの話からして、どこがどう気に入られたのか判らないらしい。
 だけどきっと――。
「さてと、仕事を始めようか、クラウド!」
 エレノアはクラウドの肩を叩く。
「はい!」
 元気良く返事したクラウドは、エレノアの隣に並べられた席につくと、スケジュール調整に入った。


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