大統領様の一日は、愛しい妻の怒鳴り声から始まる。
「おい、起きろ、ラグナ!」
バシンと頬を張られて、慌てて起き上がる。
「す、スコール。もう少し優しくだな……」
「何を言っているんだ? 俺は忙しい。早く起きろ!」
両手を腰に当てて仁王立ち。
豊満な胸があろうが綺麗な顔があろうが、スコールはスコールだった。性格は変わらない。
ラグナが覚醒すると知るや、ズンズン歩き去ってしまう愛しい妻の背を見送って、何か違う……と新婚生活中のはずの旦那は思う。
――もう少し甘い生活が……。
「ラグナ! 早く食べないと迎えが来るぞ!?」
「……判った……」
どうにも逆らえない、妻にぞっこんな旦那であった。
「そういえば、レインは?」
「隣。キロスのところ」
「なんで?」
「さぁ? 良く懐いてるよな? やっぱり子供の世話に合ってるのかな?」
――それは違うと思う……。
ラグナは思うが、根拠込みでそれは言わずに置く。
それよりも。
「忙しいって?」
「ガーデンからの呼び出し」
「また!?」
つい先日、スコールはバラムのガーデンから帰ってきたばかりである。
さすがに険しい瞳の旦那に、スコールは苦笑を見せると。
「今度は直ぐに戻ってくるから。大人しくレインの世話をしていてくれ」
「いや、世話は良いけどよ……俺の世話は……」
「はい?」
「いいえ……ナンデモアリマセン」
エスタ大統領夫人のスコールは、同時にガーデンの最高責任者の任を負っている。
本当なら、結婚と同時に責任者の任を解除されるはずなのだが、どうやら学園長がスコールを手放すまいと画策しているらしい。
理由は――言わずもがな。
スコールをだまし討ちで女性化した上に子供まで作り、良いようにしたのが気に入らないのだろう。
それは判るが……。
「新婚なんだけど……」
思い切り残念そうに呟く旦那に、スコールも困った顔になる。
「悪いが……今度の仕事でケリをつけて、長期休暇を貰うから、我慢してくれ」
新婚。
スコールだってその意味は判っている。
普通新婚といったら、やっぱり……。
だが、仕事なのだ。仕方がない。
「休暇を貰ったら、旅行にでも行こう。レインはキロスに預けて」
「え?」
きらり、ラグナの瞳が輝く。
まだ子供のようだ……とスコールはそんなラグナを見て思う。
やってることは、とてもではないが子供とは言い難いが、元来が子供っぽい性格をしているのだろう。結婚後のラグナは、もうスコールに甘え放題だ。実子のレインよりも手がかかる。
「旅行か……」
「だから、ラグナの方も今抱えている仕事にケリをつけろ。でないと、行かれない」
「そうだな。俺は頑張る!」
言った途端、やる気になって朝食をかっ込むラグナに、スコールは優しい笑みを見せる。
残念ながら、ラグナはこの顔を見ることが出来ないのだが……。
愛しげなその視線は、冗談でも嘘でもなくラグナを愛する者が持つもので、とんでもないきっかけからの結婚だったわけだが、スコールも納得して幸福でいることが良く判る。
既に朝食を終えて片付けまでしているスコールの、出勤時間が迫っていた。
再びこの光景に出会えるまでは、きっと多少の時間はかかるだろうが……。
「浮気、するなよ?」
スコールは言うと、ぽかんと顔を上げたラグナに近付き、その唇ギリギリに触れるだけのキスを送る。
「す、スコール!?」
「じゃ、行って来るから。キロスによろしく」
既に未練などないように立ち去っていくスコールの背を見て、ラグナは思い切り前かがみになる。
「わ、若いな、俺……」
思わず呟いてしまう程には、本当にラグナは若かった。主に下半身が。
大統領執務室にて、ラグナはぼんやりと書類を眺めていた。
既に愛しい妻がバラムに向かって二週間。
直ぐに戻ってくるという妻の言葉は嘘だったのか……と疑う程には長い別れである。
「ああ、スコールに会いたい……」
前回同様、既にスコール切れを起こしているラグナ。
その隣では、息子が重要書類にくそ真面目な顔で悪戯書きをしていた。
「……ラグナ君、その書類だが……」
自分からはレインの行動を止めようとはせず、キロスはラグナに向かってレインを指差す。
「え?」
声をかけられて我に返ったラグナは、キロスの差す方を見て飛び上がった。
「わ、やめろ、それはっ!?」
エスタの復興都市計画書であった。
月の涙からかなりの時が経ち――。しかしながら、エスタの復興はそれ程順調にはいっていない。
まずは各国の平和協定の会議に継ぐ会議に忙殺されたラグナは、片手間にしか都市計画を進めることが出来ず、現在でも瓦礫と化した場所が多々存在するのである。
レインが芸術的ないたずら書きをしているそれは、だからやっと作り上げられた都市計画の最終案なのである。
勿論複写はあるものの、複写と原書では天と地との差がある。
慌ててレインの手から奪った原書は、既に元の状態に復元するのが難しい程に塗り潰されていた。
「ああ……」
ラグナは頭を抱えた。
二週間前、スコールが言っていたケリをつけなくてはならないラグナの仕事というのが、まさにこれであった。
せっかく休暇を取れると思ったのに……。
がっくりするラグナを、キロスは自業自得だと切り捨てる。
だって本当に自業自得ではないか。仕事もせずにぼんやりとして、更に自分の子供まで放置する。
生まれた時はあれだけ喜んだ癖に、過ぎれは邪魔もの扱いだ。
「君は無責任だ」
キロスは言い切る。
「はぁ?」
ぼんやりと顔を上げたラグナに、厳しいキロスの視線。
「どうしてレインの面倒を見ない? 彼は君の紛れもない息子だろう? 可愛くないのか!」
「いや、可愛いんだけどよ……でも、なんかもう、自分の息子って気がしなくて……」
「だが君の子に間違いない! ならばきちんと育てるのが君の義務じゃないか?」
「ああ、まぁ……」
ラグナは困り顔だ。
まぁ、ラグナの気持ちが判らないでもない。
レインはどうやらラグナを父親として認めていない様子。どちらかといえば、レインにとってのラグナは敵――ということになっているらしい。
なので親子間はなかなかにシビアである。
ラグナが頭を撫でれば、レインは不機嫌そうにそっぽを向き、ラグナがスコールに近付くと、毛虫のように追い払う。
よって大統領邸では、年の離れた仲の悪い兄弟が、スコールという一人の女を争っているかのようにも見える。
実際にはスコールはラグナの妻で、レインはラグナの実子なのであるが……。
「なんかもう……手のかかる弟って感じなんだよな? 一人で勝手に育ってるし……」
「スコール君には近寄らせてもらえないし?」
「うーん。そこが一番問題なんだけどよ……」
今も言いながらレインの頭をポン、と軽く叩いたラグナを、レインが蹴っているのが見える。
「なんでこんな風に育つかね?」
「……レインは育つのが早いような気がするが……その関係かもしれないな……」
「スコールにも余り会えないしなぁ……性格曲がりもするって……」
「そうか……母親の側にいる時間が極端に少ないのも確かだな……」
なにしろ、返ってきて一週間も経たない内にまたガーデンからの呼び出しで、既に二週間もスコールは家を空けている。
「あまり良い環境とは言えないかもしれないな……」
「だろ?」
言って、ラグナはレインを眺めた。