アクシデント――と言っても良いものか。
譜銃の響音と共に来襲したのは、ヴァン腹心のリグレットだった。
「何故教官がここに……」
ぜいはぁ、と息を上げながら尋ねるティアに、リグレットの視線が怪訝に歪む。
「アッシュ? 何故ここに? お前はダアトで待機のはずじゃなかったか?」
疑問ばかりが飛び交って、解答を誰一人として導き出さない嫌な話の流れである。
いや、唯一アッシュだけは、怒声という名の答えをぶちまけている。
「うるせぇ、俺に命令するんじゃねぇ!」
これが答えと言えるのなら、だが……。
答えだけではなく、敵に対するのには非常に正しい行動として、剣を抜き飛び掛らんばかりのアッシュに、ルークはそれは良い笑顔でにっこにっこ笑っていたりする。
その隣で、一歩遅れはしたが、忠実な下僕が剣を抜きギラギラした視線を――何故かアッシュに――向けていた。
「アッシュ、お前は閣下の計画に必要な者。今すぐその出来そこないから離れなさい」
二人分の殺気を受けて尚平然と言い放つリグレットは、余程己の実力に自信があるか、もしくはアホなのかもしれない。
ルークは思いながら、ガイに合図を送った。
ガイは合図を受けて疾風のごとく走り出し、アッシュもまた続いてリグレットに踊りかかる。
実に忠実に命令を実行してみせる二人を横目に、ルークはうっそりと笑った。
「あの女……実に良いな」
そんな言葉を耳に入れ、ジェイドが呆れた風にルークを振り向くと、舌なめずりせんばかりのルークの手が、今は隠されているがカモフラージュ用の剣の鞘に、装飾とばかりに巻きつけられた鞭に伸びかけているのが見えた。
「ルーク。イオン様がいますよ?」
「……うん。実に惜しいな。俺の鞭なら、一瞬で拘束してみせるのに……」
いまだルークは、イオンに対してだけは以前と変わらない態度で接している。
さすがに十代前半の少年に、ルークの事情のあれこれを暴露するには今少し年齢が足りない。
それに、出来るなら、ルークの事情にイオンを巻き込み、染まって欲しくはない、とルークは考えていた。
「それでそのまま調教に直行ですか?」
「勿論。あれは言動は可愛らしさの欠片もないが、一度踏み込んだらはまるタイプだ。下僕……よりは、そうだな。奴隷にするか」
「……女性相手ですよ?」
「俺、男だけど?」
唖然、とジェイドはルークを振り向く。
確かに。
今まで男相手ばかりを語られていたものだから、ルークが男だという意識が半ば抜けていた。
「……忘れていました」
「普通に失礼だよな、それ。まぁ、判らないでもないけど」
にやり、とルークは笑う。
「意図的に中性的に自分を作ってるし、大体下僕が奉仕するのは当然のことだろ? 奴隷もしかり」
「何故中性的に?」
「うん。俺、一応貴族だから。血は穢れてても、一応キムラスカの最有力貴族だからなぁ。――知ってるか? 貴族は他の貴族やらに舐められてる程度が丁度良いんだぜ?」
「……無力そうに見せて、棘を隠しておくわけですね。舐めた態度で突っかかってくる者達を最小限の力で一網打尽に、ですか……」
「権力争いに全力使う必要はないさ。表に見える部分しか見ない奴には、全力は必要ないし、そんなことにかかずらってたら、人生楽しめないだろ?」
「至言ですね……」
これはあれだ。古来からの言われ続ける、王者の資格という奴だ。
王に賢い頭脳は要らず、ただ人を惹きつけるカリスマがあれば良い。頭脳は王に従う臣下が持つものである。
軍で言うなら、将は人を動かす力があれば良い。策は軍師がひねり出すものだ。ということになる。
賢い王は、大抵のこと反感を買う傾向にある。
だが、王は万人から好かれることが大前提だ。
ルークの場合は少し違うが、概ねこのような思考から、本来持つ資質を隠し、どちらかというと誰に対しても受身な姿勢をとっているのだろう。
「どこの殿様ですか……」
「ん?」
「いいえ……」
だが、それはルークの身を守ることに繋がる。
「を、そろそろ決着がつくみたいだな」
呟きに促されて前を見れば、アッシュとガイが、ティアの絶叫を無視してリグレットをおさえつけるところだった。
さすがに六神将。それなりに力量はあっただろうが、遠距離専門の武器でアッシュとガイを相手にするのはいかにも面倒だっただろう。
距離を取ろうとすれば、ガイが得意のスピードで攻めてくる。足を止められてしまえば、アッシュがパワーで攻めてくる。
相手が悪い。
「俺だけなら、それなりに厳しかったかもなぁ」
暢気に呟くルークに、確かに、とジェイドは頷く。
ルークは遠近両用武器を自在に使いこなす力量がある。が、いかんせんスピードに不安が残る。
譜銃を使われるならまだしも、譜術の対応策を持っていない。
遠距離で詠唱をキャンセル出来れば良いが、リグレットは軍人であり、キャンセルの対応策は持っているだろう。
「あなたを一人で戦わせたりはしませんよ。私も援護します。それに……」
例えばルークが一人で突っかかっていったとして、命令がなくても、ガイやアッシュならば、おのずと戦いに参加しただろう。それこそルーク――主――を守るのが彼らの生きがいのようになっている。
ああ、本当。
どうしてあの、ルークを殺そうとまでしていたアッシュが、この時点でルーク至上主義のように振舞うのかが不思議だ。
数日前までは確かにあったはずの憎悪が、今はすっかりと消え、ガイ以上にルークの下僕と化してしまったアッシュ。
オリジナルやらレプリカやら、もうそんな事実はどうでも良いらしい。
恐ろしいものだ、調教とは……。
意外なのはティアだろうか。
日々彼らのあの状態を見て、いまだルークに抵抗し続ける。
ジェイドですら、もうルークを主と認めかけているというのに……。
「ルーク、この女はどうする?」
「ん。躾る」
「え……」
問いかけたガイの答えに対し、不満を示すのは当のガイとアッシュ。
新たな下僕――しかも女――が増えるのが、彼らには殊更に気に入らないらしい。
「こんな女、お前に相応しくない!」
「そうだ。こんなのいなくても、俺がいるだろ、ルーク」
まるで駄々っ子のように言い募る二人に、ルークは思わず苦笑する。
「でも、お前達が今やっている仕事をその女に任せれば、俺達の時間が増えるぞ?」
「え?」「なに!?」
きらり、とアッシュとガイの瞳が光る。
もうすっかりルークに操られている二人は、そのたった一言で、納得してしまった。
「じゃ、この女は仕方ないから、俺が運ぼう」
女性恐怖症のガイに代わって、アッシュがリグレットを担ぐ。抱き上げる、ではなく、担ぐ。
米俵のように担ぎ上げたリグレットは、もがき抵抗を示すが、ルークの決定は絶対であった。
「うるせぇ!」
がつん、とみぞおちに一発入れられたリグレットは、がっくりと抵抗以下意識を奪われ大人しくなり、それに対してティアがまだうだうだ文句を言うが、この場合責められるべきなのは、敵として現れて足止めをしたリグレットであるはずだろう。
もう誰も、彼女の言葉に耳を貸しはしない。
イオンは何か思うところがあるのか、じっとルークを見つめていたが、だが、言葉を挟もうとはしなかった。
アッシュとリグレット、そしてイオンという、本当なら予定になかった人物達を加え、一行は漸くアクゼリュスに辿り着いた。
想像していたのよりも深刻な状況に、誰もが口を開けない。
責任者として、この場の指揮権を持つルークが、まずはジェイドに街の責任者と繋ぎをするように、と告げる。
事態は一刻を争う。
この場は救助活動よりもまず、詳細な状況を知ることが、最重要であった。
「お連れしましたよ」
「ありがとう。えっと……」
やってきた一行が、キムラスカからの救助隊だと知るや、町長と名乗った人物は深く頭を下げる。
「街の世話役をしてます、パイロープと申しますです」
「ああ、いや、挨拶は良い。まずは状況を説明してくれ」
最中、ガイはルークの命令を受けて、街の医療施設を見に向かった。
薬剤が足りないなら、ケセドニアに連絡をいれて、近場まで補給に来てもらわなくてはならないからである。
とは言え、思った以上に瘴気の濃度が濃い状態では、人々をこのまま街に残しておくのは得策ではなかった。
「成る程。殆どの者はアクゼリュスに残っていて、避難した人間は少ない、んだな?」
「はい。毎日同じ状況で生活してます。瘴気はちょっとずつ濃くなっていったので、そんな酷くなってるとは、思わなかったんです。救助を求める際には、もう瘴気中毒者が出ていて……」
「少量の変化は、当事者には気付けない。そうだろうな……」
ルークはアクゼリュスの街を見回した。
視界の端で、ティアが回復をかけているのが見え、呆れて吐息する。
町長であるパイロープに、動ける人間全てを集めるように告げた後、ルークはジェイドを振り向いた。
「回復術は有効なのか?」
「……有効、でしょうかね?」
「判断つきかねる、か?」
「ではなく……戦う者なら、回復術は外傷の応急処置だと、知っていると思いますがね……」
「そっちの方か……だよなぁ……」
怪我は治せるが、病気は治せない。これが回復術の特徴だ。
瘴気による弊害は、病気に類するもので、回復術ではどうにもならない。
そんなこと、軍人なら判りきっているはずなのに……。
「で? ティアはどうして回復を唱えているんだ?」
「私が知るわけがありませんね」
「そっか……それで、マルクトからの救援隊はどうした?」
「それが……」
ジェイドは苦い顔をする。
「姿が見えないのです。先程町長を呼びに行った際、そのことについても尋ねたのですが、そんな団体は来ていないと返されまして……」
「来ていない?」
ジェイド同様、表情を歪めたルークは、指を唇に当てて思考に沈む。
「……バチカルで和平が仮決定した後、勿論マルクト側に連絡は入れたよな?」
「ええ。勿論です。城の連絡手段は借りられませんでしたので、宿から連絡を入れました」
「ちょっと待て。城の連絡手段が借りられなかったって? 和平が仮にでも決定したのにか?」
「ええ。懇切丁寧にお断りされましたので、仕方なく民間の連絡手段を用いました。多少時間がかかりますが、仕方ありません」
「馬鹿な……」
そんなことはありえない。
仮とは言え和平が決定したのなら、マルクトの人間であろうとも城の連絡手段の利用を断ることは、マルクトに対しての失礼にあたる。
それが判らない者は、バチカルにはいない――ということは……。
「アッシュ、ガイ!」
ルークは慌てて待機していたアッシュとガイを呼ぶ。ジェイドには、パイロープを手伝って、動ける人間を集めるように頼み、走り去るジェイドを見送ってから、やってきた二人に尋ねた。
「ガイ。薬剤の量はどうだ?」
「余っている程ではないけど、足りないというわけでもない、って程度かな? もしも現状が長く続くなら、確実に足りなくなるらしいが……医者の話では、その前に住人の全てが死に絶えるだろう、ってさ」
「そうか……」
現在の状況で、ほぼ半数以上が瘴気に倒れていることを考えるなら、当然の返答かもしれない。
瘴気には万能薬がない。あまり馴染みのない毒素なので、その分析もあまり良く行なわれていないのが現状だ。
「アッシュ。お前の部下は今近くにいるか?」
「いや。俺はヴァンの命令で、他師団長二人と共に部下とは別行動を取っていた」
「連絡して、今からでもここに来てもらえるように頼めないか?」
「構わないが……どうかしたのか?」
「……キムラスカに――いや、預言にはめられた……んだろうな」
「何?」
「キムラスカはこのアクゼリュスを救助する気はさらさらない。どころか、この地を見捨てる気だ」
え? と。アッシュにしろガイにしろ、愕然とルークを見やる。
アクゼリュスを見捨てる気、ということは、今この場にいるルークすら、キムラスカは見捨てた、ということで……。
「ふっふっふっふっふ」
ガイが笑い声を上げた。
「安心しろ、ルーク。俺が守ってやるからな。いや、守らせてもらう!」
奇声を上げたガイは、何かの名簿を握り締めて街を飛び出していく。
アッシュも同じく、どこから呼び寄せたのか、魔物(?)のようなものに、メモを手渡し、目をギラギラさせていた。
ルークはルークで、街の中からある人物を探し出し、その人物に手紙を預けて街から脱出させた。