あれも恋 1

「端午! こっち。俺はここ」
 その声が聞こえて、周りが驚くほど静かになった。駅前の雑踏で声なんてかき消されてしまうのに。
 大人の男のことを思えば幾分高いが、それでもどう聞いても少年の声で。しかも俺、なんて言ってるし。なのにその大きな声がした方を見れば、そこには声を想像した少年の代わりにかなりの美少女が立っていた。

 声の主を捜した周りの人間は少女を見て驚き、そして無意識に呼んだ相手を捜す。
 その少女が見つめている線上で人垣が割れる。関わり合いになりたくなかったと言うのが本心だが、残念ながら線の先は俺だった。
 少女は悠々と割れて出来た道を通って俺のそばに来た。
「端午、遅いよ」
 ああ、海市。頼むから女の子の格好をするなら口を開かないでくれないか。

 思わずこめかみを押さえた俺の様子など気にならないのか、海市は腕を絡めてきた。取り敢えずこの場を立ち去るのが先決だろう。
 海市を引っ張るように歩き出した俺を呼ぶ声がまたした。もう、この際無視して行こう、そう思ったのに、またしても海市に止められる。
「端午のことでしょう?」
 ああ、そうですよ。俺のことですよ。

 仕方ないので諦めて立ち止まった。すぐにその声は追いつく。
「屋城課長。さっきからずっと呼んでいるのに。どうして行っちゃうんですか」
 少し息を切らして俺を責める。そんなにしてまで追いつかなくてもいいのに。
「あれ、この可愛い子は?」
「ええっと、弟‥」
 と言いかけた所で、スネに思いっ切り激痛が走った。
「くっ‥」
 俺が痛みを堪えているうちに、蹴った本人の海市が勝手に挨拶をする。

「初めまして。端午の恋人です」

 すまして話せばなんとか女の子の声に聞こえないこともない。なんと言っても今の海市は少女以外の何者にも見えないし。
 目の前の女子社員が、ピンクハウスの服がこれだけ似合ってる子もいないわね、とか言ってることを思えば、その服はそこそこのブランドもので、フリフリのいかにも少女趣味なデザインはボーイッシュと言っていい今の海市には嫌みにならないのだろう。

「ええっ、こっ恋人!」
 みんなが一歩後退る。そう、女子社員以外はみんな引いた。
「かっ課長ってロリコンだったんですか‥」
 絶句している部下になんと答えたらいいのだろうか。ロリコンではなくショタコンだと答えたら正直に話したことになるだろうか。
「ロリコンって酷いなぁ。これでも十五歳なんだから」
 海市‥、お願いだ。その口にチャックをしてくれよ。
「じゅっ‥十五」
 今度は全員が二歩‥引いた。

 その時追いついてきた集団は俺の課の人間ばかり十二名。本当は仕事の打ち上げをやる予定だったのだが、海市に呼びつけられてこうして待ち合わせの場所まで出てきたのだ。一時間ほど遅れる、と言ってあったのに、何故俺を追い掛けるのか。
 追い掛けなければ口を開きっぱなしの情けない顔を晒すことはなかったのに。

「‥まあ、そう言うことなんでな。またあとで顔を出すから」
「あ、違うんです。予約していた居酒屋がダブルブッキングでこちらが閉め出されちゃって。それでなんとか確保した店があっちなんです」
「一応課長の携帯にはメール入れておきました。また店で落ち着いてから電話もするつもりでしたけど」
「なんだそれは。どういうことだ。ちゃんと会社名を言ってやったか。そんな舐められた態度を許してやったのか。今後そこは使うなよ」

 情けない顔をしていた連中は途端に含み笑いに変わる。
「やっぱ屋城課長はそう言うと思ってました。約束を違えることには厳しいですからね」
「はい、その分はちゃんと詫びが入ってますよ。今度行くときは半額にしてくれるそうです」
 ニヤッとするこいつらは若くして課長になった俺の腹心の部下だ。もちろん俺より年上の人もいる。会社での当たりがきついにも関わらず、頑張ってくれているのだ。だから一つこなすごとに俺のおごりで飲み会を開く。せめてものお返しなんだが、今日は日が悪い。
「端午、俺も一緒に行きたい」
「なっ何を言うんだ。海市はちゃんと送っていってやるからうちへ帰るんだ」

 俺の焦る態度と名前に不審をもたれた。
「かいしってどういう字? 変わってるね」
「あ、えっと‥なっ名前は卯月、って言うんだ。そっそう、海市卯月」
 仕方なく名前と名字を逆にする。これくらいなら海市も怒らないだろう、と踏んで。
「へぇ、卯月ちゃんって言うんだ。名前も可愛いね」
 一番若い社員が海市にそう言うと、海市は例の営業用のとびきりのスマイルを投げかける。
「うっ‥羨ましい〜」
「お前にゃ無理だよ。課長は付き合う相手もレベルが高い。まあ、ちょっと幼いけどな」
 ドッと笑う他の社員に慰められてようやく全員が立ち去った。最後に海市に一言残して。
「可愛い彼女に言っておくと、課長は身持ちが堅いから安心していいよ。だから帰りが遅くてもそれは仕事だからね。課長は人一倍働く男だから」
「へー」
 と、抑揚のない声で海市は興味なさそうに返事をした。


「はぁ〜、海市。俺の立場も少しは考えてくれよ」
「端午の立場って言うけどさ。俺の立場はどうなるわけ?」
 うっ、それを言われると黙るしかない。

 実は2日前のこと。海市は俺の会社へ訊ねてきたのだ。聞き分けのない駄々っ子じゃないので、ロビーで帰りを待っていたのだが、俺はそれを知らなかった。
 海市には会社のことを話した覚えもないので当然と言えば当然なのだが。それは2回目に会ってから4日目のことだった。
 そして同期の連中と出てきた俺は、突然声を掛けられて焦って弟だと紹介した。
 その時は大人しく弟でいてくれたのだが、海市は酷くそれに傷つけられたようで。表面は相変わらずポーカーフェイスなので初めは分からなかった。
 しかしどうして会社へ来たのか聞いてみると、裏に隠れている気持ちが分かってきた。

 海市は親に捨てられたと思っていて、中学の先生が甘えられる全ての存在だった。だから進んで女の子の格好もしたし、言われるままに抱かれたりもしていた。あのフェラのテクだって先生を喜ばせたい一心で覚えたんだろう。そう思うと本当に泣けてくる。
 家族からも爪弾きにされ、先生とは秘密の仲で。誰にも気付かれないよう常に居ない振りをしてきたのだろう。自分を殺し続けることで、自分の存在自体が不安になっていたのかもしれない。だから勝手に抜いた名刺を見て、俺の会社へ来て、俺が見知らぬ振りをするかどうか、確かめたかったのだ。ちゃんと恋人と言って紹介して欲しかったに違いない。

 事情が分かれば声を大にして恋人だと言いたい所だが、残念ながら未だ世間はゲイに厳しく、会社でそうだとばれたら首が飛ぶかもしれない。そこまで行かなくても喜んで足を引っ張る奴らは出てきそうだ。
 広告代理店をしているうちはそう言うスキャンダルには弱いし、食いつかれる率も大きい。今まで誠意で築いてきた信頼が一気に崩れ去るのは明らかだ。
 俺は売られたケンカに逃げるようなことはないが、だが好戦的なだけでは人との仕事は出来ないと思っている。騙したり騙されたりと言った戦略を使わないことを信条としてやってきた。それを認めてくれた客先や上司によって同期うちでは一番早く課長になった。

 ゲイが悪いことではない。これは本当に一人一人に説明して回りたいくらいなのだが、ゲイだと言うだけでどれほどのことを言われるのかは想像が付く。会社を辞めるまでは内緒にするしかないのだ。
 それを海市にも一生懸命説明した。海市はやっぱり興味なさそうに聞いていたのだが、ちゃんとポイントは押さえていたんだな。女の子だったら問題ない、と判断したに違いない。けど、どうせ嘘を付くなら歳も十八と言って欲しかったよ‥。
 月曜日、会社へ行くのが俺は怖い。いや、それよりも飲み会をサボりたくなってきた。

「海市、送っていくから帰ろう。満足したかい?」
「ちゃんと女の子の格好してきたのに。何を端午は焦ってるの」
「う〜ん、女の子だと言うなら俺って言うのは止めてくれよ。それともう少し可愛い声で呼んでくれ」
「ふーん、分かった」
 一端頷いてから、声のトーンを上げる。
「端午、ここでキスして」
 するりと肩へ腕が回って屈まされる。海市は俺にぶら下がるようにして顔を寄せてきた。
 可愛い、可愛いのは認める。しかし、俺はもう十代の周りが見えない若者ではなく、一応社会へ出てそれなりに地位もあって生活している大人なのだ。こんな所を誰かに見られたら、どうしろと言うのか。
 そんな理性が押し寄せるが、若い海市に勝てるわけがなかった。なすがままで口先だけ合わす。それでも海市は満足したようだ。海市にとっては世間に自分の存在をアピールすることが大切なのだから。
 俺の恋人、と言う空間が海市の居場所なのだから。無垢な子供のように愛情を確かめているのだと思えた。

 寂しそうな素振りは一切見せない海市。きっと俺が喜怒哀楽も取り戻してみせる。
 そう心の中で誓って、海市を送っていった。

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