遠洋に馳せる想い5

 3ヶ月も漂っていたら燃料も無くなっているだろう。立ち寄りそうな港には見かけたら連絡をくれるよう言ってあったのに、どこからも連絡はなかった。給油をしないと言うことは漂流しているか、燃料も必要のない状態であるかと言うことだ。燃料がいらない‥つまりは沈没している、なんて絶対考えたくなかった。
 泣けそうになっては我慢した。だって泣いてしまったら、一番悲しいときだと認めることになってしまうから。船長は絶対生きているのだから。


 10月10日。学校は体育の日で休みだった。俺はまた朝から港へ来ていた。
 ただ潮風に吹かれて、ボーッとするのが当たり前になっていた。船長は生きている。だから俺は待つ。港ではゴチャゴチャと考えたくなかった。
 船の上で楽しかったことだけを思い出していた。
 船長の浅黒い顔。でも海の男の顔だ。他の船員だって負けず劣らず真っ黒だ。そしてみんな腕が太い。あの縄を引いて鍛えられているのだ。
 そんな海の男の集団が俺は好きだった。みんな厳しくて優しかった。激しくて情に厚かった。こんなすれっからしの俺だって大事にしてくれた。
 そのみんながいなくなったなんて。そんなバカなことがあっていいものか。

 ボーッとしていたはずなのに、目頭が熱くなって慌てて頭を切り換えた。

 遠くに小さく船が見えた。また漁船が帰ってきたのか。待ち始めた頃は太洋丸じゃないかとずっと目を凝らし、近くに来るまでドキドキして、そして激しく落胆すると言うことを繰り返してきた。
 その落胆を少しでも抑えるために、最近は期待してるのに、違う船だから、と思うようになってきた。
 それでも心臓が高鳴るのを抑えることは出来なかった。だってどれだけ近づいてきても形が太洋丸とそっくりなのだ。

 早く、もっと早く近づいて。
 もっと、もっとこっち。
 船首の下に書いてある船の名前が見たかった。

 早く、早く来て。

 首を長くして、と言う言葉の意味を嫌と言うほど味わった。俺の首は伸びっぱなしだった。

 そして‥。

 うそ‥嘘だ‥。

 甲板に人が見える。
 みんなが俺を見つけた。
 手を振ってくれる。

 うそ‥ほんとなのか。

 その船は正真正銘、太洋丸だった。

「おおーーーい!」
 俺は千切れんばかりに両手を振り続けた。声が潰れるかと思うくらい叫び続けた。

 本当に声が掠れたころ、ようやく船は停船し、デッキが下ろされ、みんなが降りてきた。
「おお、洋一」
「でかくなったな」
「元気だったか」
「ちゃんと勉強してるか」
 みんな俺を囲んで背中をバシバシ叩く。
「バッ、バカヤロー。どれだけ心配したと思ってるんだ」
 掠れた声で叫んでもみんなに聞こえない。俺は一人一人抱き締めて歩いた。

 そして、最後に船長が降りてきた。
「洋一、いい子にしてたか」
「バカ‥バカにしてんじゃねぇ。もう子供じゃないんだ」
「ああ、そうだったな。今日で19歳になったんだったな。間に合ったな。誕生日おめでとう」
 船長はナッツ入りのチョコレートの箱で俺の頭を叩いた。
「船長っ」
 俺は船長にガシッと抱きつくと、ブワッと涙が出てくるのが止められなかった。
「なんだ、誕生日は何度もくるのに一生で一番嬉しいときなのか」
 もう答えることなんか出来なかった。ただ船長の肩で泣くしかなかったのだ。

 暫くして、恥ずかしくなるくらいに泣いたあと。ようやく今までどうしてたのか聞けた。

「一体どうしたんだよ。みんな遭難したと思ってそろそろ合同葬儀でもするかって話しになってたんだよ」
「ええーっ、俺たち死んだのか」
「だからどうしてたんだよ。連絡もなかったからてっきりヤバイかと」
「ああ、無線が調子悪くて操舵室へハムを持ち込んでたんだ。そしたらシケでハムが通信機を直撃してさ。バチッとショートして火ぃ吹いて一巻の終わり。修理すら出来ない酷い有様でさ」
 アマチュア無線の持ち主まで一緒になって笑っている。

「だけど連絡が取れなくなってから3ヶ月も経ってるんだぞ。何してたんだよ」
「何ってなぁ、いつもと一緒で必死になってマグロ捕ってた」
「3ヶ月も?」
「いや、ハワイへ行ってた」
「はっハワイ〜?」
 後で聞いたところによると何らかの手違いで運悪く、ハワイだけきちんと連絡がいってなかったのだった。

「お前いないし、今回はあちこちと寄港した。女買いにな。ほら、みやげのチョコ」
「どうしてハワイから連絡してこないんだよ」
「あれっ、してないのか。てっきり航海長がしてると」
「え、俺は船長がしてると」
「他の誰でもいいよ、電話くらいしてこいよ」
「俺、英語苦手だし」
「俺は誰か連絡してるからいいかって思ってた」
「まさかそんな騒ぎになってるなんてなぁ」
「おうよ、いつもと一緒のつもりだったから」
「それに忙しかったんだよなぁ。そんなこと忘れるくらいに」
「そうそう、誰かさんの誕生日に間に合わすんだって言ってさ」

 ニヤニヤとする船員。船長が笑った人の頭をはたく。
 誰も連絡をしようとしなかったなんて。なんて奴らだろう。こっちの心配など全然気にしていない。
 海の男は海にいるのが当たり前なので、そう言うことには疎いのか。いや、他の船員は海に出ると家族のことばかり思う、とか言ってたのに。太洋丸の船員だけが特別なんだ。みんな船長に右へならえで変な奴ばっかりだ。

 でもとにかく帰ってきて良かった。少し経つと他にも人が集まってきて、大騒ぎになった。そしてその晩は大宴会が催され、町中のみんなでへべれけになるまで飲んだのだった。

 町が落ち着いた数日後。
「洋一。遊園地行ったか」
「ううん、行ってない」
「よし、じゃあ次の日曜に行くか」
「うん」

 そして念願のジェットコースターにも乗ったのだが、やはりシケの中の船の方が迫力があって。でも船長と一緒なのが嬉しいのに、こんなに大きくなってから連れられてるってのが何故か恥ずかしくて。
 その晩は遊園地の近くのホテルに泊まった。

「船長。まだ俺のこと抱ける?」
「なんだ、もう仕事はしなくていいんだぞ」
「仕事じゃなくて、俺は船長に抱かれたいんだ。もう俺相手じゃ勃たないって言ったのほんとか」
 ジッと真剣な目で船長を見た。

「まあ、白状しちまおうか。まだみんなお前のこと抱けたよ。だがそう言わないとお前は船から離れなかっただろ。だからな」
 ちょっとだけ照れが入った船長はキュンとくるほど愛おしかった。
「俺は船長のことが好きだ。だから息子としてじゃなくて、一人の男として見て欲しい」
 もしかしたら息子としてもみてもらえなくなるかも‥、とは思ったのだが、言わずにはいられなかった。どうしても告白して、この気持ちに決着を付けたかったのだ。

「なんだ、お前知らないのか」
「え、何を」
「男同士のカップルは養子縁組とかで籍を入れるのが結婚の代わりなんだぞ」
「え‥なに‥それ」
「だから言ったろ。一生俺の息子でいてもいいし、出て行ってもいいぞって」
「バカ‥‥バカヤロ、そんな大事なことはちゃんと説明しろよな。俺はあんたが結婚したらどうしようとか、色々考えてたんだから」
「俺はお前の苦境にめげない根性が好きだった。どんなときでも生きようとするその活力が気に入っていた。でも俺はこんな歳だ。もう39になる。お前とは20も違うんだ。お前はお前のやりたいようにすればいいと思っていた。しかも男同士だしな。だから敢えて言わなかったんだ」

「船長ーっ」
 俺が飛びつくと船長は支えきれなくてベッドへ倒れた。
「ほんとに大きくなったな。いくら言っても、もう俺の他はお前のことは抱けないだろうなぁ」
 船長はそう言いながら俺に唇を合わせる。船長からは潮の香りがした‥。

 久しぶりに俺の中に船長が入ってきた。俺はその悦びで身体を震わせた。
「もう‥離れ‥たく‥ない」
 船長に突き上げられながら、そう告白する。
「俺も‥お前の身体が欲しくてたまらなかったよ」
 そして数え切れないほどやりまくった。2年の空白を埋めるかのように。

 でも当然だけど船長の方が先にばてる。
「船長も歳なんじゃないの。これからは俺の方が気持ち良くしてやるよ」
「バカヤロ、まだお前にカマ掘られるほど歳喰っちゃいねぇよ」



 それから20年の月日があっと言う間に過ぎ去り、俺たちはまだ漁に出ていた。しかしマグロ漁は衰退の一途を辿り、太洋丸からは下船していた。ずっと小さい船で二人で漁に出る。

「またマグロ捕りに行きてぇなぁ」
「俺が大金持ちになったら船買ってやるよ」
「チキショ、お前生意気になったよな」
「あはは」
「まさかお前にケツを掘られることになるとは夢にも思わなかった」
 カマ掘られるほどには歳を喰った洋平をイかせてやる方が多くなってきた。俺だって抱かれる方が好きだったけど、だがもう頑張れる回数が違っていた。

「仕方ないだろ。歳が違いすぎるんだから。それに生意気なのは生まれつき」
「ああ、そうだな。そうだった。初めてあったときから生意気そうな目つきしてた。どうやってこいつを手懐けようか、一瞬で画策した」
「なっなんだよ、それ」
「甘いことならいくらでも言えた。だがお前は何かと引き替えじゃなかったら信じなかったろ。野良猫みたいにギラギラしてた。身体ならお前にも価値があると信じさせられる。仕事なら俺を信じただろ? 本音は俺だけが抱ければ良かったんだがな」
 洋平は少しシワが出来ただけで、ほとんど昔と変わらない笑顔でニカッと笑う。言いたいことが見えているのに、掴めなくて焦れる。

「だから‥どういう事なんだ?」
「俺は初めっからお前に惚れてたんだよ。20も下のガキに一目惚れってやつだな」
「バッバカヤロ。そういうことは、もっと早くに言えよ」
 ジワッときた。涙が出そうになって、思わず目頭を押さえた。
「それはどっちだ? 俺みたいな奴にだまくらかされて、人生を後悔するほど悲しいか?」
 ニヤリとしたままで、分かってるくせに洋平は意地悪を言う。

「それは俺の方だ。ヤクザに狙われてるガキなんて抱えて、あんたになんかあったらどうしようかと思ってた」
「ああ、あのヤクザか。弱かったぞ」
「え‥?」
「ったくよ、ヤー公のくせにしつこかったよな。こんな所まで追っかけてきてよ」
「あっあいつ‥来た‥のか?」
「どっからかお前が太洋丸に乗ったことを聞きつけて来てな。男ならタイマンで勝負しろって言ってケンカした」
「いっ‥いつ?」
「ん? お前と初めて出た航海から帰ってきた日」
「あのケンカしたって言ってたときかよ」
「ああ」
「なっ何が‥弱‥かった‥だ。あんた‥だって、ボロボロ‥だった‥じゃ‥ない‥か」
 俺は20年ぶりに泣いた。遭難したと思っていた洋平が帰ってきたとき以来だ。
 俺のためにヤクザとケンカしてくれたんだ。下手したら殺されるかもしれないのに。
 洋平は殴る真似をして、当時のケンカを再現していた。
「あっちがこう来たときに俺はこう、下からパンチを食らわせてだな‥」
 顔の前でこぶしを振りかざす。
「俺の方が強かったぜ」

「ああ、あんたの方が強かった。目に見えるようだ。それから俺だって初めからあんたが好きだったよ」
 ちぇっ、気に入らない。いくつになっても洋平には驚かされる。俺が勝てるのは後何年してからだろう。

 俺は例えようもなく幸せだった。
 このままずっとそばにいれたらいい。

 洋平には100歳まで頑張って生きてもらって、そしたら一緒に死のう。100と80なら同じジジイだ。
終わり

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